彼女の過去の断片
私は貧しい家に生まれた。
その日を生きていくのに精一杯な人たちの子供として。
貧しいが普通の人間の子供として生まれた私は、人間として異常だった。
その能力の発現は生後0日。
私は産まれてすぐに白い光に包まれたそうだ。その光は一瞬で街の3分の1を飲み込んで消えた。
だが、両親は何の異変にも気付かず首を傾げるだけで、毎日の忙しさに追われていく内にその出来事自体を忘れ去った。
しかし、三年が経った頃には両親は私の異常性に気付き、怯えていた。
一向に私の身体が成長しないのだ。
三月遅れて産まれた近所の男の子は身体も大きくなり、既に歩いたり走ったりしているにも関わらず、私の身体はほとんど変わらず、漸くハイハイが出来るようになっただけ。
おまけに私が泣く度に食器や小物どころではなく、棚やベッドが浮き上がるのだ。
魔術の力とは無縁だった両親がその異常性の原因に気付ける筈もなく、周囲に私の異常さを気付かれる前に、そして何よりも自分たちの命を守るためにと私を捨てた。
魔物が跋扈し、大人でさえ生き残る事が出来ない『死の森』へと。
私は、ハイハイしか出来ぬとはいえ既に3歳。
全てではないが両親たちの言う事を理解出来るだけの頭は持っていた。
だから、「あっちに真っ直ぐ進みなさい」という父の言付け通りに森の奥へ奥へとハイハイで進んで行った。
その頃の私の世界に両親の命令に逆らうという選択肢はなかった。
両親の言付けに反したり、泣き叫べばご飯が貰えないという現実しか知らない私は、お腹が空いても喉が渇いても泣き喚く事などなく、唯只管に真っ直ぐ進んだ。
結果、私は疲れ果て、飢えと渇きに苛まれながら地面に転がるだけしか出来なくなり、ぼぅっと森の木々を眺めながら漠然と感じる『死』を待つ肉塊になり果てた。
そんな時だ。
養父に出会ったのは。
養父は変わり者だった。
他人との付き合いが嫌いで『死の森』で隠遁生活をしている魔族。
加えて大の人間嫌い。
それなのに、森で死にかけていた私を拾って育ててくれた。
そんな養父との新しい生活は、初めてだらけの日々だった。
養父は決して甘やかさない魔族だったので、厳しい修行や勉学で死にそうになることもしばしば。
けれど、養父は一度だって私を恐れなかった。
私を否定しなかった。
惜しみない愛情を与えてくれた。
私の大切な唯一の存在。
そんな彼との日常は幸せに満ちていた。
しかし幸せな日々は呆気なく切り裂かれる。
それは足りなくなった食料品や日用品を買いに町へ降りた時に起こった。
市場で食材を物色していた私に一人の男が声をかけてきた。
「一緒に来い」という男の願いを一蹴した私を取り囲むのは王宮騎士団。
王の勅命により私を捕縛すると言う。
大人しく縛につけ! だってさ。はっ。
それを鼻で笑って逃げてやった。ざまーみろ!
だが、相手が悪かった。
奴らはどこまでも卑怯で。
魔術で町を完全に封鎖して、人の出入りを完全に遮断し。
孤立した町人達に宣言したのだ。
私が捕まらなければ封鎖を解く事はない、と。
市場にある食糧の大半は既に王宮騎士団に買い占められており、町内に残った食糧は極僅か。
食糧が数日しかもたない事に気付いた町人達は積極的に私を捕えるために動いた。
そうして私が逃げ続けた結果、人間で唯一仲の良かったじいちゃんが騎士団に捕縛された。
元々養父と親交のあった変わり者の魔術師のじいちゃんは、私の事を本当の孫のように可愛がってくれていて。
だから、自分の命が危険に晒されようと町人や騎士達の協力や命令を無視して私を匿い続けてくれた。
私はそんなじいちゃんを見殺しになんて出来なかった。
もし、見殺しにしてしまったら、私が嫌悪する人間と同じモノに成り果ててしまう。
だから、自ら捕まった。
じいちゃんの解放を条件にして。
だが、騎士団の連中は私との約束を簡単に破った。
結局じいちゃんは王の勅命に反した反逆罪で私と共に王宮へと送られた。
お互いがお互いの人質として。
私たちに王への絶対服従を強いた。
正直それからの事は思い出したくない。
ただ身に沁みた。
私はあいつらにとって人間じゃないと。
繰り返される非人道的な実験。
奴隷ですらない扱い。
痛みと苦しみの中で感じたのはあいつらに対する怒りと憎しみと。
じいちゃんへの心配。
そして何より、“家”に帰りたかった。
幸せだったあの日々に。
養父に会いたい。
涙が出るほど痛切に。
苦しく血を吐く日々のたった一つの願い。
しかしその願いが叶えられる事はなく。
状況は一変した。
その原因は『勇者の敗戦』。
魔王に破れ、全滅した勇者一行。
それに慌てた王は密かに新たな勇者を選出した。
彼は、『逃げた勇者』だった。
先の勇者選出の際に勇者に選ばれたにも関わらず、戦いの恐怖故に途中で逃げ出し、結果捕まり、市民権を剥奪され、貴族の子息から赤奴隷(平奴隷の更に下の奴隷の名称)に堕とされた男。
その事実は厳重に秘され、新たに勇者となった男はそれ故に王の傀儡だった。
だが王はこの傀儡に決して期待していなかった。
この男より多少劣るとはいえ、敗れた勇者と男の実力の差など微々たる物。
ただ勇者を送り出すだけでは魔族を滅ぼす事も、魔王を倒す事も出来ない。
だからこそ王は、魔族を殲滅するための殺人兵器として私を使おうとした。
私はじいちゃんを人質に取られ、承諾するしかなかった。
だがただで応じるわけにはいかない。
だから私はじいちゃんと私の解放を条件に、勇者との同行と能力の使用に応じ隷属の腕輪を装着した。
もちろんじいちゃんの解放を先にさせて、それを見守ってから隷属の腕輪を着けたが。