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神隠しが起こる村  作者: 密室天使
第二章 【レイク】
22/42

第二十二話 五月十日 

 相変わらず客は来なかった。

 先ほどの女性は、厨房に消えていた。

 深々としたジャズの調べ。それを遮るように、鈴の音が店内に響いた。

「なんだ。ここにいたのか」

 姉だった。

 艶っぽい銀髪を颯爽となびかせ、木目の床を踏む。百七十センチと高校三年生にしては高い身長。見るものを惹きつける肢体は、しなやかでシャープである。

 姉の格好が制服なのは、部活動の帰りなのだと予測はついた。姉は休日だろうが毎日のように学校に赴き、絵に没頭しているのである。特に今描いている絵画は、コンクール出展予定だとか。おそらく今日はただの手直しくらいなのだと思う。でなければ姉は、閉校時間ぎりぎりまで美術室にこもっているのだから。そうして蓋世(がいせい)の才を遺憾なく発揮しているのである。

「一人で喫茶店とは珍しい」と姉は言った。私の向かい側に座る。そして、「どうだ、調子は」と軽快に尋ねた。

「別に」私は言い淀む。視線を下げ、顔を俯かせる。「なにもない」

「そうか」

 姉は目を細めて笑った。私の返事がつれないのはいつものことなので、気にする素振りはなかった。ただ、「しょうがない子だな」と呟く声は聞こえた。それは放蕩息子を説諭するような、諦めのようなものが含まれていた。同時に私の体は縮こまり、倒錯的な罪悪感を覚える。私は一日に何回も、“姉を殺害する”という身勝手な妄想に耽っていたからだ。そして体中に蛆虫が湧くような、おぞましい嫌悪感すらも湧き上がった。

「けれど何もないってことはないだろう」

 私は顔を上げて、「だからなにもないと言っている」と怒気交じりに答えた。言った直後、自分の浅ましさが堪らなく嫌になった。再び顔を下げる。もう二度と顔を上げない、と心のどこかで誓った。

 それを見た姉はやれやれと、失笑を浮かべた。

 と。

「あれ、先輩じゃないですか?」

 厨房から弾んだ声がする。

 先ほどの女性だった。目は宝物を見つけた子供のように輝き、無邪気にこちらに駆け寄る。「やっぱり先輩だ」と女性は姉の首にしがみつき、頬をスリスリする。

 姉はそれを仕方なしといった風に、されるがままになっていた。それは犬とその飼い主との関係に似ていた。従順に尻尾を振る女性は、飼い主である姉とボディタッチを繰り返すのである。

「よせ、東子(とうこ)。服が乱れるであろう」と姉がそう叱責すると、東子と呼ばれた女性は不服そうに引き下がった。それでも笑みが絶えることはなく、さながらの莫逆の友のようであった。

 テーブルには三人の女性が鼎座(ていざ)していた。私と姉と、いつの間にか姉の横に座っていた東子なる女性。その三人である。

「似てますね。もしかして先輩、この人と姉妹ですか?」と女性は私の方に視線を向けた。

「そうだ。私より五歳年下の妹なのだ」

「なるほど。顔立ちも髪の色も、ほぼ同じですね」

 混乱する。

 家族。

 綺麗な顔でなぜそんなことが言えるのだろう。私にとっては唾棄すべき括りなのに。家族なんてくだらない。ただ血が繋がっているだけで、姉と顔を会わせなければならないのだ。私は妹さえいればそれでいいのに。

 私は一息つき、「オレンジジュース、ありがとうございます」とおざなりに礼を述べ、席を立った。

「帰るのか?」姉が不思議そうに質問する。「まだ朝の九時だぞ」

「帰っちゃうの?」女性は残念そうに言う。「もうちょっとだけ」 

 私は(かぶり)を振り、身を翻した。そのまま喫茶店のドアを開ける。

 喫茶店を出ると、どっと汗が出た。春なのになぜか殺人的すぎる日差しを受け、額に浮かぶ汗を拭う。アスファルトは焼け爛れていて、陽炎のようなものがちらついていた。

 畦道を歩きながら、様々なことを追想する。

 いつしか私は、()()()()()()()()()()()、といった価値観を持つようになっていた。それが、()()()()()()()()()()、という退廃した思想に派生するのに時間はかからなかった。かかるわけがなかった。

