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神隠しが起こる村  作者: 密室天使
第二章 【レイク】
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第十六話 五月七日

 姉は明晰な頭脳と、卓越した身体能力と、繊細な美的センスと、魅了的な容姿を併せ持っていた。欠点らしい欠点はなく、人として完結していた。また、女としても完了していた。それなのになぜか、姉は生涯を独身で貫き通した。男なんていくらでも遊び放題なのに、なぜ? 私には不可思議で仕方がなかった。

 それには姉の性格が起因している。

 姉は博愛主義者だった。見えない壁、という概念からもっとも遠い人間だった。皆に慕われ、いつも話の中心にいる。老若男女問わず、ありとあらゆる世代から愛されていた。

 愛の総量は常に一定である。

 世界には愛が溢れているが、それは極めて絶対的だ。いうなれば、ゼロサムゲームに近い。ゲーム理論という特殊な学問用語のそれは、その集団が有するポイントは総括的に0である、というものだ。その集団とはつまり世界そのもので、ポイントと言うのは愛を示す。

 誰かが得をすれば、その分だけ誰かが損をする。

 誰かが損をすれば、その分だけ誰かが得をする。

 それは何も物質的なものに限定されない。

 例えば――愛。誰かが誰かを愛すれば、別の誰かが愛を失う。

 姉が幸せを――愛を独占する。それに比例して、私への愛は希薄になっていく。当然だ。それもまた世界を律するロジックだからだ。存在理由を異とするが、《常識》という概念に似ている。《常識》は価値観を必要とするが、ロジックにはそれが要らない。1+1=2というのはロジックだが、人を殺してはいけない、というのは《常識》である。両方とも私たちを束縛するものだが、次元が違うのだ。

 いつしか妹の関心は私から姉に移っていた。私は妹が全て、といった人間なので、妹のためなら何でもした。なのに、なのに、妹は――

 愛が足りない。

 奪われたのだと思う。奪われたのだから、ちゃんと返すのが礼儀だと思う。姉は礼儀作法も完璧なのだから、しっかりしてほしいものだ。

 だから。

 返して。

 私の妹を。

 私の愛を。

 返してよ。

 私は妹さえいれば何もいらない。私は妹のことを言葉で表現し切れないほど愛していたし、出来ることなら結婚もしたい、と思ってすらいた。一回本気で、家出を考えたこともあった。「ポッキー食べれないの?」と妹が訊くので、私は、「無理っぽい」と答えたら、無邪気な顔で妹は、「ならいいや」と言った。だから断念した。私は妹には甘いのだ。ポッキーが食べれないのなら、まあ、しょうがない、と思う自分がいた。ただこれで、「一番上のお姉様に逢えないから、嫌」なんて言われた日には、私は憤慨と悲愴のあまり腹を切るところだった。

 それだけ私は、妹のことが好きだった。

 血が繋がっているだとか。

 同性であるとか。

 そんなことはどうでもよかった。




          ○○○




 ウロボロスの輪、というものを知っているかね?

 それを聞いた鴇織姫(ときおりひめ)は、頭に疑問符を浮かべている風であった。困惑する鴇織姫の姿は鮮明に映った。

 それをぼんやりと聞いていた俺は、ウロボロスの輪なるものを想像する。本で見たことがあるが、具体的な像は思い浮かばなかった。ただ輪なのだから、多分円の形をしているのだろうな、とは思った。安易な発想だが、でなければ、その《ウロボロスの輪》という名前と符合しない。とその後、「名前ほど本質と乖離しているものはない」といった言葉を思い出す。誰の言葉なのかは忘れてしまったが、その言葉は確かな輪郭を持って脳に居座っていた。居丈高(いたけだか)でも高飛車(たかびしゃ)でもない、済み切った声。どこか切符のいい女将(おかみ)のような、そんな清涼とした声。

 名伽花魁(なとぎおいらん)はその《ウロボロスの輪》の解説をし始める




 生物室というのは驚くほど味気ない。色が欠如したモノクロ写真のようで、その空間だけ真空を切り取っているようだった。

 窓から漏れる古びた日差し。それは酷く不鮮明で、今の時間帯が昼型なのか夕方なのか区別が付きづらい。

 表裏をなして、外の景色は春らしいそれ。春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)たる麗らかな田園風景である。ということは今は昼なのか、と心のどこかで確認する。時計にちらりと視線を走らせれば、一時を過ぎたころだった。認識と時刻の一致。

