第二十一話 五月八日 続
俺は電話をかけた。
○○○
『もしもし。俺です』
『ハロー。久しぶりだねー。君がこうやって電話してくるの、何か月ぶりだろう?』
『約二か月ぶりだと思います』
『どうりで着信メモリがゼロのままだと思った。定期的に電話してきてよ。お姉さんお友達がいないんだからさ』
『冗談はやめてください』
『冗談じゃないもーん。私本当に友達というやつに縁がなくてさあ、友好関係が極端に狭いんだよね。なんでだろう?』
『篝火さんに電話したらどうですか?』
『篝火君に? それこそ冗談だよ。彼は今気鋭の新人作家で、ものすごく忙しいらしいから。前に一度電話してみたけど、音信不通。お姉さんの取りつく島なしってやつだよ』
『そう言えば篝火さんの本、書店で見かけましたよ。当店自慢の金看板とか何とか書いてありました。題名は――』
『「オン・ザ・スカイ」――だったっけ? 結構分厚いミステリー小説でさ、君も読んだかな?』
『はい、少しだけ。あんな小説を書けるなんて、失礼ですけど、篝火さんってすごい人だったんですね。なんかこう、その――』
『変な奴だもんね。どこか抜けてるけど、妙に鋭いって感じかな』
『同感です。鈍いけど鋭い』
『そこが篝火君の魅力かな。知ってる? 彼、高校生のころすっごくもてたんだよ?』
『そうなんですか……。結構――意外かな』
『ひょっとして、ドラマに出てくる王子様キャラみたいなのを想像してる? 全然違うって。もっとこう、少数の異性から重すぎる愛を与えられたって感じだよ』
『……はあ』
『あれは滅茶苦茶だった。異常と異常は魅かれ合うのかもしれないね。こう磁石みたいに。もしN極が正常でS極が異常だとしたら、彼の周りにS極側の人間が集まるのも必然かもしれないね。だってS極はN極に反発するから。N極を異物として遠ざけるから。日常から正常を引き抜いたら、あるのは異常であるS極だけ。単純な引き算だね』
『それで、あんたはS極側の人間だったのか?』
『私? 私は――勿論N極に決まってるでしょう? どこからどう見ても平々凡々だし、突出した点なんて、容姿とスタイルが良いってことくらいだし』
『自画自賛は最も見苦しい行為だと、俺の友人が言ってましたよ』
『ふーん。へえ、いいなあ、友達がいっぱいいる人って。お姉さん羨ましい』
『茶化さないでください。この電話で今日一日分の体力を使う破目になるじゃないですか』
『馬の耳に念仏ってことわざ、知ってる?』
『あんたは馬か』
『それって私が淫乱女ってこと?』
『そういうことじゃありませんよ。少なくとも見た目は清楚ですから安心してください』
『なにその、《少なくとも》っていう副詞。まるで私が見た目だけ奥ゆかしいみたいじゃん』
『そうじゃないんですか?』
『うう、意地悪。篝火君はそんなこと言わないのになあ』
『優しい人ですから、口には出さなかったのかもしれませんね』
『……そうなのかなあ? だとしたらへこむなあ。――って、なんで私が貶められてるの? 私を惨めな思いにさせたのは誰? 君とその友人だね。女の子を苛めるなんて最低』
『俺は念仏を喋ってるんですから、あなたを貶めてるわけじゃありません。むしろ救っているのです』
『相変わらずの詭弁っぷりだね。空子から君のことはよく聞いてるよ。そしてその友人のことも――ね』
『……名伽のこともですか?』
『そうそう、その名伽っていう娘。名伽かあ、あの人のことを思い出すなあ。正義感溢れる優しい先輩のこと。良い人だったなあ』
『……その人って名伽狭霧さんのことですか?』
『……よく知ってるね。うん、名伽先輩。同じ美術部員でさあ、色んなことを教えてもらってさあ、それはお綺麗な人だったよ。もういなくなっちゃったけど』
『神隠し』
『ご明察。その頃は《神隠し》の豊作期だったから、あんまり取り質されなかったけど、結構ショックだったなあ』
『そのことについて教えてくれませんか? 名伽狭霧の神隠し事件について知りたいんです』
『へえ、なんで?』
『やらなければならないことができた。それだけのことです』
『君が能動的に動くなんて珍しいね。変なものでも食べた?』
『あなたの妹も関係しています』
『……なるほど。我が愚妹が一枚噛んでるってわけね。自分のことを観察者とか言ってるけど、具体的に何がしたいの?』
『観察ですよ。前提条件は、未知なるものを既知にしたいという、貪欲なまでの知識的欲求への衝動。世界の全てを知りたいのだと思います』
