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File73 イジメは決してなくならない

この問題をここで取り上げるべきか随分迷いましたが、世の中の議論があまりに浅薄なので敢えて書くことにしました。

最近イジメ問題が深刻化している。イジメが原因で自殺する子供まで出た。政府も、真剣にイジメ対策に乗り出したが、あの愚鈍な政府に任せておいて本当にイジメはなくなるのであろうか。いくら、イジメをするなと道徳教育で繰り返し教えても、いくらイジメの相談窓口を増やしても、イジメの本質を科学的に解明しない限り、イジメはなくならないであろう。

「File3 人はなぜ遊園地に行きたがる」及び「File63 ストーカーの恐怖」でも書いた通り、人がわざわざ自ら進んで怖い思いをしたがる理由は、脳内麻薬の一種ドーパミンが関係している。ドーパミンは、本来は人にやる気を起こさせる興奮物質であるが、同時に麻薬に似た快感作用があり、続けて分泌を促し続けていると依存症を生じるようになる。ギャンブル依存症、買い物依存症、ホラービデオ依存症等々、世の中には病気とまで言えるかどうか判別の付きにくい依存症が数多く存在する。

「File63」では、ストーカーも一種の依存症ではないかと指摘したが、イジメもその陰湿性、執拗性から見て依存症とみて間違いないであろう。

イジメっ子は生まれつきイジメっ子ではない。あることをきかっけに人をイジメることに快感を覚えてしまい、イジメを繰り返すようになる。そのあることとは、子供にとってはホントどうでもいいような日常的な出来事であることが多い。例えば、宿題をよく忘れるとか、授業中にトイレに行ったとか、給食を食べるのが遅いとか、まさかと思うようなことがイジメの発端となりうる。

とにかく他人と違うことをした子、何か目立ってしまうようなことをした子、理由は何でもいい。些細なことを理由に複数でその子を非難し、その行為を否定する。その時、それを指摘された子が困ったような顔をしたら、もう終わりである。イジメっ子にとって、その困った様子が忘れられなくなる。そして、イジメはだんだんエスカレートし、最後は殴る、蹴る、裸にする、縛る、というように拷問化してゆく。

ある恐ろしい実験がある。ネズミを狭いガラスケースの中に閉じ込め、少しずつ水を注いでゆく。ネズミはとにかく水が嫌いな動物なので、必死になって這いあがろうとする。この時、水を注ぐ被験者の脳内の血流量の変化を測定したのである。最初はコップ一杯の水、次は二杯、三杯と増やしてゆくと、被験者の脳の血流量は次第に増加し(つまり脳が興奮していく)、最後にネズミが溺死する寸前まで水が入った時には、傍らから見てもハッキリと分かるほど被験者の形相が変わっていたという。最初は嫌々ながらに参加した実験も、次第に残酷さの感覚がマヒして、ネズミがもがき苦しむのを見て快感を覚えてしまったのである。

これと似たような話が、中世においては当たり前のように行なわれていた公開処刑。通常であれば、人が人を殺すのを見るなんていうのは気持ち悪くて嫌なはずである。ところが、それを頻繁に見ていると段々と感覚がマヒして、むしろ公開処刑を見るのが人々の楽しみと化してゆく。しかも、単なる首切りでは飽き足らず、火あぶりだの串刺しだの、より残酷な刑を求めるようになる。死刑執行人が、泣き叫ぶ受刑者を引きずり出し、それをとり囲む観衆が一斉に気勢を上げて残酷刑を求める。どこか、現在のイジメに似ていないだろうか。

もし、イジメっ子がイジメ依存症に陥っているのなら、道徳教育や相談窓口だけでは絶対にイジメは根絶できない。それは、イジメがすでに病的なものだからである。麻薬常用者がやるように、子供は必ず隠れて人目に着かないようにイジメを繰り返す。そんな病的イジメっ子は強制力によって登校禁止にするか、場合によっては隔離、保護して治療する必要があるかもしれない。

要は、イジメ以外にもっと興味の持てるものを見つけ出させ、イジメによる快感効果を忘れさせるのである。ただ、これは簡単なようで意外と難しい。薬物依存者あるいは性犯罪者が同じ過ちを繰り返し起こすように、依存症から抜け出すのはたやすいことではない。もし、自身の子がイジメ依存症になっている疑いが少しでもあるならば、親や学校の先生は重症化しないうちに早めに対応すべきである。

それと、イジメられている子供の転校も早急に検討されるべきである。親としては、なぜイジメられる側がと思われるかもしれないが、調査だの、告訴だの、裁判だのといったことは、後からいくらでもてきる。そんなことで無駄に時間を費やしている間に、子供が自殺してしまってからでは遅い。まずはイジメられている子供の命を守るのが何よりも第一である。


(追記)本記事に関し、最近短編小説「鬼子の友」を執筆しました。より詳しくはそちらをご参照ください。ただし「R-15」です。


(追記2)

イジメが決してなくならないとする根拠は、そもそもイジメの背景には歴史的にも問題とされてきた「優生思想」(優秀な人間だけを生かし、劣った人間を排除しようという考え方)があるのではないかと思うからです。

これは、例えばクラス対抗の合唱コンクールを考えると分かりやすい。皆がいくら頑張ってもどうしても音程を外してしまう子が必ず一人や二人はクラスの中にいるものです。クラスAでは、その子らをコンクールの際に出場させなかった結果優勝を果たしました。クラスBは全員を平等に出場させた結果落選しました。さて、皆さんはどちらのクラスが正しい判断をしたと思われるでしょうか。

学校教育上は、クラスAの対応は大問題(多分、優勝取消しと教師の懲戒処分)とされるでしょう。これに対し、クラスBの担任教師は褒められるでしょう。

でも、現実社会においてはクラスAの対応が当たり前のごとく行なわれています。ミュージカルの団員募集の際には、当たり前のようにオーディションが行なわれ、下手な歌手は舞台にすら立てません。いくら差別はするな、下手な子をイジメるな、と言って聞かせても、大人社会でこうした『優生選択』が日常的に行われているのを目の当たりにすれば、子供たちは納得しません。

むしろ人間には優劣があるものだということをハッキリと教えた方がいいように思います。実際、受験勉強なんかではテストの点数や偏差値で序列が付けられていることを子供たちは知っています。一方でこんなことをしておいて、他方で人間はみな平等だと教育しても、子供たちはそれがウソであるということを見抜いてしまっています。その結果、イジメは水面下に深く潜行してどんどん悪化してゆくことになります。

では、どうすればいいのでしょうか。本文でも書きましたが、最も即効性のある対処法は、「逃げるが勝ち」だと思います。自身の子がイジメられていると思った親は早め早めに対応すべきでしょう。登校を停止し、場合によっては転校も考えた方がいいでしょう。学校や教育委員会に訴えて、何かを期待しても結局は手遅れになることの方が多いのです。そんなことは後からすればいいことです。どんなにイジメられている子でも、必ず花咲ける場所は見つかるはずです。

童話「みにくいアヒルの子」がいい参考になるでしょう。このお話は、白鳥のヒナが誤ってアヒルの子として育てられ、そのみにくい姿のゆえに他のヒナたちからイジメられるという可哀そうなお話です。でも、最後はみにくいアヒルの子が美しい白鳥に育ち、イジメた子らを見返すというハッピーエンドなお話です。

白鳥に育つはずの子を自殺させてしまってはあまりにも可哀そうです。


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