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神隠しが起こる村  作者: 密室天使
第二章 【レイク】
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第二十三話 五月十日 続

 これから言うことは全て戯言です。

 そう前置きして、その先を紡ぐ。つまり真実を(つまび)らかにするということである。

 それが目を背けたい現実であっても。

 人は現実と向き合うことで成長する。現実逃避なんてくだらない。前向きに生きていかなければいけないのだから。後ろには何もない。未来は常に前にしかない。

梅雨利東子(つゆりとうこ)という人物を知っていますか? 梅雨利空子(つゆりそらこ)の姉であり、雨稜(うりょう)高校のOBです」

「東子さんかい? 当然。昔興味深い出会いをしたものでな」と名伽花魁(なとぎおいらん)は回想するように目を細めた。「前に君に紹介した喫茶店があるだろう? 東子さんは五年くらい前からそこで働いていたのだよ」実に所縁(しょえん)な話だ、と会話を締めくくる。複雑そうでいて懐かしそうな――そんな表情である。

 手が汗ばむ。無為無に肩がこり、上腕を回せば骨が鳴った。

「その人から学園七不思議の出生を教えてもらいました」と梅雨利東子との会話を反芻する。もう二十歳を過ぎているらしいのだが、話し方は幼い。けれど醜いものは全て見てきたという、達観した雰囲気は凄みを感じさせる。おそらくあの人もまた、S極側の人種なのだろう。無自覚な異常者ほど手に負えないものはないのだ。

「ほう」と感嘆の息を上げる。

「実は学園七不思議の歴史は結構浅いんです。それは五年前に遡及(そきゅう)します。ちょうど、名伽狭霧(なとぎさぎり)が《神隠し》に遭ったころと同じ時期ですね」

「……実は二日前が回忌でな。あまりそのことについて触れないで欲しいものだ」

 不躾(ぶしつけ)と自覚しながらも、俺は突っ込む。「回忌? 名伽狭霧は死んでるんですか? 行方不明になっただけなのに?」

 名伽花魁はバツの悪い表情を作る。まるで母親に悪戯が見つかった子供のようである。

「そう思うのも無理はない。なぜなら名伽狭霧は何者かによって殺されたのですから」

 土の臭いがした。

 それはすえたような瘴気へと変わり、嗅覚を過度に刺激する。

 第二図書室に侵入したことを思い出す。あの後俺は、何回も吐いた。胃液が逆流してどうしようもなかった。

 けれど、対峙しなければならない。

 約束を違えることは恥ずべきことだ、という名伽意味奈(なとぎいみな)の言葉が脳裏をかすめる。梅雨利空子との約束を反故にするわけにはいかないのだ。

 それに。

 鴇織姫(ときおりひめ)も過去のトラウマで苦しんでいる。克服したと思ったのに、再発する。あんなに弱々しい姿を見たら、助けたくなるに決まってる。鴇織姫を救うには大本を叩くしかないだろ。

「第七の怪談――【生き血を吸う桜】。この下には、全身を解体されたバラバラ死体が埋まっていました。雨稜高校の制服を着ていて、性別はおそらく女。白骨化は進んでいましたが、服装から身元が分かりました。誰だと思います?」

 真実なんて呆気ない。紐解いてみれば、形骸化した感情しかない。歪み切った愛情の残滓である。

 答えない。唇を強く噛んで、目を逸らす。

 俺には詳しいことは分からない。分かりたくもない。

 世界なんて知ってもどうにもならないのにね。この世界には、知る必要のないことが多すぎる。

 電話越しに聞こえる声は淡々としていて、感情を感じさせないものであった。

 その通りだと思う。

 だからこれ以上の詮索はしない。ある程度の距離まで近付いて、身を引くつもりだ。

 もうすこしだけ。

 もうすこしだけ……

「――名伽狭霧。ポケットには手帳が入っていて、薄れた文字でそう書かれてありました」どうしようもない感慨が俺を襲う。それを振り払うように俺は、「例の桜には、赤ペンキが塗られた人体模型が吊るされていたらしいんです。そしてキャンパスもまた、赤く塗り潰されていた。変だと思いませんか? 犯人の目的が分からない。そう思いませんか?」と押し問答を繰り返す。

