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Next Crown  作者: 夢見無終(ムッシュ)
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第一話

 暗がりの中、目前の餌を喰らう―――。

 味に文句をつける余裕はなかった―――いや、文句のつけようがなかった。

 舌に苦かろうと酸っぱかろうと関係なく、甘く、濃い。何を何百年も熟成させたらこのようになるのだろうか?

 ただし、胃に重い。牛一頭でも熊十頭でもこれとは比較にならない。まったく、人間を幾万と喰らった者の心臓というのは……。

「フン……しっかし残ったのはコレだけかよ。ちいっと威力がありすぎたな………」

 苦労して揃えた聖者のを灰にするだけの魔法陣は、確かにどんな不死者も滅ぼす輝きを放った。しかし予想以上の威力は肉体に絶大なダメージを与えてしまい、四肢は弾け飛んでしまったのだ。

「ま、あの王サマがあんなにあっさりやられるとも思ってなかったがな」

 残ったのは千切れた胸部のみ。そこに深く埋まっていた心臓は見た目こそ物足りなかったが、口に含んでみればやはり力の源泉。それなりに満足させる味と力を持っていた。

「く…は………ふぅ…。何でも大元が大事だよな。とりあえず心臓をもらっておけば、残りは後で探しても十分間に合う。ククク……ご馳走になったな、クソ親父殿」

 心臓の力が手に入れば後の五体はオマケのようなもの。とりあえず残った腕と羽をむしりとって――――

「う…ぐ…!?」

 突然、身体中が沸騰し出した。指先まで痺れ、血が逆流するようで、魂まで融けそうな―――いや、実際に身体が腐敗し始めている!

「くそ…っ! 俺にも毒かよ、クソオヤジ……! これじゃ結局相打ちってか……そうはいくか…!」

 破裂した血管から滲み出た血で魔法陣を描く。こんな震える指先では線もろくに意味を持たないが……果たして上手くいくのか!?

 最後の線を結ぶ―――魔法陣は赤い輝きを増した。




                ※     ※     ※



 

 もう指先を動かす気力もなかった。

 革のプロテクターがこんなに重いと感じたのは、初めて着けた四年前以来だ。今は慣れるほどに強くなれたし、周りにもそれなりに認められている。

 しかし、それでもヤツラには届かなかった。

 自分が女だからではない。人間だからだ。

 神は個人の願いを聞き入れてはくれない。かといってヤツらを呪っても意味がない。人に呪われてナンボの連中だ。そうわかっていても………命と引き換えにしてでも、呪わずにはいられなかった。



「………」

 目が覚めた。

(……死んだ?)

 いや、生きている。覚えのある臭いがする。

 身体のあちこちに包帯が巻かれていることに気付いたのは、痛む身体を起こした後だった。

「あ。ダメです、無理です。骨は大丈夫みたいですけど、傷はいっぱいあります」

「―――!」

 いつの間にか部屋に入ってきていた人物が自分に手を伸ばしてきて、反射的に身を引いた。

「……アンタ、誰…?」

「あなたを見つけた者ですけど…」

 少年……だった。歳のころは十四~十五といったところだろうか。中途半端に長い髪と華奢な線、あまりにもかわいらしく納まった顔立ちで、声を聞かなければ男か判別できないくらいだった。しかも雰囲気までひ弱そう………叩けば必要以上に凹みそうだ。

(どうしてこんな子に警戒したんだろう………?)

 自分でも違和感があったが、とりあえずそれは彼の奇妙な格好の所為にして、納得した。

室内だというのに真っ黒なマントを纏っている。素材は割と上質そうなのだが、襟が異様に大きく、裾は八つくらいに分かれていて、機能的にもデザイン的にもナンセンスだ。

 とはいえ………彼のおかげで命拾いをしたらしい。

「ありがとう……見つけてくれなかったら死ぬところだったわ」

礼を言うと、少年はこちらをまじまじと見詰める。

「どこか痛みません? あ、痛いに決まってますよね。お腹空いてませんか? 宿の人に頼んで、何か作ってもらいましょうか?」

「宿……? ここはどこ?」

「ですから宿屋です。サンクスパの」

「サンクスパ!? 戻ってきてるじゃないの!」

「そうです。おかみさんもびっくりしてらっしゃいましたよ」

「……………」

 道理で臭いに覚えがあったわけだ。庭に群生している薬草が強烈な匂いを撒き散らしている。

(町を発ってから丸一日かけて、巣の近くまで行って………)

 記憶を辿っていくと、疑問が浮かぶ。

「……ちょっと待って、アンタどこで私を拾ったわけ!?」

「どこって………ここから西の森の中です。ここまで一晩掛かりましたから、結構遠くです」

「それは……定位置よね」

「は?」

「アンタは……あそこで何をしていたわけ?」

 自分が倒れていた場所=自分が襲われた場所=ヤツらの領内。地元の人間でなくとも、あまりの険気に思わず踏みとどまる―――そんな一種の結界があの森には張り巡らされていた。そこに乗り込んでいく者は自分のような愚か者か、ヤツラと同種の存在だけだ。

 目の前の少年は危険に突っ込む強さを持っているようにはとても見えない。だからといって不死者独特の臭いを持っているかというと、それも違うのだが。

(でも、ヤツらは化けるのが上手い……)

 そのことは身に刻まれている。

 少年はしばらく思案した後、申し訳なさげに口を開いた。

「あの………歩いてただけです。道すがら、旅すがら通りかかっただけで………」

「…!?」

「えっ!? あの、そんな顔されても…」

 ………どんな顔だ。

「その……何か大事なことがあったでしょうか。僕には思い当たることがないんですけれど」

「……………………」

 ……おかしなことだ。あまりにも不自然で、いまいち得心しない。ノーガードを身上とするような雰囲気のこの少年が何事もなくあの場にいられたとすれば……?

