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神隠しが起こる村  作者: 密室天使
第三章 【バースデイ】
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第三十二話 六月十四日 続

「いやー、なかなかの味だったね」

 梅雨利東子はご満悦だった。

 カフェテラス『ヘルツ』を出た俺と梅雨利東子は、歩行者用道路にいた。店の壁に背を預け、某としていきかう通行人を眺める。

 思考が細波(さざれなみ)に流れる。そんな中、薄い霧のかかった記憶が浮かび上がった。

 『ヘルツ』で梅雨利東子のご相伴を預かっていた折のことである。

 ポケットから振動が伝わった。なんだろうと思い布越しに触れてみれば、それは携帯のバイブレーションだった。

 俺は梅雨利東子に一言断りを入れ、トイレへと向かった。

 部屋の個室に入り携帯電話を開いてみれば、それは未登録のメールアドレスだった。それでいて妙に覚えのある番号。不思議に思いながらも俺は携帯に出た。「もしもし」

『ああ、凍鶴君? 私。梅雨利空子』

 と。

 応答が返ってくる。

 疑問が氷解する。先ほどのメールアドレスは、以前に俺の携帯電話に登録されていた。にもかかわらず未登録なのは、鴇織姫がメールアドレスを刷新したから。見覚えがあったのも合点がいく。

「いきなりどうしたんだよ?」と突然の電話に当惑したことを暗に伝える。

『あれ、言ってなかったっけ?』と梅雨利は梅雨利で当惑しているようである。『織姫と一緒に買い物行くこと』

 記憶を何日か前に遡及してみれば、それに該当する記憶はあった。一時間目の体育にそんな話をしていた気がする。初めにそれを思い出せなかったのも、翌日の名伽の件でそれどころではなかったからだと思う。あまりに衝撃的な告白だったので、周辺の記憶が埋没している。

「思い出した。そういえばそうだったような」

『そう言うことなの。今私と織姫はとある雑貨店にいる。前に君が行ったことのある雑貨店だよ』

 それはおそらく太田デパートであると思う。一か月前に狐面と黒いフードを購入した、例の雑貨店である。

 その場所を思い出す。太田デパートはここから比較的遠い位置にある。少なくとも鉢合わせする可能性はない。

「分かった。俺と東子さんは今、『ヘルツ』っていう喫茶店にいる」

『「ヘルツ」……? ああ、私の紹介したカフェのこと?』

「そうだ。そこで食事をしてる」俺は儚い吐息を吐いた。「俺の奢りでな」

『今のお姉ちゃんは無一文だからねえ。それでよくプレゼントを買いたいなんて言いだせたもんだよ』

「同感だな。ここで会計したら、俺の手持ちは残り千円もない。てっきり東子さんが立て替えてくれると思ってたから、財政難だ」

『お姉ちゃんは金遣い荒いから、注意した方がいいかも。それが他人のお金であっても容赦ないから』

「ふぅ、それはすでに実証積みだよ。それにいつの間にか俺のサンドイッチもなくなってた」

『そっか。ご愁傷様。私たちはしばらく太田デパートにいるから。くれぐれもここには来ないようにすること。またどこかに移動する際は必ず私に電話すること。私も移動するときは逐一電話を入れる。いいかな?』

 俺は電話越しにもかかわらず首肯した。この中で唯一梅雨利東子だけが正常な気がしてならなかった。「心強い。助かる」と感謝を意を述べる。

『うん。じゃあ電話切るね。健闘を祈るよ』

 斜に構えたような梅雨利空子の声はそこで途切れた。




「次どこ行く?」

 意識が反転する。

 気がつけば浅い眠りについていた。眼前には俺の顔を覗き込む梅雨利東子の顔が見える。寝ぼけ眼を目で擦ると、視界がはっきりした。同時に停止していた聴覚や嗅覚も復旧し始める。世界の再構築。

 梅雨利空子。

 彼女を一言で言い表すなら、友情に厚い女である。筋を通すし義理も通す。そんな温厚篤実な人情家であり、観察好きの好事家でもある。

 ふと、鴇織姫のことが頭をよぎる。誰彼構わず痛罵を浴びせかけた鴇織姫。それは俺と他の女をつなぐパイプラインの切除だった。

 それにはきっと梅雨利空子も含まれるのだろう。

 例えそうだとしても梅雨利空子は友人のために身を割いてくれる。鋭い一慧眼を持ち、人のために尽くせる人間。任侠映画のヤクザみたいな人種なのだ。

 なんとなく空しくなった。報われない気がしてならない。不安定な定義の上で成り立つ概念。それは砂上の楼閣と似ている。

 問いに対して太田デパートの名が浮かぶ。俺は探るような口調で言った。「東子さんはどこがいいですか?」

「私? 私はね……」

 梅雨利東子は言い淀んでいた。しかしその十秒後、明朗な声で、「あそこにしようかな」と遠くの方を指差す。

 その指は薄暗い路地裏を指していた。そこと梅雨利東子の指との間に偶然いた人は、怪訝そうな顔つきで後ろを振り返った。

「路地裏に何かあるんですか?」と質問する。とてもあんな隘路に店か何かが立っているとは思えないからだ。

「あるよ」と梅雨利東子。「あるに決まってんじゃん」

 梅雨利東子は軽い歩調で街路から外れたところへと進む。俺は(ひそみ)に倣うように後へと続く。

 ひどく。

 嫌な予感がした。




          ○○○




 柚子原(ゆずはら)堂。

 はげたペンキでそう書かれていた。

 左右には塗装の溶けた壁が連々と立ち並んでいた。隣接する店の壁部である。

 壁が高いので日光が届かない。それに加えて通路が狭いので、歩くのに苦労する。

 梅雨利東子は懐かしそうな目で廃屋寸前の店を見る。遠い過去を回顧し、いつくしむように懐古しているようである。それは通り過ぎた何かを憂うような、そんな複雑そうな表情。どうやら梅雨利東子にとって、この店には深い思い出があるらしい。

