31羽 日常
ユリウスによる騎士入隊の許可は下りたが、肝心の騎士入隊の許可は危ういということを完全に忘れていたチキは、翌朝目が覚めて思わず叫びたくなった。
昨夜はユリウス達を送り出した後、チキはあの見たことも聞いたこともないキスを思い出してしまって遅くまでベッドの上で暴れていて、すっかり肝心なところが抜けていたのだ。
のそりと起き上がり、エマも起きないうちから簡単なシャツとズボンに着替えて、部屋に置かれている剣を片手に庭に出た。
____________
ぶんっ ぶんっ
剣を振る規則正しい音にチキは先客がいるのだと気が付いて庭を覗き込めば、広い庭の中、ギルバートが素振りを繰り返している。
「おはようギル」
「おはようございますお嬢様」
話しながらもリズムは同じに素振りを繰り返すのは、目標回数振り切るまでは止めてはいけないというロランの教えの為だ。
チキも隣で剣を構えて振り下ろす。
「飛ばさないで下さいよ」
「飛びません~」
ニワトリのチキに手はない。そのせいか、人間になってもチキは握力が弱いという弱点がある。
長時間剣を持ち続けると、剣が手からすっぽ抜けていくのだ。
ならば握力を鍛えればいいと思うだろう。しかし、色々な方法を試したが、不思議なことに握力は一定を保ったまま強くなることがなかったのだ。
その代わりと言っては何だが、肩は強くなり、足は速くなったように思える。
要は、ニワトリの持つ翼をばたつかせる力と、歩く速さは鍛えることができるということらしい。
「素振り終わったら打ち合いしてね」
「連撃は抜きですよ」
「は~い」
二人はしばらく揃って素振りし、日が昇り始めた頃に打ち合いを始めた。
その頃になると使用人も起き出し、朝の訓練にエマと義祖父ロランが参加する。
「チキ、もう少し惹きつけろ。ギルは軸足がぶれてるぞ。エマ、腕が降りてる」
チキとギルバートの打ち合いを見ながらエマの素振りを直し、その後の打ち合いにロランが参加する。
いつもの朝である。
「旦那様、お嬢様、そろそろ朝食のお時間です」
頃合いのいいところでリチャードに呼ばれ、4人は一度汗を流した後、食堂に集まった。
食堂の大テーブルの奥にロラン、チキ、フランツが座り、それに続いて古参の使用人から順に席についていく。
このデルフォード家では客を招いていない時は皆で食事をするのが常で、それはロランとフランツの奥さんが決めたことなのだそうだ。
チキは賑やかな食事に顔をほころばせながらパンを頬張る。
「今日の予定はどうされますかお嬢様?」
リチャードが尋ねるが、チキにはこれといった予定がない。
「ナターシャの宿に遊びに行こうかなぁ」
「それならラインヴァルトの家に服を取りに行く方がいいのでは?」
少し離れたところからギルバートが告げ、チキはそういえばと思い出した。
「誰だ?」
ロランがなぜかリチャードに問いかける。
「ラインヴァルト・オーエン。町の仕立て屋の息子さんでギルドでは銀狼の名で知られた腕利きですよ。この度の騎士入団試験を受けられ、チキ様を沈めた方ですね」
やはり完璧に調べ済みなのか、とギルバートが呟くのを聞いていた他の侍従が、ポンポンとギルバートの背を励ますように叩く。
この館の誰もがリチャードの仕事ぶりに驚かされているのだ、まだまだ新米のギルバートを慰めたくなるのは先輩として当たり前だろう。
そんな様子を横目で見ながら、リチャードはさらに続けた。
「もう一つ付け加えますと、セオドアの関係者のようですね」
「セオドア?」
ロランの尋ねる声がほんのわずかに硬質な音となって響く。
チキは顔を上げてロランとリチャードを交互に見やった。
「チキ様、食べ残しては駄目ですよ。後でお菓子を包んで差し上げますから、ラインヴァルト様のお宅にお世話になったお礼を兼ねてお渡しくださいね」
リチャードに話を逸らされたとわかったが、チキは頷いて何食わぬ顔で食事を勧めた。
だが、セオドアという隣国の名は覚えておくことにした。
食事を終え、男装のチキ、エプロン姿の侍女姿のエマ、そしてギルバートは町へと繰り出した。
今回はきっちり離れた場所に護衛がついている。だが、この護衛は悪漢防止でなく、迷子防止の為である。
「いつになったら一人で出かけられるんだろ」
「一人はさすがに無理ですよチキ様」
デルフォード家は大貴族。今はまだ顔を知られていないから少人数で動けるが、顔を知られれば護衛がたくさんつくことになるくらいだ。諦めねばならない。
「ニワトリなら」
「迷子になるので同じです」
ギルバートに一蹴された。
「あれは迷子じゃないんだけどな…」
「知り合いを捉まえないと戻れないのは迷子だと言っているでしょう」
いつもの会話を繰り返し、歩いているうちに三人はちらほらとすれ違う少女達に首を傾げた。
「あれ?」
「今の…」
「目のやり場に困りますね」
三人が見たもの、それは、つい昨日チキが来たような膝を出すスカートをはいた少女達だったのだ。
「まさか?」
エマがありえませんと呟き、ラインヴァルトの家で、あのスカートの考案者マリーのいる仕立て屋へと三人は足早に歩く。
ようやく見えた仕立て屋の入り口には、短いスカートにブーツを履いた先進的ファッションのマリーが、呼び子をしている姿があった。
「マリー!」
チキが声をかけると、マリーはチキ達に気が付き、満面の笑みで駆け寄ってきてチキに飛びついた。
「ありがとうチキ~! 昨日騎士様とパフォーマンスしてくれたって町の女の子たちに聞いたのっ。それから短いスカートが売れ出してっ」
チキはびっくり目をまん丸くしてエマとギルバートを振り返り、二人も驚いてあんぐりと口を開けて固まった。
「さっ、店に入ってちょうだい! お礼にお茶を入れるわっ、あ、服も返さなくちゃね!そちらのお二人もどうぞっ、私はこの店の天才デザイナー、マリーよ」
そういうと、マリーはチキの腕を掴んで揚々と店の入り口から中へと入っていくのだった。




