タオの絶望
「ガミラ!おい!ガミラ。」
廊下を歩いていたガミラを見つけ、タオは駆け寄った。そして案の定、電流の餌食となった。
「うわぁぁぁっ!」
苦痛に崩れ落ち、這いつくばり、床の上でのたうち回るタオ。
「何だね、見苦しい。急に駆けよればそうなる事は、教えてあるだろ。」
軽蔑の眼差しで見下ろしながら、ガミラは吐き捨てるように言った。
「・・ヤマへは・・うう・・、ヤマへは行けるのだろうな・・っく・・。」
苦痛に悶えながらも、タオは言葉を絞り出した。
「ああ。言っただろ。3年エースを務めれば行かせてやると。」
「本当なのか!?古株の連中が言っていたぞ。ヤマへは行けぬと。一生ここで、奴隷として働かされると。他の者も、そう言っているぞ!」
「だからなんなのだ。だとしたらどうなのだ。」
面倒臭そうに、気の無い声で言い放つガミラ。
「何!?」
「そう信じていれば、機嫌よく働けるのであろう。真実など求めず、都合の良い事実を夢に想い描きつつ、働き続けておれば良いであろう。」
「何だと!では・・では・・。」
「ああ・・面倒臭い!そうだ!ヤマになぞ行かせるものか!一生ここで働くのだ、お前は。わたしとコーギに富をもたらすに為のみ、お前たちは存在が許されておるのだ。わたしが飼い主で、お前たちは飼い犬だ。よく覚えておけ。」
「くぅっ!」
薄々感づいていた現実を目の前に突き付けられ、言葉に詰まるタオだった。その沈黙を良い事に、
「では、私は行くぞ。」
と言って立ち去ろうとしたコーギに、タオは何とか言葉をひねり出す。
「トーマの同胞を、飼い犬などとなぜ言える?故郷に残して来た者達に、胸を張れる行いなのか?」
その言葉に、ガミラの顔には嘲笑が浮かぶ。
「ふん、同胞?故郷?そんな戯言は、飼い犬どうして吠えあっていろ。私は、自分が贅沢をしたいのだ、自分が富を得たいのだ、故郷の事など考えてコーギのもとに寄ったのではない。トーマの者共など、どうなっても知った事では無い。」
ガミラは視線を転じた。視線の先には窓があり、その向こうに赤黒い巨大な球体が見えた。
「あの村で・・、」
巨大惑星の軌道上のどこかにある集落の事を、ガミラは思い起こしているようだった。
「散々みじめな暮らしをして来たのだ、私は。村の者共が作った、馬鹿々々しい規則に縛られ、ほんの少し他人の分をせしめ、贅沢をしただけで鞭打たれ。くだらん労働に駆り出され・・。」
(それは当たり前のことだろう。)
タオにはそう思えた。物資に乏しい集落での生活なのだ。皆で決めた規則に従い、物資を公平に分け合い、皆が何らかの労務をこなしていかねば、生活は成り立たない。
タオはそれを、つらいとも、みじめだとも思った事は無かった。その暮らしを嫌い、そこから抜け出すためには、同胞をも裏切り、異邦人に売りとばすような真似までするのか。
そのような者を、タオは見たことがなかった。サバ村にはそのような者はいなかった。タオが想像もしえぬ程、歪んだ心根を持った者だった。ガミラのような者の存在は、完全にタオの想定外だったのだ。
体に受けた電流の衝撃と、心に受けた失意の衝撃で、タオはそのまま意識を失った。
「ふんっ」
と、タオが気絶した事を確かめた後、鼻で息を付き、踵を返してガミラは立ち去ろうとした。
その目に、タオの胸元から放たれる怪しげな光が飛び込んで来た。ピンクサファイアだ。
タオが、恋人からもらったというその宝石をネックレスとして、首にぶら下げている事は以前から知っていたが、ガミラはあまり気にも留めた事は無かった。
そのピンクサファイアから、ガミラは今、何故か怪しげな気配を感じ取っていた。何がどう怪しいのかは、当のガミラにも分からず、深く考える事も無く、すぐにそれから目をそらし、その場を後にしたガミラだったが、その頭脳の奥底に、ピンクサファイアは何か細工を施したかもしれなかった。
タオが目覚めたのは、自室のベッドの上だった。サバ村から来た者同士で共有している部屋だ。心配げなマクシムの顔が見えた。プロームもカリンもソイルも、同じような表情で、タオを見つめていた。
(そうだ、俺が絶望してしまったら、俺について来た彼らはどうなる・・。)
折れそうな心に鞭を打つように。タオは笑顔を取り繕って見せた。
「済まない。心配かけたな。大丈夫だ。」
「大丈夫って・・、やはり、ヤマへ行くのは無理なのだろう?」
沈痛な表情でマクシムは言った。
「俺たちはやはり、一生ここで奴隷として過ごすのだろう?」
「サバ村にも、もう帰れないんだろ?」
カリンもソイルも、失意に沈んだ顔をしている。
「心配するな。誰もお前を恨んではおらん。俺たちが勝手に付いて来たのだ。俺たちは自業自得だ。」
最年長のプロームは、タオへの気遣いを見せたが、全ての言葉が、タオの心に重く突き刺さった。
