67羽 本当の目的
ちらりと目に飛び込んできたのは細身の銀色の狼だった。
いや、それは一瞬が見せた幻だったかもしれない。
チキ達は飛んでくる子蛇を斬り、目の前の光景を見た。
飛び上がった細身の銀色の狼…ではなく、ラインヴァルトの妹マリーが、体に見合わぬ剣を巨大な蛇の尾に突き刺して床に縫い止めたのだ。
とてもただの人間の小娘に出せる力ではない。
だが、彼女はそれをやってのけ、自分自身に驚いたようにカタカタと震えながらその場にへたり込んでしまった。
慌てて剣をチキに押し付けたバーデが彼女の手を取り、片腕で肩に担ぎあげて傍まで走ってきた。
「無茶しやがる」
バーデの言うとおりだった。剣を持ったことのないただの女の子がすることではない。
「無事だったか」
マリーが降ろされ、そのまま床にへたり込むと、微妙な表情のユリウスがマリーを見て声をかけた。
マリーはふるふると震えながらも顔を上げ、コクリと肯いた。
「偽物が出たんですよね。私の。エマが毒に侵されて瀕死だって」
「瀕死!?」
チキは驚いてマリーとユリウスを交互に見る。
その間も敵は襲い掛かってくるので、ライルが怒鳴り声を上げ、ユリウスがバーデとマリーの二人をその場に残して助けに行った。
「ギルバートが裏切ったんです」
「ギル!?」
何が何やらわからずチキは声を上げっぱなしである。
バーデも使者にやられた傷が開き、息を乱しながら話を聞いている。
「魅了されたというより元から虜になっていたかのような表情で…。蛇女に愛してるとか、そんなこと言ってたの」
チキはピンときた。ギルバートなら魅了も効くだろうが、その効果+熟女好き特性が発動したのだろう。
「あの熟女好きめ、タマ切ってやるっ」
「おっそろしいこと言うんじゃねぇよ!」
バーデが素早く突っ込み、そこへするりと影のような執事が現れて全員がびくりと震えた。
「聞き捨てならぬ言葉を吐きませんでしたかお嬢様?」
チキは慌てて全力で首を横に振った。
「おや、そうですか…。それより、もう一つ聞き捨てならぬことを聞きましたが、ギルバートが裏切ったとか?」
にこりと微笑む執事がやけに怖い。チキはおバカなギルバートのために首を横に振ったが、マリーは逆に首を縦に振ってしまっていた。
「おやおや、それはそれは。ならばあの子の処遇はこの私目にお任せくださいますかなお嬢様」
もうこうなったらチキは頷くしかない。
(サヨナラギルバート、きっと骨も残らないよね、拾ってあげられないよ)
それは、ギルバートの運命が決まった瞬間だった。
「ところで、そろそろこちらをお渡ししておきましょうか」
リチャードは意味深なことを言うと、小さなロケットペンダントをチキの前にぶら下げた。
何の変哲もないロケットペンダントだ。見る人が見ればそれが本物の銀でできており、表面の蔦模様などの細工が緻密で美しく、高級品であるとわかったろうが、チキにとってはただの銀色のロケットペンダントである。
ロケットペンダントを受け取ったチキは、矯めつ眇めつしてペンダントをこねくり回す。
いつまでたってもロケットを開けないことに苛立ったバーデがそれを奪い取ると、かちりとロケット開き、奇妙な表情を浮かべる。
「美女かと思えば男かよ」
ただ単にロケットペンダントなるものを初めて見たチキは、写真よりも蓋が開くことに目を輝かせている。
「お嬢様、写真の方に注目してくださいね。それからそれはただの男ではありませんよ。テレジアさんの旦那様です」
バーデは気もそぞろにふ~んと返した後、はたと我に返ってリチャードを見た。
「第3王子じゃないな?」
セオドアの第三王子ならばテレジアが現れる前に数度顔を合わせたことがある。とても温厚そうなどちらかと言えばぽっちゃりした青年だったが、ペンダントの中の男は精悍な、どちらかと言えば軍人のような硬さの窺える男だ。
「どっかで見たことが…」
「それは先の王太子だな」
戦闘の合間に後ろへ一度下がってきた騎士団長ライルが、ひょいとペンダントを覗き込んで答えた。
貴族や王族の顔を一目見て誰かすぐわかるのはさすが王族と言ったところだろうか。
「王太子って、事故死したとかいう?」
マリーが腰抜け状態から回復してよろよろ立ち上がると、母親がちらりと話した内容を覚えていたらしく、尋ねた。
マリーの母親の話では確か王太子が事故死した後にテレジアが姿を現し、第三王子の愛人になって国がおかしくなっていったはずだ。
ペンダントの男が王太子で、テレジアの旦那様だとしたら、旦那様が死んですぐに別の男に取り入った悪女のように見える。
「事故死ではありませんでした」
リチャードはそういって暴れるテレジアの巨体を見上げた。
「事故死じゃないとは?」
弓兵の攻撃でとぐろを巻く蛇から離れたユリウスが話に加わり、執事は全員を見回して、頷く。
「王太子は王位争いにより討たれたのです。それも、砂漠の国ヴィートの変装をした男達に、彼女の目の前で」
全員がテレジアを見た。
威嚇の声を上げ、体中に傷を負い。子供達をも失ってなお戦おうとする蛇の姿が、ひどく痛ましく見えた。
「目の前で」
言葉にしてチキはユリウスを見た。
もしも、目の前でユリウスを奪われたらチキはどうするだろう。
もともとユリウスの傍にあり、相応しい存在になりたいと月の神様にお願いしたのだ、彼がいなくなってしまったらチキの存在意義はなくなる。
そして…
「チキなら人間を根絶やしにする」
心が悲鳴を上げ続け、表情は全て削げ落ちて、泣き叫んでいるのに誰にも届かない思いがじくじくと精神を喰らっていくのだ。
チキはそんな思いを感じ、耐えられずにユリウスに抱き着いてぎゅうっと力を込めた。
「ユリウスを失ったらチキもああなる」
殺しても殺しても足りないだろう。愛する人を奪ったのが人間ならば、その人間すべてを消そうと思うはずだ。たとえ命が消えても。
ユリウスはチキを抱きしめ、リチャードを見やった。
「彼女と子供達の目的は」
「人間への復讐だ」
別のところから聞こえた声に全員がはっとして振り返れば、そこにはバーデを刺したあの使者の男が立っていた。




