第二話 ―その3―
屋敷の玄関から遠く……暗闇で沈む村を見詰め、「彼」はかぶりを振った。
これでようやく静かになる……。
踵を返し、屋敷の奥へ……。書斎には先程血を啜った女の死体がある。本来まだもう少し時間がかかるはずだが……やはり今回も失敗だろう。自分の中に成功したという実感がない。伝え聞くところによれば、直感的にわかるという。欲望や高揚感であったり……何か違うことが起こるという。今日もそれはない。
容姿の好みだってあるのだからそう何度も挑戦することができない。こだわれば永遠のような時間が必要となるだろう……。
溜め息をついて椅子に腰かける。上等な皮を張った椅子は「彼」のサイズに合っておらず、大きい。それもそのはず、「彼」の姿は十歳にも満たないかもしれない。
その彼に被さるように影が現れ―――声が投げかけられる。
「―――チ、くだらねぇ。ただのガキか」
彼が振り返る。椅子に座る前は閉じていたはずの窓は開け放たれ、その向こうには、十代半ばの少年が、漆黒の外套をたなびかせて空中に浮かんでいる…。
二人の不死者が相対する―――。
鼓膜がズタズタにされるような喧騒が鳴り止んで十数秒……アシェルは顔を出した。
刃の雨から逃れるために咄嗟に隠れたのは息絶えて間もない巨大犬の下である。何となくだが、やはり剣は巨大犬を避けていた。もっとも、この犬の肉厚が早々貫通されることはないだろうが…。
しかし助かった代償に巨大犬の血が身体にべったりだ。酷く臭い。いくらか拭えないかと巨大犬に腕を擦りつけながら辺りを見回した。
転がった松明はまだゆらゆらと明かりを灯していて、そこかしこに剣に胸を刺し貫かれた屍が累々とあった。やはり不死者―――この犬の飼い主であり、ザムス家の当主。そいつの仕業だろう。
「おまえ……生きてやがるのか…」
擦れた声の方を見ると、例の大男だ。やはり胸を刺されているが、寸でで避けようとしたのか即死は免れたようだ。ただ、出血はどうしようもない……あと数分の命だろう…。
「まさか、な……大したもんだ…」
「こっちだって修羅場は潜ってる。不死者相手の経験値はそこらの戦士より持ってる。だけど生き残ったのは偶々だ」
「へ……だがな、不死者にトドメを刺すのは、オレたちだ…」
「なに…!?」
「はじめからオレたちは囮だ……注意を引き、従者が来たらそいつを狩る……その間隙を縫って、相棒が、ヤツを滅ぼ、す……」
ビクビクッと痙攣し、大男は息絶えた。最後まで不敵な笑みを浮かべながら――。
遠く、剣が飛んできた方角を見る。見えないが、この先に不死者がいる。不死者は気まぐれに人を惑わせ、弄び、殺す。そんな不死者を許すことはできない……必ずこの手で殺す! だが――……
「へぇ…珍しいね。僕と同じくらいの見た目の不死者とは初めて会ったよ」
ザムスの主が来訪者に語りかける。その声音は声変わりする前の子供のそれだが、口調は大人びていて、不思議と耳触りではない。それが不死者ゆえの妖しさでもある。
「不死者が同族を『生む』場合、血の相性がいいかどうか魂で感じるらしいね。そして魂の共鳴は忘れていた性欲を呼び覚ますこともあるという……おかしいよね、どれだけ性交渉したって、不死者の子供なんかできないのに。でもそんな側面もあるからか、大抵は十代後半以降に『親』に牙を穿たれ、不死者になる。僕のようなのは性的倒錯者が生み出した異端児さ……君もそのクチ?」
「…まぁな。俺の親父は不死者の中でも一、二を争う変態だったな」
「男親!? どんなことをされたんだい君は……クク、まあ聞きたくもないけどね」
子供に不釣り合いな下品な顔で笑う。来訪者―――アロンも同じく。
「…それで? どんなご要件かな? 今、少し立てこんでいてね……色々事後処理をしなくちゃいけないんだ」
「その残りカスのようにか?」
アロンはすでに冷たくなっている女を顎で指す。
「そうだね…」
ザムスの主は苦笑交じりに溜め息をついた。
「……君は不死者を生んだことはあるかい?」
「いいや。その気もねぇな」
「僕は一度はやってみたいんだ。そうすれば突然不死者にされた理由もわかるだろう? でも適合する血に出会えなくてね、難儀してるんだ……話が逸れてしまった、君は何の用で現れたのかな?」
「お前、王の欠片を持ってるんじゃないのか。持ってるなら寄こせ」
ザムスの主の眉がピクリと動く。
「『王の欠片』……聞いてはいるよ。王の魔力が宿ったアイテムらしいね。でも僕は見たこともないね」
「さっき、大量の剣を飛ばした時、魔力を感じなかった。あれは何か特別なアイテムを使ったからじゃないのか。お前みたいなガキにそんな魔力ないだろ」
