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神隠しが起こる村  作者: 密室天使
第二章 【レイク】
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第十二話 五月五日 続

「さてさてさて。いちゃつくのもいい加減にしないと、デコピンするよ。くらえっ、秘儀デコピン二連打っ!」

「うっ」

 俺は強烈なデコピンを食らった。鎧袖一触(がいしゅういっしょく)とはまさにこのことで、俺の意識は一瞬にして飛んだ。

 烏兎怱怱(うとそうそう)と時間は過ぎていった。

 シンプルな作りの時計は午前十時を指していた。

 幸いこの部屋に梅雨利以外の患者はいない。いたら今頃、羞恥心で悶死していたと思う。

「大丈夫?」と俺の額に手を置いて、慌てふためく鴇織姫(ときおりひめ)。俺はそれを制して、ノックアウト寸前のボクサーのように立ち上がった。「しし、死ぬかと思ったぜ」

「さすが名伽意味奈(なっちゃん)との組手に付き合ってるだけのことはあるねえ。私の秘奥義を食らってまだ立ち上がるか」 

「俺をなめるなよ」口を手でぬぐい、椅子に座る。「ちょっと目眩がしただけだ」

満身創痍(まんしんそうい)が何を言う。林檎何円だった?」

「五百円だ」

「結構安いね。けどまあ、いいか。はい、五百円」

 心臓に手を当てて、こう啖呵を切る。「敵の手ほどきを受けるほど、俺は堕ちちゃいない」と一息で言い切ったので、心肺機能がきりきり舞いだった。

「はいはい」梅雨利(つゆり)は子供をあやすような表情で、折角財布を緩めてあげたのになあ、と言いたげに五百円玉を引っ込めた。ポケットに入れておいて大丈夫なのかよ?

 どうでもいいような会話の連鎖である。茶話(さわ)であり茶番。けれど自然と笑みがこぼれてきて、頬を撫でる風は気持ち良かった。そよそよとカーテンは揺らぎ、窓からは浅葱(あさぎ)色の峰が見える。視線を下げれば、五月晴れの空に鯉幟(こいのぼり)が勢いよく翻っていた。

 鴇織姫はずっと、俺の手を握っていた。

 ほっそりとした温かい手。無骨な男の手とは正反対の、肌理(きめ)細やかで美しい手。がっちり掴んでいて離れる様子はない。

 それに目ざとく気付いた梅雨利は、唇を釣り上げた。「あれれぇ? なに手握っちゃってんの? あははは、こいつはスクープだ、号外だ。学園の高嶺の花、ついに彼氏持ちか? 私が復帰したらすぐさま記事にしちゃる」

「……そうだった。お前新聞部だったな」俺は縦横無尽(じゅうおうむじん)に振る舞う梅雨利に向かって、盛大な溜息をついた。

 梅雨利空子は新聞部部員である。詳しくは知らないが、梅雨利を含め部員はわずかに三人。部活動を成立させるための最低人数だ。一応部室らしい部室を与えられてはいるが、弱小もいいところである。

 しかし。

 どいつもこいつも際物ぞろいなのが、新聞部の存在を一層引き立たせる。

 論理が破綻していて。

 言語が矛盾していて。

 行動が飛躍していて。

 人格が崩壊していて。

 なにからなにまで致命的な非常識集団――学園新聞部。

 そのせいか、新聞部が動けば必ずと言っていいほど何かが起こる。しかしその詳細や委細や仔細(しさい)が一切不明なのが、魑魅魍魎(ちみもうりょう)である。

「その通り。ジャーナリスト精神、死してなお健在」一旦息を止めて、誰も知らない話を得意げに話す子供のような笑みを浮かべる。「死んでないけど」はははと、呵々大笑(かかたいしょう)する。病室内の壁を震わせるほどではなかったが、よく通る声だった。

 何かが起こる。

 梅雨利空子が動けば何かが起る。

 梅雨利空子が動けば誰かが怒る。

 人格者の名伽意味奈(なとぎいみな)ですら、梅雨利と接触することを毛嫌いする傾向があるのだ。

 正直言えば、俺もあまり深入りしたくはない。

「……帰るぞ」

 これ以上の話は不毛であると判断し、鴇織姫に目配せをする。

 俺がパイプ椅子から立ち上がり、その場を後にしようとしたその時。

「まあ、待てよ。凍鶴楔(いてづるくさび)

