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神隠しが起こる村  作者: 密室天使
第四章 【ラブソング】
39/42

第三十九話 七月二十五日 続続続

 紺青(こんじょう)たる軟風が吹く中、私は正門の前でそわそわとしていた。

 気分が落ち着かない。私は何度も門から顔を出して左右に動かす。もしかしたらという期待はやがて霧散していき、やるせない溜息に変わる。砂を噛むような想い。真昼なのに私の顔に陰が落ちる。

 直前になっておもちゃを取り上げられた子供のようにうな垂れる私。城壁のような石垣に背を預け、思い悩むように煩悶してしまう。

 早く逢いたい。

 けれどその想いに反して彼は来ない。

 悶々とした気持ちは行く場を見失ってしまって、鬱屈とした眼差しを太陽に向ける。燦然と輝く太陽が恨めしくて、無性に腹が立った。太陽が無邪気に笑顔を振りまいているような気がして、なおのこと鶏冠に来る。私の気も知らずにいい気になって。

 私はそんな理不尽な怒りを蓄えている時、ふいに影がよぎった。私のすぐ近くを一過する何か。

 それは彼だった。

 彼はいかにも病人といった体裁だった。マスクを着用してはいるものの顔色が悪いのは一目瞭然。幾重にも服を着こんではいるが、寒そうに肩を抱いている。

 私は暫時呆気にとられた。

 彼は名伽家の表札を一顧し、私に視線を向けた。ここがどこだか確認しているのだろう。そして私が誰なのかも類推しているに違いない。

 私と彼は小学校が一緒だったが、同じクラスになったことはない。故に私の素性をよく知らぬのも道理である。

 そこに一抹の寂しさをたたえながらも私は、「雛道様のご子息様ですね?」と緊張気味に誰何した。

 一瞬の逡巡の後、彼は首肯した。私が名伽家の人間であることを理解したのだろう。瞳に浮かぶ猜疑心は消えたように見えた。

 唐突に彼は咳き込んだ。口元を押さえ苦しそうに顔を歪める。

 私は慌てて彼の元に駆け寄った。背中をさすり体調を問う。

 壁に手をついた彼は、大丈夫とだけ言った。

 ……とても大丈夫そうに見えない。明らかに無理をしている。

 私は彼に肩を貸そうとしたが、身振りでそれを固辞する。そうして彼は気丈に振る舞う素振りを見せた。

 しかし発作なのか、再度擦り切れるような咳喇(がいそう)をする。耳を(ろう)する咳音の後、彼は胸を押さえてうずくまった。上唇をきつく結び苦痛に耐えているようである。

 その姿に胸を切られる。私は見ていられなくなって彼に手を差し伸べた。

「……無理しないでください。見てるこっちが辛くなります……」

 下から私を見上げる彼は黙考し、やがて私の手を取った。なるべく私に迷惑をかけたくなかったようだが、最後の言葉が利いたらしい。彼は人に迷惑をかけることを何よりも嫌うお人好しなのだ。

 前にも彼はとある女子生徒を助けるために拳を振り上げたことがある。その女子生徒は苛められていて、それに耐えかねた彼が介入したという話だ。

 それは小学校低学年の頃だった上、彼らとは違うクラスだったので私もよく知らなかった。

 おかげで彼は一時期クラス全員から爪弾きに遭い、周囲から孤立した。爾来彼は人と群れることを嫌う節があったので、周りとの溝は深まるばかり。近年になってやっと融和したが、彼に友達らしい友達はいないようである。基本的にいつも一人で、たまに梅雨利という少女と話すくらい。

