14羽 謎の婚約者
ユリウス視点です 飛ばしても可
一体何がどうなっているのかと、取る物も取り敢えず王都を飛び出し馬を駆けて数日。驚異的な速さで先日通った道を進み、デルフォードの屋敷に辿り着いたユリウスは、後ろでぜぇぜぇと息を乱す小隊の副官カイルを放って屋敷の扉を叩いた。
「お待たせいたしました。と、これはグレアム様。いかがなさいました」
「ロラン様にお会いしたい」
さほど待たせず屋敷から出てきたのはロランの最も信頼する執事リチャードである。彼はいつものように丁寧に出迎えると、明らかに焦り、苛立っているユリウスをゆっくりと主の元へと案内する。その間話す雑談がどうでも良いことばかりで、ユリウスの神経を逆なでるが、カイルはにこやかに受け答えしていた。
「旦那様、グレアム様がお見えです」
見知ったロランの部屋の扉をノックし、声をかけたリチャードに入れと答えが返る。
ここまですんなり通されたということは、ユリウスが来るのをわかっていたということだろう。
リチャードが扉を開き、わきに避けてユリウスとカイルを通すと、彼は部屋の外から扉を閉めた。どうやら同席はしないらしい。
ユリウスは広い部屋のほぼ中央に位置する大きな机の前に腰掛ける人物を確認し、大股で近づいた。
「先日ぶりだなユリウス。何か火急の用でもできたか?」
内容などとうに把握しているロランのしらっと答える様が憎らしい。
「婚約についてです」
「あぁ。孫のことか」
すんなりと答えは返ってくる。隠すつもりも誤魔化すつもりもないということは、本当に家の関わる政略結婚ではないのだろうか。
「それなら部屋を移そうか。今丁度フランツがおることだしな」
「フランツ様が?」
フランツ・デルフォード侯爵と言えば、まるで商人のごとく事業を起こし、各地を巡り、滅多に義父であるロランの元には帰ってこない多忙な資産家だ。その彼が帰ってきているということは、まさか、と顔を上げると、ロランはユリウスの視線ににやりとした笑みを返した。
「お姫様が屋敷にいるってことだよな…」
カイルがこっそり耳打ちしてくる。
今まで令嬢の姿もそれらしい噂もなかったというのに、婚約話が出た途端現れる。ユリウスはある種の警戒を抱いた。
「父との間に取引があったのかもしれないな」
ユリウスの父アラン・グレアムは情よりも利益を大切にする種類の男だ。この婚約が令嬢の一目ぼれなどという話は真っ赤な嘘で、やはり何かしらの政治的取引があったのかもしれないとユリウスが警戒するのは当然だった。
ロランは二人を連れてあまり入ったことのない部屋へと入った。
青を基調にした品のいい調度品で埋められた部屋の中央で、書類だらけのローテーブルの前のソファに腰掛け、書類に目を通す線の細い男、フランツが顔をあげた。
「あぁ、お義父さん。申し訳ない、ちょっと散らかっておりまして」
慌てて片づけるフランツにロランは気にするなと言ってドカリとソファに腰掛ける。
「客だ。お前の娘婿になるユリウス・グレアム」
フランツは手を止め、一礼するフランツを嬉しそうに見上げた。
「随分大きくなりましたね。以前会った時はお義父さんの元で剣を習っていた少年でしたが」
「はい。お久しぶりです」
フランツに会うのは実は5年ぶりだ。その時は流行病で亡くした奥方とロランの奥方の葬儀だったため、会話すらしていないが、あの時の消沈ぶりを見た後だと、随分と明るくなったように見える。もちろんそれはロランにも言えるが。
「で、どうしたのですか? まだ婚約式の日取りは決まっておりませんし、娘さんをくださいという言葉は…ちょっと…まだ、聞きたくないですね…」
想像してしまってどよんと沈み込んだフランツに、ユリウスはぎょっとしてロランを見やると、彼は苦笑し、目で座るようにユリウスを促した。
