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File44 どこまでが想定外か

東日本大震災の後、「想定外」という言葉が流行である。想定外の揺れ、想定外の津波…、特に原発の再稼動に当たっては想定外のことが起きても耐えられるかどうかのストレステストも課すという。一体、どこまでが想定内で、どこからが想定外になると考えておけばよいのであろう。

身近な例を示そう。大阪に住んでいる人が、東京にいる友人と昼食をしようと約束した。普通の感覚ならば、東京に12時に着くには、大阪を9時頃に出れば十分間に合うと考える。もう少し用心深い人なら、新幹線が遅れるといった想定外のことが起きても大丈夫なように、あと1時間くらい早く出発しようと考えるかもしれない。もっと用心深い人ならば、新幹線が長時間ストップするという事態を想定して前日から宿泊するという選択をする人がいるかもしれない。さらにもっともっと用心深い人なら、最悪の最悪も想定して、1週間前から東京に宿泊すると言い出すかもしれない。ここまでくると、もうバカとしか言いようがない。

原発の場合も同じである。結局は、どの程度の「想定外」を許容するかということに行き着く。例えば、津波の高さは10メートルでいいのか、あるいは20メートルなのか。もっと極端な例を示すならば、小惑星が地球に衝突すれば高さ数百メートルの津波が押し寄せると予想されているが、それも想定する必要があるのか。それこそバカと言われそうである。

およそ世界で定められている「基準」というものは、所詮基準にすぎない。どのような高いハードルを設けようとも、必ず想定外は起きる。要するに、想定外は確率の問題であり、絶対安全という言葉はないのである。絶対安全でないなら何もかも一切認めないと言い出したら、この世にあるすべてのものを否定することになってしまう。食品、薬、電化製品、自動車、住居…、ありとあらゆるものが使ってはいけないことになってしまう。

原発についても、偉い専門家の先生方の意見をいくら拝聴していても、あるいは住民説明会を何百回開いても、すべての想定外と不安を消し去ることは絶対にできない。今、原発絶対反対と言って騒いでいる人、あなたは交通事故が1件でも起きたからといって、自動車は危ないからすべて使用禁止にすべきだと同じように言うことができますか。それとこれとは話が違う、あるいは次元が違うというのは理由になりません。なぜなら、交通事故で人が死ぬのも、原発事故で人が死ぬのも、人の命が失われることに軽重はないからです。


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