9羽 証明
1週間。短いようで長い日々の間に、チキはロランと老執事のリチャード、それから侍女長ロレーヌと洗濯長マーサにしごかれて、人並みの食事をとることができるようになった。
それはもう周りの人々の涙ぐましい努力によってである。
ジェームズはチキに暴れてはいけないこと、暴力をむやみに振るってはいけないことを徹底的に教え込み、初めてまともな食事ができた6日目は思わず涙した。それほど初めはひどかったのだ。
そしてようやく迎えたこの日。
チキは皆に見つめられ、落ちつかない様子で部屋を行ったり来たり。窓の外の太陽がゆっくりと地平線に吸い込まれると、ぴたりと足を止めた。
使用人達の目が爛々と輝き、優雅にお茶するロランも身を乗り出す。
「あっ」
ぽむっと軽い音を立ててチキのいた場所にニワトリが一匹現れた。
部屋のどこを見渡してもチキはおらず、チキの着ていた服は床にそのまま落ちている。
「間違いなく魔法生物だったな」
ロランが席を立ち、尾の黒いニワトリに近づくと、そのニワトリを捕まえようとして蹴りを入れられた。
「まさか私のことを覚えていないとか…?」
軽いショックを覚えて呆然と立ち尽くすロランに、ジェームズが首を横に振る。
「尾黒は自分を捕まえられた奴にしか触らせてくれないんですよ。自分からはいいらしいんですがね」
チキはふんっと胸を張る。
人間の時は人間のルールに従うとして、ニワトリの時ぐらいは自由が欲しいものなのだ。だから自分を捕えることもできないような弱い奴には従わないっとばかりに、次々と手を伸ばす使用人達の手をすいすいと逃れる。
「なるほど、それはそれで挑戦する価値があるな」
既に使用人の一部が躍起になっている。だが、やはり人間と違って小さく、掴むところがなくて苦戦を強いられているようだ。
ロランは腕まくりすると、ギラリと目を光らせた。
「コッ」
チキは不穏な空気を感じてロランの方へ向き直り、じりじりと迫ってくるロランを睨む。
「このわしの威圧に耐えるニワトリは珍しいぞチキ。だが、わしはお前に触りたいのだ」
後半に本音をぶちまけ、さらに迫る。
「コッコッコッコッコッ(人間には負けないっ)」
両者の睨みあいは激しく、使用人達がごくりと喉を鳴らす。
カーンッと戦いのゴングが鳴らされた…ような錯覚を受け、両者が足を踏み込んだ。
宙を舞い、するりとロランの手をすり抜けたかと思うと、その顔面に着地したニワトリは、ギラッと目を輝かせたかと思うと、お前はキツツキかと言いたくなるような素早さでロランの額に嘴攻撃を繰り出した。
「「「だ、旦那様っっ!」」」
たらりと垂れる血。青ざめるジェームズ。慌てふためく使用人達。
チキはスタッと床に華麗に着地すると、むふーっと鼻息荒く、どや顔で振り返った。
「わ、わしが負けるとはっ」
がくぅっと床にうなだれたロランに使用人達が駆け寄り、すぐさま手当てに走る。もちろん手加減はされているので血が出たと言ってもちょびっとだ。
「チキッ、ニワトリになったからって暴力は駄目だろうがっ」
その後ジェームズは昏々とチキを諭すが、ニワトリにはニワトリのルールがあるのだとばかりにチキは無視した。
実を言えば、この屋敷に一週間留まったことで、愛しい人に会えない思いが募り、おまけに慣れぬマナー講座もあってストレスがたまっていたりもする。
ロランは完全な八つ当たりにあったといえよう。
チキはてけてけとベッドまで歩み寄ると、飛び上がってその枕の上にぽふっと座り込んだ。
「ふぅむ、なかなか可愛いですな」
チキの傍まで歩み寄った老執事リチャードは、じっとチキと見つめあった後、次の瞬間にはチキを抱き上げていた。
あまりに突然のことでチキ硬直…。
「リ、リ、リ、リチャード、なぜおまえチキを持てるのだっ」
手当てを受けるロランは悔しげに震えて彼を指さしながら喚きだし、使用人達は唖然とする。
あのロランが本気でかかってこの体たらくだったというのに、いくらチキが休憩モードに入ったとはいえ、見つめあっていた最中にあっさりとチキを捕えたリチャードに驚きを隠せない。
リチャードは硬直するチキを両手で持ったまま、「ふむ」と頷いた。
「うちの実家は農場でしたので」
いや、その農場主でもチキは捕まえられなかったとジェームズは思ったが、さらに落ち込むロランを見てそれは言わずにおいたのだった。
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とにもかくにも、チキがニワトリであると証明されたことで、翌日ジェームズとチキはロランに呼び出されることになった。
「実は相談したいことがあってな」
切り出したロランはリチャードから一枚の紙を渡される。
トレーに乗せられた一枚の紙は、ジェームズの目から見ても高級紙であり、その紙の上部に大公家の紋章が大きく描かれているところを見れば、ただの紙などではないことが知れる。
ロランはその紙の内容を一読し、リチャードがそれをもう一度受け取って今度はジェームズに渡した。
嫌な予感がしながらも、ジェームズはその紙に書かれた内容を一読し、目を丸くした。
「冗談では?」
「いや、チキさえよければ進めたい」
ジェームズは真剣なロランの表情を見た後、不思議そうにこちらを見上げるチキを見て、紙にもう一度目を落とし、そしてもう一度チキを見た。
「何?」
チキが意味が分からずムッと膨れる。
「チキ…ロラン様の孫になるか?」
「え、やだよ。チキ騎士様に会いたいもん」
きょとんとした顔で即答である。だが、ロランはそれに苦笑いを浮かべて告げた。
「チキの話を聞いて、思い浮かぶ騎士が一人いるのだ。その男は…まぁ、間違いなく独身で、貴族だが婚約者がいない。だが、家のために結婚を迫られておる最中でな、チキが会いに行ってもおそらく平民ということで家の方に相手にされぬ。そこで、だ、わしの孫になることで後ろ盾を作り、せめて他の貴族の女達と同じ土俵に上げようという提案なのだが」
「それはチキが騎士様に会えるってこと?」
難しくてよくわからず尋ねれば、三人が頷きを返す。
「会えるし、紹介もしてやれる。わしの孫ならば結婚もできるぞ」
結婚ができないという理由の方がよくわからないが、人間にはルールがあるので今のままのチキでは結婚=排卵ができないのだとなんとなく理解する。
チキはあの人の卵が産みたいし…
「じゃあ、マゴになるよ。で、どうやってマゴに変身するの?」
根本的なことは実はわかっていないチキであった・・・・
チキは権力を手に入れた!
チキ「権力って何?」
ロラン「うまいものが食えるようになるということだ」
チキ「そうなのかー」
リチャード「・・・・それでいいのか悪いのか判断つきかねます旦那様」
ロラン「・・・いい・・んじゃないか?」