「……ハハッ、不死者って何かとそうだよね。魔力魔力魔力……そんなに魔力が大事かい?」
「………知らないなら用はねぇ」
アロンは目線を逸らしたのだが、
「いいや、僕にはあるね」
ザムスの主が子供らしからぬ邪な笑みを浮かべると部屋の中の戸棚や箱から無数の剣やナイフが飛び出し、宙を漂ってアロンを標的と定める。
しかし―――魔力が発揮されている感触はない。
「確かに不死者としては若いけど、これでも六十年以上存在してるんだよ? 君のような顔も知らない不死者がガキガキって、言いすぎじゃないのかい――!?」
剣は一斉に飛び出し、濁流となってアロンを呑みこむ。刃筋が激しくぶつかり合い、断末魔の悲鳴のように甲高い音を掻き鳴らす。
「ハハハハ! 僕は生まれつき魔力とは別の念動力を持っていてね! 魔力に自信のある不死者ほど油断するのさ! 永らく失っていたザムスの本当の力は、僕だけに与えられた! 僕は単なる不死者とは違うんだよ!!」
書斎の外からも、どこに秘蔵されていたのかわからなくなるほどの剣、剣、剣―――。これらは全て、ザムスの主を狙ってきた不届き者たちから巻き上げたものだ。もちろん剣に限らず、槍、斧など、ありとあらゆる鋼鉄の凶器はアロンを埋め尽くしてしまっていた。
しかし――
「六十年……どうりでな」
ハリネズミのように全身を串刺しにされていたはずの、アロンの声。
黒い外套がはためくと無数の刃は力を失って落ちていく。残ったのは、変わらず宙に静止する無傷のアロンのみ。ザムスの主にはわけがわからない。
「そこに転がってる女……さしずめ従者にでもしたかったんだろうが、残念だな。お前の魔力じゃ犬をデカくするのが限界だ。不死者を生むどころか、まともな従者もできねぇよ」
「なんだと!? そんなはずはない…!」
「喚くなよ。六十年も不死者やっててその形……不死者がほぼ不老不死って言っても、成長しねぇわけじゃねぇよ。つまりは……ククッ、テメェは中身からしてただのクソガキ。その女もママの代わりにしたかったのか? 笑わせんなよ、ハハハハハ!!」
「き、貴様あぁっ!!」
ザムスの主は再び剣の嵐を起こそうと念動力を発揮しようとするが―――パン!とアロンが手を叩く。なんのことはない、ただの拍手。だが―――
「ぐあああぁっ!!?」
不死者の少年は両耳を手で押さえて絶叫する!
「風を操る魔術の応用でな……相手の耳に直接繋がるように魔力で空気の管を作り、音を伝える。周りにばれない様に内緒話をするために、それこそ五つか六つのガキのころに考えたイタズラだ。振動を調整すれば、まあこんなこともできる」
パン、パンと手を鳴らす度にザムスの主は赤い絨毯を敷かれた床をのたうちまわる。もしここに第三者がいれば、何が起こっているか理解できないだろう。アロンのやっていることは、ただの手拍子でしかないのだ。
「このイタズラを止めるのは簡単だ、魔力の管を切っちまえばいい。蜘蛛の糸を払うより簡単だ。だがお前にはそれができねぇだろ。理由は単純、平均以下の魔力もないからだ」
話しながらもアロンは手を叩くのを止めない。耳から脳まで衝撃を受け続けている少年不死者にはもはやアロンの話は聞こえていないだろう。それでもアロンは続ける………アロン=グランスダイトが、不死者だからだ。
「お前は言ったな、魔力がそんなに大事かと。不死者の魔力の総量は存在限界、すなわち寿命に直結する。俺から言わせれば、よく六十年も持ったなってとこだ。ママのおっぱいが恋しくて寂しいだろうが、どうせ早晩テメェは息絶える」
アロンが手を止めた―――。
不死者には再生能力がある。今しがたアロンに劣等の烙印を押されたザムスの主とて、自己修復の能力くらいは備わっている。鼓膜が再生して耳が音を拾い始めると……書斎のドアの向こうから、重厚で騒々しい足音が聞こえてくる。
「――そら、来たぞ。テメェの賢しい『背伸び』のツケが」
扉を蹴破って現れたのは重武装の男達! 未だ床に這いつくばったままのザムスの主を囲み、皆一様に武器を振り上げる。三半規管まで再生していない少年不死者は平衡感覚が戻らず、上半身を起こすこともできずに仰向けに転がる。
なんと無様なことか……。
天を覆うような男達の隙間……窓の向こうには、もうアロンの姿はなかった。
「…!? あ、いた!」
薄闇の中で動く影に松明の明かりを向け、それがフェイムだとわかったとき、アシェルは場所をわきまえずに声を上げてしまった。大きく迂回しているとはいえ、かなり奥まで入り込んでいる。不死者の潜むザムスの館は近いはずだ。
「アンタ……どこにいたの…!?」