 そして彼から助けられた女子生徒というと、至極あっさりと転校した。事の顛末が東京に出稼ぎに行っていた母親の耳に届き、転校するにいたったようである。

 その結果、眼下の少年は孤立を強いられ、少女の方は他方へと逃げた。

 否。

 逃げたというわけではない。

 あれは仕方のないことだ。

 都会に勤務していて親交が疎遠になっていたとはいえ、実の娘である。一時期別の地方に避難させることは母親として自然な行為である。

 そう、それは避難だった。

 いわゆる戦略的撤退だったのだ。

 事実その少女は苛めから六年後――高校入学時にこの村に舞い戻ってきたのだ。

 苛めのほとぼりが冷めたからなのかもしれないし、生まれた土地への愛着があったのかもしれない。

 ……その理由を知るのは随分と後のことになる。

 信じられないことに私の掌から彼の体温が感じられる。その概念に思わず頬が緩む。このまま体を引き寄せて抱きしめたい。

「……バカか私は」

 不謹慎だと自分を叱責し、彼に肩を貸す。

 意味不明な独白に戸惑いを浮かべる彼だが、特に抵抗するでもなく肩を預けた。

 私の腕が彼の首の辺りにある。

 彼の腕が私の首の辺りにある。

 やはり女の愉悦が止められなくて、心臓がバクバクうるさい。

 彼に聞こえたらどうしよう。

 そんな危惧が鎌首をもたげる時点で重症である。

 ニヘッとしまらない笑みを浮かべながらも、彼の動きに合わせて体を前進させる。

 その際やけに軽いと思ったら、彼が私に重心を預けていないのが分かった。

 ……優しい。

 おそらく彼は私の負担を出来る限り軽くしようとしているのだろう。

 辛くて苦しいはずなのに細かい配慮。異性と接触する際の気恥ずかしさも手伝っていると思うが、そんな些細なことが私には嬉しかった。

 けど、ちょっと寂しいな。

 彼を横目で見る。

 疲労困憊といった様相だが、瞳には力強い意思が宿っていた。

 清冽たる光芒。

 それは他の男子が持っていない、不思議な輝き。水晶のように透き通っていて無機質だった。

 気が付けば私は立ち止まっていて、彼の双眸を凝視していた。

 吸い込まれてしまって。

 引き込まれてしまって。

 呼び込まれてしまって。

 取り込まれてしまって。

 私は彼に魅せられていた。

 しばしの沈黙。

 彼が気まずそうに眼を逸らしたのを契機に、自分の奇態を自覚する。私の心は羞恥心と好奇心がせめぎ合い、ゆらぎ合い、相克し、葛藤し、何とも言えない感情の坩堝を形成していた。

