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できそこないの歌姫  作者: shinobu | 偲 凪生
第2話 最果て博物館
12/37

6


 用意された部屋は、ルゥの来訪を待ちわびていたのように、きちんとベッドのシーツまで整った状態になっていた。

 部屋の灯りをつけると、壁は黒く、やはり模様が施されている。

 ようやく訪れた静寂、ひとりだけの時間と空間。不意に蘇るのはパパラチアの言葉だ。


(何を選んでも)


 ルゥは結われていた髪の毛を解く。

 そして服を脱ぎ、ベッドの上に置かれていた、寝間着のようなゆったりとした服に着替える。


(不幸になる?)


 口角は妖しく上がっていた。

 パパラチアはそれ以上語ることをせず、館のなかを案内してくれた。

 見たことのない彫刻作品や、気味の悪い絵画もたくさんあった。それはざわりと背中をなにかが駆け抜けていくようだった。

 そして疲れただろうから休むといい、と、この部屋に連れてきたのだ。

『しっかりと休んで、お腹が空いたら降りてきてちょうだい』

『とびっきりのご馳走を用意して待っているわ』

 ルゥは乱暴にベッドに倒れこむ。パパラチアと話すのは疲れる一方で不快感はなかった。

(ちがう、こんなに誰かと喋ったのは、初めてだからだ)

 瞼を閉じると、吸いこまれるように意識が遠のいていく。



 それは広角レンズで覗きこんだような暗くて不思議な光景だった――。

 幼い姉妹が向かい合って立っている。ふたりともお揃いの白いワンピースを着て、お揃いの髪飾りをつけている。

『お姉さま、お姉さま。こんなところで泣いていらっしゃったのね。さぁ、戻りましょう』

『いや』

 少女は、妹が差し伸べてきた手を振り払う。

『わたしには無理。歌おうとすると、喉に痛みが走るのよ』

『それはお医者さまが痛み止めを用意してくださっていたじゃないの』

『そこまでして、わたしは歌わないといけないの? 歌姫が必要ならあなただけでもいいじゃないの。わたしに、歌は必要ないわ。あなたみたいに楽しく歌えないの!』

『……お姉さま……』

『稽古場にはあなただけで戻ってちょうだい。わたしは、頭痛がひどくて寝こんでいるとでも伝えて』

『そんな。せめて少しだけでも』

 食い下がる妹に向けて姉は苛立ちを行動へと移した。

 ばっ。

 ワンピースの裾をまくりあげて、妹の肌を露わにする。右の脇腹には、花のような波紋のような青紫色の痣が広がっていた。

『あなたはいいわよね! 欠陥といえば痣があるだけなんだもの。わたしは喉に欠陥があるの。この苦しみは、あなたには一生理解できないわ』

 放った棘。毒。

 同じ顔をした少女が、眉を下げ、今にも泣き出しそうな表情になる。

 見ないようにした。何故なら、撒き散らした毒は、自らをも蝕むのだ。幼さ故の衝動で、傷つけ、手放した。

 今になって胸が痛むのはどうしてだろう。


「……あぁ」

 忘れていた記憶がゆるゆると蘇ってくるのと同時に、視界が広がる。

 遠い記憶。お披露目の儀式の前日だった。そのとき、ついにルゥは問題児の烙印を押されて、だけど処分されることもなく、軟禁はゆるやかに始まったのだ。

(あの子に何かがあったときわたしを使うために生かしてきたんだ)

 ルゥは寝返りを打った。

 ベッドに沈みこんだ体は温かい。自らを抱きしめながら、ぽとりと言葉を落とした。

「わたし自身に存在する理由がないことは知っていたんだ。だから、手術で瞳を取り出すと告げられたとき、すんなりと受け入れたのに」

(それなのに)

「生きることに執着しているわたしは、なんなんだ……」


(あの子の命を犠牲にしようとしてまで)


 下唇を噛む。

 エメリーが現れなければ、ルゥは瞳を妹に渡して、この世から消えていた。

 それでいいと思っていた……。


『わたくしはお姉さまとお話がしたいです』


 しかし自由の身になって思い浮かぶのは、花のような、瑞々しい妹の笑顔だった。

 どうしようもなく、胸に刺さって目を逸らすことができない眩しさ。

 離れた今となっては、それに焦がれていたのかもしれないと、思うことができた。

(あのときのことを謝って、わたしもあなたと話したいと、伝えよう……)

 ルゥは畳んでおいた服に着替える。

 髪の毛は結わずにそのまま、部屋を飛び出した。

(パパラチアさんに聞いてもらおう。もしかしたらアドバイスをもらえるかもしれない)

「……?」

 ところが異変に気づき立ち止まる。仄暗い廊下をきょろきょろと見回した。

 見た目は何も変わらない。ただ、音がしていた。ぱちぱちと、何かが弾けるような音だった。

 さらに、鼻をつく異臭に顔をしかめる。

(なんだか嫌な感じ……)

 食堂へ近づくほどに音は大きく、匂いは強くなっていく――。

(決して、美味しいものの香りじゃない)


「パパラチアさん?」

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