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「そんなつもりじゃなかった」が口癖の婚約者様。ええ、私も貴方を捨てるつもりなどありませんでしたが・・・

作者: AI太郎
掲載日:2026/08/31

 約束の時間を過ぎて、もう一時間になる。


 王都の大通りに面した喫茶店の窓際で、リディア・フォン・アルヴェインは冷めてしまった紅茶を見つめていた。


 向かいの席は、ずっと空いたままだ。


「……今日も、ですか」


 小さく呟いてから、リディアは胸元の小さな銀のペンダントへと手を伸ばした。


 派手な宝石もなければ、凝った装飾もない。伯爵令嬢が身につける品としては、少々地味に見えるかもしれない。けれど、リディアにとってそのペンダントはどんな宝石よりも大切なものだった。

 

 まだ待ち人の姿が見えないことを確認してからそっとペンダントに魔力を流すと淡い光が灯り


『リディア。あなたが笑っていられる道を選びなさい。お母様は、いつでもあなたの味方よ』


「……お母様」


 もう何年も前に亡くなった母の声が流れた。生前の母が音の魔法を使いこのペンダントへ残してくれたもので決して高価な物ではない。


 それでも・・・


 もう二度と聞くことのできない母の声を、リディアは寂しい時や辛い時、何度も聞いてきた。


 今日もその声に少しだけ心を落ち着かせた、その時だった。


「リディア!」


 聞き慣れた声と共に、店の扉が開く。


「悪い! 待たせた!」


 彼の名前はユリウス・フォン・レーヴェン


 リディアと同じ伯爵家の嫡男であり、政略上の理由から結ばれた婚約者だった。


「……今日は一時間ほど待ちましたわ」


「ははは!そんなに経っていたのか?本当にすまない!」


「ええ...もういいですわ」


「本当に悪かった!」


 ユリウスは向かいへ腰を下ろすと、申し訳なさそうに両手を合わせた。


「途中で困っている令嬢を見つけてね。馬車の車輪が溝にはまっていたんだ。護衛も少なかったから、放っておけなかったんだ!」


「それでしたら仕方ありませんわ」


 困っている者を助けたこと、それ自体を責める気などリディアにはない。


 ・・・むしろ良いことだと思う


「お怪我はありませんでしたの?」


「ああ。大丈夫だったよ。それで、助けたお礼にどうしてもお茶をと言われてね」


「……お茶?」


 ユリウスは何でもないことのように頷いた。


「せっかく感謝してくれているのに断るのも悪いだろう?それで近くの店で少し話してきたんだ」


「……」


 リディアは黙ってしまった。


 ”困っている人を助けた”そこまでは分かる。しかし・・・


「ユリウス様・・・今日は、私との約束がございましたわね?」


「もちろん覚えていたよ」


「でしたら、なぜお茶まで?」


「だから、それは――」


 ユリウスは困ったように笑った。


「そんなつもりじゃなかったんだ。だけどどうしてもと誘われてね!」


「……」


「君との約束を蔑ろにするつもりなんてなかった。彼女が困っていたから助けただけで、悪気なんてないんだよ」


 ”悪気はない””そんなつもりではなかった”それは確かにそうなのだろう。ユリウスは昔から、困っている者を放っておけない人だった。


 だから・・・待たされた上に他の女性と仲良くしていたことに対して苛立ってしまう自分が悪いのだろう...


「……分かりましたわ」


 リディアはいつものように微笑んだ。


「でも、できれば次からは一言伝えてくださいませ。何かあったのかと心配してしまいます。」


「もちろんだ!」


 その時のリディアは、まだ信じていた。ユリウスはきちんと話せば分かってくれる。


 いつか自分が何に傷ついているのかも理解してくれる、と。


 けれど――それからも、似たようなことは何度かあった。


 誰かに頼まれれば、リディアとの予定を変更し、困っている人がいれば、リディアとの約束を後回しにする。自分が使う予定だった馬車を人へ貸し、相談して決めた予定を勝手に変える。


