5羽 大公
かかってこ~い! とばかりにちょいちょいと手招き、次いでかかってきた盗賊の剣をひょいっと避け、その顔面を踏みつける。
どうやらチキの体重は軽いらしく、男の顔面に乗っても首が折れる様子はないので、ニワトリ時代と同じく思う存分連打で踏みつけて打ちのめし、ギラリっと目を輝かせて次の獲物を狙った。
(ニワトリって、襲いかかってくると意外と怖いしなぁ)
ジェームズが「あぁっ」と嘆きながら声を上げる前方で、チキは大暴れである。見た目は、ニワトリの尾黒が村の男衆の喧嘩に交じった時と変わらない。
しかし、元ニワトリだろうが体重がニワトリ並みだろうが、女の子であることに違いはない。
ジェームズははっとして呆然と彼女を見つめる護衛達に声をかけた。
「あの辺のやられた盗賊達をふんじばるの手伝ってください」
騎士達もはっとして頷き、2人が盗賊を捉え、残りが盗賊との戦いに参戦する。ただし、巻き添え覚悟でなければならず、時々後頭部を踏まれていた。
「このクソガキがぁ!」
盗賊がぶんぶんと頭上に向けて剣を振り回せば、そこをすかさず騎士が斬り、騎士に気をとられて頭上を疎かにすれば、チキに踏まれるといった最悪の攻撃に盗賊達も一人、二人と捕らわれていった。
「ふはははははははっ。弱いぞ人間!」
ついには盗賊に動く者がいなくなり、ジェームズに止められてチキは腰に手を当て、ふんぞり返って勝利の雄たけび?を上げた。
お前は悪の帝王か、とジェームズは思ったが、口にはせずに護衛達の傷の手当てをすることにした。
チキはジェームズが馬車の中から救急箱を取り出して忙しくしはじめると暇になってしまい、大人しく御者台にぽふりと座る。
元々ニワトリなのでこうしてぼんやりと座るのは苦にならない。
「チキ、手伝えや!」
呼ばれたので渋々近づくが、薬の臭いがチキは駄目だった。
「それくっさいよジェームズさん。チキには無理」
「原液じゃないからクサくは…あぁ、鼻がいいんだったか」
原液は薬草と薬液の臭いで鼻が曲がりそうな傷薬だが、一般に出回る傷薬はかなり薄められていて臭いもほとんどしないのだ。しかし、遠くからでも血の臭いをかぎ取ったチキである。よっぽど鼻がいいのだろうと踏んで、ならばと仕立てのいい馬車の方を指さした。
「中の人が無事か聞いて来い。薬なら少しあるってな」
「わかった~」
チキがてけてけと軽い音を立てて仕立ての良い馬車に近づくと、ケガの少ない護衛の剣がチキの目の前にすっと向けられた。もちろんその切っ先はチキの喉元を向いている。
チキはむっと眉根を寄せ、剣を手の甲でぱしんっと撥ねた。
「喧嘩するならチキ負けないよ」
チキは男を睨みつつ、神経を研ぎ覚ませる。
目にはあまり頼っていない。頼っているのは耳だ。だから、剣が振られると同時に躱す動作に入っている。
「やめんかっ!」
チキが剣を避け、剣がチキの居た場所を薙ぐと、怒声が馬車の中から響き、続いてドカンドカンと馬車の扉が揺れる。どうやら内側から蹴っているようである。
開かなくなっているのかと思って近づこうとすれば、それより先に扉が吹っ飛び、中からは頭から血を流す壮年期を越えたか越えてないかといった年齢くらいの、大柄で随分と鍛えられた体躯を持つ濃い茶色の髪の男が現れた。
「大公!」
バタバタと護衛が集まってくる。
「騒ぐな。ちょっと切っただけじゃ。それよりお前達、この勇敢な娘に礼を言わず斬りかかるとはどんな恩知らずだっ。わしは恥ずかしいぞっ」
「そうはおっしゃられても、この娘達も盗賊の仲間でないとは言いきれぬのでは」
「このような小さな娘一人に目くじらを立てるなっ。わしを案じてくれるのは嬉しいが、この澄んだ目をよく見るがいい」
そういって指示されたチキはすでに興味を失っており、ぼへーと空を見上げていたので何の説得力もない。
ジェームズは再び「あちゃ~」と呟き、目の前のケガ人の手当てを済ませると、大公と呼ばれた男の前に立った。
「この娘が礼儀知らずで申し訳ない。私は乗合馬車協会のこういうものでして、とりあえずケガの手当てをさせてもらえませんかね」
ジェームズが見せたのはライセンスと呼ばれる身分証明証だ。これには偽造防止の魔法が掛けられており、偽造、複製はできないようになっている。
彼が見せたライセンスは、持ち主が望めばその登録の仔細が浮き出るようになっているので、これで怪しい人間ではないと証明されたことになる。
「わしの護衛が娘に手荒な真似をしてすまんかった」
護衛よりもあきらかに強そうで身分が高そうな男に頭を下げられ、ジェームズはあたふたする。
「こ、これは私の娘とは違うんで私に気を使っていただく必要はないですよっ」
男はすっと頭を上げ、怪訝そうにチキを見る。
チキも空から男に視線を戻し、一緒になって首を傾げてみた。
「確かに変わった髪色とは思っておったが」
ジェームズはごく普通の白髪交じりの茶色い髪。しかし、チキは白に黒のメッシュなのだ。顔立ちも似通っていないので、親子ではないのだとわかる。
「親戚…か?」
「いえっ、移民の娘でして、売られかけたところを騎士様に助けていただいたそうで、お礼をしたいと王都に向かう途中なのです」
よくよく考えればチキは住民登録されていない不審者になる。ジェームズは冷や汗をかきながら適当にでっち上げ、不安を抱きながら男をちらりと見てぎょっとした。
「なんと不憫な」
なぜか男は泣いていた。滂沱の涙を流してチキを大きな手で撫でる。
チキは首をぐわんぐわん回されて迷惑そうな顔でその手を払いのけた。
「チキッ」
「あぁ、よい。警戒するのは生きる上で仕方ない。そのようなことがあったのならなおのこと。ならばどうだろう。わしが…礼と言っては何だが、この娘の住民票を用意するとして、当家に寄っていただくというのは。何しろ馬車がこの通りでな」
ちらりと見れば、仕立ての良い馬車は車輪が壊され、扉は…男に壊され、あちこちぶつけて傷だらけで動くことのできない乗り物に成り果てていた。
「馬車に乗せてクダサイって最初から言えばいいのにー。人間って回りくどい」
「うぉっ、チキ黙れっ。スミマセンっ…あは、あはははははは」
チキの口を塞ぎ、笑うジェームズに、男は「確かに」と頷くと、今度こそジェームズに頭を下げた。
「わしはロラン・デルフォードという。どうか、わし等を屋敷まで連れて行ってほしいこの通り頼む」
その名は王都で名を馳せたかつての名将であり、この国の第3王位継承権を持つ大貴族の名であった。
ジェームズはぽかんと口を開け、チキはジェームズの手を叩き落とすと、にっこりほほ笑む。
「チキって言うのよろしく~」
何にも知らないニワトリは、この国の権力者と気軽に握手を交わしたのだった。