 どこかで野鳥の囀りが聞こえた。世界は平和なんだなと、改めて思う。たとえ人が死のうと、苦しもうと、空の青さは変わらない。名伽は詩人だな、なんて思う。

「その直後、学園七不思議が誕生。俺は初め、学園七不思議を作ることが目的だと思いました。けれどそうじゃない。学園七不思議はただのおまけで、実際は桜からみんなを遠ざけることが目的だったんです。名伽狭霧の死体が埋まった、【生き血を吸う桜】から」

 なにも言わない。俺は続けるしかない。

「失踪者が一人出たことで信憑性が高まったのか、()()()()()()()()()()()()()()()、という噂が立ちました。それが変遷を得て、学園七不思議へと変貌を遂げた。犯人も目論見通り、桜周辺のプランターは移動され、近付く者はいなくなった」

 つまり。

 そう言って一旦息を整える。「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうですよね?」

 なにも言わない。俺は続けない。

 言葉を待つ。

 返事を待つ。

 回答を待つ。

 真実を待つ。

 やがて名伽花魁は、吹っ切れたように口を開いた。「そうだ。私が名伽家の長女――名伽狭霧を殺害した。空子を突き落したのも、君の家にストーカーの私物を送ったのも私だ」とどこか清々しさすら感じさせる声である。とても嘘を言っている様子ではない。

「やっぱりあんただったのか」

「私は蝶の採集が趣味でな。前に山に登った時、妙な起伏を発見したのだ。気になってみて掘り返してみれば、黒いゴミ袋であった。なんだと思って開けてみたら、それは織姫ちゃんの写真やらポスターやらが大量に入っていたのだ。ためしに日記を読んでみれば――実に不愉快なものだった。そして確信したのだよ。織姫ちゃんにはストーカーがいたとな。それが誰なのかは分からなかったが、利用する手はないと思った」

 その人は比較的身近にいた人間だったのだが、ここではさほど重要な情報ではない。それよりも名伽花魁の運の良さに感嘆するばかりである。

「七不思議の調査を止めさせるためですか? 第七の怪談――【生き血を吸う桜】の謎を保持するために」 

「ご名答。これを使えば、織姫ちゃんはそれどころではなくなる。ともなれば、学園七不思議調査も自然消滅すると踏んでな」

「…………」

 今度は俺が沈黙する番だった。

「それで、君は通報するか? ここに殺人鬼がいると」

 俺は首を横に振った。「しませんし、俺にとっては別にどうでもいいことなんですよ。あんたが殺人鬼であろうと何だろうと。俺はただ梅雨利のバカの頼みを聞いてやっただけですから」

「私がなぜ名伽狭霧を殺したのかも訊かないのか?」

「訊きません。それは俺が知るべきことではない」俺はどこまでも青い空を見上げ、「だったら、なにも知らない名伽意味奈に言うべきなのかもしれません。それがたとえ残酷なものであっても」と嘯くように言った。

「…………」

 名伽花魁はおもむろにポケットからバタフライナイフを取り出した。それで自分の手首を深々と切り裂いた。

「なっ――!」

 名伽花魁の奇行に目が丸くなる。と同時に、総毛立つような危機感が募る。俺と名伽花魁の距離は十メートルもない。走ればまだ間に合うかもしれない。自然と足が動き、慌てて駆け寄る。名伽花魁はすでに虫の息だった。冷たい手で心臓を鷲掴みにされるような、そんな圧迫感。

 意味が分からない。なんで自分の手を切るんだよ?

 俺は名伽花魁の首に腕を回す。顔を突き合わせると、名伽花魁は蒼白だった。そうしている間にも、流血は止まらない。俺はポケットからハンカチを出し、流血個所に当てる。それでも止まらない。俺はコップから零れ落ちる水を想像した。やがて水はなくなり、コップの中は空になる。名伽花魁という躯を残し、何も残らない。不意に泣きそうになった。

「……贖罪なのだよ、これは」

 名伽花魁らしい、はっきりとした声。瀕死状態でもそれは変わらなかった。

 なんでどいつもこいつも死を選ぶ?