「失礼します」
ユリウスが腰かけ、その後ろにカイルが立つ。カイルはおそらくユリウスの父からお目付け役を任されているだろうことはここにいる誰もがわかっているので追い出しはしない。
「そういやチキはどうした?」
ロランがフランツを見て尋ねると、彼は窓の外を指さす。
「授業の終わりに突撃しましたらすでに庭に逃げた後でした。今日こそは抱っこしてあげようと思ったのですが」
「ふむ、それはなかなか難しいな」
「えぇ。今のところ全敗ですよ」
よくわからない会話にフランツが首を傾げていると、ロランがにやにやと笑みを浮かべながら本題に入った。
「お前、この間ここに来た時オオカミと立ち回ったろう?」
一体何の話だとフランツは眉根を寄せる。
「農場に一羽気に入りのニワトリがいてな、どうやらお前のおかげで助かったらしいんだが」
そこでカイルが「ああ」と声を出す。
「辺境の村の農場ですね。ボブという気のいい農場主に一晩宿を借りた時に確かにユリウスがオオカミ相手に立ち回ってました」
「そのことか…」
ユリウスは合点が言って頷くと、なぜかロランとフランツが笑み崩れた。そして、二人して目配せし合う。
「あの…」
「婚約話は本当ですよ。娘がとてもあなたに恋焦がれております」
唐突にフランツから切り出され、ユリウスは戸惑ったように彼を見る。だが、フランツはユリウスの戸惑いなど気にも留めずににこやかに頷いた。
「しかし、病弱なご令嬢だという話です。私は会ったこともないですし、他のご令嬢のように倒れてもし病がぶり返しでもしたら・・?」
ぶふっと突然吹き出したのはロランだ。
彼は皆の注目を浴びると謝り、視線を彷徨わせる。時々肩が揺れて力が入るので、まだ笑いたいのを堪えているように見えるが、何を笑うことがあるのかユリウスにはわからない。
「違う病ならば再発するでしょうが大丈夫ですよ」
「おうっ、会ってこい、会ってこい。心配ないからなっ」
にやにやニタニタと笑むロランに不信感を抱きつつ、フランツと二人に促され、まだ話は何も終わっていないというのにユリウスは部屋から追い出されることになった。
なぜかカイルはついてこず、部屋の外にはリチャードが控えており、庭へと案内されて途中から放り出される。
勝手知ったる屋敷だ。迷うことはないが、何やら罠にはめられた様な気がして庭を進むと、途中で侍女とすれ違った。
令嬢付きの侍女だろうか?
彼女が来た方へ進めば、何やら声が聞こえてくる。
「会いたいよぉ~」
ため息をつく少女の声は柔らかく響き、どきりとする。
何も自分に会いたいと言っているわけではないだろう。
緊張しつつ姿の見える位置まで行けば、ふわふわとしたレースの白いドレスに身を包んだ、白に黒のメッシュという変わった髪色の少女が庭のベンチに上半身を突っ伏していた。
まさか気分が悪いのではと歩を進めると、じゃりっと砂を踏む足音がことのほか大きく響き、少女が体を起こした。
「お帰りエマ。早かった…」
ゆるりと振り返った少女は、ユリウスを見て固まる。
まだ離れているとはいえ、この反応ということはやはり彼女も…
踵を返して離れようとすれば制止の声と主におかしな声がして思わず振り返った。
ふわりと腕に飛び込んでくる羽のように軽い体。
目を合わせてはまずいと顔をそむけ、できるだけ目を合わせないよう努力したが、震える声がして、強引に顔を彼女の正面に向けられた。
目に飛び込んでくる今にも泣きそうに潤んだ赤の瞳。小さな体は小刻みに震え、顔を挟む手からその震えが伝わってくる。
少女顔から手を離すと、腕を大きく伸ばした。
「やっと会えたよぉぉぉぉぉっ」
そういって首にしがみついてきた少女チキを、ユリウスはわずかに震える腕で抱きしめたのだった。




