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神隠しが起こる村  作者: 密室天使
第一章 【ブッキング】
3/42

第三話 四月二十三日

 四月二十三日。水曜日。


 なぜだなぜだなぜだ?


 私は自宅の書斎で自問した。それは壁に反射して、それだけだった。返答も減ったくれもない、無意味な質問。

 あまり生きている心地がしない。私は頭を抱えた。

 再度服のポケットの中や、室内を散策したがやっぱりなかった。

 後悔の念が押し寄せる。私は致命的な失態を犯したのだ。

「……財布がない」

 と。

 変わらない事実を口にしたところで、何も変わるわけもなく、ただの現状確認になってしまう。

 その概念。

 その概要。

 その概況。

 かなりマズイ。

 勿論私の正体を知らない第三者が私の財布を拾ったところで、何も起こるはずがない。心配する必要も憂う必要もない。

 ただその財布の中に、■■■の写真があるというのは紛れもない事実。

 財布内にある金やカード類の紛失はさほど問題ではない。

 が。

 私お気に入りの■■■の写真が、第三者の手に渡る。

 ということが許せない。

 君を独占していいのは私だけ。

 私を独占していいのは君だけ。

 一時的とはいえ、私や■■■と全く接点のない人間が、■■■に関与するという事態が。

 気に入らない。

 気に食わない。

 そして■■■は、異性の間でかなり人気がある。財布を拾った人間は、ここぞとばかりに■■■との接触を図るだろう。劣情や思慕で■■■に近付くのはやめてほしい。

 君の傍には私さえいればいい。

 私の傍には君さえいればいい。

 そこに一切の例外はない。

 私と君との間には赤い糸が結ばれている。

 何人(なんぴと)たりとも犯せない堅固な絆。

 揺らぐことのない一途な愛。


 ――せめて■■■本人の手に渡ってほしい。


 そうすれば、少なくとも■■■の節操は守ることができる。

 そう願うしか、無い。




         ○○○




 朝。

 

 やはらかに柳あをみる

 北上の岸辺見に見ゆ

 泣けととどとくに

 

          ――石川啄木。


 庭に植樹された、しなやかに垂れる柳。無為自然たる深緑は、静謐な街路を陰に染めていた。ただ粉雪のように降り注ぐ朝日だけが、生命の息吹を感じさせるだけであった。深く濃い緑に洗われた森は鬱蒼(うっそう)たる森林をはべらせ、冷風を村に流し込む。それに合わせて紫苑色のふじは、一貫して不敵なたたずまいを崩さずにいたのであった。

 もし俺が神ならば、艶やかに色を蓄える森林を余すことなく鳥瞰できることだろう。俺は(うぐいす)雲雀(ひばり)が銘々滑空する姿を、羨望の籠った眼差しで眺める。俺はおろか大地に根を下ろす木々達ですら、鳴禽類に嫉妬しているようだった。  

 


 伝統的な日本家屋を背景に、俺は広大な庭で伸びをする。昨夜は綿入れの布団を重ねばならぬほど肌寒かったのを思い出す。普段は襦袢(じゅばん)姿で寝起きしているが、さすがに無理だというものだ。田舎なだけに四季のしっかりした日和見村の春は、気温の変化が悪戯である。

 気がつくと俺は、襟を立てて体を丸めていた。

 と。

「凍鶴」

 俺を呼ぶ声。

「幽霊か? それとも、今は亡き亡者の声か?」 

「三途の川は洪水で工事中らしくてな。くしくも現世に送還されたよ」制服姿の名伽意味奈(なとぎいみな)は愉快そうに言った。「迷惑な話だ。聞くところによると賽の河原では、今後に備えてダム建設が検討されているのだとか」