「………運が良かっただけか」

 それ以外にないだろう。警戒しすぎて悪いことはないが、少し執着しすぎたか。不要なことは切り捨てなければ、大事に全力を傾けられないことがある。自分が手負いならばなおさらだ。

「ごめんなさい、神経質になりすぎていたみたいね。それと改めて御礼を言うわ。命の恩人に…………変な顔して悪かったわね」

 最後の部分に少しイヤミが入ってしまった。

「いえ、別に……それでどうしますか、食事」

「そうね……今は何時?」

「二時ですけど」

「昼過ぎか……」



 宿を出ると、少年が慌てて追いかけてきた。

「どこに行くんですかこんな時間に!? もう日が沈むんですよ!?」

「私には都合がいいのよ」

 今出ればちょうど丸一日かけて、明日のこの時間にあの森にたどり着ける。ヤツらが一番力を発揮する夜の闇こそが、皮肉にもヤツラの警戒が最も緩む時なのだ。

 道を急ごうとすると、少年がしつこく袖を引っ張ってきた。

「駄目ですよそんな身体で。瀕死だったんですよ?」

「瀕死だったらいくらなんでも起き上がれないっての。ちょっと眩暈がするくらいで………大体アンタはなんなのよ。関係ないでしょう」

 そういえば名前も聞いていなかった。助けておいてもらって自分も中々白状なものだが、面倒だという思いが先に立った。

「一つ言っておくけど、私は化け物退治に行くの。この剣が飾りじゃないことくらい、見ればわかるでしょ」

 腰に下げた、厚みのあるショートソード。その柄や鞘には、使い込まれたことを物語る無数の傷跡が刻まれている。

ただし、抜けばその刀身は鋭い。胸に秘めた誓いと同様、鈍ることはないのだ。

「アンタがどこの誰だか知らないけど、謝礼が欲しいって言うんならあげるわ。いくら欲しいの?」

「そういうことを言っているんじゃないです。怪我をしているのにまた危険な目に合いに行くんじゃ、僕が助けた意味がなくなります。それじゃ神父様の仰っていたことに反しますから、どうしても行くと言われるのなら、僕も同行します」

「はァ…?」

 話を理解していなかった……というか聞いてなかったのだろうか?

「あのねぇ。もう一回言うけど、私は殺し合いに行くの。そこにアンタが付いてきてどうするわけ?」

「どうもしませんけど………でも道が同じなわけですし、やっぱり放ってはおけません」

「あっそ」

 もはや無視して歩き出すと、少年は後ろから付かず離れずで付いてくる―――。

(何よコイツは……)

 谷間を抜け、丘を越える。

 西に向かって進んでいるからといって、日が落ちるのが遅くなるわけではない。岩場で火を起こし、今日はここまでとする。

 付いてきた少年と向かい合わせに座る。助けられた義理というより、彼のほうが物持ちが良かった―――ちゃっかり宿のおかみさんから弁当をもらっていたのである。それを渡されれば、同席を許さないわけにもいかない。

 食事をとった後、腕の調子をみてみた。一番ひどくやられたのは利き腕とは逆の左肩だから剣を振るうのに支障はない………と言いたいところだが、実際そうはいかないだろう。

「診せて下さい」

「ん?」

「傷、痛むんじゃないですか?」

「アンタ、医者のタマゴとかなの?」

「いいえ。でも手当てをしたのは僕です。悪くなってるといけないですし」

「…………………」

 裏があるようには見えなかった。この少年を信用したのではなく、怪しさが見つからなかったのだ。今の一言だってそう。この子は、少しも信じてもらおうとかしていない。

(いざという時………)

 まさかこんな貧弱そうな子供に負けるとは思えないが、油断はしない。彼から見て陰になるところで、そっと剣の鯉口をきっておく。

「……脱ぐからちょっとあっち向いてて。こっちを見たら……」

「見たら……?」

「………なんでもない。とにかく、あっち向いてて」

 「脱ぐ」という言葉に微塵も反応を示さなかった。それはそれで気持ち悪い。

(まあ、自分が見られるに値するかは別か)

 ……まさか余計な期待をしていたのは自分か? 笑えない。

 深呼吸をして、一気に上半身の服を脱ぐ。締め付けるような皮の鎧を外し、厚手のシャツも脱ぐ。どちらも着古しているが、その下に着けているのはものが違う。

 それは細い銀糸で編まれている。首根から肩口、脇までピッタリと覆うそれは、退魔のエンチャントが施された聖なる着衣である。意匠と素材の点では、どんな豪奢なビスチェよりも一級品だった。

 総じて金属でできているものの、繊維が細いために着心地は悪くないし、編み方に工夫があるため、ある程度伸び縮みもする。唯一の欠点は手入れが大変なことで、まめに磨かなければすぐ黒ずんでしまう。しかしどれだけ磨いても擦り減らないから、この「防具」を信奉しているのでもあるが。

「む……………」

 一瞬手が止まったのが馬鹿馬鹿しくて、最後の一枚をさっさと脱いだ。

「いいわよ」

 素直にこっちに向き直った彼は、はたと一点を凝視する。視線の先に気付いてこちらも焦った。

「な……何」

「胸が痛むんですか?」

「いた………見えないように押さえてんでしょうが!」

「はあ? そうですか」

 ………何だ今のは? 冗談だったのか? だったのか? ここまでコケにされると、女としての沽券にかかわる。

「では一番ひどかった肩から………包帯取りますよ」

 左肩・上腕の包帯を解かれると、大きな傷跡が顔を出し、彼はそこにそっと触れてきた。

「痛みますか?」

「……ちょっと」

「もう血は止まっていますけれど…………動かないでください」

 彼は手を傷口に翳すと、目を閉じて何か念じる。何事かと目を丸くしたが、すぐに思い当たり、そのすぐ後にまさかと疑う。しかし、わずかながら浮かんだ予想は現実のものとなった。

