50羽 積極的に…
チキは第五小隊隊長バーデと共に図書館から出ると、城の中をてってけてってけ歩き、時折ぎょっとした目で見られながらも第一小隊隊長室に辿り着いた。
チキの今日の仕事は「調べ物」ここからの時間は、本来ならば騎士団の訓練に出ている時間だが、ニワトリ対人間の訓練をしてもあまり意味はないと言われて寂しく暇人…もとい、暇ニワトリすることになる。
窓の外からは剣技と心を鍛えるためにと義祖父ロランが騎士達に稽古をつけている声が聞こえる。
やけに悲鳴が多いが、その多くは憧れのロランの稽古による嬉しい悲鳴だと執事のリチャードが言っていた。
本当かどうかは怪しい所だが。
「邪魔するぞ~」
ノックもなく扉を開いたバーデに、栗毛に碧眼の男、第一小隊副隊長カイルがはっと机から顔を上げて涎を拭く仕草をする。どうやら居眠りしていたらしい。
「なんだ、仕事サボって居眠りか~?」
「バーデ、しーっ」
カイルは慌てて口元に指を立てて静かにするよう促すと、部屋の窓の方向を指した。
ポカポカと日の当たる窓辺に、猫足のソファが置かれ、そこに簡易毛布をかぶった美しい獣…ユリウスが眠っていた。
金糸の髪は太陽の光に当たってキラキラと輝き、空の青をした瞳は閉じられて隠れてしまっているせいか、いつものしなやかで何処か獰猛さを感じさせる獣ではなく、侵し難い神聖な何かに見える。
チキはてけてけとソファに近づくと、軽く羽ばたいてその胸の上に降り立ち、もすっと座り込んだ。
何とも和む光景にカイルは目元を細めるが、バーデは眉根を寄せてじっとニワトリを睨む。
その様子に気がついて、カイルは首を傾げた。
「どうかしたんですか」
ユリウスを起こさないようひそひそと尋ねれば、バーデがカイルを見て笑う。
「あぁ、今日はもうオフだから敬語じゃなくていいぞ」
バーデはひらひらと手を振り、カイルは質問の答えじゃないとばかりにため息をつく。
「どうかしたのかって聞いてるんだ」
「あ~、あいつな、ちょっとおかしくないか?」
あいつと言って顎で指したのはユリウスとチキだ。だが、ユリウスはバーデと共にいなかったのでこの場合はチキであろう。
カイルはじっとチキを見て首を傾げる。
これと言っておかしなところはない。いや、あると言えばあり、ニワトリの異様に短い尾がいささか気になってはいるのだが、それは人間時に切ってしまった髪のせいだと聞いている。
そう告げてみれば、バーデは首を横に振った。
「違う。どうもこう…元気がない?」
首を傾げながら言われても説得力はない。
カイルはそうだろうかと思ってじっとチキを観察してみるが、ポカポカとした日に当てられて眠くなってきたのか、瞼が何度も閉じられようとしているのが見えた。
「眠いんじゃないか?」
「そうじゃねぇよ」
と言われても、やはりカイルにはニワトリの喜怒哀楽など見分けがつかない。まさかバーデはたった2日でニワトリの表情が読めるようになったというのだろうか。
カイルが信じられないというような目でバーデを見つめたので、彼は肩を竦めて小さく息を吐いた。
「…ま、わからねぇならいいさ、気のせいかもしれんしな」
バーデはあっさり会話を終了し、チキの警護の引継ぎをする。
この時間からチキのパートナー兼警護は第一小隊隊長ユリウスになる。今は眠っているが、カイルもこの部屋にいるので問題はないだろう。
バーデはここからは非番なので、手を振り、踵を返して部屋から出ていく。
後ろ手に扉を閉め、立ち止まったバーデは、しばし逡巡すると、歩き出した。
(調べてみるか)
本というものはこの上なく苦手であり、図書館なんてものには入りたくもなかったが、バーデはチキに促されて最後に片づけた本の存在が気になり、城の図書館へと足を向けたのだった。
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かさかさという紙のこすれる音にチキはパチリと目を覚ました。
どうやら眠っていたらしく、頭を上げれば、執務机でカイルが資料を漁っている姿が見える。紙の音はそこから聞こえた様だ。
「コ~(おはよう)」
悪い夢を見たような気がして声を出せば、人ではない音にチキはずんと落ち込む。
どうやら夢ではなく、全て現実だったらしい。
できればもう一度眠り、次に起きた時は夢でしたとなって欲しい所だったが、現実ならば現実として受け止めるほかない。
