69羽 時を告げる
「テレジアの目的が復讐…」
全員が使者の男に警戒する中、チキはテレジアの旦那だという男の絵が入ったロケットペンダントを見下ろし、テレジアへと視線を移した。
ユリウスを失えばチキは同じことをする。だが、それがしてはいけないことだというのもチキは知っている。
今度は背後に立つマリーへと視線を向けた。
(殺されたからと言って同じ気持ちの人間は増やしちゃいけない)
チキはぐっとペンダントを握りしめた。
男はユリウスの背にかばわれるチキを目線で追いながら、その覚悟が目に浮かび上がるのを確認してあるものを放り投げた。
ボトリと床に落ちたのは黒と白の縞模様の蛇が一匹だ。
「この子…」
すでに動かない蛇は、もう事切れているようだ。
男と共にいたのは2番と15番。なぜか一匹しかいないけれど、あの二人のうちのどちらかだろう。
「テレジアに伝言がある。お前なら正気に戻せるだろう? 戻してやってくれ」
そういって男が見上げたのは、すでに理性のない巨大な蛇だ。
マリーに縫い止められた蛇の尾はいまだそのままで、動けば動くほどに傷が深まるというのに、それすら気にしていない様子だ。
チキがギュッとユリウスの服を掴むと、ユリウスが心配そうに見下ろしてくる。
「方法があるか?」
蛇を人に戻す方法があるのかと聞いているのだろう。
チキはユリウスを見上げると、不安げに瞳を揺らし、きゅっと抱き着く。チキの考える方法は、おそらくチキの寿命を減らすもので、ユリウスの傍にいられる時間が確実に短くなる。
(傍にいられないのは嫌、でも、…騎士は女の子を守るためにあるんだよね!)
チキは大いなる勘違いで再び決意を固めて顔を上げると、栄養補給とでも言いたげにぴょいとユリウスの首に腕を回し、その唇を奪った。
「!?」
ニワトリの時は嘴は口の中に入ってしまうし、顔面にキスになってしまうしで奇妙な感じしかしなかったが、やはり人の姿でするキスはとても甘い。
戸惑うユリウスの頭をがっちりつかむと、チキは舌を伸ばしてユリウスの口腔を蹂躙してみた。
「〇☓~!」
ユリウスが声にならない声を上げているが、チキは夢中でユリウスの舌を追いかけ、ちゅうっと吸い上げる。
つたない技巧は、それでもユリウスの心に火をつけたのか、突然ユリウスがチキを強く抱くと、その口づけは深く変わり、チキはその勢いに溺れるように喘いだ。
「ん…ふぅっ」
「こ…のバァッカプルが~!」
チキとユリウスの両方の後ろ頭を叩かれ、二人は額をごちりとぶつける。
キスの余韻よりも痛みの余韻がひどくて蹲ると、その傍らでバーデがゼイゼイと痛む傷を庇いながら拳を握って立っていた。
「状況を考えろ、状況を!」
「考えてるのにぃ~」
チキは額をさすり、蹲った状態から立ち上がった。
やはり体が少し楽になったような気がする。特にユリウスから求めてくれたキスの方が体がほんわりとして力が湧いてくるようで、チキはにこりと微笑んだ。
「うん、これなら行けそう」
ポンポンとその場に跳ねると、バーデははっとしたように口を閉じた。どうやら今のキスでチキが自身の回復を図ったのがわかったのだろう(半分以上が欲望による行動だが)。
ユリウスも立ち上がり、ぎろりとバーデを睨んだが、目もくらむ偉丈夫の強面に、怯むどころか、ほんのり赤くなった額を見てしまってバーデは吹きだした。
「その怪我が治ったら覚えておけ」
「ぜひ忘れさせていただく方向で」
二人は剣を構える。
バーデの傷はやはり開いてしまっているが、フォローぐらいはできるだろうと彼は笑い、そして真剣な表情で蛇を見上げた。
「じゃあ、そこの暗殺者はどうする?」
ラブラブ劇場を見物していた騎士団長ライルがちらりと使者の男に視線を移せば、皆の視線を集めた使者の男は肩を竦めた。好きにしろ、と言いたいらしい。
「簡単だな」
声の主は今まで会話に加わっていなかった者だ。
余裕の笑みを浮かべていた男は、いつの間にか背後に人が立っていたことに驚いたが、振り返った瞬間に首の後ろに衝撃が走り、ガクリとその場に膝をついた。
「気絶しなかったか。なかなか鍛えてあるな」
感心したように彼を見下ろすのは先程からホール内を暴れまわっていた70近いはずの老人、義祖父ロランである。
「ロラン様」
騎士団長ライルは筋骨隆々な男を唖然としながら見て名を呼ぶと、彼はにやりと笑みを浮かべた。
「老人に任せて楽をするとはいい度胸だな、小僧ども」
気が付けば、ホールの敵は巨大蛇一匹である。それも今はバルコニーのからの弓兵による援護射撃でかなりのダメージを負っている。
いつの間にか魅了された者達を倒してしまったらしい。驚くべき身体能力を持った老人である。
「お疲れ様です旦那様」
執事のリチャードがまだ立ち上がれない使者の男にとどめの手刀を繰り出し、男を沈めてにこりと微笑む。
「うむ。なかなかいい汗をかいた。しかし、この年でこれだけ動くとさすがに息が上がるな」
「さようでしょうとも。良い御歳ですからな」
チキ達はにこにこ微笑む何とも恐ろしい老人達からそ~っと目を逸らし、そちらより怖くない蛇を見て、ぎくしゃくと動き出す。
「へ、蛇の動きを一瞬でも止められればいいの、お願いできますか?」
チキが尋ねると、騎士団長ライルはバルコニーへと上がっていく。弓隊の指示を出すためだ。
ユリウスとバーデは蛇を弱らせる為にその腹部分に攻撃し、チキは蛇の動きが止まる瞬間を作り出すために走り出した。
剣は持つと動きが鈍るので体術任せだ。
襲い来る牙はユリウスとバーデが止めてくれ、締め上げようとする動きはライルの指示による弓兵の矢が妨害する。
チキはその間に蛇の背を駆け上がり、頭の上に飛び上がると、その頭にかかと落としを繰り出す。
ドン!
鈍い音はしたが、蛇の頭が下にわずかに沈んだぐらいだ。
「まだまだぁ!」
チキは連続で攻撃を繰り返すが、やはり軽いのだろう、動きを止めるに至らない。
「手伝おう」
いつの間に来たのか、蛇の背を駆け上がったらしいユリウスがチキの隣で剣を構え、チキのかかと落としと共に剣の腹で蛇の頭を思い切りたたき落とした。
ズン!と鈍い地響きとともに、蛇がホールの床に倒され、チキはその頭の上にふわりと降り立つと、くるっと飛び上がって宙返りし、ぽんっと奇妙な音を立てて小さなニワトリの姿へと変化したのだ。
「!」
驚く者達を尻目に、ニワトリは黄金色に光を放ち、ホールだけでなくアストールの首都アンヘン全体を光に包んだ。
そして、目覚めの時を告げたのだ。
コケコッコォォォ~!
地平線に、朝日が昇った瞬間だった・・・・




