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神隠しが起こる村  作者: 密室天使
第三章 【バースデイ】
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第二十六話 六月十日 続

『もしもーし、聞こえてるぅ? みんなの憧れ梅雨利東子ちゃんでーす。久しぶりだよね、私とお話しするの。一カ月ぶりかな? 歳月は人を待たない、っていうことわざ知ってる? 歳月さんはせっかちなのかな? 少しくらい待ってくれてもいいのになあ。月日には百台はくたい過客くわかくにして、行きかふ年もまた旅人なり。まさにその通り。さすがは松尾芭蕉。全くもって即妙であり、正鵠を射ている。先人の知恵が言語化した形だね。というわけだから、凍鶴君。分かってるよね? 時間は君を待ってはくれない。それとも君。もしかして、迷うことしかできない子羊なんかを神様が救ってくれるとでも思ってたのかな? 傲慢これに極まり。まあそういうところも私は好きだけどさ。それは一旦おいといてっと。で、私からの伝言が何を意味しているか。分かるよねぇ? はてさて、心の準備は済んだかなぁ?』

 そこでカセットテープは途切れる。梅雨利の指がスイッチから離れる。梅雨利は憫笑を浮かべ、俺とアイコンタクトを取る。俺は梅雨利に続きを促す。

『反論が聞こえないって思ったら、これカセットテープなんだっけ。相手の声が聞こえなくて当然か。てか、聞こえたら怖いし。けど君のことだから、対して怒ってないような気がするな。物も言いようで角が立つ、っていうことわざ知ってる? どんなに美辞麗句を並べ立てても慇懃無礼に聞こえるように、言葉には限界があるからねぇ。他意はなくても他意があるように感じちゃうシステムが出来上がってるのだと思うよ。言わずもがなって感じかな。言っちゃってるけど。ごめんごめん、話が逸れちゃったね。私が話すとどうしても長くなるし、脱線もしちゃうんだ。多分そういう仕組みなんだろうね、私は。我が愚昧にも狭霧先輩にも言われる始末。仕方ないじゃん。分かり易い話を分かり難い言葉で話してるだけなのになぁ。分かり難い話を分かり易い言葉で話すよりもずっと良心的なのにさぁ、みんな酷いよ。よってたかって私を苛めちゃってさ。――って、ああもう、閑話休題。話を元に戻すよ』

 頭の中を一旦整理。聞き逃さないよう耳をとがらせる。

『空子からの伝言は既に聞いているという前提条件で話すよ。今週の水曜日に私が帰郷する。目的は名伽家の弔問のため。そして、君への誕生日プレゼントの贈呈――に付き合ってもらうため。君の誕生日は今週の日曜日だよね? なら土曜日くらいかな。日和見商店街の中心に綺麗な噴水があるじゃん? そこで待ち合わせね。なぜかって? 手伝ってもらうの。君へのプレゼントを選ぶためのさ。受け取る本人を連れ回すってのも変な話だけど、しょうがないじゃん。だって私、君の好み詳しく知らないし。なにをあげていいのか分からないし。そういうわけだから商店街へレッツラゴーってわけ。――さてさて。てなわけでばいばーい。土曜日に噴水の前で落ち合おうね』

 そこでカセットテープは途切れた。

 言い淀む雰囲気。ただ梅雨利だけはシニカルな笑みを浮かべていた。

「そういうわけだから、よろしくね」

「……分かったよ。なるほどね。ご愁傷様――か。得てして妙だぜ」

 空気のような息が自然と漏れ、唇を曲げる。

 ということはこのパンフレットは梅雨利からのプレゼントと解釈することも出来る。俺はそう勝手に結論付けた。

 梅雨利東子が取りつけた約束は、あまりにも理不尽だった。けれど一回締結された――のかどうかは不明だが――それを反故するわけにはいかないのだろう。そうすれば梅雨利東子の鉄拳制裁が待っている。名伽花魁同様、日本古武術の達人に歯向かうなど自殺行為である。剣道初段の衣鉢を継いだ梅雨利東子の実力は、名伽意味奈や空手初段の名伽花魁すらも凌駕する。梅雨利東子は一時期名伽家の道場に出入りしていたらしいから、まさに指折りつきなのだろう。中学校のころにかじった程度らしいのだが。