 その度にユリウスは言った。


『君なら分かってくれると思ったんだ』


『悪気があったわけじゃない』


 そして最後には


『そんなつもりじゃなかったんだ』と宣った。


 その度にリディアは何度も彼の行いを許し、あまつさえ褒めた。人は失敗するし、悪意なく誰かを傷つけてしまうことだってある。


 ”大切なのは、その後にどうするかなのだ”とそう信じていたから。


 そしてそんなリディアの姿を館や城下町で見ていたユリウスの父であるレーヴェン伯爵も、息子の振る舞いには何度も苦言を呈していたという。


 曰く「ユリウス、お前の行いは・・・少なくとも”善意”ではない。もっとお前の事を思ってくれている人にも優しさを向けなさい」と


 それでもユリウスは変わらなかった。


 ――そして数か月後


 リディアの実家であるアルヴェイン伯爵家で、大規模な夜会が開かれた。そしてリディアは主催家の令嬢として、招待客へ挨拶をして回っていた。


「この度はお招きいただき、ありがとうございます」


「遠いところからありがとうございます、クラリッサ様」


 目の前にいるのは、地方のエーデル子爵家から訪れたクラリッサという令嬢だった。まだ社交界にも慣れていないのだろう・・・


 しかし多少緊張しているものの、礼儀正しい少女であることがよく分かる所作だった。


「わ、私は夜会に参加するのは初めてでして……もっときちんと準備して参りたかったのですけれど」


「何かございましたの?」


「実は……」


 クラリッサが申し訳なさそうに笑う。


「こちらへ向かう途中で、魔物に襲われてしまったのです」


「まあ!そうでしたの・・・おけがはございませんでしたか?」


「ええ、不幸中の幸いですが・・・そして近くを通りかかったレーヴェン家の方々に助けていただきまして。ユリウス様の私兵の皆様が来てくださらなければ、どうなっていたか……」


 リディアも胸を撫で下ろした。


「ご無事で何よりですわ」


「はい。ただ……馬車や荷物の多くが壊れてしまいまして」


 それ故に衣装も満足に用意できなくなったらしい。


「今回の夜会への出席を諦めようと思っていたのですが、ユリウス様がアルヴェイン伯爵家へ連れてきてくださったのです。お召し物まで用意していただいて……」


「まあ・・・そうでしたの・・・」


 確かによく見てみれば今夜のクラリッサが身につけているドレスは、念のためアルヴェイン家が来客用に保管している品だった。


 事情が事情だ


 それくらいなら、リディアも何とも思わない。寧ろ魔物に襲われながら無事にここまで辿り付けて良かった。


「ユリウス様らしいですわね」


 そう答えた時、クラリッサの首元で何かが揺れた。


「……」


 リディアの視線が止まり呼吸が荒くなる。小さな銀色の何の変哲もないペンダント。


 ・・・見間違えるはずがなかった。


「……なぜ、それを?」


「え?ペンダント・・・?」


「その首元に付けているペンダントです」


 クラリッサは不思議そうに、自分の胸元へ手を添えた。


「これは……ユリウス様が下さったのです」


「……?」


 理解できなかった。


「ユリウス様が?」


「はい。私の装飾品も魔物に壊されてしまったと申し上げましたら、今夜だけならと……」


 クラリッサが嬉しそうに微笑む。


「とても素敵な方ですね。困っている私のために、ここまでしてくださって」


 リディアは何も答えられなかった。


 なぜ? どうして?


 あのペンダントが・・・


「クラリッサ様」


「はい?」


「申し訳ありません。そのペンダントを、少し見せていただいても?」


「もちろんです」


 クラリッサは戸惑いながらも、すぐに首から外し、リディアの掌へ銀のペンダントが戻ってくる。


 確かに母の形見だった。


「どうしたんだ?」


 そこへ何も知らないユリウスがやってきた。


「リディアもクラリッサ嬢と会ったんだね!」


「ユリウス様・・・」


「彼女・・・とても大変だったんだよ。魔物に襲われて――」


「これは・・・どういうことですか?なぜ彼女が私のペンダントを?」


 リディアがペンダントを見せる。


「ああ、それか!」


 ユリウスはまたいつもの笑顔を浮かべた。


「クラリッサ嬢の装飾品が全部壊れてしまったから、君のを少し借りたんだ」


「私に断りもなくですか?」


「一晩だけだよ。もちろんクラリッサ嬢もネコババなんてするつもりはなかっただろう?」


「……私の部屋に入ったのですか?」


「使用人には俺から説明したよ。最初は渋っていたけど、俺が責任を取ると言ったら入れてくれたよ」


 悪びれる様子すらない様子に不快感が増していく。


「だって、君も困っている人を助けることに反対しないだろう?」


 またその言葉だ。”君なら分かってくれる””君なら許してくれる”


