10羽 手紙
私にはあなた様を支えられるだけの力がございません―――――
謝罪の手紙はいつも同じ。令嬢から手紙が来るだけまだましなのだと思う。
つい先日父である伯爵の命令で渋々ながら32回目のお見合いをした。しかし、結果はいつもの通りだ。
伯爵家、しかも現宰相である父を持ち、本人は次期騎士団団長と噂される有望株。しかも年はまだまだ若い23歳。どんな縁談も最初は相手が乗り気で押してくる。しかし、実際出会ういかにも箱入りな娘達は、どの娘も例外なく初顔合わせで気を失うのだ。
では、そんなに顔が怖いかと問われれば、そうではない。
少し離れたところから見れば女達は彼に見とれ、うっとりとした顔をしてその場から動かなくなる。それほどの美貌を持っている。
しかし、近くにあると、彼の無意識に吐き出す覇気がか弱い少女達を恐怖に陥れ、気絶させてしまうのだ。
俺にどうしろというんだ…
両親には結婚しろとせっつかれ、数々のお見合いを受けてきてすでに32回。ありえない数だ。
初顔合わせで気絶しなかった娘は一人としておらず、今や悪夢のお見合いなどと影で噂されるほどで、宰相である父ですら最近では相手を探すのに苦労する。
自分に耐えきれるのは肝の座った町娘か、遊女ぐらいしかいないのではと思う。それこそ子を生せというなら、誰か同意してくれる人に頼んで生んでもらう方が早いのではと思うほどだ。貴族は貴族の子をなどといまだおかしなしがらみに縛られているから、年々子供が減るのだと男はぼやいた。
「荒れてるなぁユーリ」
びりびりと手紙を破り、くずかごに投げ捨てたタイミングで扉が開き、二人分の執務机のあるだけの質素な部屋に入ってきたのは、短い栗毛に碧眼、顔立ちは少し軽薄そうな男だ。彼はユーリと呼ばれた男の相棒で、この光景も何度も見ているから何が起きたか知っていた。
「その名で呼ぶなカイル」
カイルは片手を上げ、ニカッと笑みを浮かべる。
「悪い悪いユリウス。で、今度はどこの令嬢よ?」
全く悪びれず謝るカイルから仕事である資料をふんだくり、執務机にドカリと座った。
カイルは自分の執務机に向かわず、眉間に皺を寄せる美貌の上司をじっと見た。
サラサラの金糸の髪、鋭い青の瞳、母親譲りの整った顔立ち。背も高く、体は鍛えているだけあって引き締まり、どこから見ても非の打ちどころの内容な美丈夫。しかし、彼はなぜか威圧感を常に身に纏っており、たおやかで繊細な貴族の娘に縁がない。
貴族は貴族同士でしか結婚できないこの時代、このままではこの尊敬する上司で、頼れる仲間で、愛すべき友人である彼は、心から欲する愛に満ちた生活とやらを送れないのではないかとカイルは心配になる。
せめて、町娘と結婚してもいいというのならば、いくらでも気の強い娘を探し出してやるというのに、なまじ親の身分が高いゆえにそうもいかないから問題である。
「ヘルグ男爵令嬢だ」
あまりにもカイルが自分の席に着かないので、渋々ユリウスが答えれば、カイルは彼の身の上を心配していた思考を打ち切り、「お」という顔をする。
「ついに男爵までいったか」
侯爵には年頃の娘がおらず、伯爵位で18人、子爵位で10人 辺境伯で3人、そして男爵位まで下がってまずは一人目である。そろそろ後がないとみていいだろう。
「グレアム伯はいつ諦めるんだ?」
「知らん。ムキになる方がいい笑いものだというのにあの糞親父は一向に引かんつもりだ」
「おいおい、口が悪いぞ次期団長殿」
窘めるものの、騎士団は一般市民からも多く雇用されている。当然それなりの剣の腕が必要なので、荒くれが多く集まる。おかげで騎士団に入った騎士達は面白がって俗語を覚える。もちろんカイルもユリウス同様よく糞だのなんだのと口にしてしまう方だったので、窘めても本気の注意ではない。
「俺のことよりカイル、これはなんだ?」
