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File78 iPS細胞の生物学的意味

京都大学の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞された。本当にうれしいニュースである。拍手、拍手。

それで、このお話は、別にiPS細胞の作り方を解説しようというものではない。そういう話は、テレビや新聞に任せておくとして、ではなぜヒトの細胞が初期化できるようになっているのか、一旦分化してしまった細胞を元に戻すということにどのような生物学的意味があるのかを考えてみたい。

もともとヒトの細胞は、受精卵から様々な組織に分化する過程で、心臓、神経、皮膚というようにそれぞれの役割に特化した細胞になってしまい、万能性を失ってしまうようにできている。だからこそ、複雑な構造をもった人体ができるのであって、もし万能性を有したまま細胞が分裂を続けたらただの肉の塊にしかならない。

山中教授の研究は、この万能性を失った細胞にある種の遺伝子を組み込むと万能性を取り戻すということを発見した。これを「初期化」するという。具体的には、皮膚細胞の中では皮膚遺伝子だけが働いていて、その他の遺伝子は休眠状態になっている。だから皮膚が間違って心臓になったりすることはない。iPS細胞とは、この眠っている他の遺伝子を人工的に起こしてやる技術なのである。

でも、ここで一つ大きな疑問が生じる。なぜ一旦皮膚になってしまった細胞の中で、他の遺伝子が休眠状態になっているのかということである。皮膚になった細胞は永久に皮膚でいいのではないか、皮膚遺伝子以外の遺伝子はもう要らないのではないかという疑問である。でも、現実には、神はいったん役割を失った遺伝子も消去することはせず、そっと眠らせておくという摂理を選んだ。それには当然理由があるはずである。

その大きなヒントが下等生物の中にある。プラナリアというヒルに似た生物は、体のどの部分を切っても残った部分から体全体が再生する。極端な話、尻尾だけからでも頭まで再生してしまう。iPS細胞なんてややこしい細胞を使わずとも、簡単に体を再生してしまうのである。

プラナリアの体のあちらこちらには「幹細胞」という天然の万能細胞が分布していて、体のどこかの部分が損傷するとその幹細胞が働き出して再生するようにできている。ヒトで言えば、例えば片足を事故で失くしても、すぐにニューっと新しい足が生えてくるというようなものである。これは、かなり気持ち悪い。

では、プラナリアにはなぜこうしたスゴイ技術が備わっているのであろうか。研究者によると、それは単性生殖だからという。通常、ほとんどの生き物にはオスとメスがあり、それらが交わることで子供が生まれる。これを有性生殖という。これに対し、単性生殖は雌雄同体であり、性行為をしなくても分裂によって増えることができる。つまり天然のクローン技術である。プラナリアはクローンによって増殖しているのである。

ヒトの体細胞が初期化できるのは、超・超大昔にヒトがまだ単性生物だったころの名残ではないかと考えられる。ヒトの進化の過程は胎児の成長過程を見ればよくわかるという。受精卵は最初のうちは細胞の万能性を残したまま分裂してゆくが(これを「胚性幹細胞」という)、組織への分化が始まると万能性をなくして必要でない遺伝子のスイッチをオフにしてしまう。これは、ヒトが高等生物に進化してゆく過程で細胞の万能性を喪失したことの証拠となる。

でも、神はなぜ眠った遺伝子のスイッチを再びオンにする、つまり「初期化」できる可能性をわざわざ残されたのであろうか。それは恐らく遠い、遠い未来においてヒトが生殖能力を失うような事態になった時に備えて、細胞1個だけでも子孫を残せるよう、万能という「仕組み」だけは密かに残したということなのかもしれない。生命は本当に神秘的である。


(追記)

このお話に関し、最近STAP細胞の研究論文について疑惑が起こり大問題になった。筆者はSTAP細胞はインチキでも何でもなく、実際に存在するだろうと思っている。理由は簡単。

そもそも刺激が細胞の初期化を促すトリガーになるということはクローン羊ドリーの時に実証されている。ただ、あのときは卵細胞を使っているという点で、「刺激」はむしろ初期化を促す脇役に過ぎないと思われていた。

STAP細胞は、この「刺激」が実は主役であったことを発見したという点で凄かったのである。実際、本文でも書いたように、この世界にはプラナリアのように自然に初期化が起きて身体が再生するという現象が存在している。

プラナリアにできることがヒトにはできないと結論付けることの方が短慮であろう。条件さえそろえばヒトでも可能かもしれないと考える方が自然だし、そこに着目したSTAP論文の意義は大きかったと思う。

ところで、STAP細胞を作製する上で重要となるファクターが「刺激」以外にももう一つ存在する。それが「isolation」(隔離あるいは孤立化)である。細胞は、ヒトの身体の中にあっては自身に与えられた役割しか果たさない。これに万能性を持たせるためには、他の細胞から分離させて隔離する必要がある。

社員を一人前の男にするためには単身赴任させるのが一番いいと言われている。大きな組織の中ではどうしても他者に依存し、自分の仕事しかしない人がいる。こういう人を一人立ちさせるには、本社とは離れた支社に単身赴任させることである。単身赴任すれば、否が応でも自身の仕事以外に炊事、洗濯、掃除、何でも一人でこなさなくてはならなくなる。やればできるのにサボっていたことが、「単身赴任」という刺激がもとになって再開するのである。

細胞を細いガラス管に通すというのも、この「isolation」の過程の一つである。要するに細胞一個をマル裸にして外へ放り出すことが、万能性を取り戻す第一歩となるのである。

疑惑云々はともかくとして、刺激が初期化を促すということについての研究は、今後ますます多くの研究者によって研究され、そう遠くない将来に実用化されると信じる。


(追記2)

一部の読者の方から「isolation」(隔離)が重要という意味がよくわからないとのご質問もいただいておりますので、さらに追記したいと思います。

細胞は生体内にあっては、暴走(つまり万能化)しないようにお互いをつなぎとめておく化学物質(ホルモンや酵素)を出していると考えられています。「隔離」は、もちろん細胞をバラバラにするという物理的な隔離も必要ですが、こうした化学物質からの隔離も必要ということです。

細いガラス管を通すというのはこの物理的隔離に相当し、酸に浸すというのが化学的隔離(つまりアカを洗い落とすというような意味)に相当し、これら2つがキチンとそろって初めて細胞の初期化が起きるのです。どちらかが欠けても初期化は難しいでしょう。

ハ―バード大のバカンティ教授も、再現実験のためには細胞の隔離の過程を丁寧に上手に行なうことが重要と述べておられました。もう少し俗っぽい言い方をすれば、細胞を生まれ変わらせるためには、細胞をひん死の状態に置いて「臨死体験」をさせることが必要というような意味になるでしょうか。

早く再現実験が成功するといいですね。


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