 彼の手が輝き、その瞬きを受けた傷は少しずつ薄くなって消えていく―――。

「うそ………法術が使えるの!?」

「そうみたいです」

「そうみたいって………そういえば神父様がどうとか言ってたわね。アンタ、教会の人?」

「違います。神父様には拾って頂いただけで、僕は僕自身がどういう人間かわからないのです」

「はあ?」

「記憶がないらしいんです。半年前から」

「………………」

 この答えは予想していなかった。

「えと………」

「そうだ、わき腹の傷のほうはどうです?」

 不意に手を伸ばしてきたかと思うと、ピラリと―――。

「ちょっ……何やってんのよコラ!」

 せっかく目隠し代わりにしていた銀のクロースを捲ってきた。ただし、やはり悪意も善意もない。

「あ、大丈夫ですね。少し跡が残ってますけど」

「ホントだ…」

 全然気付かなかった。宿で目覚めて以来、痛みもなければ違和感もなかった。しかし新しい傷跡は確かにあって、すでに彼によって治癒していたらしい。

「法術による治癒か……。何ていうか、アンタが瀕死の私を救ってくれたのって嘘じゃなかったのね。ゴメン、疑ってた」

「いいですよ、ちゃんと治せたわけではありませんし。あちこちあった傷も骨までいってなかったのが不幸中の幸いでした」

「そう、あちこちに……」

 ………ということは、すでに全身をくまなく検分されたということに…。

「どうしたんですか? 顔色悪いですよ?」

「何でもない! ……服着るから、もう一回あっち向いて」

 彼の背中から目を離さないまま下着に腕を通す。もう包帯を巻く必要はなかった。

「……アンタの名前は?」

 いい加減聞いておかなければ。さすがにここまでやってもらって〝アンタ〟呼ばわりはないだろう。

 彼の瞳は心なしか、少し笑んだように見えた。

「フェイムです」

「フェイム?」

「神父様がつけてくれたんです」

「でしょうね……確か、神話に出てきたご大層な誰かの名前だわ。私はアシェル=ミロー」

「知ってます。宿のおかみさんから聞きました」

「あ、そう……」

 ならどうして今まで一度も名前を呼ばなかったのか疑問に思うが、きっと意味がないであろうからやめた。

「…で? 記憶をなくしたアンタが……フェイムが、どうして旅をしているわけ? 私と向かう方向が同じってことは、目的地があるのよね?」

「西です」

「西?」

「記憶を失っていた僕は町の西側で倒れていたらしいので、きっと西から来たのだろうと。拾って下さった町の方々が仰ってました」

「町の人も、結構アバウトなのね……」

「良い人ばかりでしたよ。路銀もいただきましたし」

「そのヘンテコなマントも?」

「これは倒れていたときから着ていたみたいなんです。確かに形はちょっと変ですけど、逆に自分を知ってる人を捜す手掛かりになるんじゃないかと」

「ふうん…………もうこっち向いていいわよ」

 向き直ったフェイムのマントを改めて見てみる。ボタンや装飾といった飾りは一切なく、そもそも分かれ目がない。胸のところを残して裾から深い切れ目があるから前が開くのであって、マント自体は一枚の生地でできている。

 このマントと自分の銀のクロース―――対極にあるようで同等にも感じられるのは、なぜなのか。

「ま、人生色々あるのね………それで、どこまでついてくるつもり?」

「特に何も考えていません」

「ってアンタねぇ……じゃあ何でついてきたのよ!」

「怪我をした人をそのまま放っておくのは、神父様の教えに反します」

「なら、もう治ったからさよならね」

「でも、また怪我しに行くんでしょう?」

「………ハァ…」

 頭を抱えてしまった。

「アシェルさんは、どこに、何の化け物退治に行くんですか?」

「化け物退治ってことを覚えているんなら、他はあんまり重要じゃないでしょ」

「そんなことありません。アシェルさんが無事に済むかどうかわかりませんし」

「大きなお世話よ!!」

 剣で殴ってやろうかと思ったが、さっき鯉口を切ったままだったことを思い出して慌てて手を引いた。

 何かコイツと話していると疲れる……。さっさと話してしまったほうが早いかもしれない。どうせ聞かれたところで、このフェイムが自分のとなることは天地がひっくり返っても無いのだろうし……。

「……不死者を追ってるの。いわゆる闇の眷属―――半分伝説のようなヤツラのことね。理由は典型的な………仇討ち。親をやられてね、仲間も一年前に殺された。その他にもたくさん」

 手元の剣を撫でる。鞘に収められていても侠気を感じさせるシルエットは、名剣というより魔剣なのかもしれない。

 しかし不死者を殺せるという点からすれば、その感触は尤もであって、当たり前の理屈だった。

「不死者っていうのはどこにでもいるものだと言われている。私たち人間は光のさす場所に、彼らは影の深い暗闇に棲み、互いに沈黙を守っている。不死者は人をさらうけど、領域を侵さなければそうそう大きな争いにはならない。でも………ま、私のところにいたヤツはね、簡単に言えばタチの悪い奴だったのよ。あれはもう、乱獲としか言いようが無かった。ことごとく喰われたあげく、死体はヤツらの仲間にも奴隷にもされずにゴミにされたわ………許せるわけがない。村の生き残りは、もう私だけになってしまったのよ!」

 そこまで吐き出して、はっと口を噤んだ。

 いけない、喋りすぎだ。初対面の人間にここまで話す必要はなかった。でも一度封印を解いてしまえば、堰を切ったように溢れ出してしまう。不死者と戦う者が感情を顕にしてはならない。すべての感情は、ヤツラに付け入る隙を与えてしまう。

 どことなく気まずい心持でチラリと見ると、フェイムと目が合った。フェイムは………特にどんな表情もしていなかったように思う。それが楽でもあった。

「アシェルさんの目的はわかりました。でも不死者相手は分が悪いのではないでしょうか。勝ったことはあるのですか?」

「う…………」

 惨敗したことはすでに証明済みだ。

「……使い魔程度になら十分勝てるわ」

「それでは返り討ちに合ってしまいます。神父様が仰っていました。専門の退魔士でも、不死者と渡り合えるのはほんの一握りだと。そもそも自分とそんなに歳の変わらなさそうなアシェルさんが、人間としてどれほど強いのか……」

「うるさい!!」

 握り拳で地面を思い切り叩いた。

「強かろうが弱かろうが、死んでもヤツラは殺すのよ!!」

「死を受け入れたものは奇跡から見放される―――」

「! それも『神父様が仰っていました』?」

「そうです。でも実際に目の当たりにしたこともあります」

「…………………」

 それは自分も見てきた。絶望し、死を受け入れた人間は皆死んだ。助かった者は……

(……私だけか)

 呪われた生き残り……命を賭けてヤツらを呪って何が悪い……!

「やっぱり―――」

「やっぱり僕も一緒に行きます」

「な…っ!?」

 口にしようとしていたこととまるっきり逆のことを言われて、次の言葉が喉に詰まった。

「一緒に来てどうすんの!? まさかとは思うけど、相当強い術を使えるとか……」

「いえ、できるのは傷をちょっと治すだけです」

「なら―――」

「でも―――最悪の場合に、アシェルさんを助けられるかもしれません」

「………どうやって」

「抱えて逃げるとか」

「はあ……?」

 それで逃げられるわけがない。大体、その細腕で私が抱えられるのか?

