タオの故郷
冷徹にも見える赤黒いガスの塊である、巨大惑星を横目に見ながら、シャトルは彼らの集落を目指して飛んだ。
彼らの命の源であると同時に、時々必要な元素のひとつを隠してしまうという気まぐれで、彼らを危機に陥れる憎たらしい存在でもあるのが、トーマ星系第五惑星だ。
トーマ星系第5惑星という呼称は、後の世界のもので、この時代の人々がただ“ウミ”と呼ぶその赤黒い巨大な球体は、彼らの集落からの景色の大半を占めており、様々な意味で、彼らにとって絶大で絶対的な存在だった。
タオたちの暮らす集落は、ファイと呼ばれる第5惑星の衛星である蒼い岩塊と同じ速度で、巨大惑星を周回していて、衛星ファイとほぼ不変の距離を保っている。
千余りの人と、十数個の円筒形軌道上建造物からなる、その集落は、薄っぺらい光の帯のような巨大惑星の環の中に紛れていて、遠目に見ると輪の一部と化してしまう。
そんな彼らの集落を前方に微かに見とめ、片方の側面に巨大惑星を、反対側には、惑星の輪に浮かんで半身をのぞかせている、蒼い岩塊を眺める、タオたちを乗せたシャトルは、惑星の環の上を滑るように飛んでいた。
そのシャトルの中で、作業者たちは沈黙に沈んだ後、静かに忍び寄った睡魔に身を委ね、うとうととしていた。自動操縦のシャトルは、眠っていても集落まで運んでくれるのだ。
うたた寝の中でマクシムは、自分にはタオを説得できそうにも無いと思った。でも、メイリか、もしくは、じいが説得してくれるだろうと思った。
まさか本当に、タオがサバ村を出て、コーギの事業に参加するなどという事に、なるとは思わなかった。
農夫のポポは、作物の生育状況を一通り確認し終えて、「ふぅぅ」と一息つきつつ、農場筒の窓から虚空を眺めた。
農場筒とは、軌道上に浮かぶ筒状の建造物の一つで、回転による遠心力でその壁面に押し付ける事で、内部に「足場」を作り出し、その足場で様々な作物が栽培されている。
窓からはシャトルが見えた。タオが来たのだ。農場で使う肥料を持って。
資源採取作業を終えた後、化学合成筒に寄って物資を降ろし、代わって筒で合成された肥料を積み込み、農場に運んで来てくれたのだ。
タオのシャトルが筒に同調した回転を起こし、筒の軸方向から侵入して、頭上のドッキングベイに固定されるのを、ポポは朗らかな笑みで見上げた。筒の壁面に遠心力で押し付けられているポポにとっては、筒の軸は頭上方向に位置する。
固定されたシャトルはロボットアームに運ばれて、ポポのいる“地面”、つまり筒の壁面に、“降りて”来た。ポポにとっては“降りて”来ているのだが、筒の中心軸から外周部に移動した、とも言える。
ポポは、シャトルから降り立ち、シャトルの外壁に設えられている端末から、ローディングコマンドを入力しているタオに、
「ご苦労さん。ありがとうよ。いつも肥料運んでくれて、助かるよ。」
と、笑顔で声を掛けた。
「なに言ってる。こっちこそポポおじさんの育てた作物で、ここまで大きくなれてるんだ。おじさんに腰を痛めでもされたら、俺もサバ村のみんなも飢え死にしちまうからな。」
と、タオも笑顔で答えた。
そう言ってる間に入力が終了すると、シャトルのロボットアームと農場内に備え付けられたロボットアームが同調して、肥料の入ったコンテナをシャトルから取り出し、鮮やかな緑の中にポツンと立つ、農場の倉庫の中へと積み上げていく。
それを横目に見つつタオは、農場へと足を向けた。
農場と言っても水耕栽培の棚が、タオの背より少し上の高さまで、五段ほど積み重なっているものだ。棚は五百列以上あり、一列が五百メートルほどもあり、農場筒の中はほとんどが、水耕栽培の棚で埋め尽くされている状態だ。
円筒形構造物の内壁を、水耕栽培の棚が埋め尽くしている状態なので、内壁面に立っているタオの頭上の全天空が、鮮やかな緑の葉を茂らせた作物の列に覆われていた。実に壮観で、清々しい光景が、タオの頭上には広がっていたのだ。
土というものは、ガス状惑星からは採取されず、衛星ファイや小惑星から多少は手に入るが、彼らの集落では貴重品だった。よって農業と言えば、主には水耕栽培となる。
その水耕栽培の作物を見ていたタオに、
「どんな具合だ、ポポおじさん」
と、尋ねられ、ポポは言った。
「あぁ、やっぱりカリウムが足りねえ。生育が悪く、集落の皆を腹いっぱいにさせてやるだけの収穫は、ありそうもねえな。」
ポポは、集落の未来を担うべき、頼もしい若者の顔に、憂いの色が広がるのを見て、心が沈んだ。
サバ村の人々は、普段はとても陽気で朗らかなのだが、このところの不漁の影響で、どの顔も沈みがちなのだ。
牧場筒でも、生け簀筒でも、曇った表情しか見られなかった。肉においても魚においても野菜においても、集落のみなの腹を満たすだけの食糧を、生産できずにいるのだ。
タオの憂いの表情からポポは、そんな集落のみなの顔を思い起こし、悲しくなった。ひとたび第5惑星のウミからの資源採取が不漁になってみると、我が集落の存立基盤の脆弱さというものを痛感させられる。
ポポは、彼の大好きな集落の皆の陽気な笑顔が、そんな脆弱なものの上にあるのだと思い、背筋が寒くなった。
「俺たちがカリウムを見つけられないばっかりに・・・。」