「それは粋じゃないな。鬼達もさぞかし悲憤慷慨(ひふんこうがい)するだろう。あの時の趣ある賽の河原はどこにいったんだ? ってな感じに近代化の波を呪うだろうよ」

「鬼に質問される死者も堪ったもんじゃないな。観光気分が台無しだ、と死してなお地獄の有様に失望するだろう」

 銀に近い白髪を風に任せて、名伽は俺の横に立った。

「こうも寒いと、どうやら春はあの頃の冬が忘れられないとみた。随分と執着な春だ」

「冬が春を追いかけているだけさ。執拗なのは春じゃなくて冬の方だと思うぜ」

「悲しきことよ。報われぬ思いというものは……。いまさらこの世の無常を嘆く立場ではないがな」

「厭世感に浸るのは仙人の専売特許だろ? 名伽の主食は(かすみ)か?」

「たわけ」名伽は婉然と微笑んだ。「相変わらず口が減らないな、君は」

「そんなこと言うなよ。傷付くから」今日の名伽は饒舌だ。「可塑性の高い俺の心が歪むだろ。あんたにその気がなくても、健全な俺はどんどん壊れてしまうんだ」

「ははは。何を言い出すかと思ったら……やはり君は面白いな」

「…………」

「気を悪くしたか。冗談に決まっておろうに」

「そうか」

「そうだ」

 いつもの名伽だ。ほっと安堵する。

 名伽意味奈。

 優美で。

 耽美で。

 華美で。

 他者と一線を画す気真面目さで、虚偽を持ちださない清濁併呑(せいだくへいどん)な女。   

 寛容で誰にでも礼儀を尽くす名伽意味奈は、年に何百もの恋文を貰う明眸皓歯(めいぼうこうし)である。しかしそれ全てを断わっている。恋人はいない。そもそも男の影がない。

 俺を除いて。

 が。

 傍観者。

 俺は傍観者。

 舞台に立つ人間ではない。あくまで観客に過ぎず、流転する現状をただ静観するだけの人種である。あるいは、舞台に登場しても脇役か端役が関の山。少なくとも、何かがずれている梅雨利空子(つゆりそらこ)ならばそう言うだろう。

 俺の性格を見極め忠告し、通告し、俺の性質を報告し、申告。事実、梅雨利には恐るべき洞察力と観察力が備わっている。観察者ならばなおさらだ。

 解り切ったことを、分かってないような口ぶりで、さらりと流す観察者。

 梅雨利空子。

「そういえば」

 俺は意図的に話を逸らす。それを皮切りに、名伽の表情にいささかの焦燥が消える兆しを見せる。

「昨夜の料理。作るのに何時間かかったんだ?」

 なんてことないように言う。「二時間半だ。大部分は仕込みに費やしたがな」

「……すごいな。料亭の懐石料理みたいだったぜ」

「そんな大層なものではないさ。料理も教養の一つだ、と私は母から教えられている。何ら不自然ではない」

「……身分の差か階級の違いか。華族特有のプロパダンガか? いや、名伽家は代々武士の家系か」

「料理は品格の度合いを表すものだと、私は解している。それに家事において高貴も卑賤もないだろうに。それに私はどちらかというと、温かみのある料理の方が断然好きだぞ?」名伽は朗らかに表情を崩した。「鍛錬に付き合ってくれた礼だ。気にせずともよい」

「じゃあ気にしないことにする」俺は笑いを溢し、「だが俺とて礼を尽くす道理はある。おいしかった。ものすごくおいしかったよ。ありがとさん」

「そそ、そうか」名伽は照れたように頬を緩めた。

「制服に着替えてくる」

 俺は名伽にそう言い残し、奥ゆかしい邸宅へと足を向けた。




          ○○○




 制服に着替え終わると、目に付いたのは机上の財布だった。昨日の昼休みに拾った黒塗りで小型のやつ。中には六千円程度の金とカード類。そして――なぜか俺の写真があった。海を背景に撮ったもので、時期は冬くらい。予想するに盗撮品。いつの間に。

