兄の誘拐
サイドテーブルに置いた目覚まし時計が、8:00を指すと同時に電子音を鳴らす。布団の中で丸まるように寝ていた彼は、もぞもぞと布団の中で身動ぎし、のろのろと布団から手だけ出して目覚まし時計を止める。それからしばらくして彼は大きな欠伸をしながら布団から這い出る。
眠い目を擦りながら彼―吉田春人はリビングにある食卓へと辿り着くと、テーブルの上に置いてあるメモに目を通す。
「おはよう春人!お兄ちゃん今日帰りおそくなりそう(><)ごめんね春人!朝ごはんはそこにおいてあるトースト食べてくれる?ではいってきます! 春樹より」
春人はすっかり冷めたトーストにイチゴジャムをつけてもそもそと頬張り、春人の双子の兄、春樹からの書置きを睨みながら食事を終える。
正常な学生であれば、このあと慌ただしく登校の支度をするのだろうが、生憎春人は正常な学生ではない。いわゆる引き篭りというやつだ。そのまま春人は自室に戻り、再度布団を被り、すやすやと寝入る。
兄、春樹は大学一年生だ。そして俺、春人は高校三年生。兄貴が生まれたのが4月1日23:58、俺が生まれたのが4月2日0:02であるから、双子でも一学年差が出来た。
幼い頃父親を病気で亡くし、相次いで母親も自殺した。生活費や学費などの金は親戚がどうにか振り込んでくれているが、いつまで続くかわからない。中学生に上がるまでは二人共従兄弟の家にいたが、兄貴が中学生になったとき二人でここに引っ越してきた。当初は叔母たちも週一回この家を訪れて世話をしていたが、俺も中学生になると、それまでいろいろお節介を焼いた叔母たちもこの家を訪れる回数は段々と減り、今では1年に一度来るか来ないかぐらいになった。実際、兄貴はもう大学生だし、俺も来年は高校を卒業する。そろそろ自分で生活費ぐらい稼がないといけないのかもしれない。
プルルルルルルル
電話の音で目を覚ました。誰か早く出てくれよ、と寝ぼけた頭で一瞬考えるが、今家には自分しかいないことに気付くと、ガバリと身を起こした。時計は20:30を指している。
(兄貴はまだ帰ってないのか)
のろのろと自己主張を続ける家の固定電話を手に取る。表示された番号は非通知だった。
「はい、吉田です」
「あっ、春人か?俺だ、春樹だ」
電話の相手は兄貴だった。
「兄貴?まだ帰らないの?いい加減帰って…」
「春人、落ち着いて聞いてくれ」
俺の心配する声を遮って、兄貴は声のトーンを低くして続けた。
「お兄ちゃんな、誘拐されちゃった!」
「…は?」
「ま、まあ、驚くのはわかる。何しろ俺が一番驚いてんだ」
「誘拐って…え?兄貴が?」
「ああ。大学出て、スーパーで買物しようと思って歩いてたらなんか路地裏に引き込まれちゃってさー。そんで無理矢理車に乗せられて、今どっかの山奥の小屋みたいなとこにいる」
「はぁ?なんで、兄貴もう大学生だろ?」
「そうなんだよなー。なんで俺なんだろ」
「それが本当なら、とっとと警察にでも何にでも電話しろよ」
「あ、警察はダメだ!通報したら即殺すって言われた!」
俺は驚きを通り越して呆れた。なんでそんな明るいんだよ。もっと落ち込んで怯えてる様に言わないと信憑性がないだろ。
「…で、なんで俺に電話したの」
「決まってるじゃないか。助けを求めてるんだよ!お兄ちゃんもな、大好きな可愛い可愛い我が愛しの弟を危ない目に遭わせまいと必死であれこれ考えてたんだが、これしかないんだよ…」
うわ、痛々しいブラコンっぷりだ。
「なんで俺が。兄貴の友達とかどうしたんだよ。俺よりもっと頼れる人いるだろ」
「携帯取られちゃて電話できないんだよー。今春人に電話できてるのは小屋に古ぼけた携帯電話があったおかげなんだよ。俺、自宅の電話番号しかおぼえてないし」
信憑性は全くないが、こんなに遅くなっても兄貴が帰ってこないのはちょっと不思議だ。いつもはどんなに遅くなったって19時前には必ず家に着いてるはずなのだが。…探しに行ってやるか。
「んで、今どこにいんの。探すっつったって宛がないんじゃどうにもならないだろ」
「おお!探しに来てくれるのか!!ありがとう春人!愛してる!!」
相変わらず気持ち悪い。
「うーん、でも…俺もここがどこだかわかんないし」
「は!?」
「あっちょっと待って怒んないで!仕方ないだろー、車の中じゃ目隠しされてて混乱してたし、相手が何人いたのかすらわからなかったし」
「はー…もう意味分かんね。匂いとかで今いる場所くらいわかんねえの?」
「あっそうか、ちょっと待ってて」
しばらく電話の向こうが静かになる。少しだけ小鳥の鳴き声と小川の流れる音が聞こえた。
「うーんと…なんだろこれ、…花?菜の花みたいな感じの」
「菜の花、ね。山の中の菜の花畑の近くってとこか」
「おお、すごいな春人!さすがお兄ちゃんの弟だ!」
無視して続ける。
「誘拐されたのはどこだ?」
「えーと、俺んとこの大学出て、正面にまっすぐ行くだろ?で、最初の曲がり角を右に曲がってしばらくまっすぐ行ったとこ」
「兄貴の他に誰かいたか?」
「あ、うん居た。小学生低学年くらいの男の子で、髪が銀髪で瞳が赤かった」
「は?なにそれ、外国人?」
「いや、日本語喋ってたからハーフとかそこらへんかな?」
「ふーん、まいいや。じゃ、今から探しに行くから、切るぞ」
「あっ、ちょっ、待って!春人金持ってないだろ?なかったら母さんが遺してった金使っていいからな。俺の部屋にある本棚に赤い背表紙の天文学書がある。その中に多分入ってるから」
「うん、わかった。じゃな」
自分の部屋の隣にある兄貴の部屋に入る。いかにも真面目そうな清楚な部屋だ。
「どれだ?…あ、これか」
勉強机の脇にある本棚に目をやると確かに赤い背表紙の分厚い本があった。手にとってパラパラとめくると薄い封筒が間に挟まっていた。諭吉が十人か。まあ足りるだろう。
(兄貴の服借りてくか)
俺は外出用の服を持っていない。ましてや冬服など一つもない。兄貴のタンスを漁り、自分に丁度良さそうなものを適当に引っ張り出す。着ていた部屋着を脱いで兄貴の服に身を包む。
(こんなもんか)
ついでに兄貴のダッフルコートも拝借する。諭吉を財布にぐしゃぐしゃに仕舞うと部屋を後にした。
初投稿です。初心者です。温かい目で読んでください…