File87 IQの高い人は頭がいいか
テレビのクイズ番組を見ると、よくIQの高いチーム対決とかやっている。世の中では、一般的に「IQの高い人=頭がいい」とされているが、本当にそうなのであろうか。
IQテストを受けたことのある人はお分かりと思うが、問題の多くがクイズのような内容ばかりである。例えば、暗号を解読させるような問題、あるいは図形を多面的に解析させるような問題…等々、一体こんなことをして何の意味があるのかと言いたくなるような不可解な問題ばかりである。こうした問題を素早く解ける人は、発想の転換ができたり、あるいは物事を別の角度から見たりする能力に長けた人であることが多い。
IQの高い人は、同じ仕事をさせても、間違いなくIQの低い人より速く仕事ができる。例えば「1から100までの数字を全部足す」とい作業をさせた場合、IQの低い人は1+2+3+…、というように1から順番に足し算してゆく。これに対し、IQの高い人は、1+99=100、2+98=100…だから、100が49個できるので、あとは真ん中の50と最後の100を足すだけ、よって100×49+150=5050と計算する。
そんなものはIQの高低にかかわらず、誰でもそうすると言われそうだが、これは単なる一つの例であって、何かにつけIQの高い人は低い人に比べて仕事の段取りがうまい。悪く言えば、「要領がいい」、もっと悪く言えば「ズル賢い」ということになる。
また、IQの高さがかなりの程度遺伝で決まるということは、既に実証されている。これは両親ともが東大卒の家の子は、また東大に入っている点からしても、納得のできる結論であろう。確かに、IQの高い人は受験勉強の仕方においてもIQの低い人より要領がいい。「File17 全く勉強せずにテストで何点取れるか」でも述べた通り、頭のいい人は最小限の努力で要領よく点を取る。1から100までをクソ真面目に足し算してゆく人とは、端から勉強の仕方も考え方も違う。
IQテストを受けている時の被験者の脳内血流量を測定する実験でも、IQの高い人は脳内のいろいろな部位の血流量がアップすることが確かめられている。つまりIQの高い人は、脳のいろいろな部分を連携させて問題を解決しようとするのに対し、IQの低い人は脳の一部分しか使っていない。だから、参考書を1ページ目から1字1句読んでいくような通り一遍の勉強法しかできないのである。
では、IQの高い人は、すべて頭がいいと言ってよいのであろうか。そのためには、「頭がいい」とは、どういうことなのか定義をハッキリさせておく必要がある。今の世の中で、頭がいいといえば、勉強がよくできる、難関大学に行ける、といったことが尺度にされている。
ところが、人の能力にはいろいろあって、記憶力、理解力、洞察力…等々、多面的である。別に難関大学を卒業していなくても、例えば、円周率を何万ケタも覚えている人、5ケタ×5ケタの暗算をいとも簡単にやってしまう人、ルビックキューブのようなパズルゲームを素早くできる人…、いろいろな人がいる。かの発明王エジソンも学校の勉強はまったくダメだったという伝記が残っているぐらいだから、どうやら頭の良し悪しとIQは関係なさそうである。
「IQが高い⇒頭がいい」というのは、いわば作られた固定観念であって、「頭がいい」を測る尺度が変われば、IQは頭の良し悪しを測る道具として使えなくなる。もし東大に合格した人がIQの高い人ばかりだったとしたら、そうした人しか合格できないような入試問題を作っている方が問題なのかもしれない。
ちなみに、鳥の中でIQがもっとも高いとされるのはカラスだそうだ。例えば、カラスが道を走る自動車の前にクルミの実を置いて殻を割らせるのは有名な話である。自動車は人が発明した道具、いわば高度な文明の象徴である。カラスはそれをクルミを割らせる道具として使ったのである。鳥の中でこんな「ズル賢い」高等芸ができるのはカラスだけである。
だとすれば、「東大卒⇒頭がいい⇒IQが高い⇒ズル賢い⇒カラス」ということになる。東大卒の方々、大変失礼しました。
このテーマにつき多くの方からご関心が寄せられていますので、筆者の考えを改めて追記したいと思います。
(追記1)
人々が一般的に「IQが高い」と言う時、その背景には暗黙のうちに「羨望と嫉妬」の響きが込められているという点です。人間というものは、何につけ自身より優れている人に対する羨望と嫉妬の心を持ちます。「インテリ」あるいは「東大卒」という言葉にも同様の響きがあります。