それには、マクシム達も気が付いた。何を言っても、タオへの慰めにはならない。余計にタオを、自責の念に追い込むだけだ。
5人は沈黙した。沈痛に黙した。どこにも希望は見出せそうにも無かった。
その時、作業開始を告げるベルが聞こえた。採取船に乗り作業に出かけなければならない。
「もう、やる気がしないよ。」
カリンがつぶやいたが、
「サボタージュも、電流だぞ。」
と言って、プロームが腕輪を頭上にかざして見せた。
作業に行かないという選択肢も無いのだ。行かなければ、電流地獄を味わうことになる。逃亡を図っても同じだった。働き続ける以外の選択肢はないのだ。
電流に慣れるという事も無かった。最も苦痛を与えられる電流の強さを、正確に判断できる、優秀な腕輪なのだった。ある電流強度で苦痛を覚えなくなった者には、より強い電流が与えられるだけなのだ。
「行くしかないか・・。」
沈んだ表情で立ち上がった面々に、タオは、無理に明るさを取り繕って、言った。
「希望は捨てないでおこう。生きてさえいれば、何かが起こるかもしれない。無謀な賭けである事は、来る前から分かっていたんだ。ほんのわずかな可能性だって、信じ続けよう。」
どこかで聞いたような、ありきたりの激励の言葉だが、タオが言うと説得力を持つ。皆の顔は少し明るくなった。
「とりあえず、今日事故で死なないように、せいぜい気を付けよう。古株のおっさんたちから、色々忠告も受けたからな。それをしっかり思い出して、安全第一だ!」
マクシムが声を張り上げた。
少し元気を取り戻した、サバ村の勇者たちは、大股に部屋を出て行った。
最後尾につけて歩くタオは、表情こそみなを励ます為、明るさを取り繕ってはいたが、その心は重く沈んでいた。
採取船に乗り込み、狭いコックピットに一人きりになって見ると、タオの心は、さらに深く深く沈んでいった。底なしの暗黒へ、止めども無く引きずり込まれて行くようだった。
(何をしているんだ俺は。)
じいの顔が浮かんできた。
(こうなる事は、始めから分かっていたのではないのか?)
じいの忠告を素直に聞けば、こうなる運命は予測できていたはずだ。だがタオには、同じトーマ星系の人間にまで裏切られる事態までは、予測できなかった。コーギの支配下に入るとしても、トーマの同胞で手を取り合えば、乗り越えていける気がしていたのだ。
(自ら、のこのこと、一生奴隷になる為に、大切な仲間まで巻き込んで、こんな所に来て、こんな腕輪をはめられて・・・、何て愚かなんだ。)
ポポの顔が浮かんで来た。彼の大事な一人息子を連れてきてしまっているのだ。プールがいるとは言え、大事な農場の後継者だったのに。
(今こうしている間にも、カリウムが見つかっていないとは限らない)
父母の顔が浮かんで来た。
もっと冷静に様子を見て考えるように、言ってくれていた。仲間の死に動揺し、一時の感情でその言葉に耳を塞いでしまった。
(サバ村に残って、出来る事はまだあったんじゃないのか?)
決断が誤りであったかもしれぬという思いが、約束を果たせぬかもしれぬという思いが、タオの心を背徳感と自己嫌悪で埋めて行っていた。
そして、メイリの顔が浮かんで来た。
胸を締め付けるような、切なく苦しい感情が湧き上がって来た。
(メイリ・・、メイリ・・、メイリ・・)
恋しい思いと共に、その恋しい人との約束を果たせぬかもしれぬという思考が、タオの自己嫌悪の念を爆発的に増大させた。
(このままここで奴隷として働かされ、死んでしまったら。その事をメイリが知ったら・・・。)
タオの胸は、さらに苦しくなった。呼吸もままならぬほどの切ない激情が、その胸中を吹き荒れた。
何年もの長きに渡り、過酷な労働を負わされ続けた挙句、絶望の中でタオが死んでいったと聞かされた時の、メイリの気持ちを思った。
(済まないメイリ・・、済まないメイリ・・、メイリ・・、メイリ・・)
その頬を、涙が伝った。
物心がついてからは、2度目の涙だった。
一度目は出立の時だ。その時は、涙が地面を打つまで、そのことに気付かなかった。
だが今は、目からこぼれ落ち、頬を伝っている感触が、まざまざと実感できる。己の落涙を、いやというほど自覚出来たのだ。
タオはそれが悔しかった。敗北を、認めさせられた気がした。後悔を、受け入れてしまった気がした。それでも、涙は止められそうにない。
採取船の狭いコックピットの中で、絶望という闇に沈み、自己嫌悪の波に呑まれ、勇者は一人、落涙していた。
みなに言って見せたように、可能性はゼロではないと、思ってはいた。だがそれは、限りなくゼロに近い、万に一つも無いような、余りにも微かな可能性だろう。
涙にぬれた瞳では、そんな万に一つの可能性など、見失わずにいられはしない。
タオの涙が、コックピットの無機質な床を打った5秒後、しかし、その万に一つも無かったはずの可能性が、超新星爆発のごとき輝きを放つことになる。勇者には、奇跡が起きるのだ。