 柚子原。

 誰かの名前だろうか。

 どこかで聞いた覚えがある。

 あれは確か――

「じゃあ、入ろうか」

 と。

 梅雨利東子は。

 入店を促す。

 思考が一時中断される。現実にフィールドバックした感覚。俺が入るのを躊躇っていると、梅雨利東子は頬を膨らませた。「入らないの?」

 俺はぶるぶると首を横に振った。怪しい。怪し過ぎる。俺は気後れしていた。

 柚子原堂は陋屋(ろうおく)のようなあばら家だった。とても店として成立している風ではない。俺とて日和見村(ここ)での生活は長いが、初めて見る店だ。

 否。

 これははたして店か?

 一向に来ない俺に業を煮やしてか、梅雨利東子は蓮歩とした様子で、躊躇なく店内に入った。ガラガラと古めかしい音を立てるスライド式の扉。表裏をなすように、どこかで烏が鳴いた。

 葛藤の末、俺は仕方なしに扉に手をかけた。

 店内は実に混沌としていた。辛気臭く黴臭かった。床は埃まみれで、日頃掃除されているとは思えない。はなから掃除する人間なんていないだけなのか、掃除する人間はもうどこかに行ってしまったのか。だとすれば、その人はどこに行ってしまったのか。そもそもここで人が居住できるのか、それすら疑問である。

 棚にはアンティークが飾られていた。奇形たる様相を見せる獣の剥製に、ホルマリン漬けされた脳髄。人の皮膚で作られたランプに、不可思議に発光する粉が入った小瓶。中には妖精の鱗粉とラベリングされた珍品まで。なんにしろ俺には理解不能のものばかりである。そんな商品かどうかも怪しいものばかりが陳列してあった。

 明かりは天井の裸電球のみである。それは毒々しい光であった。それが舞台装置となって、奇怪なアンティークをより奇怪に照らす。

 梅雨利東子は店の隅にいた。興味深そうに何かを見ている。梅雨利東子の後ろに立ってみれば、それが片腕の取れた人形であることが分かった。西洋人形らしいそれは、濁った目で俺を覗いた。累増する恐怖。俺は後ずさった。

 しかし梅雨利東子は平気なようで、これと言った感慨もなくその人形を棚に置いた。俺を気にする素振りなく、隣にある別の人形に手を伸ばす。四肢のかけた日本人形のようだった。

 俺は梅雨利東子の趣味を思い出した。

 梅雨利東子は骨董品蒐集家である。それも筋金入り、指折りつきのコレクターなのだ。それもオカルトチックな方面で。

 病癖とも言える蒐集癖。

 過去に篝火(かがりび)さんが失笑交じりにこう言っていた。

 彼女の蒐集癖は常軌を逸脱している。

 と。

 何がどう逸脱しているのか。

 梅雨利東子を突き動かすのは、好奇心なのか探究心なのか。

 未知に対する敵愾心なのか、虚栄心なのか。

 既知に対する猜疑心なのか、嫉妬心なのか。

 梅雨利東子は妹とは別のアプローチで心理に迫ろうとしているだけなのか。全てを蒐集することで世界の全てを知ろうというのか。

 それとも。

 世界を内包することで世界から目を逸らしたいだけなのか。

 世界から目を逸らしたいから世界を内包したいだけなのか。


 今まで信じていたものが実は虚構だった、なんてよくある話だよね。


 俺はこの空間に違和感を覚えた。それを紛らわすかのように、どこか鬱々とした気持ちで辺りを見渡す。すると中央には老婆が座っていた。年季の入った椅子に座り、この世のものとは思えない眼で虚空を見つめている。白内障なのか、瞳の色がおかしい。

 盲目なのか?

 それとも――

 オブジェだ。

 生気や、精気や、正気(せいき)

 そう言ったものが一切見受けられない。俺にはその老婆がただのたんぱく質の塊にしか見えなかった。

 異空間に迷い込んだ感触。

 俺は一目散にこの場から離れたかった。光が欲しかった。

 この空間は止んでいる。

 この空間は病んでいる。

 地に足がつかない。

 足が地につかない。

 魑魅魍魎に見入られてしまったのだろうか。

 悪鬼羅刹に魅入られてしまったのだろうか。

 一つ一つの一刹那がとても長く感じられた。その一瞬を切り取って、人生の日記にぺたぺたとそれを貼っていくような、そんな疲労感。体感時間が明らかに異様だ。

 ガラガラと扉を開ける。

 そこには薄暗いながらも、天然の太陽が顔を覗かせていた。

 俺は路地裏を抜けた。たちまち田舎の喧騒にさらされる。淡彩画のようなあっさりとした世界がそこにはあった。

 俺の心に安堵が流れ込む。

 次いで俺は梅雨利の言葉を思い出す。俺は梅雨利に連絡を取るために携帯電話を取り出そうとした。

 と。

「……クーちゃん?」

 携帯電話が震えているのに気付いたのは、鴇織姫に声をかけられたその時だった。

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