だから、テレビのクイズ番組では敢えて「インテリチーム」とか「IQ高いチーム」とかを作って、彼らがクイズで間違うのを見てゲラゲラ笑い、大したことないじゃんと自己満足しようとするのです。
これは、歴史的に見ても、ユダヤ人やフリーメーソンといった人々が、その賢さのゆえに一般人から惧れられ、遠ざけられ、迫害を受けてきたことに類似しています。
「東大卒」というと、一般的には頭がよくて、優遇されている特権階級のようなイメージがありますが、それは中央政府や超一流企業の中だけの話で、一般社会や中小企業においては、彼らはむしろ「東大を出ている」という理由だけで、冷ややかな目で見られ、あらぬ差別を受けているのが実態です。まさに、本文で「東大卒⇒カラス」と書いたようにです。だから、世の中で、自分から進んで「IQが高い」という人はまずいないでしょう。そんなことをすると皆から嫌われるからです。
でも、こうした人々が文明の発展に貢献してきたことは紛れもない事実です。本文でも上げた、1から100まで足すという仕事も、IQの高い人がいなかったら、いまだに1+2+3+…なんて電卓をたたいているかもしれません。ユダヤ人がいなければエジプトのピラミッドも建たなかったし、フリーメーソンがいなければ現代科学の発展もなかったかもしれません。
結局、「IQ高い=頭がいい」というのは、結論から言うと、ただ単に凡人の「嫉妬心」から生じているのかもしれません。
(追記2)
最近、遺伝とIQに関する興味深い実験結果が報告されています。遺伝子解析の技術が進歩したことで、ヒトゲノムの解析が、昔は何カ月・何億円とかかっていたものが、今では数時間・10万円程度で出来るようになったことで、ヒトの遺伝子のサンプルが多く集められるようになり、遺伝子とヒトの様々な能力の相関関係(寄与度)が調べられるようになったといいます。
例えば、身長、体重といった身体的特徴は遺伝80%、後天20%の割合という結果が出ています。音楽の才能や運動能力に至っては90%以上が遺伝優位という結果が出ています。まさに、「音痴」とか「運動神経が鈍い」というのが本当にあるということが科学的に実証されてしまったということになります。
それで、問題のIQですが、遺伝50%、後天50%と、ほぼ半々だったようです。50:50ならどっちとも言えないじゃんと思われるかもしれませんが、筆者は50%という数字はかなり高いと思います。なぜならIQの高さの半分が遺伝で決まってしまうと言われると、ああやっぱりなと思われませんか。ましてやこれは平均的結果ですから、中には遺伝90%何ていう生まれつきの天才もいるということです。
唯一の救いは、後天要因が50%あるというところで、凡人でも人一倍努力すれば何とかなるということです。実際、血のにじむような努力をして人生で成功している人もいるのを見ると、カメでも頑張ればウサギに勝てるということを示しているように思います。
ただ、遺伝要因が10%しかない人は、やはり「カエルの子はカエル」にしかなれないと考えておく方が無難なようです。無理をして、親が過度な期待を子供にかけたりすると、ストレスからうつ、引きこもり、非行など、よからぬ結果を招く可能性があるからです。何事もほどほどがいいと思います。
アメリカでは、自身の遺伝子検査がすでに占い感覚で受けられるようになりつつあり、例えば、将来かかりやすい病気の予測とかは既に実用化されています。ただ、こうした安易な遺伝子検査が世の中に広まると、遺伝子による人の選別なんていうSFみたいな話が現実のことになりかねません。倫理の観点から早急に法整備等を進めるべきという意見もあります。
(追記3)
次に問題となるのは、IQに男女差はあるのかという点です。
将棋や囲碁のプロ棋士の世界は圧倒的に男性優位になっています。というか、一般棋戦では、女流棋士が男性棋士にはほとんど勝てないため、女性だけで別の棋戦が行われています。体格や筋力で差があるスポーツなら当然としても、頭を使うだけのゲームである将棋や囲碁の世界で、これだけの男女差が開くというのは一体どう捉えればよいのでしょうか。やはり、頭の良し悪しに男女差があるのでしょうか。
fMRI(機能的磁気共鳴装置)を使って対局中のプロ棋士の脳内血流量の動きを調べたところ、特に空間把握に関与する部位において血流量の上がり方が目立ったという報告がなされています。やはり大脳生理学的に見ても、頭の使い方に差はあるようです。
でも、こう書いてしまうと、女性蔑視だと言われそうなので、もう少し「頭がいい」ということはどういうことなのか生物学的観点からも考えた方がよさそうです。
