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神隠しが起こる村  作者: 密室天使
第二章 【レイク】
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第十四話 五月六日 続

 席替えの結果、俺と名伽意味奈(なとぎいみな)は隣の席になった。

「いきなりだけどぉっ、席替えしまーす!」

 ホームルーム終了直前に、突如として杉村由香里(すぎむらゆかり)先生はそんなことを言い出した。

 新任の杉村先生のホームルームは単純にして騒然としていた。今年で二五歳になる杉村先生は、当然のことながら化学科教師である。2-1組の担当であり化学科教師だった右梨祐介(みぎなしゆうすけ)はこの世にはいない。その代わりとして杉村先生が赴任してきたのである。

「いきなりだけどぉっ、席替えしまーす!」

 三十人余りの生徒が一斉に歓声をあげ、教室は喧騒に包まれた。俺はいつの間にか用意されていたクジを適当に引き、ぼんやりとしていた。

 その五分後。

 机を動かしてみれば、左には窓から見える遠望。右には気まずそうに顔を俯ける名伽がいた。

 一時間目は杉村先生の化学だった。

「いきなりだけどぉっ、抜き打ちテストしまーす!」

 三十人余りの生徒がいっせいに悲鳴をあげ、教室は喧騒に包まれた。俺はいつの間にか用意されていたテストを後ろに回し、ぼんやりとしていた。

 テスト開始。

 カチカチカチと時計の音をまねて杉村先生は、「カチカチカチ」と楽しそうに口ずさむ。「カチカチカチ」

 テスト終了。

「交換採点をしてくださーい!」

 俺はさっと視線を右に走らせた。

 目が合う。

 何だか頬を紅潮させた名伽と目があった。

「こ、交換……」

 おずおずと解答用紙を差し出す。朝の出来事が脳裏から離れない。それは名伽も同じようで、思うところがあるらしい。挙動がたどたどしくて、名伽らしくない。

 名伽のテスト用紙に赤ペンを走らせる。鋭角的で、筆圧の強い文字である。全部丸だった。「満点だ。すごいな」

「あっ、ありがとう……」

 蚊の泣くような声で対応する名伽。今日の名伽は変だ。俺も変だけど。

「君は」名伽は俺の解答用紙を差し出し、「鴇織姫(ときおりひめ)と付き合っているのだろうか?」と不意を突くように言った。

 俺は失礼なこととは思いながらも、質問を質問で返す。「鴇のことを知っているのか?」

「この学園の有名人だろう。誰でも知っていると思うぞ」

「それもそうか」

「君も相当話題に上がっているだろうな。なにせ――」

 名伽から回答用紙を受け取る。「鴇織姫と肩を並べて登校していたのだからな。男子が騒いでいたぞ」

 雲行きが怪しくなったので、露骨に視線を逸らす。ちょうど、【生き血を吸う桜】が葉を散らしているのが見える。不気味な桜だ。なにせ幹が微妙に赤い。まるで血管が浮き出ているようだった。

「それに」と名伽は回想をしている風に思索を巡らせ、その三秒後に頬を赤くした。「教室に入る前に……その、抱き合っていたからな」

 俺は反論する。「あれは一方的に抱き着かれただけだ」頬杖をついて、苦笑を浮かべる。「こっちは抱き疲れてるってのに」

 誤解しないでほしいが、この文脈に性的な意味はない。「抱き疲れた」という言葉は、(しとね)を何度も共にしたという意味ではなく、単純に鴇織姫との抱擁に疲弊したということだ。

 携帯電話が振動する。開いてみるとそれは鴇織姫からで、題目は「返信してよ」だった。メールボックスにはすでに数十件ものメールが溜まっていた。無言で携帯電話を閉じ、このメールをなかったものとして処理する。携帯電話も俺もパンク寸前だった。

