18羽 逃走中
しばらく人々に迷惑をかけつつも馬を走らせたが、ギルバートが追ってくる気配はなく、エマに手で合図すると、馬を止めて町の横道へと入った。
さすがに王都内を馬で暴走したのはまずかったらしく、警備兵が出てくる騒ぎになっているため、横道から狭い裏道へ、それを何度か曲がり、その間にマントを脱いで身なりを整え、何食わぬ顔で表通りへと出た。
「ロラン様にばれたらゲンコツですね」
「辺境の町でもよくやったよね」
馬を習いたての頃、馬に不慣れである事と、外へ出たさで辺境の町の中を走り回ったことがある。初めの頃はマントを着たり脱いだりで誤魔化し、だんだん顔が知られてくると今度は変装して誤魔化したりと、小さな町中でも傍若無人な旅人現るっという事件を頻発させ、その度にうまく誤魔化してきた実績があるのだ。
辺境の町でも1か月は誤魔化せた方法だ。これだけ人の多い町なのだ、追われていても、知らぬ存ぜぬで歩けばおそらく捕まったりはしないだろう。
現にチキ達の横を、暴走した二人組を探す警備兵が二人を睨みながら通り過ぎたが、何も知りませんという顔で歩いていれば、彼等はすっと二人の横を通り過ぎたのだった。
ほうっとエマが息を吐き、チキは微笑む。
「とりあえずギルから逃げる方法を考えないと」
ギルバートはチキ達が辺境の町に降りるようになって知り合った青年だ。元々剣に憧れ独自で修業し、ギルド登録もしていたのだが、二人に知り合ってからはロランに弟子入りしてその腕を共に磨いた仲間だ。
ただ、やはりロラン様至上主義がタマにキズで、ロランを語りだすと止まらないという難点がある。
そんな彼は時折リチャードからも何か教えられていて、屋敷にいるときからチキの居場所を突き止める能力がとても高かった。つまり、追手が今現在彼一人しかいないと言って侮れば、夢の騎士への道が絶たれる可能性が大いにある。
慎重に行動しなければ、と腕を組んで悩んでいると、チキの目の前をひゅっと何かが通り過ぎて行った。
「ん?」
カシャァァンッ
何かが飛んで行った方に目を向ければ、大きめのビールジョッキ石畳の道路に落ちて割れたところだった。
「お嬢様っ、お怪我はっっ」
慌ててエマが駆けつける。結構大きいビールジョッキは、その底のガラスが分厚くできておりとても重いのだ。そんなものが頭にぶつかればチキとて無事では済まなかったろう。
「あ~無事だけど、なんでビールジョッキ?」
飛んできた方向には一階が食堂になっている店がある。通りに張り出した看板には馬の尻尾亭と書かれ、馬のお尻と尻尾の絵が描かれていた。
チキはその看板を見て何か引っかかるものを感じたのだが、なんであったか思い出せずに立ち止まる。
最近聞いた記憶がするのだけど…?
