タオの決断
「そんなこと、絶対に許せるわけないでしょう!」
強い口調で、母は言った。タオの母だ。
「冷静に考えなさい。コーギとか言う連中が信用でいないというのも、既にわかり切っているのだし、その事業に参加したからといって、今のサバ村の現状を変えられる何かが得られるかどうかも、分からないのだぞ。」
父も、母よりは落ち着いた口調ではあるものの、厳然とタオの考えを否定した。
「このままでは、座して滅びの時を待つだけなのだとしたら、どんな微かな可能性でも、賭けてみるしかないと思うんだ。」
うつむきながら、弱々しい声色ながら、タオはそれでも考えを曲げようとはしなかった。若い勇者の決断は、両親の説得でも揺らぐものでは無かった。
「このままでは滅びると、決まったわけではないだろう。」
「もうしばらく様子は見るよ。カリウムが採れさえすれば、何とかなるんだから。でももし、あと数日頑張っても見つからないようなら、決断するしかない。」
家族会議が行き詰まり、誰も次ぐべき言葉を見いだせないでいると、そこへじいがやって来た。
物資に乏しい彼らの集落が、住居用の建築資材に選んだものは、木とワラだった。風雨も寒暖もない軌道上人工建造物の中では、そんな粗末な建築資材でも十分だった。
居住用の軌道上建造物の、遠心力による疑似重力が働いている床に、あらかじめ窪みが穿たれており、その窪みを取り囲むように6・7個の穴があけられている。
穴に差し込むようにして6・7本の木製の柱を、円錐を形作るように斜めに立て、その上からワラをかぶせただけのものが、彼らの住居だ。
円錐形に組まれた数本の木の柱とワラに囲われた、窪みの中の空間が、居住スペースとなる。
かつて人類発祥の惑星にあった、竪穴式住居と同じ要領だ。
同じ居住筒に住み、徒歩でタオ家の住居にやって来たじいの頭上は、円筒の内壁の隅々にまで散りばめられた同様の住居建物で、全天空が覆われていたのだ。住居と住居は10メートルほど距離があり、プライバシーも十分に確保されていた。
「タオよ、コーギの事業とやらの実情をよく聞くがいい。お前がいかに無謀なことを言っておるか、分かるはずじゃ。」
そう前置きして、じいは話し始めた。
第5惑星を透過して、惑星軌道上の他の集落とやり取りのできる、ニュートリノビーム通信機を、集落の中でじいだけが保有しており、それを駆使する事で、じいはこの集落一の事情通だ。集落の長老だからそれは当然の事だ。
今日もじいは、彼のワラ葺きの竪穴式住居の中で、ニュートリノビーム通信機で他の集落の長老から、コーギ一派や、その出身母体である、カーガ星系で岩石惑星開発の技術指導をしている、ミナト家の実情について、情報収集をしていたのだ。
その通信相手の集落は、トーマ星系中の集落を代表する立場であり、大出力レーザービーム通信で第4惑星の集落とも随時連絡を取り合い、年に1度はカーガ星系の在来の人々とも、無人連絡機を飛ばしてやり取りをしているのだ。
代表の立場は、数年おきに集落間で交代するので、集落間に上下関係が生じる事は無い。
じいは知り得た実情を、タオとその家族に語り出した。
「ミナト家の連中は今、5つの分家にわかれて暗闘を繰り広げ、カーガ星系での収穫を奪い合っとるそうじゃ。あさましい、欲深い連中なのじゃろう。セクリウムの洗礼を受けておらん連中と言うのは、そういったものなのかのう。不浄なのじゃなあ。」
年配者には、セクリウムの洗礼というものが相当に重要らしい。若いタオは、そんな迷信を真に受ける気にはなれなかった。心を浄化する光を放つ元素なぞ、あるものか。
だが、長い人生で酸いも甘いも知り尽くした年配者が、そういった信仰に心の平穏を求めるのは自然だとも思うので、タオはその事に反論はしない。
しかし、差別や偏見の論拠になるのなら、信仰も良し悪しだとも思っていた。セクリウムの洗礼を受けていないから、アメリア星団の人々が不浄だなどと、彼は思わなかった。
「わしは、ミナト家などに技術指導を求める事も、反対じゃった。セクリウムの洗礼を受けていない者から何かを教わるなぞ、狂気の沙汰だと思ったものじゃ。じゃが、カーガ星系から漏れ伝わる、ヤマの開発の成功の話で欲をかいた者達も大勢いて、あんな不浄な者共に頭を下げて、指導を乞うような愚かなことをしよった。」
“ヤマ”と言うのは岩石惑星の事だ。ガス状惑星を“ウミ”と呼び、岩石惑星は“ヤマ”と、彼らは呼ぶのだ。岩石惑星の資源を活用する事業の事を、“ヤマの開発”と表現しているのだ。
「欲をかいた愚か者が不幸になるのは自業自得じゃが、我がサバ村の心清き若者が巻き込まれる事になるのなら、あの時もっとしっかり反対しておくのじゃった。」
