7羽 お風呂
聞いて極楽見て地獄 お風呂は恐ろしい場所だった。
そういえばお風呂って入ったことないや~。
チキは侍女達に取り囲まれて緊張していたが、村の人々が話すお風呂談義はいつだって楽しそうで気持ちよさそうだったので、わくわくしはじめていた。
通されたのはもやっと視界の煙る部屋。
贅沢にもこの屋敷のお風呂は温泉を引いているらしく、20人は入れそうな浴槽が部屋の半分を占め、片隅にはそのお湯がなみなみと注がれた猫足のバスタブが置いてあった。
「温泉に入る前に汚れを落としてしまいましょう」
「お嬢様、お召し物をお預かりします」
脱ぐことよりも着ることに抵抗があるチキは、すぱぱぱぱ~んっと豪快に服を脱ぎ捨て、大きな浴槽にダッシュしようとして肩を掴まれる。
「まずは汚れを落としてから、ですわ」
どうやら猫足バスタブは汚れを落とす用らしく、チキはそちらに連れて行かれて湯の中に入った。
水が熱い!
水は冷たいものだと思っていたチキには適温であるそのお湯は驚きで、出ようと足を戻しかけ…
「肩まで浸かってくださいませ」
じゃぼんっと侍女達に押し込まれ、風呂の中に泡の出る液体を注がれる。
臭いは薔薇の香り。
しかし、鼻のいいチキにはこれは拷問に等しかった。
肩を抑えられ、じゃぶじゃぶと泡立てられて体をこすりあげられる。それでも少しは我慢した(1分くらいは)。結局臭いに耐えられず、侍女達の手を跳ね除ける形で立ち上がると、彼女達の頭上を飛び越え、泡をまき散らしながら逃げ出したのだ。
これには侍女達も驚き、しばし固まっていたが、部屋を出る扉が開かれたときにははっとしてバスローブを手に負いかけ始めた。
そして、現在に至る。
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「屋敷を飛び出されてはデルフォード家の醜聞ですっ、全ての扉を閉鎖なさいっ!」
呆気にとられる屋敷の主人ロラン、老執事、ジェームズの横を通り、侍女長がテキパキ支持していく。
「屋敷内が戦時中のようだな」
ロランがぽつりと呟けば、老執事は頷いてちらりと侍従達に目線をやる。
さすがに屋敷からまだ成長途上とはいえ裸の娘が飛び出て言ったらロランの醜聞になりかねない。ゆえに、侍女長と同じ判断で扉を守れと目で指示したのだ。
侍従達は荷物を運ぶ者達数名を残し、慌てて動き出した。
「す、すみません」
ジェームズは小さくなって謝る。
彼自身は飼い主でもなければ親でもない、謝る必要はないのだが、あの不思議ニワトリに付き合ってしまうようなお人よしだ、ついつい謝ってしまう。
「楽しくていい。屋敷が活気に満ちるのは久しいな」
「旦那様がお笑いになるのも久しぶりでございますよ」
すかさず老執事が告げて微笑む。
「そうだったか…」
あとで聞いた話だが、この屋敷の女主であるロランの妻と、彼の一人娘は5年前に流行病で亡くなっていた。それ以来、屋敷は火が落ちたように静まり返り、ロランもあまり笑うことがなくなっていたのだ。
いまは、静まり返るどこらかあちこちで怒声と悲鳴と雄たけびのようなものが聞こえるが…。
ジェームズはそのまま老執事に部屋へ案内され、叫び声に恐縮しながらも静かに黙々と汚れを落とし、ロランも臣下に叱られないよういつも以上に身綺麗にしたのだった。
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叫び声が収まって数十分後…
結果から言えば、チキは捕まって問答無用で洗われた。
「ぐるぐるする~」
追いかけまわされ、殺気立った侍女達にもみくちゃにされ、最終的に洗濯長の恰幅の良いおばさんに捕まって洗い上げられた時には、もう何が何だか分からなくなっていた。
いまもぐらんぐらんする視界に呻きながら、ふわふわのフリルの付いたドレスを身にまとったチキが食堂に入った。
「なかなか似合っておるではないか」
ロランが席を立ち、ジェームズも倣って席を立つ。
チキは席を立った二人を眺め、首を傾げた。
「なんで立つの? 座ってていいよ」
チキはマナーというものを知らない。それはこれから嫌というほど知らされるが、ロランはうんうんと肯いてチキの元まで歩み寄り、その手を取った。
「淑女というのはこうしてエスコートされるものなのだ。騎士と付き合いたければ学ばねばな」
チキの目がきらりと光る。
「わかった。こうでしょ?」
チキは町で見た男女がしていたようにロランの腕に腕をからめ、寄り添ってみるが、ロランに笑われた。
「それは食事の席ではいかんな。こう手を重ねるだけだ。で、男が椅子を引いたら席に着く」
チキはふんふんと前向きに学んでいるようで、ハラハラと見ていたジェームズも彼女が座るとほっと肩の力を抜いた。
「では食事にしよう。リチャード、頼む」
リチャードと呼ばれたのは老執事だ。彼は慣れた様子で若者達を動かし、食事をサーブしていく。
初めは前菜。
色とりどりの野菜はチキの好む「葉っぱ」だ。
チキはジェームズから朝学んだお祈りのポーズである『手を組む』というのをすると、二秒ほど目を閉じた後、その手をほどいた。
そこでジェームズがはっと我に返った。
「チキ、まっ」
待て、と言おうとしたが、時すでに遅し。
チキは、皆が見ている前で皿に直接口を落とし、葉っぱに齧りついていたのだ。
ジェームズが今までに与えたのはサンドイッチのような手でつかんで食べられるものばかりで、まだチキにまともな食事の仕方を教えていなかったのだ。
「にゃに?」
チキがシャクシャク野菜を齧りながら食べていく姿に、ロランは苦笑いを浮かべて
「教育が必要だな」
と呟いた。