6羽 お屋敷到着
旅は道連れ、世は情け。大公さんは偉い人。
乗合馬車はそこそこの広さがあるので、4・5人増えても問題はなかった。しかし、馬車の中のロランの存在感はその体格もあってか大きく、護衛の男達は緊張しているようだった。
ちなみに、現在馬車の中にはロラン、チキ、護衛が2人、外の御者台にジェームズと護衛が一人。無事だった馬に護衛が一人乗って、盗賊達はその人が町へと引き渡すためにそこで別れた。現在護衛は3人だ。
馬車の中ではジェームズの誤魔化し虚しく、チキが自分の身の上を洗いざらい語っていた。
通常ニワトリから人になったと言われれば、ありえない空想の物語だと一笑に付す。もちろんこの馬車の中でも護衛達の反応はそんな感じだった。しかし、ロランはそれをあっさり信じた。
「わしが若いころにオオカミから人に変わる魔法生物がおってなぁ。そういう話が好きだったわしはそれこそ1週間近く山の中を追い掛け回したものだ」
チキはオオカミに同情した。
目の前の男は筋肉質で体格がよく、威圧感を自然に放つような男だ。年老いた今でさえこの覇気なのに、若い頃と言ったらそれこそ他を圧倒するような覇気を有していたのではないだろうかと思う。そんな男に一週間も追いかけられたらと思うと、げっそりしてしまう。
「そ奴の話では、魔法生物は月の神の力を借りて人になるそうだ。だから新月の夜はオオカミに戻ってしまうと言っておった。チキも証を立てるなら新月の夜だな。ニワトリに戻るやもしれん」
確かにチキは月の神様にお願いをしてきた。そして得た姿だ。ロランの言うとおりだとすると、チキのこの姿は新月の日はニワトリになるという。
チキはふんふんと肯いてロランからの情報を頭にとどめる。もっとも、元々がニワトリの鳥頭。こういう大事なことは忘れやすかったりするのだが…。
「新月っていつ?」
「次の新月は1週間後です」
護衛の一人がすかさず答える。
「じゃあチキはその日の夜は尾黒に戻るのか~」
「オグロ?」
「尻尾が黒かったから尾黒。チキは人間になってからつけたの。可愛い?」
「おぉ、おぉ、可愛いぞ」
ロランは目じりを下げ、好々爺のような表情でチキの頭を撫でる。そうしていると本来の年齢に見える。
彼の見た目は50代ほどだが、実は70近いのだと先程聞いたばかりだ。
15年生きれば長生きのニワトリにはあまりよくわからない数字だが。
その後もチキとロランは祖父と孫のようなやり取りをし、すっかり日が落ちた頃、ようやく小さな町から少し外れにある大きな屋敷に辿り着いた。
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門から庭を通って辿り着いた屋敷はチキがいまだ見たこともない大きさだが、ロランに言わせればとても小さいのだという。だが、彼の亡くなった奥さんがとてもこの屋敷を気に入っていて、小さいながらも趣があるとロランは自慢した。
大きいと思うけどなぁ…
小さい小さい言われても信じられない大きさである。農場主ボブの家と比べれば、ボブの家は馬小屋並みだ。
チキは馬車からぴょんっと飛び降り、ロランに手を貸した。
名将と言われるロランも70近い老人。馬車の扉を蹴りで破壊したが、右足は古傷があり、時折引きずって歩かねばならないのだという。
「お帰りなさいませロラン様。先ほど護衛の一人から山賊に襲われたとお聞きしましたが。お怪我は?」
チキの手を借り馬車を下りたロランは、駆け寄ってきた老執事の不安げな表情に笑う。
「何を心配するっ。この通り元気だろうがっ」
胸を叩いて元気さをアピールすれば、老執事は頷いて答える。
「見た目は。しかし、御歳ですから」
「同い年に言われたくはないな…」
老執事の言葉に少なからずダメージを負ったらしいロランはふぅとため息をついた。
そうこうしている間に屋敷からは若い侍女や侍従が現れ、老執事の命に従ってテキパキと行動を始める。
「すぐに食事を準備いたします。その前にお客様も旦那様も湯あみなさいませ」
他のメイド達と違い、恰幅のいい女性がずしずしと歩いてくると、ロランはわずかにたじろいだ。
チキはこの女性に何かあるのかと彼女を見る。
