3羽 始まりの日
吾輩はニワトリである。名前はまだない。
「う…うわあああああああ~!」
悲鳴にぱっちりと目を覚ましたニワトリは、ジェームズの声に体を起こして周りを見回す。
スンスンと鼻を鳴らして臭いを嗅いでみるが、辺りに危険な獣の香りはしない。
一体何をこんな早朝から騒いでいるのかと窓を見てみれば、ニワトリが目覚める時間よりも幾分日が高い位置にあるように思える。
寝過ごした?
ニワトリは、おや?と首を傾げた。
首を…傾げた?
「コケ?」
一声いつものように鳴いてみて、微妙な違和感に再び首を傾げ…傾げ…やはり首の動き方がおかしいことに気が付いたニワトリは、立ち上がってぎょっとした。
視線の位置がおかしい。
思わず立ち止まり、自分を見下ろせば、そこにあるのは細いひょろひょろとした少女の体がある。
「あれ?」
再び首を傾げると、今度は声がおかしかったことに気が付く。
ニワトリの鳥語ではなかった。
「あれぇ?」
思わず羽根を動かしたつもりが、ペタペタと触れるのは羽根のない体。そして、さらりと背に流れる長い白の髪…に黒いメッシュの入った髪。
てけてけ・・もとい、ペタペタと足音を立てて窓の前に立てば、曇ったガラスに映るのはやはり人間の少女の姿。
細い手足、身長は低く、まだまだ成長途中といった体型。顔立ちの美醜はよくわからないが、赤い瞳は兎のよう。まぁ、ニワトリの自分は目はあまり良くなかったから綺麗な色かなどよくわかっていない。髪も同様に綺麗かどうかはわからないが、珍しい色だ。
白の長い髪は膝まで届き、髪の間から見える丸い耳から直線上の頭のてっぺんからまっすぐに5センチほどの幅で黒い髪が混ざり、膝まで届いている。
「お~」
思わず引っ張って確認。きっと元は尻尾の色だろう。
なぜお尻から生えなかったかな?と窓にお尻を映して眺めていたところで、頭上からぶわりとシーツが襲いかかってきた。
「服持ってくるから待ってろ!」
ジェームズの怒鳴り声と足音を不思議に思いながらもシーツからもぞもぞと這い出る。
服、というと人間の着るものだ。
シーツお化けの状態でクルクルと回り、ニワトリは面白くなってさらに高速で回転してみる。ふわふわと揺れるシーツが面白い。人間はいつもこういうものを身に着けて動いていたな、と思い出す。
そして、自分が今ニワトリでなく、人間であることをすっかり忘れていた。
ニワトリは、いつもなら目を回さないのに、グルグルとまわりすぎて目を回し、その場にうずくまった。
「おえぇ~」
ついでに気持ち悪くなる。
意外と人間はよわっちいかも。
おかしな誤解をしながらも、じっと座っていると、ようやく景色も回らなくなり、気持ち悪さも減ってくる。そこへ、服を持ってジェームズが戻ってきた。
ジェームズが用意したのは息子が10才前後で着ていたお古だ。
物持ちがいいとか、思い出に、という気持ちで残していたわけでなく、ただ単にしまったまま忘れていたのだ。何しろこういったものを片づけるはずの嫁は、うだつの上がらない夫に愛想を尽かして、今現在息子と共に王都で宿を営んでいる。
それでもまぁ、時々会いに行けばそれなりに歓迎してくれるので完全に別れたというわけではない。
「これを着ろ」
服を渡され、ニワトリは首を傾げる。
「どうやって着るの?」
50を過ぎたおっさんが、この年になって子供の着付けをするとは思わなかったとぼやきながら服の着方を教えていく。
村の住人はなんだかんだ世話焼きが多い。
そうして出来上がったのは、髪が長いので女の子とわかるが、髪を縛ったりしてしまうと男の子にも見える中世的な顔立ちをしたまだまだ未発達の子供が一人。
ジェームズはとりあえずホッとしてその場に座った。
「お前さんどこから入ってきた? しかも裸なんて。近所の奴らが見たら誤解されちまう」
ガシガシと頭を掻くジェームズに、ニワトリはドアを指さす。
「ジェームズさんと一緒に来たよ。昨日一緒に入ったでしょ」
「はぁ? 馬鹿言え、一緒に入ったのはニワトリ…」
ジェームズは少女の黒いメッシュ入りの髪を見てカパーッと口を開けた。
あまりに長い間開きっぱなしなので、ニワトリはベッドサイドのテーブルの上にあった飴玉をその口の中に放り込んでみた。
1個、2個、3・・
「ごふっ」
入れ過ぎたらしい。吐き出されてしまった。
「お前尾黒か!?」
「そうだよ。綺麗な黒でしょー」
ニワトリは尾の黒い部分をとても気に入っている。それが今は髪に出ているが、それも美しい黒なのでやはり気に入った。
髪をつまんで持ち上げれば、ジェームズが再び口を開けて固まったので、先程吐き出した飴を拾って投げいれようとしたところで手で止められた。
「ニワトリって人間になるのか!? いや、あの尾黒だからありそうな気も…俺の常識は間違っているのか?」
何やら一人で悩んでいるので放っておこうと思ったが、糞をしたくなったのでニワトリはう~んと悩み、相談することにした。
「ねぇ、人間はどうやって糞するの? このまますればいい?」
「ちょっとまてぇぇぇぇ~!」
ジェームズは絶叫を上げ、見た目14・5歳の少女にトイレの仕方を教える羽目になった。
彼が朝から一気に老け込んだのは言うまでもない。
こうして、人間一年生、元ニワトリ少女の初めの一日が始まったのである。