今現在ユリウス達の小隊が探している探し物の情報の中に、見知った名前の書かれた手紙が紛れ込んでいた。しかも、重要であることを示す金色の封蝋がしてある。
手紙の封筒の裏表を確認し、ペーパーナイフで封を切る。
手紙が引き抜かれた封筒をカイルが手に取り、その名を確かめた。
「うわ、デルフォードの印璽。師匠からか。なんだって?」
かつての名将ロラン・デルフォード。彼は二人の師匠でもあり、先日辺境へ赴いた時に挨拶に立ち寄っている。この老人は、他愛のない手紙でも遅く配達されるのを嫌がって時々重要度が高いことを示す封蝋を使うことがあるので、今回もそれかとカイルはユリウスを見た。
ユリウスの表情が奇妙に歪んでいた。
「難題でも出されたか?」
「いや、なんだろうな、これは」
カイルの目の前にかざされた手紙には、たった一言しか書かれていない。
婚約するな。見合も少し待て――――
差出人にロランのサインが書かれ、受取人にはユリウス。とすれば、やはりこの奇妙なメッセージはユリウスに向けられていることになる。
「この間寄った時は何も言ってなかったよな」
カイルは首を傾げる。それにユリウスは頷いた。
「進展したか聞かれただけだ。後は探し物の情報だけだが…」
「新しい遊びでも思いついたのか? まぁ、少しは元気になったって言うなら屋敷の皆も喜ぶと思うけどな」
何しろあの老人は5年前に妻と娘を失って以来ひどく落ち込み、昔の覇気をすっかり失ってしまったのだから。
いたずらであれ、気力が戻ったというなら喜ばしいことである。
二人が揃って首を傾げていると、扉の向こうが騒がしくなり、ノックもなく扉が開かれた。
思わず二人がびくっと驚いたのは仕方がない。
「いるな」
低い声が響き、現れたのは、武人の覇気とはまた別の種類の恐ろしいオーラを持った長身の男である。
銀髪を揺らし、冷たい表情をしたこれまた美しい30代前半に見えるその男は、メガネを指でクイと上げると、氷の青をした瞳をすっとユリウスに向けた。
「何の用です父上」
氷の宰相、現在40歳のユリウスの父、アラン・グレアムである。
ユリウスは父に負けじと彼を睨み、アランはそれを見てふんと鼻で笑った。
「相変わらず可愛げのない息子だ。だが、吉報を届けに来てやった」
「吉報? 凶報ではなく?」
皮肉を言ってしまうのは相手がこの父だからだ。油断すればいいように使われる。
ユリウスは心構えだけはしっかりして、アランがにやりと微笑むのを見つめた。
「お前の婚約者が決まった」
さすがに内容が内容で心構えをしたはずのユリウスも、そこそこ驚く覚悟を決めていたカイルも、揃ってぽかんと口を開けた。
アランは息子達を見てふっと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「大公爵の孫娘だ。アグネス嬢とデルフォード伯が体の弱い娘を隠していたらしい。その娘が回復し、お前を見かけて一目惚れしたというのだ」
アランの説明中にユリウスは立ち上がると、制服の上着を引っ掴み、部屋を飛び出した。
「大公に会ってきます!」
「ちょっと待て! 俺も行く! グレアム伯、休暇を申請させてください!」
カイルはしっかりとアランに頼み込み、仕事に厳格なアランが珍しくそれを承諾した。衝突の多い親子だが、やはりいろいろと苦労のある息子に嫁ができそうなのが嬉しいのだろう。
「吉報を待つ」
そう告げたアランに、カイルは頷いたのだった。
補足:位について
上から 大公(元・王様)
王様
王太子
大公爵
(王の血に近く、将軍職にあったもの。この国ではロランのみ)
王子 姫
公爵 (王族に血が近い者)
侯爵
伯爵 辺境伯
子爵
男爵
騎士 (騎士も一応貴族階級に加えられます)
ロランがどの位置かわかってもらえればいいです。ファンタジーなので色々現実とは違ってますが、この国ならではと思ってください。




