第三十五話 バースデイについての後日談
夜。
目が冴えて、蒲団から起き上がる。
周囲を見渡せば、当然のことながら暗かった。
すうすうと寝息が聞こえる。規則正しいそれは、隣から発せられたものだった。
熱のこもった頭。水が欲しくなって、キッチンへと寄る。途中、無断で拝借することを鴇織姫に心の中で謝りながら。
水道水は冷たかった。喉元から嚥下される凍てるような冷水。
順を追うように思考がクリアになる。余分なものが雲散霧消し、純然たる思いだけが残った。
局限に電気をつけ、台所に寄り掛かる。疲れた。今日はとても疲れた。体中が悲鳴を上げている。今日を含めれば、一週間連続。
恥ずかしい話、最近の俺は貞操観念が緩くなった気がする。キスも普通にするようになったし、セックスも求められれば応じた。学業の方にも支障が出ると思うが、鴇織姫はお構いなしだった。というより容赦がなかった。なし崩れ的に応じる俺も俺だと思うけれど。
求められれば応じるしかなかった。
乾いた笑い声。不意に笑いたくなった。
意思が希薄な軟弱者。それが俺に貼られたレッテルである。事実それは的を射ているし、俺の本質を的確に捉えている。
自分を卑下しているわけではない。ただそれを客観的事実として受け入れているだけ。
自分の愚かさくらい自覚している。ただ俺は賢者を気取る愚者よりも、無知であることを恥じない愚者である方がいいと思うから。
喉が再び渇く。潤いが欲しくなって、もう一杯。コップに並々と注がれた水を飲み干す。小気味よい爽快感を感じた。
薬指には例の指輪が嵌められている。愛の証。誰かと恋仲であることへの証明。それはまるで自己主張するように闇の中で映えた。
と。
あと一つ。
暗黒に映えるものがあった。
それはなぜかゴミ箱の中。
不思議に思って近付いてみる。それは比較的上部にあったので、スーパーのレジ袋さえどかせばそれの全容が窺えるはずである。
眉を顰めながら、ゴミ箱を漁る。泥棒みたいだな、と思った。
スーパーのレジ袋をどけてみれば、そこには球体状の何かがあった。宝石のように輝くそれは、どこか見覚えがあった。
手に取ってみる。
水晶。
それは水晶だった。少し小振りの、それでいて鋭く光る白銀の塊。
探してみれば、それはいくつもあった。十数個。それには全て糸を通す穴があって、それを通すであろう糸も見つかった。
どこかで警鐘が鳴る。高々と警報機が鳴り響いた。
第六感にも似た予感。俺はうっすらとこれがなんであるかを解した。
これらの水晶は初め、一つの形を形成していたのだろう。それが何らかの要因で無数に分解された。
試しに見つけた糸で水晶を通してみれば、見事に繋がった。同時に再生される記憶。俺の顔はみるみるうちに青ざめていく。
修正されたそれはネックレスだった。
名伽意味奈の。
俺の机で大切に保管されてあった名伽のネックレスが、鴇織姫の家で見つかった。
バラバラに解体された形で。
一つ一つ丁寧に――それでいて粗雑に――破壊されたネックレス。それは乱雑にゴミ箱に投棄されていた。それはまるで、名伽と言う存在を抹消したがっているような、そんな形なき悪意。
圧迫感。息苦しくなって、フローリングにうずくまった。
手には名伽のネックレス――の残骸があった。一応修復してみたが、どこか歪だった。名伽の思いは完全に封印されている。
有無を言わせない、感情の弾圧。
総毛立つとはまさにこんな感覚なのだろう。
倒錯している。何かが歪んでいる。
指輪が妖しげに光っている。
――Monopoly, that is, love.