 右梨祐介(みぎなしゆうすけ)も名伽花魁も。

 どうして自分の命を軽く見れる?

 命はチップじゃないんだ。死神と軽々しくベットしてはいけない。そういうもんじゃないのか?

「私は自分が嫌だった。実の妹――君のよく知る意味奈に恋愛感情を覚え、実の姉――名伽狭霧を心から(そね)む自分が嫌だったのだ。私は生まれてこのかた、良いことなんて何もなかった。さらりと善意を振りまける姉さんがどうしようもなく疎ましくて――羨ましかった。自分もああなりたいと思った。けれどダメなのだ。自分には何かが欠けている。それも人としてとても重要な――言葉では言い表せられない《何か》。それは倫理であったり、常識であったり、通念であったり――愛情、だったのかもしれない。だが、理屈じゃないんだ。正論に押し潰される感情なんて、そんなもの愛情とは別のものだ。社会から爪弾きに遭わなければ成立しない愛情なのだよ。逆に訊くが、社会に許容される感情ははたして愛情なのか? 社会から抑圧される感情を持つことは許されざる行為なのか? 私はそうは思わない。思わないが個人の意見など、大衆の前では何の意味もなさない。仕方がないのだよ。私も自覚はしているさ。この感情は間違っているって。そうだろう? 間違った感情で構築された論理が正しいはずがない。歪んで当たり前の真実なのだ。――それでも自分は間違っていないと断言できる。それは近親相姦や殺人であってもだ。私は間違ってはおらんのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()誤解されるだけであって、元来私は正しいのだよ。周りが狂っていれば、狂っていることが常識となる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ならば私は正常だ。周りが――常識が歪んでいるのだから、それと相反する私は正しいのだ。――しかし。しかし、やはり私は常軌を逸しているのだろう。ならば、私は私なりの流儀で、この悪夢に幕を下ろすしかないのだよ」

「それがあんたの死であってもか?」

「バットエンド――などと思ってくれてるのか? 違うのだよ。これはバットエンドでも、ましてハッピーエンドでもない。くだらないただの終結(エンド)なのだ。結末が少し歪んでいるだけで、それ以上もそれ以下もない」

「それ以上もそれ以下もあるだろ。少なくとも俺や名伽は、あんたの死を悲しむと思うぜ」

 それは紛れのない事実だった。俺はともかく名伽意味奈は、姉の死をどう思うだろう。すでに長女に先立たれた名伽はどうすればいいのだろう。「残された者の悲しみを少しは考えてくれよ」そう言わずにはいられなかった。涙腺が緩み、知らず知らずのうちに涙が出る。モザイクのかかった両親の顔が頭に浮かぶ。今はもうこの世にはいない魂。帰ってきて欲しい。全世界の人間の命でさえ、天秤にかける。最愛の人の命は、全人類の命の総量でさえ釣り合うのだ。名伽花魁のやろうとしていることは、無責任甚だしい。「あんたにこの苦しみが分かるか? 分かるわけねーよな。分かって欲しくねーんだよ。だから死ぬなよ。頼むからよぉ!」

「先ほども言ったであろう――贖罪であると。私の死という、些細な代償を支払う時が来たに過ぎないのだ。過ちは是正されなければならない。歪みは修正されなければならない。同族殺しという大罪は、自分の死をもって償うしか道はないのだ」

「道はあるんだよ」呂律は回らないし、頭も回らない。思考回路がオーバーヒートしている。名伽花魁の自殺という事象を前にして、俺はなにも出来ない。俺に出来ることといえば、名伽花魁の背負う十字架を少しでも軽くしてやることくらいである。「あんたが生きればいい。そして身を粉にして償えばいいんだよ。そんなことも分からないのか? あんたは俺よりずっと賢くて強いだろ? コーヒーをブラックで飲める人間だろ? なら逃げるなよ。現実から逃避するなよ。生きればいいじゃないか。生きることくらい死ぬことよりも簡単だ。なぜそんなことも分からない?」

「そんなことも分からぬから、死を選ぶのだ」名伽花魁は笑った。すごく痛くて苦しいはずなのに、そんなことは微塵も感じさせない。ただ発汗量はすごく、名伽花魁の状態が異状であることを伝えていた。