『世界なんて知ったってどうにもならないのにね。この世界には、知る必要のないことが多すぎる』
『それをひっくるめて全てを知りたい。そういう解釈は可能ですか?』
『愚妹も若干、S極側の人間だから、まあ仕方がないかな。N極側の人間としても理解できる範疇を越えちゃってるし』
『かくいう俺も同じですけどね』
『――それで君のやりたいことってなに? 避妊具はどうやって付けるんですか、とか? お姉さんでよければ教えてあげるけど』
『……名伽狭霧さんが神隠しに遭った直後、何か異変はありませんでしたか?』
『……華麗にスルーされちゃったよ、お姉さん会心のギャグ。あぁ、寂しいなあ』
『あなたが言うと生々し過ぎてスルーするしかないんですよ。で、ありましたか?』
『異変ねえ。まあ……あったよ』
『どういった風でしたか?』
『学校の正門の横に巨大な桜があるじゃん。君在校生だから、当然知ってるよね?』
『はい』
『その桜の木にさあ、生物室の人体模型が吊るされてたんだ。べったりと赤いペンキか絵の具かで全身が塗られてて、それはそれは不気味だったねえ。まるで血が滴ってるみたいで、いかにも《自殺》してますっていう感じだったよ』
『人体模型が――吊るされていた?』
『そゆこと。朝から大騒ぎだったよ。現代文の高松先生がさ、血の色をした人体模型を桜の木から下ろして、生物の先生が必死にペンキを落として。めっちゃグロかった』
『首吊り自殺を模した人体模型ってことですか?』
『うん。それからかなぁ、学園七不思議が出来たのって。君の世代はどうなってるの? 多分、【生き血を吸う桜】のままじゃないのかな? 生き血を吸って大輪を咲かせる桜の怪談なんだけど、これが出生秘話なんだよ? 生き血って言ってもただのペンキか絵の具かのどちらかなんだけどね』
『なるほど。人体模型といえば、第三の怪談――【動き出す人体模型】を彷彿とさせますね』
『やっぱりそのまんまなんだ。その通り。それがきっかけで人体模型が怪談に登場したんだと思う。動き出してないけど、誰かが勝手にそう命名したんだろうね。そして今もそのまま受け継がれてるってわけか。そういえばこれ知ってる? 第四の怪談――【飛び出るキャンパス】。実はあれ、名伽先輩がコンクールに出すために描いたんだよ』
『……名伽狭霧がですか?』
『ほんとほんと。美術部の私が言うんだから間違いナッシング。今は血の色で埋め尽くされていて、真赤なんじゃない?』
『はい。いかにも徹底的に赤で塗り潰した風でした』
『初めはね綺麗な田園風景を描いたキャンパスだったんだけど……名伽先輩が失踪した同じタイミングで、そのキャンパスが何者かに塗り潰されてたんだ。多分、第七の怪談――【生き血を吸う桜】を仕掛けた同一人物の犯行だと思うね。赤い絵の具が余ったから、ストレス解消にキャンパスにぶちまけただけなんじゃない? もしくは長年の恨み――みたいな。名伽先輩に怨恨を抱いている人なんて平生にして存在しないと思うけど。一転の曇りもない、聖人君子みたいな人だったしさ』
『意味不明ですね。犯人の真意が読みとれない』
『そうなんだよね。おかげで真相は闇の中。一応愉快犯っていう結論が出たけど、神のみぞ知るところ。未曽有だね。結局、犯人分からず仕舞いだったし』
『……分からなかったんですか?』
『そりゃあ、証拠なんて何もなかったし、絵の具を塗るなんて誰にでも出来る。水掛け論ってやつだよ。それよりも名伽先輩の神隠しの方がセンセーショナルでショッキングでしょ? 学園側もそっちの対応で手いっぱいって感じだった。私は私で植物委員だったから大変だったよ。まず【生き血を吸う桜】付近のプランターを移動させて、付着したペンキを落として……その後は別の場所に置いたっけ。あんな不気味な場所で植物が育つとは思えないし。土もなんとなく赤いし』
『そう言えば、あの桜の近くだけ何もありませんでしたね。植物もなにも。撤去されたんですか?』
『されちゃったのよね、これが。生徒はおろか先生たちまで気味悪がって、あそこら辺には近付かないくらいだしね。同時期に生徒が行方を晦ましたっていう、神隠しとの相乗効果もある。下手に近づいたら、名伽狭霧みたいに神隠しに遭うって、もっぱらの噂だったから』
『怖いくらいに時期が同じですね』
『そこがまた妙な話なんだよね。不可解な一致。まるで誰かに踊らされているような、そんな風にすら思えてくる』