(でも………)

 「ちょっと」と謙遜していた(のかどうか、本当のところはわからない)が、自分を重傷から救った実績はある。治癒を分けて行ったのは実力不足で大した法術が使えないからなのだろうが。

どうにしろ……この法術があれば、やられても助かる可能性がある。そういう意味でなら十分に使える……。

(………ダメだ、〝使える〟なんて考えるようになったら………)

 しかし戦争においては武器と兵は力としてイコール―――それもまた事実ではあるのだ。

「……フェイム」

「はい」

「私は来るなと言ったわよ。その上で付いてくるのは勝手だけど、アンタが死にそうになっても助けないわ。逃げ遅れたり人質に捕られたりしても助けないし、助けられない。見殺しにするわ。それでもいいのね?」

「いいです。僕も無理だと感じたら、できるだけアシェルさんを助けて逃げるようにします」

「そうして頂戴」

 その夜は、フェイムが眠りにつくのを見てから横になった―――。





             ※      ※      ※





 不死者になるというのは、死ななくなるということではない。ただ、そのままではなかなか死ねないというだけだ。

 病気らしい病気にはならないし、身体は頑健。万が一怪我をしてもたちどころに回復し、重傷を負ってもを採れば何とかなる。

 ……不便なことだ。

 最初から不死力をもって生まれる者は星の数の内に一人――それも自然に誕生したのではない。九割九分九厘の不死者の出自は元・人間である。だからこそ「命がけ」という感覚を失ってしまうと、この世に存在することを持て余してしまう。

 端的に言えば、ヒマなのだ。

(そういう意味で、アロンをけしかけたのは正解だったな)

 生まれた頃からぬくぬくと育ってきた不死者のに、まさか王が倒せるとは思っていなかった。おかげで不死者の世界は大平から混乱期へと、闇の奥底で急速に変わりつつある。傍観者に徹するだけでも十分に楽しめるのだが、近頃は参加してみるのも悪くないと考え始めていた。

 その切っ掛けは、偶然手に入れた「王の一片」。これは不死者としてまだまだ若造の自分にも、十分すぎる力を与えてくれる。

「しかし、それでも世界を奪うには足りないか」

 自身の器は把握しているつもりだ。追い込まれない程度に、適当にやればよい。それが己のスタンスでもある。

「時期は………まだか?」

 早くカーテンを開けて飛び出して行きたい―――。

 不死者・シュテールは少年のような夢想に身を震わせ、帳の内側で何度も愉悦を漏らした。



 夕刻―――日暮れ時。

 逢魔が時とはよく言ったものだ。怪しさが薄っすらと、闇と共に降りてくる。

 ついに森に入ったアシェルたち。一歩進むごとに後ろを振り返るような慎重さで、ゆっくりと森の深淵へと進んでいった。

 次第に肌に纏わり付くような空気に背中が強張ってくる。なのに後ろから付いてくるフェイムは涼しい顔だった。

 ただでさえ注意しなければならない背面には、頼りない守り手…。

(本当にこれでよかったのかしら……)

 そういうこちらの不安も、フェイムはまるっきり感じ取っていないようだった。不動のマイペースぶりに、こちらの信念が揺らぎそうになる。

「アシェルさん」

「……何なの?」

「もう日が落ちてきますけど、まさか夜中に行くんですか?」

「はあ? 今さら何言ってのよ。もう途中まで来てるでしょうが」

「そうなんですが………不利なんじゃないですか? 一般的に、闇の眷属は夜に活動するといいます」

「だからよ。陽の高いうちは眠っていなくとも、身体を休めている連中が多い。その隙を突かれないように、昼間は巣の回りに結界が張り巡らされているのが普通なのよ。それを破ることは生半可なことじゃない……だから夜に行くの。虎穴に入らずんば―――ってことよ」

「そうですか」

「………ホントにわかってんの?」

 嘘でも危険を感じてくれないと困る。危機感が足りないことと注意力が足りないことは別なのかもしれないが、どちらにしろ命を落とす要因になる。

 他人を死なせまいとする心意気は立派だが、その前に本人が逝ってしまっては………やはり、間違いだったか。

「ねぇアンタ、今からでも引き返して――」

 振り返ると―――いない。

(逃げた?)

 いや、それはない。それなら一言断ってからだろう………たった一日の付き合いだが、おそらく間違いではない。しかしそうすると―――

「はぐれた……いや、さらわれた? ……ったく」

 確証はないが、今危機が迫っていることだけは確かだ。

 アシェルは枝を切り払っていたナイフを収め、息を吐きながら腰の剣を抜いた。

 闇は、密度を増している……。

 がさり……。

 音と共に現れる気配―――だがそれは、一つではなかった。




 森の深い位置に佇む館は、どうしてこれが木々に隠れていられるのだろうかと不思議に思うほどの存在感を携えていた。

 その館の最も奥の部屋で放り出された少年を目の前にして、主である青年は不恰好な下男を睨んだ。

「何だこれは。侵入してきた剣士は女だったはずだ」

「へぇ、確かにそのとおりで」

「ゴズ………鼻が利くだけが能のお前が、ついに厄介者になったか?」

「い、いえいえ、そうではございませんシュテール様………ただこの者、少し気になりまして」

「ほう? どのようにだ」

 シュテールが爪を弾いて鳴らしたのを見て、ゴズはあたふたと手を振る。

「でっ、でっでっでっ、ですから! 、この者の臭いを一度、この屋敷で嗅いだ覚えがございます」

「何……?」

 シュテールが歩み寄る……と、少年は意識を取り戻したらしい。

「ここは……どこ?」

「ここはわが屋敷だが」

「あなたは?」

「シュテールだ」

「……失礼ですが、不死者の方ですか?」

「その通りだ」

シュテールは座する少年を見下ろす。まるで子犬のようだった。

「お前の名は何という?」

「フェイムです」

「真の名か?」

「違うと思います。自分は半年前より記憶が無いので」

「半年前? ……さて……」

 考え込むシュテールはしばらく部屋を歩き回り、グラスに注いだ酒を一杯飲み干して、目を見開いた。そしてじっとりとした視線をフェイムに向ける。

「…ふむ。一つ聞こうか。フェイム殿は何が目的で我が元に向かってきていたのかね?」

「あなたを討とうとしている方を、できる範囲で手助けするために参りました」

「ははは……ハッハッハッハ! 手助けと! そうかそうか…………いかにもアイツの考えそうなことだ――――!!」

 瞬間、鈍い音が部屋を打つ。一瞬で伸びたシュテールの鋭い爪が、フェイムの腹を刺し貫いていたのだ!

