ファインダーの向こう側
短く小さな太鼓橋
その太鼓橋の下で 俺は土を掘り起こしていた
しばらく掘っていくと何やら黒い箱が出てきた
入れ子になったその箱を ひとつひとつ開けていく
最後の小さな箱から出てきたのは 古い二眼レフカメラだった
重い 1キロはあるだろう
昔のカメラだから フィルムを入れて撮影するアナログカメラだ
あと12枚分フィルムが残っている
と なぜかわかる
あちこちいじっていると 上蓋が開いた
ファインダーだ
ファインダーを上から覗き込み
試しに 目の前の景色を撮影してみた
そしてプレビュー
アナログカメラなのに なぜかプレビューできる
たしかに目の前の景色なのだけれど
画面の中はどう見ても 昭和30年代
モノクロの世界だ
場所を移動して もう一度 シャッターを切った
プレビュー画面には やはり昭和の人々が写っていた
ボンネットバスが走っている
少女がフラフープで遊んでいる
女の人たちは 割烹着を着て 買い物かごをぶら下げている
何度か場所を変えてみたが 同じだった
そしてふと気が付いた
どの写真にも ひとりだけ同じ人物が写っている
ひょろっと背の高い ハンチング帽の若い男だ
一枚目より二枚目 二枚目より三枚目
少しずつ こちらに近づいてくる
子供のころ遊んだ 「達磨さんが転んだ」を思い出す
いよいよ 顔の表情までわかるくらい近づいてきた
男は 怒ったような目で俺を睨んでいる
カメラのファインダーから目を離せば
目の前には 現代の風景が広がっている
ハンチング帽の男など何処にもいない
そこでやめておけばよかった
10枚目 もう手を伸ばせば届きそうな距離まで迫ってきた
もうやめよう
しかし
右手の指が勝手にシャッターを切っていた
11枚目 男の右手が 俺のむなぐらをつかんだ
目をつぶって 12枚目
最後の一枚のシャッターを切った
プレビュー画面には
必死の形相で俺に迫る男がアップで写っていた
男の声が聞こえてきた
「出してくれ ここから出してくれ そっちの世界に戻りたい」
でも どうやって?
「俺の身代わりをみつけてくれ」
身代わり?
そこで目が覚めた
「お客様の中に お蕎麦屋さんは いらっしゃいませんか?」
機内にアナウンスが流れ 俺は夢から醒めた
隣の席に座った若い男が かったるそうに腰を浮かし 中腰のまま
通りかかったキャビンアテンダントに尋ねた
「いまのアナウンス なんて言ったの?」
「はい お客様の中に お蕎麦屋さんは いらっしゃいませんか? と」
「お医者様 じゃないの?」
「いいえ お蕎麦屋さん です」
ホッとしたような がっかりしたような 中途半端な表情を浮かべ
男は再び腰を下ろした
生意気な顔をした 医者のタマゴ
実は 密かにこんな場面にあこがれていたに違いない
俺は迷っていた 名乗り出ようか 知らぬ顔で通そうか
高度1万メートルで 蕎麦屋に何の用があるというのだろう
まさか 機内で蕎麦を打て とは言うまい
下手に名乗り出て 妙なトラブルに巻き込まれるのはごめんだ
好奇心と不安を天秤にかけ 好奇心が勝った
CAに案内されるままについていった先は
案内された先は 機内のキッチン ギャレーだった
狭いギャレーの中で 彼女はくるりと向きを変えると
「突然のお願いで失礼ですが 写真をとらせていただいてもいいですか?」
想定外の展開に 俺は少々戸惑った
そんなこちらの気持ちにはお構いなしに 彼女は続けた
「実は先日 あるお客様に カメラが趣味です とお話したら
ならばこのカメラで 若いイケメンを撮ってごらん 良く写るよ
なぁんて冗談をおっしゃって カメラをくださったんです
懐中時計の鎖をのぞかせた 初老の紳士でした
ロマンスグレーって ああいう方のことを言うんでしょうか
あっ それでね
こんな高価なもの いただけませんって 一度はお断りしたんですよぉ でも」
一体いつ息を吸うのか心配になるほどの勢いで 彼女のマシンガントークは続く
「実は私 職人さん にも興味があって
そこで 決めたんです 自分の搭乗した機に乗っていらっしゃる
職人の方々を そのカメラで 写真に収めようって
お蕎麦屋さんとか パン屋さんとか 大工さんとか 」
そこまで一気にしゃべると
ギャレーの片隅にあったバッグの中をガサゴソやり始めた
「イケメンじゃないのが残念だわ」 そう思っているに決まってる
再び俺のほうに向きなおった彼女の手には
二眼レフカメラがのっていた
アッ あの時の さっき夢の中で掘り出した あのカメラだ!