『俺も感じました。この七不思議はよく出来過ぎている』
『私も同意見。作為的な意図すら感じるね』
『学園七不思議を初めに言い出したのは誰だったんですか?』
『分からない。そもそも七不思議っていうのはいつの間にかあったっていう代物だからね。生まれるわけじゃない。気が付いたらなぜかそこにあるような、摩訶不思議な事象なんだ。一回科学的な検知で検証するべきだと思う』
『気が付いたらそこにある……。つまり七不思議の仕掛け人は不明だと』
『私としては桜に人体模型を吊るした奴なんじゃない? それにキャンパスを赤く染めれば、七不思議を作るための材料と特異性は揃うわけだし、“名伽狭霧”という共通の話題もある。犯人は名伽先輩の失踪を利用して、七不思議に信憑性を持たせようとした。さっき目的は不明だって言ったけど、もしかしたら犯人は七不思議を作ることが目的だったのかもしれないね』
『七不思議を――作る、ですか? なぜ?』
『暇だったからじゃない? 自分の生きた証を残したいってやつだよ』
『それだけのためにこんな手間暇のかかることをしますか? 別にこんなことをしてまで学園七不思議を作る意味がない。適当に七不思議を創案して、適当に鼓吹すれば自然と広まっていくものじゃないんですか?』
『そうだけど、これには別の解釈も存在すると私は思うわけ』
『教えてください』
『えらく素直だね。しかも今までほぼ敬語だったし』
『教えてください』
『はいはい、分かりました。うーんとね、発想自体は簡単だよ。ただそれには随分とパラドキシカルになる必要があるかな。――つまり犯人は七不思議を作ることが目的なんじゃなくて、人体模型を吊ったり、キャンパスを赤く染めることにこそ意義があったっていう解釈。だってそうでしょう? 七不思議っていうものは極めて自然発生的な側面を持っている。学校という特殊な密閉空間に起こる一つの奇跡だと思うね。しかし犯人はそれを人工的に製造しようとした。なぜか? ルーチンワークな日常を変えたかっただけなのかもしれない。何かすごいことをしたかっただけなのかもしれない。ただ単に名伽狭霧の神隠しに便乗しただけなのかもしれない。人体模型を吊るす事件はただのきっかけで、学園七不思議は成り行き的に発生したのかもしれない。あるいは、もっと深い何かが――動いているのかもしれない』
『話題作り――なんて』
『案外そうかもしれないね。そんなちんけな話だとは思わないけど』
『……ありがとうございます。色々助かりました』
『ふふふ、やけに殊勝だね。愚妹によろしく言っておいてよ。お姉ちゃんは超高級旅館で頑張ってますって』
『伝えておきます』
『そう言えば君。後一カ月くらいしたら誕生日っぽくない?』
『ああ、はい、多分……そうだと思います』
『……もしかして自分の生まれた日忘れてたの? うわぁ、アルツハイマーじゃないんだからさあ、しっかりしてよ』
『おっしゃる通りで……』
『だからさ。君の誕生日の時にプレゼント。渡しておくから』
『なにをですか?』
『ひ・み・つ。私は仕事で忙しいから、詳しいことは空子から聞いておいてよ。私超多忙だからさ。接待やらご飯の準備やらで忙殺される日々だよ』
『伊豆でしたっけ? 確か《旅館八重桜》とかいうところだったような』
『海も見えるし山も見える。もしよかったら夏休みにでも来てみなよ。夏祭りやってるし、海水浴も出来る絶好の旅籠だからさ。特別に料金はまけてあげるから、骨休めに来てみたらどうかな? ひょっとしたら篝火君も来るかもしれないし、例の篝火君の奥さんに逢えるかもしれないよ?』
『……在学中に籍を入れたそうですね、篝火さん夫妻』
『篝火君が十八になったその日に婚姻を結んじゃったのよ。その時は大変だったんだよ? 当然のことながら二人とも長期停学を食らってさ、それはもう大変大変。高松先生のおかげでどうにか退学は免れたけど、その二人結婚を取りやめなかったから、結局退学になっちゃったんだよね。それでも篝火君は物書きとして文壇に登りつめたんだから大したもんだよ。奥さんの方にも興味あるでしょう? 私に勝るとも劣らない美人なんだから』
『はあ』
『なにその気のない返事』
『もう切ってもいいですか? もう少しで昼休みが終わってしまうので。また今度の機会に』
『……はいはい、分かりました。夏休み、ちゃんと顔出してよ?』
『勿論です』
○○○
俺は電話を切った。