File23 電子書籍の脅威
電子書籍の販売が始まって1年が過ぎようとしているが、まだ日本ではあまり普及していない。「紙の本」派の人に言わせると、あの質感や仄かな香り、紙の本のすばらしさはそれを手に取った人にしか分からない、絶対廃れることはないと言い張る。でも、これは本の流通業界のことを知らない人の言葉である。
本の取次業者や本屋の裏方に行ってみるとその凄まじさがよくわかる。取次業者の倉庫に山と積まれた本の在庫、それが毎日フォークリフトで8トントラックに積み込まれ全国に配送されていく。それを受ける本屋の方では毎日何十箱と搬入される段ボール箱を開けては本棚に並べていく。腰を悪くして辞めてゆく従業員も多い。そうやって苦労して店頭に並べた本も約3割が返品されてゆく。返品された本は取次業者の倉庫から最後は出版社に戻され溶解処分となる。それは、「本」なんていう感傷的なモノではない。紙の山である。銀行員がお札をお札と感じないのと同じで、本屋にとって本はただの商品でしかない。
そもそも書籍の価値は、そこに書かれた情報にある。その情報を伝えるためだけに、パルプを溶かして紙を作り、電力を使って印刷をかけ、ガソリンを使って配送をする。出版書籍業はまさに地球温暖化を促進している業種なのである。
電子書籍の普及の可能性を示唆するもう一つの現象が進行中である。それは情報の回転速度が速くなっていることである。「小説家になろう」の読者の方は既にお気づきであろうが、ブログやツイッタ―で「あの小説が面白かった」とつぶやかれるとたちまちアクセス件数が増える。しかし、そのブームはわずか2~3日で消えてしまう。それだけ情報の伝達、消滅スピードが速くなっているのである。こうなると、もう本屋さんに本を買いに行っている暇などはなくなる。
一瞬にして情報を送れる電子書籍はこれらの無駄を省き、情報スピードにキャッチアップしてゆける手段を提供する。こんな便利なものが普及しないはずはない。アメリカではすでに出版される本の約4割が電子書籍になったという。日本でも電子書籍が爆発的に普及する日は近いと感じる。
ただ、それでも紙の本は、絶対に生き残るであろう。ちょうど一部のレトロマニアがレコードや写真機をいまだに愛しているように。
(追記)
最近このテーマに関し、興味深い記事がありましたので、筆者の見解を追記させていただきます。
アメリカの電子書籍業界で、アマチュア作家の個人出版が増えているという記事です。電子出版なので格安で出版でき、しかもその中からベストセラー作家も誕生しているというから、あちらの電子書籍業界はいよいよ来るところまできたという感じです。
日本では、いまだに作家協会や出版社が著作権の扱いなどを巡って電子書籍の是非云々なんて議論していますが、もう世の中の流れは後戻りできないところまできたと思います。
というか、これまでの時代がいわゆる職業作家たちを特権階級扱いし過ぎてきたという問題があります。出版社も、いろいろな文学賞を企画してはいますが、その中で実際に文字になって、世の人の目に触れるモノはごく一部、他のほとんどはボツとなって消えていっています。その結果、さして面白くもない小説が本屋の店頭に並び、読者はそれを読むためにカネを払わせられるという問題がありました。
「小説家になろう」は、名もなきアマチュア作家に自作発表の機会を与え、そして読む方にもそれらを無償で提供するという素晴らしい仕組みだと思います。
じゃあ、お前の小説は読むに値するほど面白いのかという批判がありそうですが、筆者は自作を発表することで一銭も著作権料はもらっていません。だから面白くなければ、途中で読むのをやめてもらっても一向に構いませんし、別に読まれないから困るということもありません。自由気ままに書いて、自由気ままに読んでいただく、ただそれだけのことです。
むしろ「カネ」のことを常に頭の中にチラつかせながら小説を書いていると、それはもう文化と言うよりは、単なる「金もうけ」の世界の話になってしまいそうです。
最近、書籍の売上がどんどん落ちる一方で、ネット小説の世界がどんどん拡充していっているのは、世の人々が、職業作家の小説は(対価を払う割には)面白くない、市井の素人作家の小説の方が(無償にしては)面白い、と判断しているからではないでしょうか。
「万葉集」の中には、名もなき作者が詠んだ「詠み人知らず」の和歌が数多くあります。でも、無名だからその人の歌が他より劣っているとは誰も言わないでしょう。無名の作者の歌にもそれなりの味わいがあるはずです。
「小説家になろう」は、まさに現代版「万葉集」ではないでしょうか。「文字文化」は、何も職業作家のためだけのものではないのです。