「君の言動から察するにだ。鴇織姫の方から一方的に言い寄られているということか?」

「なぜだか分からないけど」と言って、「そう言うことなんだ」と困惑気味に言った。

 名伽は何も言わなかった。ただ難しそうな顔で、俺の携帯電話を見るだけだった。

「それでは授業に入りまーす!」




          ○○○




 昼休み。

 チャイムと同時に、名伽は姿を消していた。生徒達は各々食事の準備をしている。教室にはいくつもの孤島が形成された。

 俺の目の前にいる鴇織姫は喜色満面に言った。「クーちゃん、私寂しかったよぉ」

「黙らっしゃい」

 俺は笑顔で駆け寄る鴇織姫を一蹴した。「授業中に何通もメールしたらダメだろ。マナーモードにしていたからいいものの、下手したら先生に見つかっていたぞ」

「だってクーちゃんと繋がっていたいもん。授業なんてつまらないし、クーちゃんにメールしてる方がずっと楽しいもん」

「あのなあ」

「できれば電話が良いな。クーちゃんの声が聞けるから」

 授業中に電話。どう考えても不可能である。

「だから泣く泣くメールで我慢したんだよ? それでもクーちゃんと繋がっている実感はあるから、まあ妥協する。ちゃんとメール返してね」それは理不尽な要求だった。授業中には、名伽が隣にいるのだ。うまく形容できないけれど、鴇織姫とメールをし合っていることがばれたらマズイ気がする。それは虫の知らせと似ていた。見えないものが後ろから迫ってくるような、そんな得体の知れない何かを感じるのだ。

「そう言えば化学科の先生が変わったんだっけ」俺の思考を遮るようにして、鴇織姫は言った。「だれ先生?」 

 鴇織姫があまりにもさらりと言ってしまうものだから、反応が遅れた。鴇織姫の態度がいかにも「他人事」と言った風で、微妙なずれを感じる。それでいて決定的な歪み。右梨祐介の死に顔が頭に浮かぶ。その後、鴇織姫の顔が視界を覆った。

 俺は口をもごもごさせていった。「杉村先生っていう女性の先生。テンションが妙に高い先生だった」椅子から立ち上がり、廊下の方に視線を向ける。そこには廊下ガラスに張り付く他学年の生徒たち。主に男子生徒が大半で、滂沱(ぼうだ)の涙を浮かべている。

 廊下ガラスだけではない。

 周りの生徒たちは唖然とした風に俺たちを見ていた。色んなところからひそひそ声がする。

 鴇織姫は茶化すように言った。「人気者だね私たち」

「知るか。それよりも新聞部の件だ。面倒この上ないが、行くしかねーよな」

 梅雨利(つゆり)はその交換条件として、俺と鴇織姫との関係性を記事にしないと言っていた。しかしこれだけの騒ぎになっていれば、いまさら記事になろうと関係ない。

 ただ七不思議の調査をやめるとなると――不具合が生じてくる。

 あの変態女が関わっている以上、この件から降りることは許されない。それ相応の報復が来るはずだ。それだけは避けたい。

「助っ人って誰だろうね?」

 それは質問と言うより確認に近かった。鴇織姫もうすうすと予測しているのだろう。顔がしかめっ面になっている。「一応クーちゃんを取られる心配はないけど、なんか嫌だなあ」

 鴇織姫は鬱々と言葉を濁した。

 俺と鴇織姫が向かう先は二棟二階。

 新聞部部室という名の悪鬼の巣窟である。




          ○○○




「やあやあよく来てくれたね凍鶴楔(いてづるくさび)君と――鴇織姫ちゃん! ――って、うわぁヤバイ。噂にたがわず織姫ちゃんはかわいいね。悶える。私悶えちゃうってこれ、いやマジで。ってか髪の毛さらさらなんだねぇ、唇も色っぽい。艶がある。欲しい。これは欲しいね。私の美少女コレクションに陳列したい。翼をもいで、首輪を巻いて、手首足首に枷をはめて、狭量な鳥籠の中に入れたい! 儚げに咽び泣く姿を永遠に鑑賞したいってもんだよ。男として――いや、一人の人間として君も観たいだろう? そうだろう? そうするっきゃないよね? せざるを得ないよね? あっはぁー、全身を縄で縛って、鎖で雁字搦(がんじがら)めにして、恐怖に震える頬を淫猥に撫でたいぃ! 君もそう思うだろう? そう思うしかないよね? 自由を奪われ人権を剥奪(はくだつ)された美少女を前にして、思い浮かぶ感想は一つしかないだろう? 萌えだよ、萌え! 萌え萌えぇー! あまりの鬼畜っぷりに感動を通り越して畏怖すら覚えるね。鬼畜! 鬼畜だね。私の大好物であり、人類が感じ得るであろう愛楽と快楽の極致! 安楽と享楽の極地! これでご飯三杯はいけるってもんだよ。美少女の悲愴に沈む顔さえあれば、私はあと数十年は生きていけるだろう。あぁ、もっと。もっとその綺麗な顔を歪ませてはくれないだろうか? 人の歪みこそが美意識を新たなる高みへと持っていく最大の成分なのだ。神をも恐れぬ至高の芸術作品の完成だよ、いやマジで。あぁ、悶え死ぬぅ!」