 カード類に個人を特定できるようなものはなく、言えることといえばこの財布の持ち主が学校関係者である可能性が高い。

 ということ。

 同時に俺の脳裏にある可能性が萌芽する。

 おかげで名伽との組手では集中力を欠き、特大の背負い投げを食らってしまった。全くもって練習にならなかった。鍛錬や稽古どころの話ではない。それなのに名伽は、自慢の手料理を俺に振る舞ってくれたのだ。名伽には申し訳ないと思う。手厚い厚意に感謝し切れない。

 しかし。

 いかんせん問題が問題だ。

 情けないことだが、俺は周りにストーカー被害に遭っていることを申告していない。

 なぜなら。

 知人に被害が及ぶとか。

 周囲に火花が散るとか。

 そんなかっこいい理由ではなく、単純にストーカーが怖くて恐ろしいから。これ以上ひどくなったら、正直耐えられそうにない。直接的な被害こそないものの、盗撮や奇怪な贈り物、果てには犯人の生き血で書かれたメッセージ文。

 いつも君のこと見てます?

 笑わせるね。

 これ以上、犯人の手口が悪質になったら。

 これ以上、犯人の感情が強大になったら。

 これ以上、犯人の狂気が深刻になったら。

 誘拐されるかもしれないし、殺されることだって――なくはない。

 昨日だって、無言電話に悩まされ、携帯電話の方にもご丁寧に非通知で大量のメールが送られている。



 ストーカー曰く。


 愛してます。

 何で返信してくれないんですか?

 昨日の女は誰ですか?

 何であんなにべったりくっついてるんですか?

 許さない許さない許さない。

 君を独占していいのは私だけ。

 私を独占していいのは君だけ。

 君の傍には私さえいればいい。

 私の傍には君さえいればいい。

 ほかの女に近づかないで。

 私と君との間には赤い糸で結ばれている。

 何人も犯せない堅固な絆。

 揺らぐことのない一途な愛。

 私を裏切るの?

 あんなに愛を誓い合ったのに?



 理由は不明だが、ストーカーさんは俺に執心らしい。明らかに狂ってる。

 それにだ。

 愛なんて誓い合ってねーよ。

 そもそもあんた。

 ()()()()()


 意味不明な行動。

 理解不能な論理。

 それがなおのこと恐ろしい。

 無言電話にしても、紀一郎(きいちろう)おじさんの不在を狙っている節があるらしく、俺が一人の時にしか来なかった。それはまさしく俺と紀一郎おじさんの生活パターンを熟知している、ということだ。


 階段を下りながら決意する。


 ――ストーカーをこの手で捕まえる。


 猶予なんてない。少なくとも手がかりはある。

 この写真。昨夜の学校で拾った財布。これが作為的なものである危険性は否定できない。しかし一刻も早く、たちの悪いストーカーに引導を渡す。それだけは絶対。

 他人を巻き込まず、喉元に食らいついて全てを暴いてやる。

 その決意を裏返せば、恐怖を無理やり押し殺したものに過ぎないことに。

 俺は気付かない。

 俺は気付き得ない。

 俺は気付くはずがない。

 俺は気付かないふりをする。

 俺は気付き得ないふりをする。

 俺は気付くはずがないふりをする。


 その不毛な行為もまた。

 恐怖を無理やり押し殺したものに過ぎないことに。

 

 俺は気付かない。




          ○○○




 名伽と一緒に登校した俺は、とりあえず自分の机に鞄を置いた。

 最近名伽と登校する機会が増えた気がする。

「名伽。最近変なこと、気になることはなかったか?」

 登校途中、恐る恐る詰問してみた。

 無言電話とか不可解な便箋とか。

 昨夜のメールでは名伽の存在を示唆する文面だった。もしかしたら、名伽にも被害が及んでいるかもしれない。気丈な彼女のことだ。誰にも言わず、事を内密にしているに違いない。