 だから決意した。

 姉を。

 殺す。

 それはすんなりと私の心に受け入れられた。まるでそこにあるべきジグソーパズルのピースが、欠けた個所にがっちりとはまるように。あるいは脚本通りに物語が進んでいく、その過程を淡々とこなしていくかのように。

  

「私は――」

 

 言葉はそこで途切れた。




          ○○○




 空の雄大さは端倪(たんげい)すべからず。

 馥郁(ふくいく)たる桜の香りが風に乗って、五月の訪れを知らせる。深山の眺望は、何とも言えない隔世(かくせい)の感があった。

 犯人からの脅迫状が届いた翌々日の放課後。

 俺と名伽花魁(なとぎおいらん)は、一棟校舎裏にいた。人気はなく、生徒たちの閑談が遠くから聞こえた。まるで世界から切り離されたようで、現実感があまりない。 

「七不思議から手を引くのではなかったのか?」

 小さな池の前、名伽花魁はそう尋ねた。

 影が伸びている。それが名伽花魁の表情を隠す。

 なにを思っているのかは分からない。

 歓喜だろうか。不安だろうか。それとも、後悔だろうか。

 名伽花魁の顔は黒く塗り潰されていた。そのせいか、心の機微が深く読み取れない。

「勿論ですよ」

「だったらなんで、私はここに呼び出されているのだ?」と名伽花魁は(そら)んじるように言い、「それに織姫(おりひめ)ちゃんの姿が見えないのだが」とも言った。 

(とき)は二日前から寝込んでますよ」と春色に彩られた木々を見る。「先輩の思惑通りにね」

「……どういう意味だい?」

「ネタは挙がってるってことですよ、名伽先輩」俺は深呼吸をして、噛み締めるように言った。「犯人はあんたなんだよ」

 ボールを蹴る音がした。グランドから結構遠いのだが、ここでも聞こえるらしい。ちょうどいいBGMである。

 名伽花魁は押し黙った。緩慢な閑寂が流れる。

 ふふふ。

 魔女のような声。それはやがて哄笑となり、煙のように天高く昇っていった。

 名伽花魁だった。

「ふはははははははは! いきなり何を言い出すかと思ったら――私が犯人だと? 空言もいい加減にしたまえ」

「空言なんかじゃないんだよ。この学園七不思議の裏で動いてたのは、間違いなく名伽花魁その人だ」

「ほう? なぜ君がそういう結論に辿り着いたのか。ぜひ拝聴願いたい」と名伽花魁は背筋を反らせ、下から俺を覗き見た。猫の毛のような銀髪が首筋にかかり、妖艶な雰囲気を醸し出す。性格がアレであることを除けば、名伽花魁は完璧だ。ただ喋ったり動いたりするからいけないのであって、喋ったり動かなければ、紛れもない美女なのである。

 現に心臓の脈動が止まらない。それは名伽花魁の美貌に耽溺していた、というわけではない。――ないこともないが、それとはまったく別のことが起因しているのである。

 ()()()()()()()()()()()

 俺の頭の中にはそのことで一杯だった。それは名伽花魁の楚々とした見た目と著しく乖離していて、現実味を帯びていないのだ。

 俺は頷いた。「まず【狐面の怪人】の件です。あれは倉庫の中に収納されていて、錠前がかかっていました。長年開錠された形跡はなく、名簿を見てもその鍵を使用した人はいませんでした」

 それを受けた名伽花魁は、「だろうな。で、矛盾が生まれる」そうだろう? と眉を吊り上げる。

 名伽花魁の指摘はまさにその通りである。

 梅雨利空子(つゆりそらこ)が言うには、第二の怪談――【狐面の怪人】を模した人物に突き落とされたらしいが、名伽花魁の指摘通り、その時点で矛盾が生じる。誰も倉庫を開けていないのなら、狐面や黒いフードを使用することが不可能だからだ。

 実に明快。一部の隙もない、理論武装された正論である。

 が。

 そう来ると思った。

 俺は校舎の近くにある茂みに手を伸ばす。名伽花魁は不審そうにそれを見る。それでも律儀に待ってくれるのはさすがといったところか。しかしその表情に余裕が消えるのに時間はかからなかった。