 開口一番、新聞部部長の名伽花魁(なとぎおいらん)は叫び声のようなものを上げた。インディアンのような嬌声と喚声である。

 名字で分かると思うが、この生粋の変態女はあの名伽意味奈の姉である。年齢は一つ上の十七歳。3-3組に所属する女子高生だ。

 妹の名伽意味奈とは性格も性質も正反対だが、髪の毛や面立ちは割とそっくりである。名伽花魁の髪の毛はジャギーの入った銀髪で、名伽意味奈同様長身だ。性格は致命的だが、顔つきは凛々しく端麗としている。それが淫靡(いんび)に沈む姿は、正視に堪え難い。悪寒が走るのである。

「名伽先輩」

 大量の書類や紙類で乱雑に散らばった新聞部部室には、足の踏み場もない。治外法権の様相を呈している。もはや、一国一城(いっこくいちじょう)である。

 拘束された鴇織姫は、酩酊状態の名伽花魁の思うがままである。しきりに胸を撫でられ、耳元に息を吹きかけられている。鴇織姫はそれから抜け出そうといじらしくもがく。だがそれは逆効果で、名伽花魁の愉悦をよりいっそう加速させる結果となっている。目も当てられない。先ほどから、「うわぁ、助けてよぉ」と鴇織姫の悲鳴が聞こえるが、それは俺の預かり知らぬところである。生贄になってください、と言わざるを得ない。

空子(そらこ)もすごい子を紹介してくれたものだな。こんなに健気でかわいらしい美少女を私の前に差し出すとは。空子も気が効いてるねえ。やっぱり助っ人になって正解だったかな」名伽花魁は錯乱し切った様子で言った。「そんなに抵抗されると、つまみ食いしちゃいたくなるのだよ。どこから食べちゃおうかな? 綺麗な顔はできる限り傷つけたくないから……やっぱり胴体を中心に攻めちゃう。私攻めちゃうよーん。大丈夫、お姉さんは怖くないよ。安心してね。ふふふふふふ」

 安心できるか。

 名伽花魁は鼓膜が破けそうな高い声を出して、指を鴇織姫の体に這わせる。さすがの鴇織姫でも恐怖で声が出ないらしい。懇願する風に俺を見る。見捨てられた子猫みたいな瞳だ。

「あれれぇ、もしかして凍鶴君を当てにしているのかな? それは無駄というのだよ。織姫ちゃんはもう私の魔の手からは逃れられないのだぁ。その命儚く散らせたまえぇ!」

 体の奥を震わせる阿鼻叫喚(あびきょうかん)。名伽花魁の目は本気だ。さすがにヤバイかなと思い、救出を図る。

「うえぇん、怖かったよぉ!」

 所々服が乱れた鴇織姫は、泣きじゃくりながら俺の胸に顔をうずめた。本気で身の貞操の危機を感じたらしい。全身を痙攣(けいれん)させ、俺にしがみついた。

 俺は俺で満身創痍だった。名伽花魁から何発ものプッシュパンチを受け、全身が焼けるように痛い。めちゃくちゃ細身なのに、怪力なのは名伽の血なのか。武家の嫡流なのか。

「おいおい凍鶴君。私の至福の時間をぶっ壊してくれたね。その罪、どう償うつもりなんだい?」猫科の動物みたいな目で俺を睨む。「美少女だろう! こうなったら鴇織姫という美少女の体で償うしかない! そうだろう? 三度の飯よりも美少女の方を優先させる私を満足させるものと言ったら、それは美少女でしかない! 美少女でしかありえない! 我美少女を思う、故に我在り。という格言を知らないとは言わせないぞ」 

「ああもう、黙ってください! 美少女美少女って連呼したらダメでしょうが」俺もまた泣き叫ぶように言った。「そんな格言はありません。デカルトに謝ってください」

「全身傷だらけの負傷者がなにを言う? その骨は私が拾ってあげる」

「くく、クーちゃんに手を出さないでください!」

「……クーちゃん? うわっ、ヤバッ! 私は今、あまりの萌えっぷりに感極まっている! 感無量とはまさにこのこと。全身を貫くほどの萌えワードだ。私もあだ名で呼んで? それがダメなら名前で。花魁先輩みたいな感じで。――せせせ、先輩! 最高のシチュエーションってやつだよ、マジで。先輩後輩の禁じられたラブストーリーの始まりだよ。これぞ百合の境地! 意地の悪い先輩に翻弄される後輩。学園物の王道ではないか!」

