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File26 他人の日本語を笑うな

最近の若い人の日本語はなっていない、尊敬語と謙譲語の違いもわかっていないし、文法はメチャクチャだ。これはブログやツイッタ―ばかりしていることが原因だ。偉い言語学者や国語の先生方からしばしば聞かれる嘆きの言葉である。

筆者は、そうした若い人のブログやツイッタ―を時々読んでみるが、必ずしもこの批判は当たっていないような気がする。確かに文法はひどい。話し言葉がそのまま文章になっている感じだ。ただ、表現力や人にものを伝える力は決して劣っていない。むしろ、意味不明の専門用語や難しくて古臭い言葉を並べて書かれた大学の先生方の論文の方が余程読むに堪えない。

そもそも言葉の役割は、他人にモノを伝えることにある。文法や規則は後から付いて回るものである。実際、長い歴史の中で日本語は大きく変わってきた。現代人が平安時代に行ったとしても、まともに話も通じないという。とすれば、今から千年もたてば、今の国語の文法や表現は全く変わってしまっている可能性だってある。

かの文豪夏目漱石の小説も、書かれた当初は一部の古き因習を重んじる輩から批判もあったという。何しろ明治時代と言えば、まだ文語と口語という区別があり、文語は「候文」と相場が決まっていたからである。そこに口語で文章を書くことを持ち込んだのだから画期的だったに違いない。結局、漱石の小説は大衆から受け入れられ、今日に至るまで読み継がれている。

しかし、その漱石の文章ですら、今の若い人たちにとってはだんだんと読みづらい古典の域に入りつつある。言葉はその時々の社会や文化の変遷に応じて変わっていくものである。それをだらしないとして批判するのは、「最近の若いもんは…」とわけもなく愚痴をこぼす年寄りと変わらないのではないか。

「小説家になろう」の作家のみなさん、大いに新しい日本語の創造に励みましょう。



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