 俺が原因で。

 ただ、名伽の家は日和見村随一の資産家だ。

 故に。

 身代金目当てに、名伽は何回か誘拐されたことがあるらしい。幸いなことに名伽に怪我はなく、犯人は御縄についたが。

 そういう事例が過去にあるので、名伽家も神経質にならざるを得ない。そういうたぐいのことがあれば、速攻で警察が動くはずだ。

 しかし。

 万が一ってことがあれば。

 俺は腹を切る。

「何を言う。気がかりなどないに決まっておろうに。……強いて言うなら、昨日の君の態度だ。上の空だったようだが、君こそ何かあったのか?」

 何でもないさ。

 俺は話をはぐらかした。




         ○○○




 俺の席は窓際に配置されている。窓の枠から切り取られた深山幽谷を眺望できる、悪くない席。ただ見えるのが曰くつきで有名な【生き血を吸う桜】ともなれば、気分は悪くなる。何でもその桜は、自殺した男子生徒の血を吸って大輪を咲かせたとか。学園七不思議の一つである。

 これも俺の名は凍鶴なので、出席番号が早いが故である。  



 一時間目の授業は、高松(たかまつ)先生の現代文だった。高松徹(たかまつとおる)先生は、二年部の主任で雨稜(うりょう)高校の古株だ。生徒先生問わず頼りにされ、まさに教師の鑑たる男性。生徒の才能を開花させる名伯楽である。

 高松先生は深く刻まれた皺を柔和に緩め、音吐朗々(おんとろうろう)と詩歌を紡いだ。それが教室のBGMとなって、心地よい睡魔を誘う。

 そして砂金のように時は流転し、四時間目となった。教科は体育で、俺の所属する一組と二組の合同授業だ。種目はハードル走で、一生懸命に走る生徒と、だらける生徒の二つの派閥に分かれる。勿論俺は後者である。

 宿木光(やどりぎひかる)先生は、学園屈指のいい加減な教員である。体育教師とくれば、自然と熱血漢や無頼漢を連想してしまうものだが、宿木先生はその対極に位置する先生である。だるいが口癖の職務怠慢教師だ。尸位素餐(しいそさん)もいき過ぎれば、いっそのこと清々しいくらいである。

 しかし。

 名伽曰く。

「剣術の腕は紫電一閃を画す」

 だとか。

 いい忘れていたが、宿木先生は一応剣道部の顧問である。めったに道場に顔を出さないが、一度竹刀を握ると人が変わるらしい。剣道部一の太刀技を振るう名伽ですら、宿木先生に一度として勝ったことはないとか何とか。

 考えられない。

 謎だらけの先生である。

 ただ放任主義と形容できる先生の監視は極めて甘い。

 それだけは確然たる事実である。

 俺のように座り込み、怠惰の限りを尽くすことも可能だ。まあ、それ以前に俺のやる気の問題だろう。

 俺は石造りの階段に座り、蒼然と映える空を仰いだ。視線を前に戻すと、足を上げハードルを跳躍する体育会系男子。そしてその向こうでは、流麗に助走する名伽の姿を捉えることができた。

 壇上で立ち話をする男子生徒は、仕切りに目を光らせ明後日の方を指差す。明後日とはつまり――女子生徒の方だ。どうせよからぬことでも話しているのだろう。時折、「かわいい」だとか「ヤバイ」だとか「目の保養」だとか愚かしいことを言っている。

 俺はまどろみにまみれながら、ぼぉーと走者を見る。瞳は自然とある女子を追っていた。

 鴇織姫(ときおりひめ)

 絶対的に癖のない茶髪と、大海原のように蒼く澄んだ瞳。割と長身でスタイルはすこぶるいい。2-2組に在籍していて、学年成績主席の秀才。学園のトラブルメーカーである学園新聞部が主催したミスコン匿名アンケートでも見事、一位に輝いている。

 かといって。

 遠い人。

 というわけでもなく、男女問わず円滑な人間関係を築いている。本人から歩み寄った風ではなく、周りが彼女を放って置かないんだろう。それほどまでに彼女は目立つ。致命的に目立つ。

 前に鴇織姫と仲のよい梅雨利空子の言葉を思い出す。


 ――彼女はね、自分という存在の価値を分かってないんだ。翼の生えた虎。爪を得た鮫。存在するだけで多大な影響を与えるのに、それを知覚しない。無邪気なんだよね、彼女は。けどまあ私から見れば、実に観察しがいのある個体だよ。君だって彼女のこと、傍観しがいのある個体だと思わないかい?