 弁も立つし腕も立つ。

 その上容姿が明眸皓歯なのだから、真に罪深い女性である。ただ性格は究極的に終わっているので、それこそ言わずもがなである。

 口。

 耳。

 鼻。

 目。 

 髪。

 手。

 足。

 体。

 その全てが終わっている。完了している。

 鴇織姫は致命的なまでに完璧だが、梅雨利東子は致命的なまでに完了している。

 美しさと危うさと儚さを兼ね備えた、二律背反的な美女。

 それは雰囲気によるものだとは思うが、鴇織姫とは趣向を異とするような――妖艶さ。正常な振りをして実のところ異常。正常の延長線にある異常を楽しむような、横紙破りな人間なのである。

「そう言えば忙し過ぎて大変だって、前に言ってたような気がする」

「やっと休暇が取れたってところかな。折角だから名伽家に弔辞を述べようってことだと思う。お姉ちゃんのおかげでお店、繁盛してるらしいし」

「東子さんでか?」 

 梅雨利東子が店の金看板だという事実に驚嘆する。自らを正常だと自負してやまない梅雨利東子だが、その実態は極めて瘋癲である。その柳眉な容貌や白眉な頭脳も含め、存在自体が矛盾している。

 そんな貴人――奇人が、門前市を成す原因となっているのだろうか。「それ本当かよ?」といささか信じがたい事実だったので、そう問い質してみる。

 案の定、梅雨利の返答は俺の予想を裏切るものだった。「まあね。お姉ちゃん、綺麗だし頭いいし。それにちょっと言い方悪いけど、お姉ちゃんって理知的というより狡猾的じゃん。世渡りもうまい方だし、言葉巧みにお客さんに漬け込んだってところかな」

 なるほど納得である。あの女ほど老獪な人間はそうざらにはいないだろう。しかもそれを臭わせない点ですでに陰湿である。侃々諤々に虚偽を真実だと言い張り、真実を虚偽だと言い張る。それが罷り通ってしまうのだから、手に負えない。

「正直、あの人は扱いづらい」

「私もお姉ちゃんを論破できる自信はないなあ。その点、凍鶴君は単純だから簡単だけど」と悪戯っぽく笑う。本人に悪意はないと思うのだが、結構傷付く。俺の心は可塑性の高い粘土のようなものなのだ。

 俺は溜息をつき、横から梅雨利を見る。「東子さんが近々日和見村に来るってことか?」

「うん。有給休暇を一週間くらい取ってるって言ってた。初めの二日間くらいまで名伽家を訪問するんだってさ」

「ふーん」とそれきり口を閉ざす。

 しばらくの間、だんまりを続ける。

 そういえば、と思う。

 初め俺には、名伽花魁と梅雨利東子との間を線で結べなかった。あの二人が顔を合わせたところを俺は見たことがない。

 と。

 そこで『フィート』と銘打つ喫茶店のことを思い出す。あそこは名伽花魁の懇意の喫茶店だったらしく、そこで梅雨利東子は在学中にアルバイトをしていたらしいのだ。ともなれば、ある程度の交流はあったのかもしれない。それに梅雨利東子と名伽家の長女――名伽狭霧は部活動の先輩後輩である。すでに逝去した名伽狭霧の方にもお線香を上げる目的もあるのだろう。梅雨利東子と名伽狭霧との親睦の度合いは不明だが、梅雨利東子の電話越しの口ぶりから察するに水魚の交わりだったのかもしれない。その知己を殺害したのが実の妹だと知ったら――いや、考えるのはよそう。この物語はすでに終わっている。今さら掘り下げたところで誰かが救われるはずもない。悲劇を好き好んで鼓吹するほど無神経なことはないだろう。このまま闇に葬るのが無難だと思う。

