11羽 父親
朝です。日の昇る時間です。
チキはばふっと布団をめくりあげて起き上がる。
この時間に目覚めるのは使用人。ロランのような貴族が目覚めるのは昼近くになってからというのが普通だったが、チキが来てからは皆朝が早くなっていた。
チキは着替えがまだあまりうまくないので寝巻のまま部屋から飛び出し、館の中を走って、お目当ての扉をずばんっと開く。
「おはようジェームズ。朝だよ~っ」
ここ1週間のチキの習慣である。
いつもならばジェームズは眠たそうにしながらもよたよた起き出すのだが、今日はすでに身支度を整えており、チキは首を傾げた。
「チキより早いね」
「まぁな。今日は王都に向けて走らにゃならん」
ジェームズの言葉にチキの目がキラキラッと輝きだす。
昨日はロランの提案でチキが孫になることが決まったのだ。きっと、それが決まっていなかったことがチキをここが足止めされていた理由で、今は問題が解決したのでようやく王都に行けるのだとチキは期待している。
ジェームズはチキの考えが手に取るようにわかり、思わず苦笑いを浮かべた。
「チキはもう少しここで特訓だ」
「えぇっ、チキ置いてかれるのっ?」
「もう少し淑女にならんと大公の孫とは言えんだろうが」
「淑女って何?」
チキは村人達の会話を思い出す。
淑女…しゅく…熟女?
「胸がバインでお尻がボインッの女の人のことだよね。チキ…あと何年かかるかな。待てないよ」
「それを言うなら胸がボインでケツがバインだな。て、そうじゃなくて、お淑やかで礼儀正しいお姫様のことだ」
お姫様。
その単語にチキはコクコクと頷く。なぜならば、お姫様は騎士様が迎えに来る人物のことを言うのだ。 いや…迎えに来るのは王子様という人物もだったか。とにかく、チキがそのお姫様になれば騎士様が現れてくれるということになる。
そうとわかれば成ると心に決めるのは早い。
「頑張るよ。でも、チキは騎士にもなりたいなぁ」
「いや、それはやめとけ」
「むぅぅぅ。チキ強くなりたいんだけど」
そうしたらいつだって騎士様の隣で騎士様を守ってあげられる。
チキはんふふ~と笑いながら、騎士様の横を疾走するニワトリを思い浮かべて一人にやにやする。
「何考えてるかわかるけどな。女の子って言うのは普通守られてこそだぞ?」
そう告げてから、ジェームズは自分の勝気な妻を思い出し、わずかながらに遠い目をする。少なくとも、自分の妻は守られて満足するような女ではなかったからだ。
チキはジェームズの女の子論に首を傾げつつも、とりあえずは「わかった」と返事を返した。
女の子は守られるもの―――
チキに与えられたこの情報が後に面倒なことを引き起こすが、ジェームズはそんなことが起きるとは予想だにしていない。
「とりあえず俺は先に王都へ行く。息子にはチキのことを話しておくから、王都で困ったことがあったら馬の尻尾亭という宿を頼れ」
チキは馬の尻尾、馬の尻尾と何度か繰り返し、頷いた。
その後、ジェームズは普通の貴族よりもずっと起きるのが早いロランと、執事のリチャードに見送られて恐縮しつつも王都に向けて出発した。
チキはその姿を羨ましそうに見つめ、リチャードに促されると、しょぼんと肩を落として屋敷の中へと戻ったのだった。
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ジェームズが旅立ってから2日後。
屋敷にはお客、というかロランの身内が慌ただしく訪ねてきた。
「まさか商談先から呼び戻されることになるとは思いませんでしたよお義父さん」
ざわざわとざわめく屋敷のエントランスに現れたのはチキと同じような白い長い髪をした少し線が細い男の人だ。線が細い、と言ってもロランやジェームズと比べてなので、一般的と言えば一般的ではある。
男は侍女達にジャケットを預けると、出迎えるロランに微笑み、軽く肩を抱き合う。
「よく帰ったな、フランツ。呼び出してしまってすまんかったが、顔合わせはしてもらわんとな」
フランツと呼ばれた男はにこりとほほ笑み、頷く。
「もちろんです。私の娘になるのですから。で、チキはどこに?」
光の加減によっては赤く見えるフランツの薄い青紫の瞳が、きょろきょろと辺りを見回し、ふとエントランスホールから2階に続く大階段の上で、手摺に隠れるようにしてじっとしていたチキに視線を向けた。
白い髪に黒のメッシュが入った長い髪、目は赤くクリクリとしており、興味津々にフランツを見ているが、警戒しているのか近づいてはこない。
フランツはチキに向けて手を振り、チキはばっと立ち上がった。
ズダダダダダダダッと勢いよく階段を駆け下りるチキは、一番下の段を蹴り、フランツの顔めがけて飛びあがる。
その眼は獲物を捕らえた獣のようで、ロランははっと身構え、フランツは「あ」と口を開けて動きを止めた。
「そこまでですお嬢様」
ぐっと首根っこをリチャードに掴まれたチキが、ぷら~んとぶら下げられる。
見た目と違い、ニワトリほどの軽さしかないチキは、捕えてしまえばなんてことはないのだ。
「なんでリチャードには捕まるのかなぁ」
すとんと降ろされ、少し上にずり上がったフリルたっぷりのドレスをぐっと下に引き下げ、元に戻すと、きらっとした目をフランツに向けた。
「えぇと」
「人間のごあいさつですよお嬢様」
「初めまして、チキです。よろしくお願いします?」
これでいいかとばかりにドレスのスカートをちょいと摘み、膝を軽く折ったチキは、あいさつの終わりに首を傾げてリチャードに確認をとっている。
「30点ですね」
リチャードの評価はとても厳しいようだ。まだまだまだまだ及第点には程遠い。
「敬意をもってきちんと相手を見るように」
「ニワトリ式の方がいいのに」
「あれはただ喧嘩を売っているだけですよ。人間には通じません」
そう。チキが最初にフランツの顔めがけて飛びあがったのは、ニワトリ式、というかチキ式のご挨拶だったのだ。
あそこでフランツが受けるか、躱すか、それとも攻撃するかで上下関係が変わるのだが、『父親』にもその挨拶はしてはいけないらしい。
人間ってどうやってボスを決めるのかなぁ。
ちなみにチキはこの屋敷のボスはリチャードだと思っている。
リチャードを見つめていると、くすくすと笑い声が聞こえ、チキは顔をフランツの方へと向けた。
フランツはチキを見ながら笑っており、その手を伸ばすと、チキの頭を撫でた。
「初めましてチキ。私はフランツ・デルフォード。君の父親になる男だよ」
チキはきょとんとフランツを見上げる。
よろしくとほほ笑む髪の長い男は、どちらかと言えば女顔で、この場にいる使用人の女性達よりずっと美人だった。
だからこそ、チキはこんな時に必要な確認のセリフというものを放ったわけだが…。
「タマついてる?」
フランツはカチンッと凍りつき、使用人達は「ヒッ」と声を上げ、ロランは笑い転げ、そしてリチャードからはブリザードが放たれた。
「お嬢様、これからきっちりみっちり礼儀作法というものを覚えましょうね」
リチャードの放つ冷気に、チキはピキリと顔をひきつらせ、「ハイ」と素直に頷いたのだった。




