タオの出立
それから数日かけて、タオは出立の準備をした。
家族とは、共に暮らしていても目を合わせる事も無くなった。言葉を交わす事もまれとなり、たまにかわす言葉も、タオの決断をなじるものだけといった有様だった。
タオは何を言われても、もはや何も言い返さなかった。説明も弁明も無かった。ただ黙々と、旅立ちの準備に没頭していた。
メイリとの間にも、決定的な亀裂が入った。
「私を置いて行くのね。」
そんな一言を、無線越しに聴かされたのみで、それきり顔を合わせる事も、言葉を交わす機会も無かった。
作業仲間からも、
「もうお前は来なくていい。俺たちだけで作業する。愚かな行動の準備にいそしんでいろ。」
と突き放され、資源採取に参加させてはもらえなかった。
そんな彼らによる、その後数日間の資源採取でも、カリウムは相変わらず僅かしか取れなかった。改善の兆しも見られなかった。
そして、いよいよ明日出立という日の、就寝時刻になった。
夜という事では無い、彼らの集落に、いや第5惑星に昼も夜も無い。トーマ星系の恒星はあまりに遠く、それが中天に位置するときでも、昼などと呼べるだけの光量は、与えてくれないのだ。
ただ集落の者達は、寝るべき時間と起きるべき時間を、一応決めていただけだ。強制されるものでは無く、集団生活の便宜上で決めているだけだったが、大半の集落の者は従っていた。
その就寝時刻。集落の他の者達が床に就こうとしているような時刻、数人の男がタオのもとを訪れた。
また、厳しい言葉で翻意を促しに来たのかと身構えたタオだったが、彼らは意外なことを言った。
「俺たちも、共に行く。連れて行ってくれ。」
しばしの驚きの後に、タオはきっぱり否定した。巻き込むわけにはいかない。しかし、彼らは頑強だった。タオが長老や家族の説得に折れなかったように、彼らの決意も折れる事は無かった。
「連れて行ってくれないなら、俺たちだけで別行動して、コーギの事業に加わるだけだ。」
という強硬な姿勢に、結局タオも、
「共に行こう。」
と、言わざるを得なかった。
「命の保証はないぞ。家族や、大切なものに、別れの言葉は言って来たのだろうな。」
と念を押すのが、精いっぱいだった。
先の見えぬ旅の共には、マクシムがいた。資源採取作業の仲間であり、幼いころからの親友だ。プロームもいた。農夫ポポの息子だ。プールが後を継ぐから、自分がいなくなっても農場の方は心配ないそうだ。
カリンとソイルという、タオとは別グループだが、資源採取に従事していた若者も参加した。集落の男は大半が、資源採取従事者だ。
総勢5人での出立が決定した時、長い就寝時間が終わった。朝になったわけでは無論ない。
集落に一つだけある、セシウム原子時計によって正確に刻まれた起床時間を、居住筒に鳴り響いたサイレンが告げたのだ。セシウム原子時計が示す3600秒を1時間、86400秒を1日、259万2千秒を一ヵ月、3110万4千秒を1年と、彼らは定義している。1ヵ月の長さは常に30日だし、1年は360日であった。
この集落の者は、いやボレール星団の者もアメリア星団の者も、人類発祥の惑星の自転周期や公転周期など、知った事では無いのだ。
出立に先立って、彼らはじいのもとに向かった。
また、無謀な決断となじられるだけかもしれないが、やはり長老に挨拶も無く出て行くわけにはいかない。彼らは礼儀のある若者達だった。
タオの住居から徒歩で向かったのだが、タオは彼の住居に両親の姿が見え無い事を、少し不思議に思った。
じいの住居に近づくと、彼らは驚きを禁じ得ない光景を目にした。じいの住居の傍に、タオの両親や、メイリや、ポポや、タオの作業仲間や、その他大勢の者がたむろしていた。
近づくにつれ、タオは彼らの表情にも驚きを禁じ得なかった。どの顔も、穏やかな笑みを湛えていた。タオの見慣れた、慣れ親しんだ笑顔がそこにあったのだ。戸惑いを胸に、彼らに近づいて行った。
「タオよ、」
じいは朗らかに呼びかけた。
「やはり行くのじゃな。」
「ああ。」
伏し目がちに、タオは言った。
「うつむくことは無い、タオよ。お前の考えは、老いたわしには理解しかねるが、サバ村を救いたいという思いはよくわかる。勇敢な決断だ。優しい決断だ。お前のサバ村へのその思いを、わしは嬉しく思うとるぞ。」
思いがけぬ言葉に、タオは戸惑いの表情だ。
「ハハ・・、済まなかったな、タオ。きつい言葉をかけてしもうた。やはり行って欲しくは無かったものでな、ついつい口が過ぎた。だが、どうしても止められぬのなら、どうしても行くというのなら、わしらは笑って見送るぞ。」
「ほんとに、すまなかったねぇ、タオ。コーギのもとに行くのは、今でも反対だし、心配だし、悲しいけど、こんなに勇敢で優しい子に育ってくれた事は、嬉しく思っているよ。」
と、母は言った。
「コーギのもとに行くのは無謀だとは思うが、他に方法があるのではと思ってはいるが、お前が勇気を持って決断したんだ。あんなに辛らつなことを言われ続けても、僅かにも揺らぐことなく決意を貫いたんだ。誇りに思うぞ、お前の事を。タオ、お前は、自慢の息子だ。」
父も言った。