「ぐふ…っ」

 フェイムは再び倒れ、爪を引き抜いたシュテールはさっと血を振り払う――なぜか珍しく、味見をしない。

「あ……あの、旦那様?」

 ゴズは状況が全く飲み込めていなかった。折角手に入れた獲物を、突然気が変わったように殺す――――それはいつもの事。だが、シュテールは意味の無いことは言わない。少なくとも、フェイムというこのの正体に思い当たったようだった。

「ふむ…………フッフッフ」

 倒れて動かないフェイムをしばらく観察していたシュテールは、少し考えた後、一応の結論に達したようだった。

「『902番』の鎖を持って来い」

「えぇっ!? そ……それはこのガキに使うんで? どう考えても必要ねぇんじゃあ……いぃいえいえ! 直ちにお持ちいたしますヘイ―――」

 ゴズは脱兎のごとく部屋を飛び出していく。

「やはりダメだな。畜生に人間程度の知恵をつけたところで、無駄にしか使えん。その点で言えば我々眷属もさして変わりないのかもしれんが………だとすれば、力が強いものが権利を行使できるのかな? まったく、を知るほどに文化人ではなくなるというのだから、困ったものだ」

 少年の頭を掴んで引き上げる。息はあるが苦悶の表情すら薄く、虚ろながシュテールの笑いを誘う。

「くっくっ……これでは人間のように、短い生を無邪気に足掻くことのほうが美しいのかもしれん。とはいえ、貴様にはどうにもわからんことだ。そうだな? 『―――』」

 シュテールが囁いた何かを聞き、少年の指先が、ぎちりと動いた。




 唸り声以上に、臭い。

(……三体)

 三体の獣人―――「」。

 最もポピュラーな化け物の一つでありながら、最も御伽噺のような存在の一つである。語り継がれてきたが、見たものはいない―――皆、食べられてしまったから。確かそんな、くだらないお話だったと思う。

 だから実際目の当たりにすると、予想以上でも以下でもない。見たままだ……前回も、今回も。

「犬が三匹か……」

 その三匹はそれぞれ牙を剥き、脚を踏み鳴らす。

「フン…我等ヲ犬ト呼ブカ、オンナ。主ニ仕エル番犬トシテハ、間違ッテハオラヌガナ」

「シカシ貴様等ニンゲンハ、『イヌ』デアル我等ノ餌ニスギンノダ!」

「主ノ命サエナケレバ、先日モ見逃シハシナカッタ」

「鼻だけでなく口も利くとは、感心なことね……」

 挑発の間も視線は外さない。そして殺気を張り巡らし、気配は消す。

「ホウ、ニンゲンニシテハ意外ナ………若イオンナトハ思エヌ」

「シカシ、ソレガ勝算カ? 我等相手ニ三十秒トモタナカッタ貴様ノ」

「貴様等ト我等眷属ノ間ニハ、絶対ニ超エラレナイ身体能力ノ差トイウモノガアル。カ細イオンナノ肉体デハナオサラノコト―――」

「ガタガタうるさい!」

 一言で、獣たちの声がピタリと止む。

「不意打ちで勝ったくらいでいい気になるな………本気でってやるから、その歯並びの悪い口を噤んでろ!」

 剣をぐっと握り締めたアシェルは極端に低い前傾姿勢、まるで剣士とは思えない構えを取る。

「ムッ…」

 人狼たちも身構える。

 獣は本能的であるがゆえに、何より用心深い。アシェルのシルエットから垣間見える脅威はおぼろげなれど、いやおぼろげだからこそ、獣の第六感が激しく警鐘を鳴らすのだ!

「――――ガァッ!!」

 人狼が三匹、図ったように走り出す―――ただしアシェルに真っ直ぐ向かわず、周りを囲むように。鬱蒼とした森の中では木々に阻まれ、最短距離を進むことはできない。故に数の優位性を活かして姿を消しつつ相手を惑わし、隙を伺う。単純に獣ではない。より有効な狩猟手段を持った、高度な獣なのだ。

 対するアシェルは微動だにせず、ゆっくり呼吸を整える。気配も臭いも感じ取るが、音は聞かない。相手に合わせることが最も己を弱くする……あえてから逸脱するのが、達人の域である。

「………………」

 アシェルに隙は無い。人狼すら躊躇させるを全方向へ、満遍なく向けている……。

 ならば、その構えを崩せばよい。それは頭で考えるまでも無く到達する結論、段階を踏むということである。生憎と肉食獣は、それをなしえるための最も効果的な連携を、血脈の中に累々と積み重ねてきているのだ。

「グゥゥアッ!!」

 を聞いたときにはもう遅い。絶対に逃れられない、半呼吸ずらした連続攻撃―――どの侵入者も例外なく葬り去った三つの爪が、急所を狙う! アシェルの神経を冷たい風が逆撫でる……!

「―――遅いッ!」

「「「!!?」」」

 体がたじろぎ、人狼の三匹は三匹とも目を丸くした。敵は確かに叫びはしたが、襲撃動作を止められるような、裂帛した気合いではない。ただ「遅い」と言っただけのはず……だというのに、景色の流れが「遅く」なる。

「っ!」

 アシェルは襲い掛かってくる三匹の隙間を縫って猛スピードで駆け抜け、木を蹴って三角跳び――――

「あぁぁっ――!!」

「グォアァァッ!??」

 人狼の一体を背後から切り伏せた。二メートル近くある巨体が身を反らせ、地に伏せる。

 その直後、一匹はアシェルに踊りかかり、一匹は躊躇……致命的な瞬間だった。

「やぁぁぁっっ!」

 激突―――。二倍以上の体重差にも関わらず、アシェルは一歩も押されなかった。その衝撃はすべて、深々と敵を貫く剣先へ収束されたのである。

 これで二匹目……。

「ハァッ、ハァッ――……」

 倒れた獣はわずかに痙攣した後に血を吐いて動かなくなったが、敵を絶命させたアシェルもまた、深手を負っていた。爪でまた左肩をやられたのである。

(くそっ……)

