旅
吾輩はニワトリである、名前はまだない。
恋に落ちて2日後、ぼへ~っと空を見上げていたニワトリははっと我に返り、てけてけと走り出した。
すでに騎士達はオオカミ騒動の翌日には旅立ってしまい、ニワトリの恋は終わったかに見えた。だが、このニワトリはやはり少し変わっていたので、鶏小屋に入るなり、他を蹴散らしてエサを食い(エサの時間だったともいう)、いつもよりお腹を膨らませたところで鶏小屋を飛び出した。
追いかけていけばいいんだっ!
2日も無駄にしたっ。とばかりに農場の柵を越えて村へと降りていく。
そのスピードはニワトリとは思えない速さである。だてに毎日ニワトリとは思えないほどの距離を歩いてはいない。
どこへ行くかさえ決まってしまえばニワトリのやることは決まってくる。
ニワトリは村で行商の商人が来るのを村の入り口で待った。だが、待つというほどの時間が過ぎる前に商人は現れた。おりしも商人はポニーを引きながら村から出ていくところだったのだ。
「コケッ」
ふわりと飛び上がってポニーの背に飛び乗れば、少し年老いた商人は驚いたように目を丸くする。
「びっくりしたっ。あぁ、ボブさんとこの尾黒じゃないか? またきたのかい? 今回はちょっと遠出するから農場へお帰りよ」
降ろされそうになったので踏ん張るニワトリ。困る商人。
最後には伝家の宝刀嘴攻撃により、ニワトリは商人に勝利した。
「今度はどこまで旅に出るつもりだい?」
呆れたようにため息をつく商人は、実はニワトリのプチ家出の協力者だ。
プチ家出が常習なニワトリは、この商人と共にあちこちへ旅立っては数日留守にし、帰ってくるということを繰り返していたので、このニワトリがついてきても断るのは最初だけ、今は慣れた景色を見るように、ポニーの背にニワトリを乗せたままゆったりと歩き出す。
「この間は2つ先の村まで行ってたね」
ニワトリは好きなところで降りて、帰りはまたこの商人を見つけて戻っていくを繰り返すので、商人もニワトリと出会うのをひそかに楽しみにしている。出会うところが降りた場所と違ったりするので驚くのだ。
「私のところから離れた後はほんとにどうやって移動してるんだろうね」
気のいい商人は旅仲間を1羽乗せ、次の村までゆったりと進む。
ニワトリは時々相槌を打ったりするので、商人にはいい相棒だ
そんな風にしてゆったり進むこと2時間。
辺境の村その2が現れた。
「あ~っ、尾黒ちゃんがまたいる~っ」
商人に寄って来た村の子供達もまた慣れた様子でポニーの上のニワトリを見上げて追いかけてくる。
ニワトリはばさばさとポニーから飛び降りると、お礼を言うように「コケッ」と一鳴きして今度は村の乗合馬車の停留場へと向かった。
ほとんど使われることのない乗合馬車だが、数か月に一本村から町へと向かう馬車が出る。ニワトリの勘が当たれば今日か明日には出るはずだ。
人の足をすり抜けながら停留所に出ると、幸運なことに乗合馬車が出るとこらだった。
てってけてーっと走り、そのまま御者台にジャンプすれば、これまた顔見知りな御者がまたかという顔をした。
そんな風にして乗継を繰り返すこと、約5日。
初めて辿り着いた町は今まで見た村から見れば、かなりの都会だった。王都側から来た者にしてみればど田舎だったが。
町まで乗せてくれたのは、ニワトリの農場主ボブをよく知る彼の幼馴染ジェームズさん。彼はボブの飲み友達なのでニワトリのこともよく知っていて、日が落ちた現在、彼の住むアパートに案内してくれたのだ。
いい人~。
てけてけと後をついていき、その日はジェームズのアパートの一室にご厄介になる。
基本何でも食べる雑食性なニワトリは、ジェームズの放り投げる残飯をがつがつと食った後、ベッドの枕の上にぼふっと座り込んだ。
「あっ、お前贅沢だぞっ」
知りません。ここが丁度よいのです。
ニワトリは無視したが、ジェームズに枕を奪い取られてしまい、仕方ないので腹いせにふんを落として部屋の片隅に落ち着いた。
ジェームズはいい人だがケチな人。
ニワトリはジェームズの嘆きを無視して眠りに落ちる。
王都まではまだまだ遠い。
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深夜――――
町も静まり返り、人々が寝静まった頃、ニワトリはパチッと目を覚ました。
危険はない。ただ、今夜もしなくてはならないことがあったのだ。
恋に落ちてから7日。ニワトリはずっと月の神様にお願いをしてきた。
神様神様、信じてないけど神様。どうか私を人間に変えてください。
窓辺に座り、空に煌々と輝く月にお願いをする。
ちょっと掃除のし足りない薄汚れた窓には、輝く三日月が浮かんで見える。
月に向かって何度も何度もお願いをすれば、きっといつかは願いが届くと教えてくれたのは幼いひよこ時代に出会ったニワトリのおばあちゃんだ。
ちなみにおばあちゃんの願い事は「良い人に巡り合えますように」だったらしい。
にこにこしながら「わしは良いご主人と出会ったよ」と言っていたので叶う確率だって高いはずだ。
「コッコッコッコッコッ(あの人に相応しい人間に)」
名前も知らない騎士だけど、目を閉じれば鮮明に思い出せるあのしなやかな動き。月の神のごとき姿(神様は信じていないけど)。
神様神様、人間に変えてくれたら信じます。だから人間にしてください。
祈ること20秒(短い!)。ニワトリは満足そうに窓に背を向け、再び部屋の片隅に落ち着いて目を閉じた。
一度も振り返らなかったニワトリは知らない。
窓に映る三日月が、なぜか大きな満月となり、ニワトリを照らしていたことなど―――――