父と母は大きく頷き、じいへの共感を示す。
沈黙を守るタオを横目に、じいは話を転じた。
「そのミナト家の分家の一つ、ノート一族から派遣されてきたのが、コーギ一派だ。コーギから送られて来る収穫物で、ノート一族は勢力を増大させ、ミナト家の中で主導的な立場を堅持しておるらしい。」
じいの話は続く。
「ノートに豊富な収穫物を送る一方で、トーマ星系から彼らの事業に参加している者達には、酷い扱いをしているようじゃ。少ない報酬で過酷な労働を強い、安全への配慮も無い為に、事故で死ぬ者も多いと聞いた。」
「1つ目のヤマの開発は、まだマシだったらしいが、2つ目の方の開発になって、労働条件は一気に過酷になったそうじゃ。」
1つ目のヤマは、彼らにとって最短距離が1番近い岩石惑星の事で、2つ目のヤマは、最短距離が2番目に近い岩石惑星の事だ。つまり、トーマ星系第3惑星と第2惑星の事だが、後の世界の命名法を、彼らが使うはずもない。岩石惑星は全てヤマと呼び、最短距離の長さで区別しているのだ。
「おもい重力の底に落とされ、巨大建造物の建設で危険な作業をさせられて、死にゆく者もぐんと増えたそうだ。」
じいはコーギの事業の過酷さや危険を、実例を挙げて示そうとしていたのだ。
「聞いたかタオ。そんな不浄で欲深い者達のもとに行ったって、何も良い事などあるはずもない。」
父は言った。
「そうよタオ。大きな重力の底など、人の行くところではないのよ。そんな所での危ない労働なんて、絶対にダメよ。」
母も言った。
「でも、ノート一族を潤すだけの収穫が得られているのも、事実だろ。」
タオは言った。
「重力の底に落ちなくても、カリウムが採れなければ死ぬんだ。滅びるんだ。重力の底で、過酷な労働に耐え、危険を潜り抜ければ、集落を滅ぼさずに済む手立てが、見つかるかもしれないだろ?」
どこまで行っても、彼らの議論は平行線だった。
重力の底で人類が発祥したことを彼らは知らないし、数千年に渡って彼らの祖先は、無重力空間で生きてきたので、重力の底に落ちるというのは、とてつもなく恐ろしく、危険な事と認識されているのだ。
しかし、そんな危険や恐怖も、勇者タオを止められはしなかった。サバ村を滅びの未来から救うという彼の決意は、恋するメイリを飢えさせはしないという決意は、恐怖に屈する事など無いのだ。
結局じいの話の後にも、継ぐべき言葉が見つからない時間が、訪れる事になった。
その時、通信装置から「おーい」と呼びかける声が聞こえた。通信装置と言っても、伝声管である。物資の乏しい環境の中では、居住筒内での通信には、これで十分だった。居住筒は設計段階からそれが設定されており、ワラ葺きの住居が立ち並ぶ床の下には、伝声管が張り巡らされている。
伝声管の声は告げた。
「カーヴが危篤だ。」
「えっ・・。」
その場にいた全員の顔から、血の気が引いた。
10分の後には、彼らは居住筒内の医療施設内にいた。ここはワラ葺ではなく、鉄筋と樹脂で作られた、高い清浄度が確保された建築物の中だった。
カーヴは、タオの作業仲間の1人だ。十日ほど前までは元気に働いていたのだが、突如作業中に体調を崩し、医療施設にその身を預けていたが、誰も深刻な結果など、予測もしていなかった。
だがカーヴは死んだ。どうにか今際の際に間に合ったタオたちの目の前で、静かに息を引き取った。
看護要員の話では、充分な栄養が採れていないことがその死の原因だという事だった。カリウムが不足しているという現実が、また1人の仲間の命を奪って行ったのだ。
タオは、自分が殺したようなものだという程、強い自責の念に苛まれた。資源の確保は自分の責任だ。それを果たせない為に、またも大切な仲間を失った。
もはや、自分が命をかけなくていい理由は、無くなったと思った。資源確保の為に命を懸ける事は、幾つもの仲間の命を無下に失わせた自分には、絶対的な責務に思えた。
「やはり、俺は行く。」
決然と、タオは告げた。
「まぁ待て。」
「早まるな。」
「拙速に物事を決めるな。」
じいも両親も止めようとしたが、もはや無駄だった。急激なタオの決心の到来は、周囲の者も感情的にさせた。
「許さんぞタオ!そんな勝手な真似は。」
「ここまで苦労して育てて、それを仇でかえすというの!」
「サバ村を見捨てて行くというのか!残された者の気持ちを考えないのか!」
厳しい言葉が飛び交った。
「愚か者!無駄に命を捨てるだけだと分かり切っているのに!」
「お前には失望した。お前に期待した事が間違いだった。」
尊敬する長老の、愛する家族の、信頼する仲間からの辛らつな言葉は、タオの心をえぐった。