 まだ一匹残っているのに、抉られた傷の痛みは体の左半分に重みを感じさせる。それに何より、消耗が激しい。一呼吸で全滅させるべきだったというのに。

 アシェルはついと、殺気の焦点を残りの一匹に合わせる。〝犬〟は茫然自失となって震えていた。

「キ、キサマ……!」

「フ……二の足を踏んだおかげで助かったわね」

「一体何ヲシタ!! ドノヨウナ術ヲ使イオッタ!!? 何故ニ我等眷属ガ、貴様ノヨウナ小娘ニ一太刀デ斬リ倒サレナケレバナランノカ!!!」

「怖い? 私が……」

 剣は握ったまま、右手と歯を使ってバンダナで肩口を縛る。

 この戦いは勝ちだ。

 後は間違って咬まれないように注意して最後の詰めをすればよい………今まで以上に慎重に、何よりも一思いに―――。

「昔から剣の相手はもっぱら獣でね。多少大きさが変わったところで、苦にしないのよ」

 尻尾を縮み上がらせる犬にアシェルの凶剣が突き立てられたのは、間もなくのことだった―――。




「う…………」

 テーブルに突っ伏している少年は気が付いたらしい。反対側に座るシュテールはグラスを傾けながら、その様子を見守っていた。

「ようやくお目覚めか。えらく貧弱になったものだな」

「………てめぇ…」

 少年の声は気を失う前と同じだが、口調はまるで違う。憎しみと怒りで満ちている。そしてその瞳は、明かりのない部屋の中で爛々と輝く―――。

「フェイム殿かね…?」

「殺されたいかテメェ……腹を刺しやがって!」

「浅くしておいただろ? わざわざ起こしてやったというのに………ああ、死ぬか滅するかというところで確認する方法もあったか」

「冗談か本気かはっきりしろ。『疑わしきは』ってのが通じないのはわかっているだろ」

「そうだな、アロン」

 アロン=グランスダイト。不死者の王と人間の間にできた息子はでありながら始祖である。つまり元々人間だったのではなく、生まれたときから不死者である〝〟なのだ。

「しかし………俺でなければ、お前のガキの頃の顔などそうそう判別できなかっただろうな。そもそもお前が生きていること自体が大発見だ。…ああ、手前にあるものは適当に食べてくれ。メインディッシュはまだ着かないが」

「あん?」

「若い女だ。なかなか上物な…………お前が連れていた女だ」

「……俺じゃねぇな」

 アロンはフォークを使わず、ナイフに肉を載せて口に運ぶ。その変わらぬ手癖の悪さを見ながら、シュテールは首を傾げてみせる。

「そこがわからんのだよな。確かに、先程までのお前はお前じゃなかった。どういうことなのか……そうだな、王を倒したという辺りから教えてもらおうか」

「そんな必要があるのか?」

「起こしてやっただろう」

「…相変わらず恩着せがましいな、お前は」

 そこらに盛ってある料理を一通り摘むとアロンはナプキンで口元を拭って、コップの水を飲み干した。

「あのクソ親父をブッ倒してからな……喰ってやろうかと思ってたんだよ」

「ほう…?」

「ところがぶつけてやった法術は威力がありすぎてな、ヤツの身体はバラバラになってほとんど吹っ飛んじまった。で、胴体がちょこっと残ったんだが……」

「それをどうした?」

「だから喰ったんだよ」

「………まさか、口に入れたとかいうんじゃないだろうな」

「その通りだ」

「ハッハッハッハッハッ―――!!」

 シュテールは柄にも無く料理をこぼしてしまった。

「お前、本当のバカだろう! 頭が悪いにもホドがあるぞ! 普通は『喰う』って言ったら魔力を取り込むってことでマジで喰うことじゃないんだよ! ………くっくっく、いかんな。お前といるとついつい昔に戻ってしまう……お前がちっとも進歩しないせいだぞ」

「馬鹿にすんな」

 アロンは羊の肉がのった皿を手前に寄せる。お気に召したらしい。

「俺だって、不死者が同族の血肉を喰らえばどういうことになるかわかってるぜ。だがあの時な、咄嗟に思いついたんだよ。自分の体内に取り込むことが最も淀みなくその力を得られる………そして、奴の血を引く俺なら問題ないんじゃねぇかってな」

「………………」

 シュテールの瞳が鋭い光を帯びる。

「……それで?」

「案の定、毒だった。身体は割れ出すわ魂は溶け出すわ……冗談じゃねぇ。そんでもって願掛けでやったこともない転魂の術をやったら、これがどういうことか俺のほうがわけのわからん奴の魂を引いちまってな。まあ安定したし、最悪の事態は免れたわけなんだが………術の反動か身体は縮むし、記憶もねぇ『アイツ』のせいで俺もあまり表に出れねぇ。全く、代償は高くついたぜ」

「ふむ……代償ということは、何かを得たんだな?」

「まあな」

 アロンはニヤリと笑って胸を叩く。

「奴の心臓をもらった。調子は概ね良好だ」

「無限の魔力を生み出すといわれる心臓をか! 成る程な………もしかして、お前と一緒にいた剣士の娘―――あれの怪我もお前が治したのか?」

「あ? 何言ってやがる、俺ら不死者が法術なんか使えるわけねぇだろ。そりゃ俺は混血だから可能性はあるのかもしれねぇが………そもそも使う必要がないだろ」

「だが、王は聖者クラスが扱える法術も操れたという」

「知るかよ………だったらあの時、法術に対する反術とかしててもよさそうだけどな。噂なんだろ? 俺と同じで、聖者のリビングデッドでも使ってたんじゃねぇか」

「そうか……」

「………何を考えてやがる」

「ん?」

「目頭を押さえるときは何かを企んでいるときだ。付き合いは長いだろう?」

「………フッフッフ、そうだな」

 そう、これは企んでいるときの目―――。

 何に対して? 深く裏を読むまでもない……アロンに対して、だ。

「微かに聞こえるぞシュッテ。迷いが」

「ふむ………お前の『耳』は特別だからな」

「テメェのことだ、いろいろ計算してるんだろうよ」

「別に隠すつもりじゃないが」

 シュテールが椅子から立ち上がる。窓辺に立って星明りを浴びてもその姿は黒く、暗かった。

「知っているか――いや、わかっているかアロン。今、闇の世界は一触即発の混沌期だ」

「王が倒れたからな」

「そうだ。そして倒したお前は行方不明………闇を統べる者がいなくなった。化生の類の中でも不死族は怠惰な種だ。しかし、永年飢えてもいる……。王がいなくなるということは、そのタガが外れるということ。それこそ、本能のままに飛び回ってしまう。明日に争いが起こるのか、百年後に起こるのかはわからないが、起こることだけは確実だ。ならばそのとき、自分はどうするべきか?」