「――というわけだから凍鶴君。お姉ちゃんのお守、お願いね」

「それを言うなら監視。変なものを押しつけやがって」

「仕方ないでしょ。お姉ちゃんがそう言いだしたんだから、誰にも止められないよ」

 思わず渋い顔で頷いてしまう。梅雨利東子の前ではいかなる人間も無力である。抗えるはずがないのだ。「そりゃそうだよな」と納得せざるを得ない。

 梅雨利は俺の心の機微を感得したのか、難しい顔を作った。梅雨利でさえも手に余るほどの際物である。俺と同じ苦悩を共有していても不思議ではない。梅雨利東子の扱いづらさを知っているが故に、少なからず俺に罪悪感を抱いているのだろう。

 臭いものには蓋をせよ。さしずめ、俺がその蓋の役なのだろう。つくづく損な役回りである。

 梅雨利は。

「私思ったんだけどさあ、織姫にそれがばれたら君、殺されるよね」

 と。

 実にあっさりと言った。そのまま風に流されてしまいそうな勢い。

「あ」

「気付くのが遅い。遅すぎる」と呆れたように言われてしまう。

 その後片眉をあげ、俺を覗いた。

 どうすんの?

 と言外で伝えているようである。

「東子さんとの買い物はなかったことにする」と言って、峻拒する。詮方なしである。

「いや、無理だから。お姉ちゃんとの約束を無効に出来るわけないじゃん。でも安心して。手は打ってあるから」

 俺は怪訝な顔つきで梅雨利を見た。

 首筋から艶麗な鎖骨が見える。しとやかな肢体であり、見るものを惹きつけるような瀟洒(しょうしゃ)とした雰囲気。

「織姫はその……嫉妬深いから、相当怒るだろうね。あの子は純情過ぎるから、まあ、端的に言えば愛が行き過ぎてる。自分以外の女が凍鶴君に近付くのがものすごく嫌なんだろうね。それが私のお姉ちゃんであっても――私であっても。言っとくけど私。織姫に目付けられてるんだよ? 爾汝の仲である私でさえも、排除すべき対象なのだと思う。それをしないのは、まだ私を信頼しているのと、私にそういう気がないから。凍鶴君はいい男かもしれないけど、私にしてみればただの観察対象だし。決して恋愛対象じゃないし――ってもしかして傷付いたりした?」

 俺は頭を振った。梅雨利がどうのこうのよりも、観察者から見た鴇織姫についての見解の方が気になるからだ。

 俺は視線で先を促した。

「君も思い当たる節があるんじゃない? 織姫は君と付き合って以来、私以外の友達と付き合うの止めたしね。いや、やめたっていうより――どうでもよくなったのかな? 知人に声を掛けられても上の空。織姫にとって君以外の人間なんてどうでもいいんだよ。それでもまぁ、君とは違って織姫にはいまだに厚い人望があるから、学園生活にそれほど支障は出ないけど。そういえば知ってる? 織姫ねえ、君以外のメールアドレス。全部消去したんだよ。二百件以上あったメアドが一瞬にしてなくなっちゃったわけ。さらにそれだけじゃない。君以外のメールを全部着信拒否にしちゃったんだよ? 勿論それにはクラスメイトのやつもあるし、私のもあるし、家族のも含まれている。私はともかく、たった一人の家族の連絡先も潰しちゃったんだよ? 明らかにおかしい。さすがの私も唖然としちゃったなあ。――別に私のメールアドレスを消されたから、なんていう幼稚な理由じゃないよ。もっとこう、根本的な問題。私は君以外のライフラインを自ら断ちきった織姫に違和感を感じたの。いくらなんでもそれは変でしょう? なんでって訊いてみたら、紛らわしいからだって。いつ君から連絡が来てもいいように。そのためには君以外のメールは邪魔でしょう? メール開かないと誰かなんて分からないし。だから消したんだよ。メールしてきた相手がすぐに君だと分かるように。掛かってくるのが君だけなら、選別する必要なんてないしね。すぐに返信できるように。下手に返信が遅れて君に嫌われないように。織姫の行動原理は常に君ありきなんだよ。だって君を愛しているから。君なくして鴇織姫と言う人間は存在しない」

「……ああ」

 俺は力なく呻いた。

 形容しがたい疲労感。

 表現しがたい倦怠感。

 それが心に蓄積するんだ。

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