「思わないね、こっちだって忙しいんだ」


 観察者は対象の是非を問い、評価をつける。

 傍観者は対象の是非を問わず、評価もつけない。

 観察者は観察することの意義を観察する。

 傍観者は傍観することの意義を傍観する。

 梅雨利空子は観察者。

 凍鶴楔は傍観者。


「――よし。もうそろそろチャイムが鳴る。片付け開始」

 宿木先生がやや言って、四時間目の体育は終了する。




          ○○○




 雨稜高校では月に一回の学年集会が予定されている。それは決まって水曜日の放課後で、とにかく長い。校長の無駄話と教科連絡が九割を占めるこの集会は、生徒内でも悪制なのではと批判の声が挙がっている。かくいう俺も、この集会は因循姑息(いんじゅんこそく)であると思っている。

 開催する価値はない。

 が。

 利用する価値はある。


「――であるからして、諸君には学業に励み、鍛錬を欠かさず、文武両道な日々を送ってもらいたいのであり、淑女と紳士たる我が雨稜高等学校の生徒は、軽挙妄動を慎み、隠忍自重の精神を持って実りある学園生活を過ごして貰いたい所存であり、教育者たる我々も持てる力の最大限を発揮し、品性や節操ある学園を作っていくが故に、この学園集会を開催した折であります」

 

 収容面積千人分の広大な体育館。その壇上で校長先生は、ありがたいお話を滔々(とうとう)と語ってくださっている。対する俺達は体操座りの姿勢を崩し、各々友人とのお喋りに興じている。雑踏の波紋は見る見るうちに広がり、先生達も無視できないものとなりつつある。

 そして永劫に感じられた校長のスピーチも終わり、各教科の諸連絡に移っている。課題や授業スピードなどの確認。生徒達から絶叫交じりの悲鳴。「そんなに課題があるんですか?」それを先生は優しく説諭する。「まあまあ、そんなに難しくないから」

 後二週間くらいでゴールデンウィークが始まる。先生もその辺を考慮に入れて課題の調整をしているのだろう。普段より割かし多い。成績が中の中の俺にしてみれば厄介な話だ。成績優秀な名伽に頼めばどうにかなるだろう。いつものような共同作業で今回の課題は乗り切ろうと思う。俺は理系を、名伽は文系を、といった具合に役割分担をすれば合理的だ。


「――それと、()()()()()()()()。見覚えのあるものは至急職員室に来るように」


 主任の高松先生は、黒塗りの財布を掲げて言った。

 例の俺が拾った財布だ。今日の昼休み、「落し物です」と、高松先生に届けたのだ。事実俺はその財布を学校で拾ったのだから、嘘は言っていない。が、そこに純粋な善意はさほどなく、ある作為的な思いが起因している。

 温厚篤実な先生のことだ。六千円という少なくない金額が納まった金嚢。金額が金額なだけに、集会という公の場で財布のことを話題に挙げることは十分予期できる。

 否。

 俺の予想通りだ。まったくもって頬が緩む。

 当然俺の写真は、前もって抜いてある。


「そしてもう一つ、財布が落ちていたらしくてな」


 高松先生は二つ目の財布を同様に掲げた。全体的に赤く結構高価なやつだ。当然のことながら、見覚えはまるでない。忘れっぽい奴がいるものだ。


「――では、解散」


 高松先生の一言で、学年集会はお開きになる。肩の荷が下りたといわんばかりに、疲弊のため息をつく生徒達。俺に限っては安堵のため息である。

 作戦は上手くいっている。後は待つだけだ。

 自分にそう言い聞かせ、木目の床から立ち上がった。

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