「………端的に言え」

「そうしよう」

 アロンに向けられるシュテールの目は友としてではなく、一人の若き策謀家としての、鋭い眼差しだった。

「アロン。お前はこれからどうする?」

「俺が王になるといったら、お前は俺に付くのか?」

「どうするかと聞いている」

「そうさな……」

 肉を口に運ぶ。皿は空になった。

「とりあえずこの身体を何とかする。これじゃいくら『王の心臓』でも力を使い切れないからな。それと平行して王の欠片を探すといった具合か。ヤツからすべてを奪わなけりゃ、倒しても意味がない」

「王になるつもりは――?」

「あんまり興味がねぇな…。王っていっても、俺らの王は政治なんてしないだろ? 結局は一番強い奴が王と呼ばれるだけだ。俺にとってはついでだな」

「………………」

「クク………シュッテよ」

「……何だ」

「実はそんなに迷ってねぇだろ」

 暗がりの向こうで、シュテールの口元が動揺に歪んだのがはっきり見えた。

「フン……ダメだぜシュッテ。冗談半分でも王を倒すように嗾けただろ? だったらその後のことまで気を回しとかないとなあ?」

「…まさかお前が勝つなんて思ってなかったんだよ。それこそ冗談半分、面白半分の余興のつもりだった。俺はただ、この闇の世界がほんの少し揺れるのを見たかったんだよ。なのにあろうことか、お前は世界を砕いちまいやがって………おかげで俺のような半端者は大慌てだ」

 シュテールはグラスを傾けて酒を床に垂らした。絨毯に赤い染みが広がっていく。

「王に政治は必要ないと言ったな。それは違う。最もルールのない不死族だからこそ、最も知恵が必要だ。お前の父親は最恐と呼ばれたが、絶対的な掟として、力も頭脳も最高だったよ。お前に足りない政治的な力は俺が補佐してもいいと思うが、肝心のお前に王になる意志がないのなら仕方がない」

「矛盾してるぜ。絶対というなら掟は一つ、王は一人だ。一人だからこそ、誰もが従うんだろ」

「……そのとおりだな。そう言うお前だからこそ王にふさわしいと思うが……あきらめるとしよう。しかし、そうするとだ―――方針を変えなくてはならない」

 シュテールはグラスを落とし、アロンはナイフを取る。

「よせよ………気を遣っているフリをするのはいい加減止めろ、ムカつくだけだ。俺の素っ首と『王の欠片』を持参すれば万々歳なんだろ?」

「そうだ。この争乱の鍵となるのは散らばった王の断片、王の力の欠片……それをどれだけ集められるかが重要なポイントとなる。核である心臓があれば、優位に立てることは間違いない」

「ヘっ、お前も冴えねぇな」

「む…?」

 ナイフをテーブルに突き立て、皿が割れる。

「欠片は欠片だろ。いくら集めたって足りなかったら欠片なんだよ。そんなもんにどれほどの意味がある?」

「………勿体無い。本当に残念なことだ………が、お別れだ」

 シュテールが爪を鳴らす。すると床・壁・天井と、八方から伸びた影がアロンを取り囲んだ。黒い風のような線は大きな四角い黒金の輪となって、アロンを雁字搦めに拘束する。

「『902番』の鎖かよ、いいモン持ってんな。だけどな…!」

 纏った黒マントが逆剥けるように反り返ると、鎖はあっさりと弾けとんだ。浮き上がってはためくマントはまるで黒い翼のように―――

「――そうか、それは『王の羽』だな!! しかし―――!!」

 続いて襲い掛かってくる一撃は、変則的に死角を突いてきた。蛇のような影がするりと抜けるように、金属の突起がアロンのわき腹を食い破った。

「ぐあ……っ」

「避けられなかったか……もっとも、そうでなくては困るのだがな」

 ぬらりと銀が流れる蛇腹の鞭。その尾にあたる部分をシュテールが握っていた。

「これは『王の腸』だ。お前のその『羽』と同じように、欠片は様々な呪具へ変化しているようだな。そしてそれぞれに王の能力が秘められている。この鞭はだな……」

 編みこまれたような蛇腹の口が薄く開き、赤い液が滲んで漏れ出してくる……。

「ち……」

「ハハハ…そうだ、これは血を吸う! 我々眷族は強靭な肉体と精神を持ち、なかなか滅ぶことはない。だから我々が同族を屠る手段もそう多くはない。再生できないまでに粉々にするか、相手に牙を打ち立てるか。前者はともかくとして、元来吸血種が同族に牙を打ち立てたところで、自分が相手より格下であればほとんど意味がない。俺たちの場合もそう、王の直系の息子であるお前のほうが血位が高いのは当たり前だ。自分より血位が上のものを倒すことができないのが『血脈』のルール……ところが、この鞭は便利なものだ」

 シュテールが鞭を捻るように動かすと、アロンに喰い込んだ鞭が抉りこむように深く潜っていく。

「くそっ……!」

「引き抜こうとしても無駄だ。この鞭は刺さっているのではなく噛み付いている。そして相手の血を飲みつくし、魔力に転換する。考えてみれば盲点ではある………人の血を糧にする我々が同族の血を吸うことを恐れるのは血脈という毒を恐れてのことだが、逆に血をすべて奪われれば滅びに至るのは道理……。ならばこれは己の血位に関係なく同族を葬り去れる、まさに『不死者殺し』ということだ」

 シュテールが心地よく解説している間にも血は吸いだされ、鞭は赤い命を垂れ流していく。鞭を断つにも引き抜くにも力が足りない。「フェイム」がシュテールから受けたダメージが大きく響いているのだ。

「くぁっ…」

 アロンはついに倒れた。身動き一つしない……。

「………意外とあっけなかったな……」

 鞭の柄を手放す。

 静寂を取り戻した部屋で漏らす感想は、あまりに空しかった。

「昔のお前は身に余る凶力を存分に振るい、身を切られても敵の喉笛を食いちぎるような男だった………最悪、俺は刺し違えるつもりだったんだぞ」

 同程度の能力は持っていたはずだ。質は違えど、常に肩を並べて立っていた。だが、勝てるはずはなかった。一度たりとてアロンに勝ることはなかった。今回だってそのはずだった。いくら不完全な状態であれ、手傷を負っているとはいえ、自分が勝つことはなかったはずなのだ。

いや、これは………勝ったのだろうか……?