動物界では、ほとんどの種に「オスは争い、メスは待つだけ」というルールが見られます。つまり、オスは自身の子孫を残すためにメスと交尾をしなければならず、その交尾権を巡って他のオスと争わなければならないのです。その争い方は多種多様で、体格の差や角の長さ等を利用した格闘がもっとも一般的ですが、それ以外にも、さえずりの上手・下手、色の奇麗・汚い、巣作りの上手・下手、中にはエサを運んでくる量で決まるような種もあります。メスの関心を惹くためのテストはまさに千差万別です。
オスはこうした大きな試練を乗り越えるために、力だけでなく頭を使うという点でも、メスに比べて切磋琢磨することを強いられます。一方で、メスは、こうしたオスの勝負がつくまでひたすら待っているだけで、自らが争いに加わることはありません。メスは、そもそも争い事には不向きあるいは不得手なのです。
これが、今日において将棋や囲碁の世界で男性棋士が圧倒的に強いことの遠い、遠い理由なのです。要は、得手・不得手の問題であり、この事実だけをもって男性棋士の方が女流棋士より頭がいいと結論付ける人はいないでしょう。
IQもこれと同じです。結論から言えば、IQの測り方次第で、あるいは分野別で男女差はあるということになります。かなり以前、「話の聞けない男、地図の読めない女」という本が流行ったことがありましたが、まさにその通りです。
もし、IQテストが空間把握能力や論理的思考を問うような問題ばかりで構成されていれば、男性の方が高いという結果が出るでしょう。でも、言語処理能力、コミュニケーション力などの問題が多ければ女性陣に軍配が上がることになります。
世間で考えられているもう一つの大きな誤解は、「IQの高い人=理数系の人」というものです。仮に、理数系の人やプロ棋士だけが高得点を取れるようなIQテストがあったとしたら、テストの出題傾向に偏りがみられるということであり、IQテストとしてはふさわしくありません。
ただし、適性検査のような形で分野別のIQテストを実施するのは有効でしょう。なぜなら、不得手な人が不得手な分野の勉強や仕事をするのは、好き嫌いの問題は別として、無駄や非効率を生じるからです。もちろん、世の中効率性だけをもって物事を決めてはいけないと言われそうですが、少なくとも向き不向きがあるということだけは常に考えておくべきだと思います。これは、別に差別ではありません。苦手なことを無理強いするのはお互いにとって不幸になります。
やはりIQは、正しく理解し、正しく使うことが重要だと言えるでしょう。
(追記4)
もう一つ興味深い考察は、サザエさん家のカツオ君のIQが高いかどうかということです。ご存知のように、カツオ君は学校の勉強はまるっきりダメですが、イタズラや悪知恵についてはピカイチです。特に楽をして何かを得るということに関しては非常に長けています。彼がこのまま大人になったら、どんな人間になるのだろうかと心配してしまいます。
でも、筆者の結論は、カツオ君は「学校の勉強はできないがIQはかなり高い人」の典型例であるというものです。本文でも書いた通り、IQの高い人は「要領がいい⇒ズル賢い」
という特徴があります。ここで「ズル」というのは別に悪い意味ではなく、楽をしたいというような意味です。
こう書くと、人間楽をして生きていこうなんて考えるとロクな事にはならないと叱られそうですが、この「楽をしたい」という気持ちが実は文明の発展にはとても大切なのです。たとえば、東京から大阪へ行くのに新幹線を使う、この当たり前のようなことも実は「楽をしたい」という人の思いが積み重なって出来たものです。江戸時代までは、東京から大阪までは約1ヶ月かけて歩いていました。それが明治以降、蒸気機関車となり、電車となり、新幹線になるというようにだんだんと進歩してきました。今日、東京から大阪まで新幹線に乗ったからといって、おまえは楽をし過ぎだと叱る人はいないでしょう。
カツオ君の行為は時として決して褒められたものではありませんが、彼のような人がいないと文明は衰退してゆくでしょう。カツオ君なら、「1から100まで足す」という作業をさせた場合、絶対1+2+3+…と真面目に電卓をたたくなんてことはしないで、1+99、2+98…、だからと楽な方法を選ぶでしょう。やっぱり、IQの高い人が必ずしもお勉強ができる人とは限らないというのは、カツオ君が証明していると思います。
一度、磯野家に行ってカツオ君のIQを尋ねてみたいものです。