 生物室の窓際には、実験に使用されるであろう得体の知れない植物が跳梁(ちょうりょう)していた。

 【天国への階段】と【狐面の怪人】。

 この二つの怪談を調べた翌日の昼休み。俺たちは人体模型が配置されている生物室に(おもむ)いた。第三の怪談――【動き出す人体模型】を調査するためである。

 しかし、【動き出す人体模型】。この調査は早くも暗礁に乗り上げた。基本的に俺たちが取りうる選択は、人に尋ねるか、文献を使用するか、実物を調べるか、の三つに分かれる。ただ不幸なことに、雨稜(うりょう)高校には生物部がない。必然的に前者の選択肢は自然消滅するわけで、生物科の先生に訊くのも気が引けて。

 かといって文献を活用するという選択肢も、やっぱり不可。文献なんてあるはずがない。

 とくれば最後の砦たる、実物を調べる、という選択肢を取らざるを得ないのだが――収穫なし。五臓六腑(ごぞうひっぷ)の内部を隅々まで調べ、動脈や静脈を細々と調べ、関節や骨格を節々まで調べ、最善を尽くしたがこれといった異常は見当たらなかった。せいぜい、首の辺りが妙に圧迫された跡が見えるくらいである。それとなぜか――変に赤い個所があった。絵の具でも塗られた風だ。

 それ以外に目新しいものはなかった。

 俺たちには、人を模した人体模型が夜な夜な走り回っている姿を想像することしかできない。

 何もかも八方塞。唯一の救いは犯人からの接触がないことである。ただそれを吉と取るべきか、凶と取るべきか――判断に迷うところである。平和主義の俺にすれば、そういう荒事は避けたい。それは純然たる犯人への恐怖でもあるし、名伽花魁を敵に回す犯人への同情でもあった。世界を敵に回しても、あの変態女だけは敵に回したくはない、という一種の畏怖である。

 名伽花魁。

 悪を気取る偽善者であり、善を気取る偽悪者でもある。

 善を気取る偽悪者であり、悪を気取る偽善者でもある。

 存在自体が白昼夢みたいに不確かで、明晰夢みたいに確かな人間なのだ。

 まるで出口のない迷路。

 それは現状にも当てはまる。

 先日第二の怪談である【狐面の怪人】の調査に乗り上げた俺たちだが、その時点で事態は紛糾していたのである。

 三週間ほどまでに、梅雨利空子(つゆりそらこ)は謎の怪人物によって階段から突き落とされた。その場所は第一の怪談である【天国への階段】で、突き落した人間は狐面と黒いローブを羽織っていたという。それは第二の怪談――【狐面の怪人】を模したものであり、犯人は先般の倉庫に少なくとも一回は立ち寄っていることになる。

 ただ。

 確然たる事実として、倉庫の中には狐面と黒いローブが収納されていたのである。捜索にはいくらか手間取ったが、紛れもなくあったのだ。そして倉庫には鍵がかかっており、南京錠は錆付いていた。つまりこの倉庫は、何年もの間開錠されていないということを示唆している。

 倉庫の鍵は職員室で管理されており、使用者は名簿にて名を連ねなければならない。

 犯人は狐面と黒いローブを着衣していた。

 倉庫には狐面と黒いローブが収容されていた。

 二律背反である。この二つの事実は、背中合わせでしか存在を確定し得ない。

 梅雨利空子が提唱した仮説には致命的な欠陥が見つかった、というわけである。

 しかしそれでもなお、七不思議の調査を中止するわけにもいかず、漫然と続投しているのである。ただ以前と違って、犯人に介入される恐れはなくなった。胸底に沈殿する憂いは融解し、気が楽になる。


