第三話 ―その3―
「アロンがこの領内に!?」
マレルの城の一室で報告を受けたエデアは声を上擦らせていた。
「それで…?」
「マレルリア様と何やらお話をされていたようです」
「マレルと? 内容はわかりますか?」
「は………」
傅いていたバロックはわずかに眉を顰める。エデアはその意図を察した。
「構いません、話しなさい。アロンの口の悪さは姉である私が知っていますし、マレルがどのような悪態を吐いていても咎めたりはしません」
「それでは……」
蓄えた口髭の奥でバロックは一度咳払いをしてから、再び口を開いた。
「初めから聞いていたわけではありませんでしたので詳しくはわかりませんが、アロン様がマレルリア様とエデア様とのことをなじっておられたようでした」
「そう……言い争っていたのを聞かれていたのね…」
「は?」
「なんでもありません。それで二人はどうしたの?」
「案の定、ケンカ別れされまして。マレルリア様は城にお戻りになると思いましたので、密かにアロン様の後をつけたのですが、すぐに撒かれてしまい……」
「アロンが生きていたことがわかっただけでも僥倖です。あの子のことだから、きっと何か目的があってマレルに近づいたに違いないわ」
「そのアロン様なのですが……一つ気になることが」
「何?」
「お身体が縮んでおられたのです。遠目には人間換算して十五~十六歳頃とお見受けしました。これは私の想像なのですが……王との戦いの末に消耗されたアロン様は、力を補うために『王の欠片』を集めておられるのではないでしょうか」
「アロンも『欠片』を……」
アロンは父を倒しておいて自分が王に成り代わるつもりなのだろうか? とにかく理由が知りたい、話をしたいのだが、今の不死者世界の情勢では一刻を争う………。
「わかりました。あなたは引き続き『欠片』の情報を集めなさい。マレルとアロンは私が話を聞きます」
「かしこまりました」
一礼してバロックは退出する。
一人になったエデアはベッドに座り込んで頭を抱えた。
「アロン……マレル……どうして心配ばかりかけるのよ…」
まだ戻ってこないマレルを迎えにいきたい衝動に駆られたが、唇の感触を思い出して、止めざるをえなかった。
フェイムが林に入って一時間と少し。陽はとうに落ちている。アシェルは迎えにいくべきかどうか迷っていた。
夕食の用意はすでにできている。食べるのが先か冷めるのが先か、といったところだ。
「アイツ………まさか城まで行ったんじゃないでしょうね」
不死者・マレルが指した方角は明かりも見えない。おそらく城は山の裾野の陰にあって見えないのだろうが、林で続いているらしかった。詳しい場所こそわからないものの、ここから十キロと離れていないのだろう。
現時点でマレルがこちらに攻撃をしてこないらしい(別の意味では危険だが)から果物やらを採りに行くことを許可したが、よくよく考えてみればフェイムはマレルにとって何の関係もないし、フェイムはフェイムで何か採れるまで絶対帰ってこないだろう。
つまり、判断を誤ってしまったのだ。
「んもう………!」
身体を揺すって散々頭を振った挙句、ようやく立ち上がろうとしたとき、フェイムが林から姿を現した。
「コラっ! いくら何でも時間かかりすぎよ! 心配するでしょうが!」
「すみません、いつの間にか迷っていたようで……?」
フェイムが珍しく腑に落ちない顔をしたのが気になった。
「一体どうしたの? 何かされた? あったことをそのまま話しなさい」
「よくわかりません……なんだかぼうっとしていたみたいで。おそらく大丈夫だと思います」
「…………………」
じっと見ていたが、変化はない。試し半分で言霊呪法をかけてみたが、元々自分の術の力が弱いことはわかっているから、効果はそれほど期待していない。ただ、嘘をつこうとしていたのならいくらかの反応はあるはず。それがないということは、少なくともフェイムにとっては異常がなかったのだ。
「……まあいいわ。ご飯にするわよ」
根拠があるわけでもないが、大丈夫だろう………きっと。
(私、あのマレルという不死者を信用しすぎてるんじゃない…?)