これと言って変わった様子はない人間の女性である。チキに人間の美醜はあまりよくわからないので、ちらりとジェームズを見やれば、彼もわずかながらに彼女にたじろいでいるように見えるので、彼女はひょっとするととても怖い顔の女性なのかもしれない。
実際は、その女性の顔は『汚い』と言いたげに鋭い眼差しで彼等の服の汚れを見ていたのだ。
チキは暴れて泥だらけ。ロランとジェームズは自分と他人の血で赤黒く汚れている。洗濯を取り仕切るこの女性は、久しぶりの汚れに気合が入るあまり、男達を睨みつけていた、ということだった。
「お召し替えは」
「チキこの服しかないよ」
ぴんぴんと服をつまんで引っ張ると、ジェームズが「あちゃ~」と声を出す。
ジェームズはやはり旅立つ時気が動転していたらしく、息子のお古を荷物に積んでこなかったのだ。つまり、着替えがない。
「娘の服があるだろう。あれを着せてやればいい」
「よろしいのですか?」
気遣わしげに尋ねたのは老執事だ。何やら事情があるらしく、ジェームズがそれを感じ取って一人あたふたしている。
「わしはチキを気に入った。命の恩人でもある。妻がいれば同じことをするはずだ」
「承知いたしました」
老執事はメイド達に肯いて合図し、メイド達はススススッとチキを取り囲んだ。
「お嬢様はこちらへ」
取り囲まれたチキは戦闘態勢に入る。それを見たジェームズが慌てて叫ぶ。
「チキッ、何があっても暴れるなっ。いいな、ここにいる人達に手は出すなよっ、約束しないと農場に帰すからなっ」
チキはピタッと動きを止め、周りの女性達を見た後、ジェームズを見、「暴れるなっ!」と再度訴えてくるジェームズにむすっとした表情を返しながら侍女達に連れて行かれた。
その後ろ姿はまるで連行される悪人のようだ。不機嫌さがにじみ出ている。
ロランは笑う。
「鶏に人間のルールは辛いかもしれんな」
その言葉にジェームズはぎょっとしてロランを見上げた。
「あいつ話したんですかっ?」
「口止めが甘かったな」
ジェームズはその場で頭を抱えて座り込みたくなる。
何のために移民の話をでっち上げたと思っているのだあのニワトリは。まぁ信じる者は少ないだろうが、だとすれば住民票を持たない子供は不審者以外の何者でもない。
まかり間違えば他国の間者とみなされることもある。
ちらりとロランを仰げば、彼は腕を組んで笑っていた。
「案ずるな。わしは魔法生物に会ったことがあるのでな、チキの素性も信じてやれる。ただし、新月の日まで預かることになる」
「新月ですか?」
この世界では新月は月に一度必ず訪れる。今は空の月が細りつつあるので、近々新月となるだろう。
「新月の夜に魔法生物は元の姿に戻る。それを確認し次第住民票の手配をしよう。なければ王都への入都はともかく、騎士のうろつく第2区域には入れんだろう?」
ジェームズは頷いた。
実は、乗合馬車協会の仲間を頼って移民用の登録カードを作成しようと思っていたのだ。だが、移民は制限が多く、騎士に会いたいというチキの希望が叶えられない可能性の方が高くなるのだ。それを、どうやってかこの国の住民票を作ってくれるというのだから任せるしかない。
チキの素性も信じてくれてるようだし…
旅の予定は少し狂うが、乗合馬車協会の方には手紙でも出して休みを伸ばすことにして…。
「よろしくお願いします」
ジェームズは深々と頭を下げ、ロランは頷く。
ロランはその後ジェームズにこれからの予定を聞き、自分の予定を組み立てて大体の日程を決め、老執事に促されて二人が屋敷の中に入ると、屋敷中に轟くような悲鳴が響いた。
「なんだ!?」
悲鳴の大きさにただ事ではないと誰もが身構える中、廊下の向こうから悲鳴と叫び声が響く。
「いいいいいぃぃぃぃぃ~やああああああぁぁぁぁぁぁ~!」
悲鳴の主はチキ、その姿は真っ裸に全身泡だらけで、男達の度肝を抜いて目の前を走り抜ける。
「お待ちなさい!」
「そんな姿で走り回らない!」
次いで侍女達がチキを見る若い男の侍従達に石鹸やらタオルやら投げつけながら、鬼の形相でこの屋敷でも見たことのないスピードを出して追って行った。
「騒がしくなりますな…」
老執事がぽつりと呟けば、ロランは大声で笑いだし、ジェームズは大きくため息を吐くのだった。