「そんだけの覚悟があるんならな………」

 闇からの声がはっきりと、疑問に答えてくれる。

「どうして素手でこなかったんだよ、シュッテ。見ろ……」

 いつの間にか、絨毯に染みていた真っ赤な鮮血を鞭が吸い込んでいる。その蛇腹の口が満足げに薄く開くと、ひとりでに跳ね、アロンの手に納まった。

「お前がそんな中途半端だから、コイツが俺を王だと勘違いしてしまったみたいだぜ」

「……そうか」

 そうだ。今さらなのだ。身に染みすぎていて、全く見えていなかった。

「そういうことか……」

 単純なこと―――。

 血統の差などではない。生まれの差でもない。器が違っただけだ――――。



 部屋に足を踏み入れたアシェルは、この異様な光景をどのように理解すればいいのかわからなかった。

 飛び込んだ屋敷には、森で倒した番犬ほどの強さを持った眷族はいなかった。向かってくるものを五~六匹切り倒し、抵抗しないものはほとんどが魔力によって隷属させられた従者だったので無視することにした。

 そして最も影の濃いこの部屋へとたどり着いたのだが………。

 捜していたものが、すべてあった。

 フェイムと、不死者。ただし片方は傷を負って気を失っており、片方は干からびて半分灰になっていた。

(どういうことなのよ、これは……!)

 気を失ったままのフェイムを背負って屋敷を出て、昨晩の寝床だった岩場までたどり着いても、気持ちの悪い疑惑が胸の奥でずっと暴れまわっていた。

 フェイムが不死者を倒したとは考えられない……と思う。アシェルが戦った番犬の主であるのだから、当然実力は三匹より上だろう。

 例えばフェイムが何らかの力を隠し持っていたとして、不死者を倒せるほどの術を扱えたのなら、自分の身体を一度に治せていてもおかしくはない。

 さらに気になるのはもう一つ……不死者のあの滅し様だ。融けたり灰になったりするのはまだわかるのだが、干からびるというのは聞いた事もない。

 血や体液を吸うなどというのは闇の眷族が操る魔術だが、「血脈」の都合上、吸血種が同族の血を安易に吸ったりすることはない。念のためにフェイムの全身を調べてみたが、不死者の印である咬まれた跡はなかった。ただ、出血の跡の割りにそれほど深い傷がなかったのも気になる。

 致命傷を負ったが自分の術で治した―――なんてのは、明らかに矛盾している。

(やっぱり第三者がいて、その争いに巻き込まれたっていうのが現実的か……)

 しっくりこないが、これ以上考えてもどうしようもない。

「う………」

「! 気が付いた?」

「……はい…?」

 むくりと起き上がるフェイム。腹の怪我を除けば、身体のほうは取り立てて異常はないようだ。

「……どうして上半身は何も着ていないんでしょうか」

「アンタが怪我してるから応急処置しようと思ったのよ……もう血は止まってるみたいだけどね。服は結構血が付いていたから洗って、今乾かしているわ。寒かったらあのヘンテコなマントでも羽織ったら?」

「そうします」

 全身をすっぽり覆うくせに開き目のない黒マント。なのにフェイムは何の抵抗もなくしゅるりと身に纏う。

「……アンタ、記憶はある? 不死者の館の中で倒れてたんだけど」

「そうですね…………あ、一つ思い出しました。不死者の方にいきなり腹を刺されました」

「へぇー…………何で?」

「理由まではちょっと…」

「違う。何で生きてるの?」

「え!? いや、それこそ本当にわからないんですけど……」

 ……無抵抗でやられて、即座に気絶したわけか。

「いい? あったことをそのまま話して。順を追っていくわよ……まず、アンタは森で連れ去られた。覚えてる?」

「そのとき一回気を失いました」

「…それで、どこで目が覚めた?」

「不死者の館ではないでしょうか。いかにも主といったの人がいました」

「そいつはそのときアンタに何をしたの?」

「僕の名前を尋ねました」

「…!? それで?」

「森に入った理由を問われたので、アシェルさんを助けるためだと答えたら、刺されました」

「………アホか」

 これもきっと嘘ではないのだろう…。これで誤魔化しているつもりなら大したものだが、残念ながらそんな怪しさは微塵も感じられない。きちんと言われたとおり、作業的に答えただけだろう。

「―――あ!」

 突然フェイムが大声をあげる。

「な、何…!? 何か思い出した!?」

「アシェルさん、また肩を怪我してるじゃないですか」

「あ? ああ……そんなこと」

「『そんなこと』じゃありません。包帯も巻かずに……動かないで下さい」

 フェイムが傷口に手を翳すと以前同様、輝きが傷を癒す―――と、ここでアシェルは一つ気付く。

「ちょっと。服の上からでも治せるわけ?」

「傷さえ見えればいいみたいです」

「だったら昨日、脱ぐ必要なかったじゃないの!」

「脱いでくださいとは言ってませんでしたけど」

 ……その通り。 

「終わりました」

「あぁそう、ありがと! ついでに自分の傷も治したら!?」

「ああ、そうですね」

「そうですねって……アンタねぇ…」

 フェイムが自分の腹に手を添えて法術を発動させる―――のだが……

「……あれ? おかしいですね…」

 うっすらと血の滲んだままの傷は少しも口を閉じようとしない。

「初めてやるんですけど、自分には効かないんでしょうか」

「まさか………その傷は何でやられたの?」

「爪です。あれ、こっちのは………いつだろう?」

 おそらく正面から受けたであろう臍の周りの傷。これは爪と言われて納得できる。だが横っ腹のほうは傷口が広い。何か……棒か槍のようなもので突かれたらこんな感じだろうか。

(毒? それとも呪いか……?)

 こればかりは、しばらく様子を見ないとわからないな……。

「……よし。アンタ、西へ向かうって言ってたわね。私もしばらく一緒に行くわ」

「え!? ………本気ですか?」

「何よその言い方は。イヤなら別にいいわよ」

「嫌ではありませんが、少し意外だったので。僕の方は別に構いません」

「あのね、『別に』とかは余計でしょ。本当にどっちでもいいと思ってるんだろうけど、そういうのはちょっと傷つくのよ」

「治しましょうか?」

「冗談で言ってるなら思いっきり殴る。本気で言ってるなら嫌になるくらい殴る………やっぱやめとくわ、どっちにしてもアンタ死にそうだし」




 こうして、フェイムと日暮れへの旅をすることになったのだった―――。




 もしアルタナシリーズを読んでくださっている方は混乱させてすみません。この作品は試しに上げてみたオリジナル作品です。かなり昔に書いたもので、あまりにも中二病っぽいのですが、一周回ってこれもイイかなと(笑)。

 現在のところ続けて更新の予定はありませんが、感想などいただけたらありがたいです。

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