しかし現時点では様子を見るより他ない。夕飯を食べている間、フェイムはいつも通りだ。
念のために咬まれた跡がないか確認した方がいいのかもしれない。しかし、理由を言って脱げといえばすぐに素っ裸になるのだろうが、今はそういうことをしたくない。昼間のことを思い出して嫌な気分になる。
「はあ……」
「体調が悪いんですか?」
「違う、昼間の不死者のことよ………ああもう、何であんなのにいいように遊ばれるのよ! 大体何!? どうしてよりにもよって女に……私、そっち系のオーラとか出てる!?」
するとフェイムはこちらをじっと見詰め、小首を傾げた。
「ソッチというのがどのようなものかわかりませんが、少なくとも僕には、おーらというものは見えません」
「当たり前よ! っても、男のアンタが私に無反応なのが、絶望感を増すのよね……」
「すみません、どこかでアシェルさんを無視してしまったのでしょうか? アシェルさんの言うことは一言一句、漏らさず聞いていたつもりだったんですが」
「……アンタの場合は、無声の言葉を感じ取れるようにならないとね」
「『無声の言葉』……?」
「『空気を読め』ってことよ」
するとフェイムは空をじっと見詰め、また小首を傾げる。
「何か書いてあるようには見えませんが」
「あははぁ………まずは私が今、どういう気持ちか考えてみようか。はたしてどんな衝動に駆られているか……?」
「衝動………」
するとフェイムは再び私を見つめ、小さく頷いた。
「身体が小刻みに震えていますね。排泄ですか?」
「黙れバカ!!」
投げつけた薪はフェイムの手前で跳ねた。
「アンタには精神的なはないの!? 下手すりゃ生理的な欲求すら欠け―――あーっ、やめ。話が変な方向にいきそう。この話はなし!」
夕餉を食べ終わって満腹になったこともあり、ごろんと横になって天を仰いだ。
「そもそもアンタはまだ子供だし、そんなだから道中共にできるんだし」
「はあ。いいことなんでしょうか」
「そうねぇ…………ある意味、都合がいいわね。余計な気を遣わなくていいし、言うことはそれなりに聞いてくれるし、怪我したら治してくれるし。アンタって―――……」
「僕って?」
「………何でもない」
『便利な道具みたい』。
我ながら余りにひどい一言を発してしまいそうになったことを恥じた。フェイムは私が同行することを希望した、旅の友だ。決して私の供ではない。
「ごちそうさまでした。デザートは結局りんごしか採ってこれなかったですけど、アシェルさんも食べます?」
「うん……」
心の中で謝りつつも、顔は逸らしてしまう。その間も変わらず注がれるフェイムの視線が、胸に痛い。
「ところでアシェルさん」
「何?」
「ずっと気になっていたんですが」
「だから何…」
「さっきから首を押さえてますけど、どうかしたんですか?」
「うっ――!」
慌てて右手を宙に放り投げる。
「こ、これはクセ……」
「珍しい行動だったから気になったんですけれど。ひょっとして昼間に怪我とか――」
「ないない、そんなのない! 診なくていい診なくて! 虫に刺されただけだから!」
いつの間にか自分でも無意識のうちに触っていた。服に隠れてはいるが、首筋には今も唇の跡が、赤くはっきりと―――。
(くそ……嫌なマーキング!)
さしずめ、ツバをつけたというところか? 冗談じゃない!
フェイムは苦しい言い訳を一応納得したのか、また手元のりんごに集中し始めた。
「ん…? アンタ、短剣なんて持ってたの?」
「これですか?」
ご丁寧にりんごの皮を剥いているフェイムの手に、小さな剣。それこそ子供が初めて使う果物ナイフのような、チープな造りのものだった。
「これも僕が初めから持っていたらしいですよ。記憶のない僕ですけど、この短剣は手にしっくりくるんです。きっと、ずっと使い込んでいたんだと思います」
「ふぅん……」
遠目からは道具としてのシルエットしか持たない短剣だが、よくよく見れば柄の部分がほんの少し装飾されていて、護身用の武器に見えなくもない。しかし気になるのはむしろ刃のほうで、色が白……というか、乳白色なのである。
「………そのナイフの刃先って、何でできてるの?」
「刃先? カネじゃないんですか?」
「そう…」
てっきり、骨かなんかでできているのかと思った。
しかし何故だろう?