慌ててボリュームを落としつつも、フェイムを睨みつける。
「よくわかりません。気がついて、道なりに歩いて迷いました」
「………」
剣の雨を逃れたアシェルは、不死者の館に突入せず、フェイムを探すことにした。助ける理由はないが、助けない理由もない……強いて言えば、そのまま放っておくのはなんとなく後味が悪かったからだ。
予想通り、フェイムが飛ばされていった先は崖になっていた。ただし急なものではなく、高低差も五~六メートル、おまけに崖下は柔らかい湿った土が広がっていたから、割と大丈夫かもしれないという期待はあった。もちろん巨大犬の前足の一撃で骨を折られていたり、爪で切り裂かれていたりすれば別だが……
「…ケガは?」
「ないと思います。痛くありません」
「感覚が麻痺してるだけかもしれないでしょ。こっちきて」
手招きして灯りに近づかせ、「これ邪魔!」と小突いてマントをめくらせ、その場で一回転させる。
………やはりというか、特にケガはない。
「……アンタさ、リジェネレーション使ってんの?」
「いえ。そんな高度な法術は使えません」
「そうよね…」
フェイムの言う通り、自動で肉体を回復させる法術「リジェネレーション」は、一般的にかなり高位の法術師しか使えない。もし使えるのであれば、以前法術で怪我を治してくれた時、一度に全快できていてもいいはずなのでは……。
「まぁいいか……帰るわよ」
「不死者の屋敷に乗り込まないんですか」
「なんかタイミングを逃した。それにもう警戒されてるだろうし…」
応えつつも、しっくりこなかった。前はこんな言い訳しなかったはずだ。
フェイムを連れて元の場所に出たら、誰も立っていないはずの戦場を横切る集団と鉢合わせた。その内の一人は、傭兵団を訪ねて追い返された時の大男の一人………例の「相棒」だとピンときた。つまり、ザムス邸に突入したメンバーだ。屋敷の方からやってきたということは……
「ん? お前は昼間の……へっ、見物に来たのか? まさか、そのひょろいガキがボディガードのナイト様か? 傑作だな‼」
大男の相棒の大男はニヤニヤと笑う。この男はアシェルがここで巨大犬を倒したことを知らない。いや、それよりももっと肝心なことがある…。
「アンタらの仲間、全滅したわよ…」
半数以上が無残に死んだ。組織は大ダメージだろうし、大男の相棒も死んだ…。
しかし大男は悲しむどころか上機嫌だ。
「みたいだな…。だが仇はとった。コイツらも無駄死ににはならねえよ」
「! 不死者を倒したの!?」
「おおよ。同じように周りにたくさんの剣が散らばっていたしな、『コイツ』の仕業で間違いないだろ」
大男が松明を向けると別の男が右肩に担いでいるものが照らし出される。脚から腰の辺りしか見えないが、でも、これは……!
「こっ……子供…!?」
どう見ても、まだ十歳を超えているようには…!
「まあ確かに珍しいわな。でも不死者は見た目なんか関係ねぇよ。このガキ不死者も、何度もブッ刺しても怖ろしい形相で睨み返してきてな……見るか?」
それで気付いた。不死者を担いでいる反対の左手に、血で滴る革袋を持っているのを…。
不死者を完全に滅ぼす手段として知られているのは、首を………
「どうした? 顔が青ざめてるぜぇ? やっぱり女だな! だはははは!」
愉悦に顔を歪ませて傭兵団が去っていく。戦利品を抱えて。
後には静寂と、血肉の臭いと、死体の山が残る―――……。
「…………っ」
その場で立ち尽くし、拳を握りしめる。
目の前の惨状を引き起こしたのは間違いなく不死者だ。どういう理由かは知らないが女を攫い、番犬に無差別に人を襲わせ、おそらく子供も犠牲となった。遠く離れた場所から大量の剣を投擲するほどの怖ろしい力を持ち、傭兵たちの胸を確実に一突き……殺すべくして殺した。残虐な性格が窺い知れるだろう。許せない……怒りを持って必滅すべき不死者だ。
でも――。
フェイムより幼いであろうあの子供を殺せるだろうか。剣を突き立てることができるだろうか。もちろんあの大男の言った通り、見た目が子供でも数百年存在している可能性だってある。魂は子供の姿とは別物だろう。
でも――それでも………!
「くそ……くそっ…!!」
不死者の蛮行は許せない――。
子供の姿をした者を嬉々として殺すのも許せない――。
どうすればよかったのかわからずに迷っている自分も許せない……!
「アシェルさん?」
声をかけてくるフェイム。せめてこいつを見殺しにせずに済んでよかったと安心している自分が、とても情けなかった……。
ようやく書き終え……次回からはそれなりに順調に更新できそうです。「アルタナ」もそろそろアケミ姉さん本気出すので頑張ろう…!