「そっ、それは――」

「察しの通り、狐面と黒いフードです」と俺は不気味に笑む狐面と、漆黒のフードを掲げてみせた。

 名伽花魁は焦心のこもった声色で尋ねる。「そ、倉庫から引っ張り出して来たのかい?」

「いいえ」俺は切り返す。「そうじゃありません」

 俺は狐面に取りつけてあった値札を掴み、「実はこれ、商店街の雑貨店に売ってるんですよ」と言った。「二つ合わせて六百円くらいかな。安くて拍子抜けしましたよ。多分演劇部も財政難だったんでしょうね。こんな大量生産の安物で済ませることにしたってわけです」 

「…………」

「まさか狐面と黒いローブが販売してあるとは誰も思いませんよ。横紙破りです。ただこの時点で倉庫のトリックは解明されました。犯人は倉庫のものを使ったのではなく、新しく買い揃えたってわけです」俺は狐面と黒いローブを地面に置き、「事実倉庫のやつは埃被っていて、使用された様子はありませんでしたし」と確かめるように言う。

「……なるほど。君の推理は一理ある。しかしどうやって犯人は空子を突き落したのだ? 後ろを振り向かれたその時点でアウトだ。三棟三階の教室は廃墟同然。あそこは身通しがよくて、隠れられる場所など皆無なのではないか?」  

「簡単ですよ。おそらく犯人は第二図書室を利用したのだと思います。鍵がいるという問題点も、真夜中の学校に忍び込んで鍵を複製すればいいだけの話です。かくいう俺も昨夜、職員室に忍び込んで鍵を奪取し、第二図書室に侵入できましたから」と思わず得意げになって言う。「こういう手順で鍵を手にした犯人は、第二図書室で待ち伏せ、梅雨利の不意を突いた」

 夕焼けは濃くなっていた。山は黄金色に染まり、太陽は西に傾く。優渥(ゆうあく)な日輪の恵みが、ゼピア色となって田園を照らす。桜ならず百花繚乱(ひゃっかりょうらん)と咲き乱れる花の香りまでもが、鼻腔を甘美にくすぐった。

 しばらく思案顔だった名伽花魁は、おもむろに視線を向ける。影は剥がれていて、済み切った瞳が見えた。

「確かにその手段を用いれば、空子を突き落すことも可能だろう」と言って、「しかし」と付け加える。

「ただ?」

「それには決定的な問題がある」名伽花魁はしたたかに微笑んだ。「誰にでもその犯行は可能であるという点だよ。それでは私が犯人であるという証拠はないではないか」と言い、(きびす)を返した。射光が背中に反射し、後光のようなものを作り上げる。 

 俺は薄く笑い、予想された質問に答える「証拠なら――ありますよ」

 名伽花魁はぴたりと足を止め、振り返る。そして興味深そうに俺を見つめた。全てを見切ったような眼球。クリアな水晶をそのまま嵌めこんだようである。

「第二図書室には髪の毛がありました。銀髪のジャギーが入ったものです。銀髪といえば名伽意味奈(なとぎいみな)か名伽花魁しか該当者はいません。まあ、消去法です。名伽意味奈はその頃部活をしており、当然のことながらアリバイがある。しかし名伽花魁にはアリバイはありませんでしたね? ともなれば、第二図書室を利用した人間は、あんたしかいない。それに第二図書館は、帳簿によれば約五年間もの間使われていませんでした。なのに山積した埃の上に、真新しい髪の毛がある。普通酸化するか腐敗します。明らかに不自然ですよね?」と言って、口を噤む。同様に名伽花魁も口を噤む。

「これで“誰がしたのか(フーダニット)”と“どうやってしたのか(ハウダニット)”は解決しました。しかし――動機。“なぜしたのか(ホワイダニット)”の謎が残っています」

 それが最大の難関だった。

 だれがどうやったのか?

 この二つはどうにかして推理できたが、肝心なのは動機である。動機なき犯罪などありえない。物事には必ず意味が付随するのである。右梨祐介(みぎなしゆうすけ)の言う空即是色(くうそくぜしき)論など邪道であり異端である。意味が付随しなければ、物事は成り立たない。物事が成り立つには、意味が付随しなければならない。

 否。

 答えがないから、意味を求めないだけなのかもしれない。

 意味がないから、答えを求めないだけなのかもしれない。

 異常に意義を見出すのは無意味なのか。

 正常に意義を見出すのは無意味なのか。

 異常と正常。

 正常と異常。

 それらに《答え》や《意味》なんていう高尚なものが、はたしてあるのだろうか?

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