 彼の気色を窺う。

 当然のことながら顔面蒼白である。病気を患っているのだから当たり前。

 一転私は茹でダコみたいに真っ赤。わなわなと唇が痙攣し、彼と見つめ合ったという事実に堪らない欣喜(きんき)を覚えていた。

 綺麗な目……。

 なんて思った。

 ……私は何事もなかったように咳払いをし、場を改めた。元通り粛々と彼を連れ歩く。

 彼も言いたいことがあるようだが、何も言わなかった。

 吹き渡る一陣の風。四月らしく穏やかに梢を揺らしている。

 鼻腔をくすぐる豊満な香り。

 何だか得をした気分。

「……体を預けてもいいですよ」

 私は幾度なくそう言っても、彼は聞き入れてくれなかった。


 これは私が十三歳の頃の記憶。大切な思い出の片鱗。

 そして。

 彼と親しくなるきっかけとなった出来事である。




     ○○○




「凍鶴よ、この着物を覚えているか?」

 名伽ははだけた着物の裾を掴んだ。

 赤と白の留袖に目を留める。

「…………」

「……こうすれば思い出してくれるか」

 荒々しく呼吸する名伽は乱暴に俺の髪を掴んで、熱烈な口づけをした。

 獣の交わりみたいにただひたすら触れ合う。

 ……ゆっくりと唇が離される。

 乱雑になった前髪から黒い目が見える。それは期待を裏切られた瞳だった。

「……そうか。もう覚えてはおらぬのか。君と私が初めて言葉を交わした日に来ていたものだよ」

 冷たい床に手をつき、名伽は背を逸らす。猫のように媚びる上目遣いを向ける。「ふふふ、あれ以来私と君との仲は深まった。実に楽しくて愉快な日々であった」

 長い銀髪が床に垂れて、下肢に触れる。

 両肩をむき出しにした名伽は空虚な笑みを浮かべた。

 部屋の中は暗く、白く光る肌だけが淫靡に発光する。猛獣のように荒い息遣いだけが聞こえた。

 はあはあと甘い息が頬にかかる。ぺちゃと座っていた足に唾液が落下した。

「あのとき初めて互いの肌に触れ合った。服越しではあったがすごく興奮した。ああ、分かったぞ、とそこで私は確信した」

 訥々と語る名伽はあられもない。 

 熱におかされた俺は何をするまでもなく黙した。

「私は――名伽意味奈はこの男――凍鶴楔に恋をしていると。今まで漠然とした想いが形を画いた。その時からだ。ほかの男に魅力を感じなくなったのは」  

 和服の下には何も着ていなかった。

 胸の辺りまで露出した肉体。剣道をやっているからか程よく引き締まっていて、細い。ウエイトが華奢だ。

 普段は冷然とすらしている表情は妖しげに曇っている。赤い舌をチロチロと出して俺を誘惑するんだ。

「気が付いたら君の姿を目で追っていて、君しか見えなくなっていて、君しか愛せなくなっていた。姉上の言うとおりだ。恋の病はそう簡単に治せるものではないな」

 一条の視線が照る。名伽は誘うように小首を傾げた。

 やけに煽情的な名伽。それと対をなす鎖。

 繋がれるは自由。

 律されるは未来。

 犯されるは肉体。

 縛られるは明日。

「だから決めた。君を一生私の元で飼う。安心しろ。衣食住は保障する。逃げないと約束すれば鎖は外すし、ここが嫌なら別の場所に居住を移す。自由も未来も肉体も明日も保障するから、私が君を養うから、頼むから――私を嫌いにだけはならないでくれ。分かってる。こんな私はどうしようもないメンヘラ女だって、分かってる。けど。けど、好きだから。それくらい君のことを愛してるから。だから、君は何もしなくていい」

 俺は名伽から目を逸らした。

 カッターナイフで寸断された服切れが視界の端に映る。

 名伽の呼吸がだんだんと熱を帯びていく。

 朱が混じる皮膚。薄い桃色になっていく肢体はしなやかだ。

「学校なんてもう行かなくていい。全てを捨てて、君と生きたい。君に愛されたい」

 そこで名伽の独白は一旦止まる。

 名伽の眸は俺の薬指を見ていた。

 白銀の光輝。裸電球で照らされた独房で茫々と輝く。

「……なるほど。後で外してくれる。私の凍鶴を穢しよって、あの女郎――」

 憎々しげに言葉を吐き捨てる名伽。獰悪たる口調は肉食動物を彷彿とさせ、紛れもない悪意を感じる。

 ガチガチと歯を鳴らし眉間にしわを寄せる。陶然たる瞳はもはや明らかな嫌悪しかたたえていない。

 嫉妬に気が狂った名伽は激情をあらわにし、鴇織姫を悪罵した。

 須臾(しゅゆ)して落ち着きを取り戻す名伽。

 悪念を取り払った名伽は相変わらず綺麗だった。

「けれどまあ、あの娼婦などもはや術なしだ。遠い君を(あくが)るしかない」と嘲笑するように言った。

 名伽意味奈は鴇織姫に明確な憎悪を抱いている。

 名伽意味奈は凍鶴楔に明確な愛情を抱いている。

 相克する感情。向けられたベクトルは対象によって決定的に異なる。

 寒心に堪えない。明らかに歪んでいる。

 名伽意味奈は歪んでいる。

「さて」と名伽は仕切り直すように言った。「続きをしようか」

「……続き?」

「何の続きか――などと訊くなよ? 私はただ愛を紡ぎたいだけだ」

 じりじりと近付く名伽。鎖で拘束された俺に逃げ場はない。

 逓増していく絶望感。俺の心に冷え冷えとしたものが吹きつける。

「五年近くも待ちぼうけを食らっていたのだ。少なくとも五年、私と共に過ごすべきだ」

 俺の肩に歯形が残り、首筋にはキスマークが浮かび上がる。


 肉という肉を蹂躙される凍鶴楔。

 血も骨も臓も。

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