「いい加減にしてください。警察呼びますよ」

「呼んでみたらどうだい? その前に私が織姫ちゃんをつまみ食いするから。性的な意味で。言い換えるなら性的な意味で。言い換えなくても性的な意味で。美少女の艶やかな肉体――ふふふふふふ」

「私の純潔がぁ!」

 凍鶴楔が(うめ)き、鴇織姫が(わめ)き、名伽花魁が(あえ)ぐ。

 新聞部部室は旭日(きょくじつ)昇天の勢いで、混沌と化していた。

 

 事態が収集されたのは、その十分後である。

「ごめんねー。なんかスイッチ入ったら、どうしようもなくなってさ」

 椅子に座った名伽花魁は「ははは」と豪快に笑った。

 同じく向かい合うようにして座る俺たちは、苦虫を潰した表情を作った。「本当、節操無いですね」

「節操」一変して、名伽花魁は冷笑した。「節操ねえ」と机に手をついて、頬杖の体勢を作る。

 ごくりと唾を飲み込む。宇宙のように枠のない瞳が俺を捉えた。まるで世界の表面にしか興味がないというような、冷え冷えとした表情。

「私に倫理観を講釈するのかな、君は」倫理からほど遠い位置にいる名伽花魁は、妖艶とした表情を浮かべる。「あそこで邪魔しなかったら、織姫ちゃんとベロチューできたのに」と魔女のように舌なめずりをする。

「わ、私の唇が……ねっ、狙われてる」

「ふふん、絶対に手に入れる。どんな犠牲を払ってでも」名伽花魁は一人悦に入っていた。

「私はクーちゃんのものです!」

「フハハハハハハ」名伽花魁は哄笑を上げた。文字通り抱腹絶倒といった調子である。

 それが収まると一転、弧を描く唇が歪む。被験者を観察する科学者のような目。洗浄剤で何度も浄化された小川のような色。それも過剰に洗浄されてしまって、薬品が水面に浮上している風だ。汚物は取り除かれたが、魚もプランクトンも住まない無機質な水質である。

惚気(のろけ)られたらいっそう――欲しくなるだろうに。こんなに想われて、凍鶴君も幸せ者だな」

 云々(うんぬん)の与太話は割愛したいところである。「それよりも、本当にあんたが手助けしてくれるのか?」

「勿論」と言って、「条件はあるが」と鴇織姫に視線を泳がせた。

 同時に鴇織姫は震えあがった。潤んだ瞳で俺を見る。「ふえぇーん、侵されちゃうよぉ」

「えへへへへ。織姫ちゃんかわいい」

「名伽先輩」

「はいはい、俺の織姫に手を出すなでしょ? 分かってるからさ」からかうように言う。

「違います」

「照れちゃってー。凍鶴君もかわいい」

「名伽先輩!」

「うわぁ、表には出さないけど、クーちゃんはそんなこと思ってるんだ……私って愛されてるんだね。勿論私も愛してるけど」

「ふふふ、男女間の愛など羽のように軽いのだよ。いつ裏切られるか分かったものではない」名伽花魁は魔手を伸ばした。「その点、同性の恋人は百パーセント裏切ることはないのだ。真の愛は同性にこそあり」

「私はクーちゃんを裏切らないし、クーちゃんは私を裏切らないもん。絶対絶対裏切らないもん」

「愚かな。真実が見えていない」名伽花魁の伸ばした右手は、鴇織姫の腕を掴んでいた。「なら私が忘れさせてやろう。巡りめく恍惚の深淵に身を委ねるがいい」とニヤニヤ笑う。

 俺は頭を抱えた。

 名伽花魁。

 気真面目な名伽意味奈の姉とは思えない言動。妹と性格のベクトルが正反対の言語破綻者である。同姓ですら恋愛対象と言う異常っぷりは、この学園の最たるものだ。この暴れ馬を(ぎょ)せるのは、血を分けた名伽意味奈でも至難の業である。

 絶妙な歪み具合。実に狂っていて、相手を惑わせる天才である。

 言うまでもないが、非公式ミスコンアンケートの主催者であり、新聞部の黒幕的存在である。

 すぐそこで二人が(たわむ)れている姿が見える。一方的で、強行的で、利己的で、陰湿的だが。

  

 キーンコーンカーンコーン。


 昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。

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