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軽やかだけど高くも低くもない、楽器の音色のような美しい声が響いた。
ルゥは顔を上げる。博物館の入り口らしき小さな階段の上に、男性とも女性とも判別できない誰かが両腕を組んで、すらりと立っていた。
髪の毛は、眩い銀色。地面まで届きそうな長さだけど、肩の辺りでひとつに結って、左肩に乗せて流している。額には六角形と花を組み合わせたような小さな模様が横に3つ。
色白ですっと細い顔立ちときつく吊り上がった瞳は爬虫類を連想させる。
ワンピースのような、ゆったりとした筒状で灰白色の服を着ている。そこにも薄い銀色で、額のものと同じ模様が連なって刺繍されていた。
そして両の瞳は、橙とも桃ともいえない、見る者を引きこむ美しい色をしている……。
「あなたが……パパラチア、さんですか?」
その口角が滑らかに、かつ妖艶に上がる。問いかけへの肯定だ。
パパラチアは、かつん、かつんと、靴音を響かせながら短い階段を降りる。
「待っていたわ、ルベウスのなりそこない」
そして、白く滑らかな手を口元に当ててから、値踏みするような視線でルゥの目の前に立った。ルゥよりも頭ふたつ分背が高い。
パパラチアが両手でルゥの頬に触れる。
(滑らかな掌)
(すごく、きれいな瞳)
ルゥはその瞳をじっと見つめた。
(ルビーが最上位のコランダムだなんて嘘だ。パパラチアの方が、もっと、もっときれいだ)
瞳を称賛する言葉を口にしようとしたタイミングで、パパラチアはルゥの額にそっと口づけをする。
辺り一帯の空気が凛と澄みわたるようだった。
コランダム同士の対面という、神秘的な出逢いの瞬間。他者の存在を許さない、美しさ――。
そして耳をつんざくような声が辺り一帯に轟いた。
「ん〜もう〜、早く来ないかなって待ち遠しくてたまらなかったのよ! 会いたかったわ、アタシの同胞! 生きてここまで来てくれてありがとう!」
「……えっ?」
目を丸くして直立不動の姿勢でかたまったルゥを、パパラチアは両腕をばっと開いてから思いきり抱きしめる。どこからそんな力が出るのか。骨が折れるのではないかというくらいの勢いだった。
「く、くるしい、です」
「あーら、ごめんなすって!」
今度は勢いよくルゥから離れた。両手は肩に置いたまま、パパラチアがじっとルゥの顔を……瞳を見つめる。右の紅と左の漆黒に、パパラチアの姿が映りこむ。
「あまりにも美しいルビー。こんな色、見たことがない……。ふたつに分かれてしまったものをひとつにしようという研究所の奴らの気持ちが、ちょっとだけ解らなくもないわ……解りたくはないけど。それにしてもなんて素敵なお嬢さんだこと! エメリーの奴、最期までいけすかないと思っていたけれど、今回ばかりは許してやるわ。さぁ、なんでも訊いてちょうだい? 時間は限られているの。だけどあなたのために何でもするわ。アタシは何でも知っている。あなたにはたくさんの感情が必要だわ」
そしてふと気づいたように、ルゥの髪の毛についた黒い花飾りを取って地面に投げる。衝撃で花はばらばらに壊れてしまった。
ルゥがいろいろな意味で驚いて言葉をなくしているとパパラチアは悪気なさそうにウインクしてみせる。
「この花飾りはあなたには似合わない」
◆
2人は薄暗く狭い廊下を進む。
照明はパパラチアの瞳と同じ色の小さなものだけだった。ルゥの背よりも高い位置に一定の間隔で設置されたそれは、タイミングをずらしながらゆらゆらと煌めいている。
灯りと灯りの間には立派な大きさの絵画が飾られていた。食べ物や風景、人物など、どれも灯りに照らされて仄かに見える程度だったがどれも淡い色で描かれていた。
ルゥは足を止めて一枚の絵画に見入る。
それにはルゥとよく似た女性が描かれていた。瞳は両方とも黒色をしている。体は横を向いていたが顔は正面を向いていて、微笑んでいた。
「彼女は始まりのルベウスよ。穏やかだけど、誰にも屈しない誇り高き少女。もっとも、会ったことはないから想像の域を出ないけれど」
気づいたパパラチアは振り向いて立ち止まる。そっと、絵のなかの女性に指先で触れた。
ルゥが静かに反芻する。
「始まり」
「そう。ルベウス・コランダムは常にひとりだけ存在して、命が尽きると共に次のルベウスが生まれる。この世界は、ルベウスを永遠に生かすためだけの世界……」
ルゥはパパラチアの表情を見た。薄暗くてはっきりとは分からないけれど、悲しむように微笑んでいた。
(ルベウスを、永遠に?)
問いかけようとする前にパパラチアが続ける。
「この絵たちはね、ふふっ。アタシが描いたの。花を顔料にしてね!」
「上手ですね」
「ながーく生きているとやることも減ってくるからね。最初は商人に花絵の具を売りつけられたのがきっかけの、ただの暇つぶしだったんだけど、どんどん楽しくなってきちゃって。だいたい、一年に一枚のペースで描いているわ。今では自分で花絵の具もつくれるのよ」
「パパラチアさんは、そんなに永く生きているんですか?」
「いやーん。女性に軽々しく年齢を訊いちゃだめよ!」
「あっ。女のひと、だったんですね」
「もう〜。そこはつっこむところでしょ! 答えは想像にお任せするわ」
ルゥには、はぁ、と呆けた返事しかできなかった。
それでもパパラチアは満足そうだった。ルゥの後ろに回りこむと、背中を両手で押した。廊下の突きあたりの重厚そうな扉を開けるように促す。
ルゥが輪っか状のノブを持ち上げてから体重をかけると、低く唸るような音と共に扉は両側に開いた。
そこは明るく、広く、天井の高い広間だった。
廊下との明るさの違いにルゥは思わず目を瞑る。
くるくるとパパラチアは回りながらルゥの前に立ち、右手を差し出した。
「ここは元々食堂だった広間よ。さぁ、ふたりの出逢いを祝って踊りましょう!」
戸惑うルゥの手を強引に取ると、パパラチアは自らの体に引き寄せた。組んだ左手は掲げて、右手はルゥの腰を支える。ゆっくりと、優雅にステップを踏む。
よろけそうになりながらもルゥはたどたどしくパパラチアを真似た。それに合わせて、またパパラチアもルゥを見事にエスコートする。
それはまるで舞踏会。ふたりだけのワルツが流れているよう。
音楽は流れていなくても、美しい響きが奏でられているようだった。蕾は何輪も花となって咲き誇り、溢れ、ふたりの出逢いを祝福する――。