 瞬間冷凍したような声が、俺の背中を打つ。

「時間はまだたっぷりある。もう少しだけ話を聞いてくれてもいいだろう?」

 梅雨利の纏う雰囲気がガラリと変わった。全身が強張る。恐る恐る言う。「何が言いたい?」俺がそう尋ねると、梅雨利はニヒルに笑った。ちょうど投身自殺を図ろうとする人間が、屋上からの俯瞰絵図を見て浮かべるような、冷めきった嘲笑だった。

「なぜ私がこの様になったのか、気になりはしないか?」

 確かに用心深い梅雨利が、そんな不祥事をしでかすとは思えない。何か裏があるはずだと思う。振り返って梅雨利を見る。深紅のリボンと肩までかかる黒髪。全てを見透かすような澄んだ瞳。

 何かが。

 おかしい。

 梅雨利空子は。

 何かがおかしいような笑みを浮かべた。

「実は私、誰かに突き落とされたんだよね」梅雨利は藪から棒に、そう言い放った。 

 俺と鴇織姫は一瞬、ポカンとした表情を作るが、漸次(ぜんじ)として胸中に(もや)がかかるような不快な感触を覚えた。

「おいおい」冗談だろ、と言おうとしたら、(かぶ)せるように梅雨利が口を開いた。 

「その時見えたのが奇妙な狐の面を被った、黒フードの人間だった。そいつが無防備だった私の背中を押して、下にまっさかさまってわけ」

 梅雨利は端々に口吻(こうふん)を漏らしていた。それは耐え難い忸怩じくじと憤怒だった。

 鴇織姫は驚いた様子で呟く。「それって本当? じゃあなんで先生に言わなかったの?」

「ここで誰かに突き落とされたって言ったらさあ、学校や警察が捜査に乗り出すじゃん? 加害者と被害者は絶対いるのに解決を第三者の手にゆだねるっていう行為がさあ、なんか癪でさ、自分が負けを認めたみたいじゃん? だから表面的に事故だと偽って処理してもらったわけ。それでさ、織姫。なんで私が二人を呼んだと思う?」

 鴇織姫は思案顔で言った。「空子は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? そして犯人の奇妙な服装。――ひょっとして、学園七不思議の【狐面の怪人】だよね、それって」

「やっぱり織姫も聡明だね。織姫の読み通り、その奇怪な格好は間違いなく学園七不思議の一つ【狐面の怪人】だよ。昔狐の面をした演劇部員が死を迎えたって言う、曰くつきの代物さ。そして私が転落した階段ってのも曰くつきなんだ。【天国への階段】って知ってる? 特別教室の三棟三階。そこでは夜な夜な死者が成仏するために、その階段を上るっていう怪談でね、これまた曰くつきなのさ」

 俺は違和感を感じて、待ったをかける。「ちょっと待て。それはおかしいぞ。確かに学園で【天国への階段】って言うふざけた怪談はあることある。けどそれって変だぜ? だって、あんたが所属する新聞部の部室は二棟二階だ。三棟三階なんて行く機会ねーだろ」

 三棟三階にははっきり言って何もない。例を挙げるとすれば、今はもう使われていない第二図書館くらいで、そこに立ち寄る生徒は皆無である。その例外が梅雨利空子とは思わないが、気にかかる。

 そして【天国への階段】と言うのは、雨稜(うりょう)高校に伝わる七不思議のことで、俺もよく知らない。噂で耳にする程度である。七不思議なんて言うものは、学校と言う閉鎖空間が生み出した産物にすぎないわけで、さほど興味はない。「凍鶴って現実主義者だよな?」とはよく言われるし、「てか夢もロマンもなくてどうすんのよ? リンカーンって知ってるか? 少年よ大志を抱けだっけ。いやこれマジ名言」とも言われる。

「もっともな意見だね。けどもし、新聞部が学園七不思議について取材していた、としたら? その先駆けとして【天国への階段】に出向かったとしたら? そこで【狐面の怪人】を模した誰かに突き落とされたとしたら? これでキーワードは浮き彫りになったよね」

