36. 聖女として、自分自身として ~マルセナside~
36. 聖女として、自分自身として ~マルセナside~
教会の責任者ルスター様の依頼で、私は隣国ランバート王国のライアン=ランバート王子の元へ、住み込みで奉公に出ることになった。完全にカトリーナ教会を破門されるわけではなく、月に数回は戻って聖女としての務めを果たすという条件付きだ。
しかし、あの『巡礼祭』の大失敗以来、教会の経営が致命的に傾いているという事実は変わらない。そしてそれが、第一聖女であるこの私の責任だということも。
私は自室で、ランバート王国へ向かうための荷造りを進めていた。そこには、私を慕ってくれている見習い修道女のラピスとエルミンも手伝いに来てくれている。ふと、ラピスが手を止めて尋ねてきた。
「あの……そういえば、マルセナ様のご実家から何かご連絡があったと伺いましたが?」
私はピクリと眉を動かし、すぐに完璧な微笑みを作った。
「……いえ、特には。きっと私のことなど、とうの昔に見限ってしまったのでしょうね」
自嘲気味に微笑んでみせたが、胸の奥はひどく冷え切っていた。つい二日前、実家から届いた手紙には労いの言葉など一つもなく、「巡礼祭での醜態」「名門貴族の恥晒し」という容赦ない罵倒だけが書き連ねられていたのだ。
思えば、最初から歓迎された道ではなかった。大聖女ディアナ様に憧れ、私の右肩に『聖痕』が発現した時、家族の猛反対を押し切って家を飛び出し、この教会へ入ったのは私自身だ。「貴族の令嬢が泥水をすするような真似を」と嘲笑われながらも、血の滲むような独学と修練の末、史上最年少の第一聖女にまで上り詰めたというのに。
家族を見返したかった。誰よりも優れ、誰よりも完璧な聖女になることで、私の選んだ道は間違っていなかったと証明したかった。それなのに、今の私は家族の高慢なプライドに泥を塗っただけの、ただの厄介者に成り下がっている。
少し顔が暗く沈んでしまっていたのだろう。それに気づいた二人が、慌てたように声をかけてきた。
「マ、マルセナ様なら、ランバート王国でも絶対に立派な聖女としてご活躍できますよ!」
「そうです!自信を持ってください!私たちはマルセナ様のお留守をしっかりと預かりますから!」
「……ありがとう。ラピス、エルミン」
胸の奥の冷え切った痛みを押し殺し、私は第一聖女としての気高く優雅な笑みを完璧に張り付けた。
(アリーゼではなく、私を選んでくれたこの子たちのためにも……私は絶対に弱みを見せず、完璧な聖女でいなければならないのですわ……)
私が聖女としてこの教会へ来た時には、すでにアリーゼが皆の中心にいた。誰もがアリーゼを慕い、彼女の笑顔に救われていた中で、それでもこの二人は私についてきてくれたのだ。
だからこそ、二人の向けてくれる純粋な信頼が、今の私には息が詰まるほど重かった。
私は決して怠けてきたわけではない。汗と涙を流し、血を吐くような努力をしてきた。それでも、いつも目の前にはアリーゼがいた。天真爛漫で、誰からも愛される彼女と常に比較され、その悔しさをバネにして自分を奮い立たせてきた。
(それでも……もう、心が折れてしまいそうですわ……)
私は誰にも見せない弱音を、そっと心の奥底に落とした。
アリーゼの『聖痕』が消えたと知った時、これでようやく私が一番になれると歓喜したのも事実だ。だが、彼女がいなくなって浮き彫りになったのは、私の見せかけの優越感ではなく、見えない所でこの教会を支えていたアリーゼという存在の途方もない大きさだった。
さらに、ライアン王子の『素の自分を見せたまえ』という残酷なほど見透かした言葉が、今も鋭く胸を締め付ける。完璧な『聖女マルセナ』を演じることに必死になりすぎて、私は『私自身の本当の心』を、とうの昔に見失いかけていたのだ。
「……ラピス、エルミン。ごめんなさい、少し一人で考えたいわ」
「マルセナ様……」
心配そうな二人を残し、私は部屋を出た。宛てもなく歩き、気づけば一人、中庭へと足を踏み入れていた。
庭師によって綺麗に整えられている花壇を見つめながら、これからどうするべきかを自問自答する。あの意地悪な王子の元で、私は一体どう振る舞えばいいのだろう。
「あっ……」
ふと、足元の小さな白い花に目が留まった。私が初めてこの教会へ来た日、アリーゼにこの花壇を案内してもらった時にも咲いていた、思い出の花だ。花言葉はたしか……『真実の想い』。
「確かこれはアストラムの花……」
「えぇ、よくご存知でございますね。聖女マルセナ様」
背後から声をかけられ、振り返ると、そこには一人の初老の女性が立っていた。この教会の修道長であるマーシャさんだ。
「すみません。勝手に中庭に入ってしまって……」
「いいんですよ。ここは関係者以外立ち入り禁止、というわけではありませんからね」
そう言って目を細める彼女の姿には、温かく穏やかな空気が漂っている。私もいつか、こんな風に人に安らぎを与えられる女性になりたいと、密かに憧れている人だ。
「それで何を悩まれていたのですか?」
「……実は」
その優しい声色に触れた瞬間、心にかけられていた鍵が壊れてしまったようだった。
私は、マーシャさんに今までのことをすべて打ち明けた。実家から恥晒しとして見捨てられたこと。本当は自分に第一聖女としての資格などないのではないかという恐怖。アリーゼに劣っていると認めたくないという醜い意地。そして、完璧でありたいと願えば願うほど、どうしていいか分からなくなってしまう自分自身への葛藤。
すべてを吐き出すように語り終えると、マーシャさんは私の話を静かに受け止め、ゆっくりと口を開いた。
「そんなことないですよ。マルセナ様は、素晴らしい方ですわ」
「え……?」
「あなたは私が知る中で最高の聖女であり、私たちの自慢の聖女です。だから自信をもってくださいな。私はいつだって、あなたの味方ですから。……もちろん、アリーゼ様も素晴らしい方です。だから、私にとっては二人とも『自慢の娘』なのですよ」
自慢の娘。
その言葉は、実の家族からすら与えられなかった、私が何よりも欲しかったものだった。誰かに勝つためでも、完璧を証明するためでもなく、ただ私自身を肯定してくれた温かく包み込むような言葉。
それに触れた瞬間、私の中で限界まで張り詰めていた糸が、プツリと切れた。
「あ……ぁっ……うぅ……っ」
ずっと我慢していた。誰かに認めて欲しかった。アリーゼの代わりとしてではなく、不器用にもがく『私』を見て欲しかった。
完璧な聖女でいなければ壊れてしまいそうだったから、虚勢を張り続け、無意識のうちにアリーゼを遠ざけ、排除してしまったのだ。
ポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。初めて心の底から認められた安堵と、アリーゼに対するどうしようもない罪悪感が入り混じり、私はマーシャさんの胸にすがりつくようにして、子供のように声を上げて泣き崩れたのだった。
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