こみ上げる思いに、タオの脳は言葉を紡ぐ機能を失った。
「ああ、あああ・・・」
己の号泣に気付いたのは、数滴の涙が地面を打った後だった。脱力した体は、居住筒の遠心力に敗れ、膝から崩れ落ちた。地に手を付いてむせび泣いた。
「あああ・・、ああぁ・・」
皆は認めてくれていたんだ。分かってくれていたんだ。期待も信頼も、失ってはいなかったんだ。
皆を失望させ、裏切っての出立と思っていた彼の心中には、安堵が広がっていた。
俺は、こんなにも温かな人達に囲まれて生きて来たんだ。俺の故郷は、こんなにも優しさに溢れていたんだ。今、自分は、そんな故郷を後に、先の見えぬ旅に立とうとしているのだ。
喪失感がその心を襲う。悲しみがこみ上げる。苦しさに息もつまりそうになる。しかし、愛する集落だからこそ、その危機を見過ごせない。僅かな可能性に賭けてでも、サバ村を救う行動を起こさないわけにはいかない。
その思いから、新たに湧き上がって来た力で、タオは再び居住筒の遠心力に打ち勝った。すっくと立ちあがり、じいを、父を、母を抱きしめた。ポポとも握手を交わした、作業仲間達とも。
そして彼の視線は、メイリに留まった。
目が合う直前まで、寂しさと悲しさに溢れていたメイリの顔は、目が合った瞬間に満開の笑みを浮かべて見せた。タオが恋い焦がれた大好きな可愛い笑顔を、メイリは寂しさを飲み込み、与えてくれたのだった。
「ごめんね、タオ・・。」
「メイリが連れなく振る舞ったのは、わしらが協力を求めたからじゃ。お前の気持ちを変えるには、メイリに冷たく振る舞ってもらうのが一番じゃと思うたんじゃ。メイリを悪く思わんでやってくれ。」
言葉に詰まったメイリを、じいが弁護した。
「悪くなど・・、連れないとも、冷たいとも、思った事など無い。寂しい思いをさせてしまったのは、俺の方だ。」
笑顔を繕うのが精いっぱいで、言葉を紡げないでいたメイリが、ようやく最も強い思いを、願いを、口にした。
「帰って来てね、タオ。」
そう言いつつ、メイリはピンクサファイアの首飾りを、タオの前に差し出した。
「持って行って、お守りとして。」
「これ・・、みんなの物じゃ。」
「みんないいって、みんなタオに帰って来て欲しいから。みんなで願いを込めたから、きっと・・、きっと・・。」
再び言葉を失ったメイリを、タオはその胸に深々と抱きしめた。2つのシルエットは、皆の前で恥じらいも無く重なり合った。
「メイリ、必ず無事に帰る、そうしたら、妻になってくれ。」
皆の前で、堂々のプロポーズまで飛び出した。
2つのシルエットが強く結ばれている間に、マクシムもプロームもカリンもソイルも、それぞれの家族や友人やじいと、抱き合ったり握手を交わしたりしていた。
その1時間ほど後、居住筒のドッキングベイに、彼らは再び集合していた。旅の装備を抱えた5人の勇者と、見送りの人々が対峙していた。
「で、具体的に、どう行動するのじゃ、タオよ。」
じいが訪ねた。
「コーギは、このウミでも活動しているだろ?」
タオもじいに尋ねて見せた。
「ああそうだ。一つ目のヤマの開発には、このウミで採ったモノを運び入れる必要があるそうじゃでな。なんでも重力が小さすぎて、大気が無いそうなんじゃ、あのヤマには。わしらにとっては巨大に思える重力でも、大気を繋ぎ止めるには不十分じゃという事じゃ。で、ヤマで手に入らん揮発性の高い物質は、ウミで確保するしかないという事で、コーギの支部がウミの上にある。まずは、そこに行くのか、タオよ。」
「ああ、だから出立と言ったって、取りあえず目指すのは目と鼻の先だ。」
「そうか、なら駄目じゃと思うたら、すぐに帰って来れるのう。」
と言ったのはポポだ。
「あー、まぁそうだが、そう簡単にあきらめて帰る気はないぞ。」
「あはは」
と、見送りの面々から小さな笑いが起きる。
「少なくともヤマには行かないとな。何も手に入らないし、身に付けられない。」
「ヤマって、どうやって行くんだい。」
心配げに母が訪ねた。
「コーギ達は、人工彗星というもので、ヤマとウミの間の、人や物資の運搬をやっとるらしい。」
じいが教えた。
「そうか、それに乗ってタオも、ヤマに行くことになるのか。」
父は、乗って欲しいのか乗って欲しくないのか分からない様だ。
「じゃあ、そろそろ行くよ。みんな有難う。心配かけてすまない。」
タオは改めて、彼を育ててくれた人々の顔を見回した。
「必ず帰る。では、行ってくる!」
最後にタオは、メイリの方を見た。飽くことなく求め続けて来た愛らしい微笑みを、惜しむ事無く見せてくれた。
タオはそれを心に焼き付け、踵を返し、大股に歩きだした。
5人の若者を飲み込んだシャトルは、カタパルトによって勢いよく射出され、寂寞の思いを断ち切るかのように、虚空へと突進して行った。
勇者は立った。
「行ってしまったな。」
ポポがつぶやく。
「勇敢な若者だ。」
じいが応じる。
「しかし、そそっかしいところもある奴じゃ。」
じいは付け足した。
「プロポーズの返事を、聞かずに行きおった。」
「あっ!」
2人の老人の背後で、メイリが赤面した。返事をしていなかったことに、今気づいたようだ。