「学園七不思議」鴇織姫は呻吟(しんぎん)するように言った。「空子をつき落した人は、学園七不思議に関係する人間ってこと?」

「その可能性は高い。というよりそれしか考えられないんだよね。間違いなく犯人は学園七不思議に関与している」

 鴇織姫は辟易(へきえき)とした風に言った。「悪戯にしては度が過ぎてるし、殺すつもりなら弱い。ひょっとして――警告、なのかな?」

「七不思議に関わるなってことか? 意味が分からねーよ。そもそも梅雨利をつき落す動機は?」と俺は尋ねる。我ながら不毛な質問だと思うが、訊かずにはいられなかった。それだけ梅雨利の話は突拍子のないことであり、真実味に欠けていた。欠けてはいたが、その奇怪な話に引き込まれる自分がいた。梅雨利空子がそう言うのならそうかもしれない、と思わせる不思議な説得力が梅雨利にはあったからだ。「なにそれ?」と言われれば、返答に窮するが。

「分からない。分からないけど――」鴇織姫は自らその事実を確かめるように、「犯人の動機は分からないけど、犯人が七不思議とつながっていることだけは分かるよ」とそんなことを言う。

「織姫の言うとおりだと思う。これは新たな敵対勢力の出現だね。学園のご意見番である新聞部を敵に回したいって言う(やから)がいるってことさ」

 そんな奴はいねえだろ。

 そんな言葉が浮かび上がってきたが、無意識のうちに打ち消した。

 代わりと言ってはなんだけど、先ほどから思っていたことを概括して、捻出する。「それはないな。悪意があり過ぎる。いくらなんでも女子生徒をつき落すかよ?」だんだんと犯人のしてきたことに腹が立つ。俺は吐き捨てるように、「それも演劇部が管理している仮面やらフードやらを持ち出している時点で計画的犯行だ。この犯人は行動力は勿論、頭を働く奴だ。吐き気がするぜ」と空を睨みつける。それは犯人に向けた宣戦布告――というわけではないが、いつの間にかやっていたのだ。

「これも犯人にとっては計画の一部なんだろうね。私が誰かの盤上で動いているっていう概念に鶏冠(とさか)に来る。その上こんなひどいことまでしてさあ。――で。なんで私が二人を呼んだか――だけど」

「解決してほしいんだろ? 俺たち三人で」

 梅雨利は頬を緩め、嫣然としたものを浮かべた。「理解が早くて助かるなあ。そゆことだよ」満足そうに頷き、吊るされた右足に視線を向ける。その表情は苦々しげで、遺憾と言った風である。「私はこの通りまともに動けないから、代わりにお二人さんに動いて欲しいわけ。このまま手を(こまね)いていたら、ほかの新聞部部員にも被害が及ぶかもしれないさ」苦笑いをこぼしながら、言葉を続ける。「それだけは避けたいし、かといってこのまま七不思議解明を諦めたら――それこそ犯人の思う壺だから」

「空子の言いたいことは分かった。安心してよ。私とクーちゃんでどうにかするから」と要点をうまく咀嚼出来たのか、鴇織姫は迷う素振りなく了解の意を表する。とそこで、「俺の意見は?」と質問をぶつけたいところだが、「私とクーちゃんは一心同体だから、私の意見はクーちゃんの意見だよ」などと返されるような気がして、やめた。

「ありがとう。けど違う世界に入り込んでいるバカップルのお二人は、この件について何も知らないでしょう?」

 少なくとも俺は、新聞部が七不思議について調査していることは今まで知らなかった。それに関しては無知蒙昧(むちもうまい)である。

 それに。

 バカップルじゃねーよ。

 なんて言っても聞き入れてもらえないと思うので、やっぱりやめた。

「だから、助っ人を用意した。それも本人の強い希望でね」

 なぜか背中に悪寒が走った。それは鴇織姫も同じようで、渋い顔で梅雨利を見ている。

「まま、まさか――」

「そのまさか。そんなに落胆しないでってば。一応頼りになる人なんだから。私よりもぶっ壊れてる社会不適合者だけどね」と小悪魔のように笑い、「それと現時点で私が知っていることを言っておくね。七不思議について知りたいでしょう?」と言った。