あのオモチャのようなナイフと自分の持つ剣に、どこか似た雰囲気を感じたのは……。
マレルがネグリジェに着替えてエデアの部屋へ向かうと、執事がドアの前で銅像の如く立っていた。
「エデア様はお休みになられております」
まさに有無を言わさず、バロックはきっぱりと言い放つ。元々この大男はマレルのことを好ましく思っていないが、今日はハッキリと態度に出ていた。
理由はわかっている。アロンと会っているところを見せたからだ。かねてより何を考えているのかわからない変人扱いのアロンも、今では立派な「父殺し」だ。いくらハーフとはいえ、本来なら不死者が血縁の親を殺すことは不可能なのだ。それをやってのけたアロンは愚か者を超えて危険な存在であり、エデアと大ゲンカ中の自分がその男と密談を交わしていたというのなら、不審に思い、警戒するのも当然だ。
アロンと別れて数時間経つが、おそらくアロンはエデアに挨拶に来てはいない。それが怪しさに拍車をかけているのだろう。
「エデア、話があるのだけど」
バロックを無視してドアの向こうに声をかける。
「いけません、明日になさってください」
「――構いませんバロック」
細い声がドアの向こうから聞こえてきた。それはマレルに対する勝ち鬨だ。マレルは突き放すような視線でバロックを見返した。
「フン、どきなさいよ。そしてどこかに消えてくれる?」
「………………」
「何、その目は。それともあなた、主人の悶える声で興奮するのが趣味?」
「くっ……!」
これまでにないほどマレルを睨みつけて、バロックは去っていく。しかし隷属する「従者」と血族である「娘」では、根本的に立場が違う。分をわきまえろ、ということだ。
バロックの背に嘲笑を投げかけてから、マレルはドアを開けた。
窓を開けて月明かりを浴びるエデア。薄絹を羽織って蒼白く浮き出た、最も美しい悪魔だった。
「……あんなふうに言い争ったのに、あなたは私の寝所にやってくるのね」
憂鬱な表情……それもまた極上だ。マレルは胸が高鳴るのをぐっと堪え、あくまで悠然と歩み寄っていく。
「話しに来た、と言ったけれど? それとも、何かを期待させたかしら…?」
ベッドに座るエデアの隣に腰掛ける。
滑らかな肌に艶やかな髪、細い手足、華奢な肩…………。繊細でやわらかいラインはどんな彫刻より均整がとれていて、白い肌は雪原よりも深く、漆黒の髪は上質の墨のようだ。そしてその身に黒いレースのランジェリーでデコレーション。華美過ぎず、シックなのが逆に艶かしい……。
この極上の至宝が私の手の中に落ちたという史実は半分真実ではないが、それでも自慢であった。この女神を狂わせる魅力が私にあったということなのだから―――。
そう思い返したら、触れたくなった。夕方叩かれたことを思い出しても、この欲望は抑えられそうもない。
エデアの頬、顎、唇と指を滑らせ、最後に触れた場所に熱く息を吹きかける……しかしエデアは目を閉じようとしなかった。
「……アロンに会ったそうね」
「………話をするのは私の方よ」
「だったら、唇を重ねるのは間違っているわ…」
エデアは肩を寄せるマレルから身を引いた。抵抗せずに引く時は本当に拒否しているのだとマレルは知っている。自分勝手なのはわかっているが、応えてくれない不満が胸に募った。
「ハァ……確かにアロンに会ったわよ。それが何?」
「何を話したの?」
「何が聞きたいの?」
「……何でも。父のこと、私のこと、今までのこと、これからどうするのか…………どういうわけか、私には会いに来てくれないから」
「……そのうち来るんじゃないかしら」
本気で不安そうな顔のエデアを見て、つい適当なことを言ってしまった。
「マレル。アロンは……あなたに『王の欠片』のことを尋ねなかった?」
「え…」
そのことはバロックの前で話していなかったはずだ。
エデアはマレルのわずかな動揺ですべてを察したようだ。少し肩を落とした。
「そう、やっぱり欠片を探しているのね。今の世情で欠片を持つということがどういうことか、わかっているでしょうに……」
「欠片は欠片でしょ? 便利だけど、アイテム以上の価値があるかどうか……。エデアには悪いけど、敗北者の力を頼って王に成ってどうするのかしらって気がしないでもないけれど。もしかして…………あなたもそれを探しに来たわけ?」