「出してくれ ここから出してくれ そっちの世界に戻りたい」
「俺の身代わりをみつけてくれ」
ファインダーの中の男の声が蘇った
み・が・わ・り
「はい 撮りますよぉ」
彼女の声で 我に返った
「やっ やめろ ダメだっ!」
彼女の 細く白い指が 静かにシャッターを切った
古いインクと紙の匂いが カビ臭い空気と混ざりあって
狭く 薄暗い店内に満ちていた
客の視線は もうかれこれ一時間近く 一冊の本にそそがれている
古本屋の店主は 膝の上で 何やらいじっているが
時折 作業の手を止めて 眼鏡越しに 客の様子を伺っている
ひょろりと背が高く 痩せたその客は
ハンチング帽を被っているので 頭髪からは判断できないが
足腰はしっかりしているものの
頬 喉元 手の甲などの肌からみると 八十歳近い老人だ
店主は ポケットから懐中時計を取り出すと
チラッと文字盤を確かめ
「お気に召しましたかな?」と 声をかけた
客は その声にようやく顔をあげた
「やっ これは失敬 ずいぶん長いこと 立ち読みをしていたようだ
すっかり夢中になってしまって
あの これは この本は 」
「えぇ それはあなたの本です
いくら読んでいただいても かまいませんよ」
店主は椅子から立ち上がると ゆっくり客に近づきながら尋ねた
「どこまで読みましたか?」
「この店に入ってくるところまで」
「なるほど では 続きは 明日にしましょう」
そういうと 右手を客の手元に差し出した
少し残念そうな表情で本を閉じると 客は素直に応じた
店主はそれを受け取ると 先ほどまで座っていた椅子にもどりながら
客に背をむけたまま
「向こう側にいれば 永遠に二十歳の青年でいられたのに」
ポツリと呟いた
「いやぁ 疲れました もう十分です
どうやら 私に残されたページは あとわずか
これで楽になれる ようやく楽になれる
そう思うと いま 私の心はとても安らかなのですよ
ただ 一つだけ気がかりなのは 」
席に戻った店主は 次の言葉を促すように 客を見た
「私の身代わりとして 犠牲にしてしまった 若者のことです」
「あぁ あの蕎麦屋ですか 彼ならいま 鏡の中
毎日 大好きな蕎麦を打って 結構楽しく生きてるようですよ」
「鏡の中 の蕎麦屋 ですか」
その時 客は 店主の後ろの壁にかかった 写真に気がついた
四つ切サイズの モノクロ写真で
二十代から三十代の若者が 数十人写っている
前列中央には 若かりし頃の自分が
右手の拳を振り上げて 大きな口を開けて何やら元気に叫んでいる
その隣に 彼よりだいぶ背の低い 顔の造作が下半分に集まって
まるで福助人形のような顔をした男が
目と口元に 不気味な笑みを浮かべ こちらを見つめている
白い和帽子を被り エプロンを着けているところをみると こいつが
身代わりになって 鏡の中に入り込んでしまった 蕎麦屋らしい
「明日 また いらっしゃい」
名残惜しそうに店を出ていく客の背中を見送り
自慢のグレイヘアを手櫛でかき上げると
店主は 再び 手元の二眼レフカメラのレンズを磨き始めた
どうしても 本の続きが気になって
ハンチング老人は 翌日 再び あの古本屋に足を運んだ
ところが ない
古本屋が ない いくら探しても ない
たしかに古本屋があった場所には 古道具屋が店を広げていた
途方に暮れて店先に立っていると 奥から中年の男が出てきた
「何かお探しですか?」
「あっ いや 確かここには 古本屋があったはずだが 」
「古本屋? ここは親父の代から 古道具屋ですよ
近頃じゃ リサイクルショップ なんて呼ばれてますけどね
古本屋かぁ そういやぁ 親父の子供の頃は 古本屋だったと
聞いたことがあるな 昭和三十年頃のことですけど 」
昭和三十年 と聞いて 老人の眉が微かに動いた
「旦那さん なかなかオシャレじゃないですか
ハンチングなんか被っちゃって
どうです この姿見 フレームが無垢のクルミ 上物ですよ」
「浦島太郎に 鏡はいらないよ」
老人は 元気なく 今来た道を帰っていった
「これ いくら?」
口をポカンと開けて ハンチングを被った浦島太郎の後ろ姿を見ていた店主は
慌てて 声のする方を振り向いた
サラリーマン風の ちょっとくたびれた男が 姿見を指さしている
早速 値段の交渉が始まった
薄暗い 古道具屋の一番奥 レジカウンターの後ろの壁に写真がかかっている
色あせて埃をかぶった 四つ切サイズの モノクロ写真
二十代から三十代の若者が 数十人写っている
前列中央には 懐中時計の鎖をのぞかせた グレイヘアの男が
二眼レフカメラをこちらに向けている
カメラのレンズが 次にフォーカスするのは
あなた
かもしれない