「さて、どうするべきか」

 気味の悪い人体模型が調べ尽くした後、名伽花魁がため息交じりに言った。

 名伽花魁は腕組をして、壁にもたれかかっていた。鴇織姫は名伽花魁と距離を置いて、椅子に座っていた。かく言う俺は窓のヘリに頬杖をついて、某と遠望していた。

 窓から見えるのは、色彩の富んだ花々や、所有者不明の自転車。前輪がパンクしているらしく、そのまま放置されたらしい。

 生物室にはよどんだ空気が流れていた。

 名伽花魁の問いに誰も答えない。言葉が宙に浮いているようである。

「おいおい、どうしたんだい二人とも?」名伽花魁はいくばくか茶化すように言う。「生気も正気も根気も消失してしまったようではないか」

「…………」

 名伽花魁の苦笑交じりの笑い声が聞こえた。そして唐突にこう言う。「自転車の車輪は、ウロボロスの輪に似ているとは思わんかね?」

「ウロボロスの輪ですか?」会話の矛先を向けられた鴇織姫は、口ごもりながら答えた。それを横目で眺める俺に不思議な感慨がわき起こる。鴇織姫に懐柔された俺も、こんな風だったんだろうなと思った。事実、その通りなのだろう。

 遠くからでも自転車が見えるのか、名伽花魁はこちらに来て窓外(そうがい)を眺めるようなことはしなかった。

「それ」鴇織姫がたじたじになる姿が愉快で、俺は表情を綻ばせた「なんですか?」

「自分の尾を(くわ)えている蛇のことだ。永遠の再生と輪廻の象徴でな、これには様々な寓話が残されているのだ」と下唇を曲げる。俺の背面にいるので姿は見えないが、達観的な微笑を浮かべる姿がありありと頭に浮かんだ。猫科じみた瞳、切りそろえてある銀髪。そして背中に針金を通したようなまっすぐな背筋。巧緻(こうち)的なパーツで構成された名伽花魁が、仁王立ちで俺を見下ろす。背景は虚空で、名伽花魁は意味深な表情を浮かべている。俺の頭の中で、だが。

「寓話?」寓話なんてあるんですか? と俺は尋ねた。

「興味があるのかね?」と名伽花魁はそう言っておいて、「無視する」と続けた。「私は寓話なのという眉唾物に興味がないのでな。先に進めるぞ」と無慈悲なことを言う。むしろ不条理である。自分から訊いておいてそれはないだろ。と、言いたくなるが、下手に口答えすると拳が飛んでくるので自粛する。人は学ぶ生き物なのだ。人は痛みで世界の広大さと自己の矮小さを知る。痛みというのは概して忌み嫌われるものだが、人の進化に一役買っているのだ。故に痛みを毛嫌いするのはお門違いである。憎むべきは《痛みの痕》であって、《痛み》そのものではない。……決してマゾヒストを擁護しているわけではないので、あしからず。 

 華麗なスルーを披露した名伽花魁の口調は、経典を読み上げる神父のそれと似ていた。有無を言わせない厳粛な雰囲気。それは名伽花魁の性質とマッチしていて、驚くほど違和感がない。「その蛇は自らの尾を食らう。己の体を栄養源にして、この世に存在し続ける。つまり自らを糧にして生き続け――逝き続けるのだ。生と死の命題にして反対命題。人間の心理と、真理と、心裡が隠されているとは思わないかね?」

 名伽花魁の声はひんやりとしたプラスチックを髣髴とさせる。

 言い淀む気配。突拍子もない話題に当惑している風である。「はあ」

「哲学的な撞着(どうちゃく)。暴悪的な衝動。生からの離脱にして、死からの癒着。自分は自分だが、自分でないものは自分でない。自分が自分でないような、自分でないものが自分で――自己矛盾、なのだよ。矛は盾を貫き、盾は矛を弾くのだ」

 名伽花魁の話の奇怪さは、如実のとおりである。筋が通っているのか、いなのか。一応それらしい理屈はあるが、しょせんただの屁理屈である。意味のない事柄に無理やり意味を付加させたようで、本質的には全くの生産性を持たないのである。

「その話には意味という概念が著しく欠如しています。内在も外在もしていない。意味が分かりません」

「つれないねえ、織姫ちゃん。けど、そこがまた萌える。ツンデレ属性だ、あはっ」

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