 首肯。

「――第一の怪談【天国への階段】」

 梅雨利は言う。

「――第二の怪談【狐面の怪人】」

 梅雨利は言う。

「――第三の怪談【動き出す人体模型】」

 梅雨利は言う。

「――第四の怪談【飛び出るキャンパス】」

 梅雨利は言う。

「――第五の怪談【戦慄のピアノ】」

 梅雨利は言う。

「――第六の怪談【見下ろす屋上】」

 梅雨利は言う。

「――第七の怪談【生き血を吸う桜】」

 梅雨利は言う。

 空々しい空気が降りてきた。窓外(そうがい)からだった。

 梅雨利空子を形成する論理は極めて単純だ。

 梅雨利空子と言う人間は、自分の知らないところで何かが進行することにすさまじい嫌悪感を覚える人間なのだ。逆に言えば、自分の知るところで何かが進行しなければ気の済まない人格破綻者なのである。

 だから。

 自分をつき落した犯人を自分で捕まえる。

 という結論にたどりつく。

 このままベットの上で、指を(くわ)えて待てるわけがない。

 できることなら全てを観察したい。

 食欲や睡眠欲や性欲よりも、そう言った観察欲が先行する人種なのである。

 ひとしきり言った梅雨利は、豪放磊落(ごうほうらいらく)に笑った。「私が持っている情報はここまで。詳細は先輩に訊くとして――凍鶴君の言葉を訂正すると、先輩を含めた私たち四人だね」

「……四人」

「そう四人。この四人で私をつき落した酔狂な奴を捕まえ、七不思議の調査を完遂する」梅雨利はぞっとするような、酷薄な微笑を浮かべた。「私に牙をむいたことを後悔させちゃる」と、その眼光と表情に慄然としたものを感じる。口調は拙いが、世界の何もかもを嘲弄するような、悪鬼の様相である。梅雨利空子はスイッチのオン・オフの切り替えが早いのだ。感情的になったと思った矢先、やけに泰然自若(たいぜんじじゃく)と言った風になる。

「ただ」と俺は間を置いて、砂を噛むように言う。「それ。俺が参加する義理はねーよな? 一応あんたに話は合わせてやったが――七不思議? 俺の預かり知らぬところだぜ」俺は挑発的に梅雨利を覗く。「俺はごめんだね。触らぬ神に(たた)りなしってことだ。悪く思うなよ?」

 それを受けた梅雨利は、抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)と言わんばかりに腹をよじらせた。「凍鶴楔。やっぱり君は面白い! 面白いな! 先輩の次に面白い! やはりどうせ観察するなら君のような人間がいいね――実に面白いぞ!」端麗な唇は弧の形に彩られていた。「けどいいのかな? 言っておくけど君に拒否権はない。それでも断るというのならば、私もそれ相応の手段を取らせてもらう」

「はあ?」と呆れた声が出る。

 梅雨利は蚊帳の外だった鴇織姫の手を引っ張り、抱きよせた。「でないと、君と織姫の関係。新聞部の総力を持ってして、一面に挙げちゃうよ? まだ周りに漏れてない分、君もそんなことされたら困るよね?」鴇織姫の耳に息を吹きかけ、俺に問いかける。くすぐったそうに耳を赤くして、潤んだ目で俺を見る鴇織姫。

「ともなれば、間違いなく何かが起こるよ」梅雨利は皮肉るように笑んだ。「まず男子全員にフルボッコだね。男の嫉妬は恐ろしいよぉ?」なんて怖いことを言う。名伽意味奈(なとぎいみな)と親しくなったときにも、男子生徒の制裁と称した私刑を受けていたので、その危険度は身に染みている。体中に痣ができ、痛みが大蛇のようにのた打ち回るのには、感に堪えないものがあった。

 俺はすっとんきょんな声を上げる。「きっ、汚い……俺を脅すつもりか?」

「脅すなんて人聞きの悪い。いや、人聞きの良いかな? 脅し上等、ファール上等。私にとってはただの褒め言葉だね」



 薫風(くんぷう)香る月。

 (たなごころ)にされたと思う頃にはもう手遅れ。俺はいつだって気付くのが一歩遅いんだ。

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