(生きるだけ生きる)
自然界の法則だ。悩むのも苦しむのも悲しむのももったいないので、脇に置いておき、できるだけ喜びを勝ち取るべきだとチキは顔を上げ、さっそくとばかりに立ち上がった。
「あ、起きたね尾黒」
「ココッ(懐かしい名前~)」
そういえばチキのいたボブの農場で最初に声をかけてきたのはカイルだったような気がすると思い出し、チキは短い尻尾のお尻を右へ左へと振ってみる。
「…ダンス?」
「コッ」
このお尻フリフリは通常のニワトリがやらない仕草で、ごくまれに屋台の店主がこれによっておやつをくれたりすることがあったため、チキの中ではおねだりとお礼のダンスとなっている。
(女の子に評判です)
ふりふりふりふり
カイルはぶっと吹き出し、チキの下のユリウスの体がもぞりと動いた。
どうやらカイルの声に反応して目が覚めてしまったようだ。
(おはようユリウス)
チキはとととっとユリウスの胸を駆け上がると、その唇に濃厚な口づけを…
ぼすっ
嘴がユリウスの口に突っ込まれ、顔面いっぱいにユリウスの唇を受ける格好になった。
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・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
「ぶはっ! あははははははははははははは!」
濃厚であま~い口づけを試みたはずが、ニワトリは唇でなく嘴であったために、起き抜けに嘴を口いっぱいにつっこまれ、ユリウスは目を白黒させ、カイルはそのシュールな姿に笑いを堪え切れず腹を抱えて笑っている。
「おい、廊下まで笑い声が」
ガチャリと音を立てて扉が開き、入ってきたのは訓練を終えたチキの義祖父ロランと、なぜか首根っこを掴まれ引きずられているバーデだ。
二人は部屋に入るなり、凝固するユリウスと、頑張って深い口づけを目指すニワトリの姿に一瞬沈黙した後、勢いよくそっぽを向いた、が、すでに時遅し。
「「ぶふっ」」
やはり吹き出し、笑いだした。
「「「申し訳ゴザイマセンでした」」」
チキを引きはがし、何とか我を取り戻したユリウスの睨みで、笑い転げた三人が声を合わせて謝罪したが、いまだ頬がひくひくと動いていて反省の色はない。
カイルはすでに一度バーデが訪れてチキを置いていったことを伝え、ふぐっと変な声を出し、腹筋に力を込めている。
ユリウスはチキをソファの隣に置き、座りなおすと、カイルをギラリと睨んだ。
「カイル…起こせと言ったはずだが」
「あぁ、すみませんね。お疲れの様だったのでちょっと眠らせて…くっ…あげようと…ふっ」
口を開けば笑いが漏れてしまうらしく、カイルは目を逸らして口元を手で覆う。それをユリウスは睨んでいたが、諦めてため息をつき、チキの背を撫でながらロランとバーデに視線を移した。
「二人は何か用事でも?」
バーデは一度訪ねてきているし、今日は非番のはずである。何かない限りそう何度も隊長室に来る必要はない。まぁ、部屋に入ってきた様子を思い出せば、ロランに引きずられてきただけということもある。
ロランに関してはおそらく訓練の終了を言いに来たのだろう。その辺りは騎士団に所属していた頃と同じで律儀である。
「うむ。訓練を終えたのだがチキが元気がないと聞いてな」
ユリウスはちらとチキを見るが、チキはとぼけた顔でちょんもりと座っている。これと言って様子がおかしい所は見受けられない。
「そういえばそんなこと言ってたなぁ。でも、やっぱり眠かっただけじゃ?」
カイルが尋ねれば、バーデはむむむぅと唸りながらその山賊顔をチキに近づけ、そして何か感じたのかすぐに顔を離した。
「ふっきれたみたいに見えるな。動物ってのは逞しい」
うんうんと頷くバーデに、ロランもチキを覗き込み、そしてその背を撫でる。
「お前が知ったことを伝えるか?」
チキはロランとバーデを見ると、バーデはロランの後ろで気まずそうに頬をかいていた。どうやらチキの寿命について知ってしまったようだ。
「言わないか」
ロランがもう一度声をかけ、チキは「コッ(言わない)」と返事した。
だが、彼等はひとつ忘れていた。
「…リチャードでないと返事がわからんことに気が付いた。うむ、その返事は今度人に戻ったときに聞こう」
格好がつかず、チキはがっくりと項垂れるのだった。