「なら今から分かれ。それがあんたが負うべき贖罪だ。詳しくは分からない。あんたが名伽に恋愛感情を持っていたことなんざ知らなかったし、人を殺めた経験があることも知らなかった。知らないことばかりなんだよ。俺に対して、世界はあまりにも大きすぎる。けど、自殺はダメだろ。そんなことくらい子供でも分かる。ひょっとしてあんた、道徳の授業、サボっただろ?」

「私に《生きろ》というのか」毅然とした態度。意識は薄れているはずなのに、いつも通りのキレがある。

「そうだ」

「残念だが」その時初めて、名伽花魁は苦しそうに顔をしかめた。「それは無理な相談だ」

 あの名伽花魁が死ぬはずがない、と心のどこかで誰かが言う。

 けれど、失われていく体温が確かに感じられて、地面には血の海が出来ていた。それは池の方まで流れて行き、水面を真っ赤に染めた。まるで水そのものが血になったかのようである。

 名伽花魁という個体が消滅する。喪失感。

 俺はどうすればいい?

 こうやって、移りゆく死をただ見ているだけなのか。傍観することしかできないのか。

 後々考えれば、名伽花魁の戯言なんか無視して救急車を呼べばいいだけの話なのだが――

 出来ない。

 体が震えて、出来ない。

 怖い。ものすごく怖い。このまま名伽花魁から離れたら、もう二度と会えない気がする。名伽花魁に背中を見せ、振り返ったら誰もいない。そんな構図が頭に浮かぶ。俺は徹底的な臆病者なのだ。目の前に死にそうな奴がいて、そいつに背を向けるなんて出来ない。そんな後ろ向きな考えしか出来ない自分が情けない。

 それに。

 これは愚鈍な自分への免罪符なのかもしれないが――本人の意志を曲げてまで止めることは、どこか間違っているような気がするのだ。決死の思いを無理やり中断させるなんて、独善的な行為なのだと思う。生きてほしいって、そう思うのに――このズレはなんだ?

 それは詭弁なのかもしれない。

 自殺を見過ごすなんて、明らかに間違っている。

 けれど。

 悪を肯定したところで、その行為が悪になるとは限らない。

 善を肯定したところで、その行為が善になるとは限らない。

 人の感情が二元論で説明がつくわけがない。

 なにが悪で、なにが善なのか。

 なにが善で、なにが悪なのか。

 不意にどうでもよくなる。名伽花魁に《常識》を問うこと自体、極めてナンセンスなのだから。

「人はなんのために生きるのだろうな。私は不思議で不思議で仕方がなかったよ」と名伽花魁は言った。気息奄々(きそくえんえん)といった相様だが、たどたどしくはない。紛れもない意思の力を感じる。俺は名伽花魁がこの世界から消滅するという事実に、耐えがたいものを感じた。「だが、少しだけ分かった気がする」と満悦そうにそう言うのだ。

「……なんですか?」

「さあ? 私が分かったことといえば、()()()()()()()()()()、ということだけだ」

 俺は苦笑した。

 名伽花魁。

 悪を肯定する偽善者であり、善を肯定する偽悪者でもある。

 善を肯定する偽悪者であり、悪を肯定する偽善者でもある。

 悪と善を区分する領域に土足で踏み込むような、そんなどうしようもない破戒者なのだ。

 だとしたら。

 こういう結末も悪くない。たとえ少しだけ歪んでいるのだとしても、この終焉を傍観しよう。

 俺は傍観者。

 推移する出来事を傍観するしか能のない、愚か者。

 どうせ俺は救いようのないバカなんだから。

「それは違うな」

 名伽花魁はふっと笑い、こう言った。

「君は救いようのあるバカだ」

 ……なんだよそれ。

 ただの言葉遊びだろ。

「ふん、相変わらず君は口が悪い。これではうるさくて眠れぬだろう?」

 分かったよ、と言って、名伽花魁を見る。

 その顔は安らかで、穏やかだった。

 一瞬だけ、かわいい、と思った自分が情けなかった。

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