表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/100

File93 なぜ理系離れが止まらない

大学では相変わらず理系離れが止まらない。子供たちの理科嫌いも進み、日本の理科教育のレベルは低下する一方だという。筆者は若者の理系離れは、好き嫌いの問題ではなく、必然的なものではないかと思っている。

どのような素晴らしい科学技術も日常化してしまうとただの「当たり前」となり価値がなくなってしまう。例えば、あなたが今毎日見ているテレビ。これは人類の科学技術の粋を集めて作られた素晴らしい文明の利器である。理系人間がいなければ、あなたはテレビを見ることも、車に乗ることも、パソコンを使うこともできない。まさに原始時代のような生活を送らなくてはならなくなる。

でも、今日では別に理系人間でなくても、ボタンを押せばテレビを見ることもできるし、ハンドルを握れば車を運転することもできる。つまり科学技術が日常化してしまい、それを使いこなすのに特別な知識や能力が不要になってしまったのである。

サルを使った面白い実験がある。長い筒の付いたガラスケースの奥にエサのバナナが置いてある。サルの手の長さでは筒の奥まで手が届かない。そんな時、1匹のサルが棒きれを使って筒の奥のエサを引き出すことを思いついた。このサルはこの道具のおかげで他のサルよりも多くのエサにありつくことができた。でも、しばらくすると他のサルも真似をし始めて、このサルの優位性はすぐに消えてなくなってしまった。

テレビも最初にそれを開発した人は、まさにノーベル賞級の発明だったに違いない。でも、そんな高度な技術も日常化されてしまうと二束三文の価値しかなくなる。もちろん、長い歴史の中でテレビに関する技術も進歩し、現代のテレビは50年前のものよりは各段によくなっている。でも、電波を受信し映像を再現するという基本的なコンセプトは何も変わっていない。

だから、どのように外見や機能をいじくってみても、新たな価値を産むこともない。意のある理系人間にとっては、今やテレビの開発はまったくつまらない玩具いじりのレベルの話になってしまっている。夢も、希望も、興奮もない世界である。いくら研究に没頭しても、大した成果を上げることもなく一生を終える人がほとんどである。これでは、若者の理系離れが進むのも当然である。

その一方で、テレビを売っている販売業者はあの手この手を使って利益を上げようとする。サルの例を借りるなら、苦労して棒きれを使ってエサを取る方法を考えるよりは、そうやってエサを取ったサルから要領よくエサを分けてもらった方が楽だという発想である。人間誰しも、楽をしてエサを得る方法があるならば必然的にそちらを選ぶ。

こう言うと、いや文系人間だっていろいろと頭を使って少しでも多くのエサを得る方法を考えようとしているという反論がありそうだ。でも、「頭を使う」の意味が根本から違っている。文系人間の「頭を使う」とは、要領よく利益を上げるということだけである。いくら文系人間が頑張っても、理系人間がいなければそもそも売るためのテレビも存在しないし、エサのバナナもガラスケースの中に入ったままである。今の文明社会は、基本的にはこれまで生きてきたあまたの理系人間が作り上げてきたものである。

何か理系人間をえらく持ち上げる話になってしまったが、筆者は別に理系大学の回し者でもないし、実際は生粋の文系人間であり、世間で最も文系的と言われている某会社に勤めていた。ただ、そこは新しい発明も発見もなく、与えられたモノを毎日右から左に流すだけのつまらない社会であった。その会社の社長が訓示で言った言葉、「学者は要らん、考えている暇があったらとにかく走れ」。日本の将来を憂う。


(追記)

このお話につき、いや最近は女子学生の理系志望が増えているんじゃないかというご意見がありました。今はやりの「リケジョ」ですね。私が学生の頃、リケジョはとても珍しく、特に医学部、工学部あたりではほとんど女子学生は見かけませんでした。でも、いまでは新人医師の約3割が女性だと言われています。なぜ、女性界で理系ブームが起きているのでしょう。

簡単です。理系の世界は、実力世界で女性差別が少ないからです。企業社会はいまだ男性優位で、安倍総理もわざわざ女性の管理職登用を推進すると明言されているぐらいです。

でも、地道な研究職の世界ではむしろ女性の感性や持久力がモノを言う場合もあります。瞬発力や行動力が中心の男性には不向きの分野もあります。むしろなぜこれまで「男性=理系、女性=文系」という暗黙の固定観念が定着していたのかという疑問がわいてきます。

「File87 IQの高い人は頭がいいか」でも書きましたが、将棋や囲碁の世界では男性棋士が圧倒的に優位で、女流棋士は普通の棋戦では男性棋士にほとんど太刀打ちできません。こうした事実を持って、女性が論理的思考に弱く、理系に向いていないという大きな誤解を生んだのではないかと推測されます。

しかし、理系の人にとって本当に論理的思考が必要なのでしょうか。論理的でない理系があってはいけないのでしょうか。物理学や数学の世界ならともかく、医学や生物学の世界では、むしろ探偵のような勘がモノを言うのかもしれません。

あるいは、そもそも論として学問を理系・文系という2系統に分類することが問題なのかもしれません。例えば、統計学のように理系と文系の狭間にある学問もあります。統計学は数学のかたまりであり極めて理系的ですが、一方で経済学には統計的分析が必須です。

長くなりましたが、どうやら学生の理系離れ、というか「研究職」離れは、「学者は要らん」という企業側の人材ニーズに起因しているようです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