村の未来を狙う青年は、その責めを一身に背負っていた。その責任感の強さに、ポポは大いに頼もしさを感じているのだが、全てを一人で背負っているその様は、同時に危うさと不安を、ポポに覚えさせてもいた。
「収穫はウミの気まぐれだ。お前さんが責任を感じる事じゃない。」
そんな言葉で、タオが納得するとは思わないが、ポポは言わずにはいられなかった。
「いや、俺たちが、俺がなんとかしなきゃいけないんだ。サバ村に充分な資源をもたらすのは、俺の責任なんだ。」
そのタオの責任感が、ある一つの悲壮な決意に行き着こうとしている事を、ポポは聞き及んでいた。
「お前さん、コーギのもとに行くのだけはいかんぞ。死にに行くようなもんじゃぞ。」
若者はうつむいて黙っているだけだった。ポポは続けた。
「コーギなどと言うのは、アメリアとかいう遠い遠い別世界から来た、恐ろし気な人種の末裔なのじゃろう。セクリウムの洗礼も受けておらん連中じゃぞ。何を考えているか分からんのじゃぞ。」
セクリウムと言うのは、このボレール星団にのみ存在すると信じられている、実在しない元素である。その元素が恒星内で燃やされる時に出る光は、人の心を清浄にし、人の運命を良きものにすると、ボレール星団の人々には信じられているのだ。
それは迷信であり、信仰であったが、このボレール星団で生きて行くという決断をするにあたって、ボレールに到達したばかりの先人たちには、そういった迷信や信仰が必要だったのだろう。
そしてそれは、今でもボレール星団に拡散して行った人々の、心の平穏に寄与しているのである。頭では実存しないと分かっているものでも、苦しい日々の中では、すがりたい時があるのだった。我らはセクリウムの洗礼を受けているから、明日はきっと良い事がある、といった具合に。
老いたポポには、セクリウムの洗礼を受けていないというのは、アメリアの人々の不浄を示唆するのに有効と思われた事象であったが、若いタオには響かなかったようなので、彼は話題を転じた。
「カーガでも、暮らしが豊かになったとは言っているが、良い暮らしをしているのは、アメリア星団からの移住者の末裔の、ミナト家とかいう連中ばかりで、もとからいたカーガ星系の連中は、どんな暮らしをさせられとるか、分かったもんでは無いと言われておる。」
その話は、長老会で噂になっていた事を、じいがポポにもたらしたものだ。じいが長老会などから得て来る情報は、彼らがトーマ星系内や近隣星系の事情を知る、唯一に近い手段だった。
ポポは沈黙する若者の横顔から、自分の言葉ではゆるがせる事すら出来ない決意を感じた。
勇敢な若者は、分からないものをいたずらに恐れたりはしないし、危機をただ待つくらいなら、こちらから飛び込んでいってやる、そんな気概に満ちているものだ。
タオがそんな、勇敢な若者である事は、ポポには十分に分かっていた。長老会での噂程度の情報で恐れをなして、集落の危機に手をこまねいているはずは無かった。
アメリアやミナト家やコーギ一派が、どれほど謎に包まれ、恐ろしい噂に満ちていたとしても、カーガ星系での成功例や、トーマ星系で進行中の事業は、衰退して行く集落の何かを変えられるかもしれない可能性の存在を示しているのだ。
サバ村の未来を担う勇者であるタオが、集落の危機を前に、そういった可能性に、何ものをも恐れず立ち向かっていくのは当然の事で、老人の言葉で引き留められるはずがない。
沈黙を守る若者の横顔から、ポポはそれを思い知らされた。
ポポにはそんなタオの勇気が、誇らしくもあり、しかし、だからこそ、彼を失うのは恐ろしい事だった。謎と、恐ろしい噂に満ちたコーギのもとへは、やりたくなかった。
引き留められないと思い知らされてなお、どうしても引き留めたいポポが、沈黙を守るタオの横顔に向かって、
「もう少し、もう少し様子を見ようではないか。明日にはカリウムが、たんと見つかるやもしれんではないか。」
と言うと、タオは、
「そうだね、明日の採取の結果を見てから考えても、遅くはないね。」
と受け合ってくれた。
この優しい勇者は、決して彼ら老人の意見を頭ごなしに否定したり、臆病と蔑んだりはしない。常に集落の老人たちの考えを尊重してくれた。これまで通りの穏やかな暮らしを続けたいという老人たちの思いを、大切にしてくれた。
だから今も、彼の言葉に反論一つせずに、ただ沈黙するだけだったが、その胸には、集落の危機が避けられないと分かれば、何ものをも恐れず、謎に満ちた事業に身を投じるという、勇敢な覚悟が秘められており、それは老人には揺るがすことも出来ないのだという事を、ポポは痛感していた。
ポポには、明日カリウムが見つかる事を、祈る事しか出来なかった。
タオがシャトルに戻ろうとした時、ずらりと並んでいる水耕栽培の棚の間から、二つの顔がひょっこりと飛び出した。
ポポの息子のプロームと、ポポの孫のプールだ。ポポの後を継ぐべく、日々水耕栽培に精を出す父子だ。高度にオートメーション化された野菜工場であるこの農場筒では、その気になりさえすれば1人でも操業は可能なので、2人も後継ぎがいれば、安泰だ。足りないのはカリウムだけだった。
タオが手を振ると、タオより一回り年上の父と、一回り年下の息子が、笑顔で手を振り返して来た。微笑ましい親子三代の、穏やかな農作業の風景がそこにあった。
タオはそれを、何としても守りたいと思った。命に代えても。