「そうよ」
「馬鹿馬鹿しい……! まさかエデアまで王に成りたいだなんてね。そりゃ順当にいけばエデアかアロンだけれど、それはあくまで――」
「私はね、マレル」
黒い瞳が宵闇の中で輝く。
「欠片を集めて、お父様を甦らせたいの」
「は!? ……本気で言っているの!?」
「本気よ」
「欠片は変質した魔力の残りカスよ? いずれは消えるかもしれないのに、そんなこと…」
「私はアロンに何故あんなことをしたのか問い詰めたい。だけど、別に憎んでいるわけではない。私たちは不死者だもの………そういうことも仕方がないことだと……理解はしているわ」
理解はしているが、納得はしていない―――マレルにはわかる。
「本当に馬鹿じゃないの。強がったってしょうがないでしょう?」
「強がってなんて……いえ、あなたの前で誤魔化せることなんてなかったわね。そうよ。私はアロンがお父様を殺してしまったことを否定したい。夢にしてしまいたい。私は、アロンの暴走を止めることもできずに蚊帳の外にいたことが悔しいのよ。どうしてあんなことになったのか……」
エデアの声が、小さくしぼんでいく……。
「……私が欠片を持っていたら、どうする?」
マレルは言ってすぐ、口元を苦々しく歪ませてしまった。自分の甘さがつくづく嫌になってくる……エデアの悲しそうな表情に我慢できないのだ。それは感情とは別の部分で忘れられない、刷り込みのようなもの。
そんな自分ののジレンマとは関係無しに、エデアの表情はぱっと輝いた。
「本当に持っているの!?」
「持っていたら、よ。それを譲るとしたら………私の願いを聞き入れてくれるかしら?」
「願い?」
「永遠に―――私だけのものになって」
告白に息を呑んだエデアだったが……
「…いいわ」
「………そう、いいの…」
ギリっと奥歯が鳴った。
「なら……その誠意を証明するために、まずはキスでもしてもらおうかしら」
「……………」
返事もせずにエデアはマレルに身を寄せると、そっと、深く口付けてきた。ゆっくり息を漏らしながら、慈しむようなキスを―――。
「は……」
ゆったりと口付けを交わす二人……。しかし密事が盛り上がる前に、マレルは自ら身を離した。
「マレル……?」
「……エデア、どうして私があなたに憎悪しているかわかる?」
「…わかって――」
「わかっているなんてどの口が言うのよ!」
エデアを押し返したマレルの目には暗い炎が灯っていた。
「本当に、本当にわかっていない! 私たちが何百、何千、何万回口付けを交わしたと思っているの!!? 私と欠片をあっさり並べて比べた挙句、こんな中途半端なキスで誤魔化そうとするなんて―――!!」
「そんな、わたしは誤魔化していないわ! 本心からエデアのことを愛している! それは嘘なんかじゃ…!」
「ええそうでしょうね、あなたはいつも心から他人のことを考えているもの。でも無意識ではそうじゃない……今のキスがいい証拠よ!! 最低……最低だわ…。すべてをさらけ出しているというのは口だけじゃない! あなた自身がそれに気付いていないだけだとわかっていても、私は許せない…!」
エデアの膝にぽたりと落ちた涙は、激昂するマレルのものだった。
「マレル……!」
「触らないで!!」
伸ばされた手を振り払う……その抵抗だけでやっとだった。「血脈」という鎖は親への反抗を悉く縛り付けてしまう。エデアとの繋がりの証が死ぬほど煩わしく、憎らしくなるとは、マレル自身も思っていなかった。
マレルは痺れる手で涙を拭くと立ち上がった。
「話があるって来たのよね、私……。明日から、昼間話していた娘に会いに行くから。絶対に邪魔をしないで……!」
自室に戻ったマレルは、ベッドに身を放り投げた。
(私って、惚れられることはあっても、惚れさせることはできないのね……)
止まらない涙が枕を濡らす。
明日接触するはずのアシェルの顔は、思い出せなくなっていた……。
金曜の夜はフライデーナイト!…ってギャザはよく知らないんですが…。
明日は天気が荒れるそうですね。引きこもってガンプラ…じゃなくて、次々書いていきましょう!(苦笑) 明日はアルタナの方を上げられればいいなと…。