「さっさと出て行きなっ、この酔っ払いが!」
店の中からエプロン姿の細身の女性が現れ、体の大きな男の背を蹴り飛ばした。
男は酔っぱらっているのか、おぼつかない脚でふらふらした後、チキ達の前に転んで道に手をつき、顔を上げた。
「っざけんじゃねぇぞ! 誰のおかげで飯が食えると思ってやがる!」
男は叫ぶなり立ち上がり、よろよろとよたつきながら店の中に戻っていく。
何事だろうかとエマと二人で入り口から店の中を覗き込めば、腰に手を当て仁王立ちする白髪交じりの栗毛の女性と、その後ろに隠れる小動物のような女性。そして、先程の男が二人の前までよろよろと歩き、拳を作って今にも殴りかかろうというポーズをとっていた。
「殴れるもんなら殴ってみな! 二度とここの敷居はまたがせないよ!」
どうやら食堂らしい店の中で、「よっ、女将!」と囃し立てる客達。
白髪交じりの栗毛の髪をした女性はどうやらこの食堂のおかみさんらしい。
「このっっ」
酒が入って気が大きくなっている男は拳を振り上げ、女将はそれから目を離さなかった。
「エマッ」
「あ、は、はいっ」
馬の手綱を投げられ、慌ててエマがそれを受け取り店の中を確認すれば、店の中では風のように素早く駆け抜けたチキが、酔っぱらいの後頭部に飛び蹴りをくらわせている所だった。
「ぐはっ」
男がそのまま前に倒れ、女将が手にしていた鉄の盆で倒れる男の顔面をすくうように叩いた。
あまりのことに店の男達が「うっ」とか「うおっ」と声を上げて呻く。
チキはそのまま男の背後に着地すると、盆を片手に腕を組み、ふんっと鼻を鳴らす女将と、その後ろで子兎のようにプルプル震えている金髪碧眼の小さな少女にほほ笑む。
「お怪我はありませんか?」
女将はチキを見て胡散臭げな視線を向ける。それも当然だ。チキは全くの無関係であるにもかかわらず飛び込んできたのだから。
「ないけど、あんた何のマネだい?」
「何のマネ、と言われても困るのですが。やはり女性は守られて当然だとある人に教わりまして」
女将の鋭い視線は全く気にも留めずに照れる一見少年騎士のようなチキに、店で食事中の男達がごくりと喉を鳴らす。
(あの小僧、女将の天邪鬼をしらねぇぞ…)
(殺されるんじゃねぇか?)
(助けて殺されるなんてかわいそうに…)
ひそひそ声は女将の耳に届き、女将がすかさず鉄盆を投げ、それは過たず最初に口を開いた男の頭を直撃して沈めた。
チキはその様子を目にして首を傾げる。
耳がいいので男達のひそひそ話は聞こえたが、女将に言った言葉で何が女将の気に障るのかよくわからなかったのだ。
「男が女を守るもの、なんて幻想吐くような男は嫌いだよ。それならうちのロクデナシは今頃大金持ちになってアタシを楽にさせてくれてるはずだしね」
「ロクデナシ・・・」
「そうさっ、ついこの間他の女との間に隠し子がいたことを報告に来たロクデナシだよ!」
「なんて命知らずな」と周りの男達が騒ぎ出し、このところ評判の食堂の女将がこの上なくピリピリしている理由を知ったのだった。
「じゃあそのロクデナシさんはわた・・・ごほんっ、僕が退治してあげるよ。どこにいるの?」
騎士たるもの、困った人を助けよと教わっているのでこれも忠実に守る。ロクデナシは悪人であるので、退治すべき人間になるのだろう。
女将はチキの真剣そのものの顔に呆れたようにため息をつくと、首を横に振った。
「どこの誰かもわからないやつに変わってもらうわけにはいかないよ。悪かったね、当たっちまって。助けてもらったお礼に何か食べていきな」
ピリピリしていた気配が消えると、食堂内の皆からほっとした息が漏れた。
チキはエマに目くばせし、エマは馬をつなげさせてほしいと申し出て、女将の後ろに隠れていた少女が案内に駆けていく。
そろそろ腹が空腹を訴えていたため、建物の中なら見つかりにくいだろうとチキは自分達の馬が軍馬であるのを失念して食事を頂くことにした。
「それにしてもひどい男がいますねぇ。女将さん美人なのに浮気だなんて」
エマと席について和やかに食事をしていると、女将さんの姿を見たエマがそうしみじみと告げる。
たしかにおかみさんは美人だ。食事をしていて気が付いたのだが、客の中にはおかみさんの気を引こうと必死になっている男達もいる。
見ていて初めは料理人と仲がいいので、お相手かと思えば息子だそうで、よくよく見ればおかみさんがそれなりに年をとっているのがわかる。それくらいおかみさんは若くも見えるのだ。
「あの息子さんと釣り合いがとれそうですよねー、30代ぐらいですもん見た目は」
うんとチキもう頷いたところで、チキははっとして叫んだ。
「馬の尻尾亭!」
叫び声に皆がなんだと注目する
「ジェームズの奥さんと息子さんだ!」
その瞬間、チキめがけて鉄の盆が飛んできた。
「あんたがあの人の隠し子かぁ!」
「うえ?」
チキは鉄の盆を避けた後、次に飛んできた皿を避け、誤解が解けるまで店は大騒ぎとなったのだった。