「それに」


 ユリウスはペンダントを指差した。


「ほら。今ちゃんと返したじゃないか!大事な物だとしても今無事に帰ってきたら大丈夫だろう?」


「……」


 リディアは何も言わずにペンダントへ魔力を流した。


 淡い光が一瞬だけ灯りすぐに消える。


 けれど何も聞こえない。


「……」


 もう一度魔力を流してみるが


『リディア』


 あの声が・・・


『あなたが笑っていられる道を――』


 いつも私を支えてくれていたあの声が聞こえない・・・


「……お母様?」


「リディア?どうしたんだい?」


 指先が震え、涙で視界がぼやけてしまう。


「……聞こえません・・・母の声が」


 ユリウスが眉を寄せた。


「母君の声?」


 その反応で分かった。


 彼は”知らなかったのだ”


 ユリウスはペンダントが亡き母の形見であることは知っていたはずだ。けれどなぜリディアがあれほどペンダントを大切にしていたのか、その理由を知ろうともしていなかった。


「この中には、母が生前に残してくださった声が入っていました」


「そ、そんなものが?」


「はい・・・とても、とても大切な物だったのに・・・」


「でも……」


 ユリウスは困惑しながら言った。


「た、大切にしている物とは知っていたけど・・・そんな機能があるなんて、俺は知らなかったんだ!ただのペンダントだと思って・・・」


「……っっっっ!」


「それに見た目は壊れていないだろう?もしかしたら何かの不具合で一時的に___」


 そのときクラリッサが真っ青になり、震えた声をあげた。


「あ……も、申し訳……ありません。着替える時に、一度だけ落としてしまいました。ですが、傷も見当たらなくて……何も壊れていないと思って……」


 クラリッサが深く頭を下げる。


「そんな大切なものとは知らず……!」


 リディアは静かに首を振った。


「あなたを責めているわけではありません」


「で、ですが……」


 少なくとも”大切にしていた”ということは知っていながらをペンダントを勝手に貸した者がいる。


 責任を問う相手をリディアは間違えなかった。


「ユリウス様」


「待ってくれよ」


 ユリウスの顔にもようやく焦りが浮かんだ。


「俺だって壊すつもりなんてなかったんだ」


「……」


「そんな大事な魔法が入っているなんて知らなかったんだよ!本当にそんなつもりじゃなかったんだ!」


 リディアは目を閉じた。


 不思議と怒りは湧かなかった。


 ただ”悲しい”

 

 母の声は、もう聞けない。


 そして・・・そんな気持ちが渦巻く心に何かがすとんと胸の中へ落ちた。


「……そうですか」


「リディア?わかってくれたのかい?」


 ユリウスの表情が明るくなる。その顔を見てリディアは確信した。


「ユリウス・フォン・レーヴェン様・・・婚約を解消いたしましょう!」


「……は?」


 周囲の空気が一瞬で止まった。


「何を言っているんだ?」


「申し上げた通りです」


「お、おい!まさかそんなペンダント一つで婚約を解消するっていうのか!?」


 リディアは首を振り静かに告げる。


「このペンダントだけではありません。あなたは誰かに優しくする度に、その代償を私へ払わせてきました」


「そんなこと――」


「私との約束に遅れた時も、勝手に予定を変えた時も・・・。いつも、私なら分かってくれると思った、と仰いましたわね」


「だって君は――」


 リディアは微笑んだ。


「私は何度も許しました」


 いつか変わってくれる。

 いつか分かってくれる。


 そう信じていたから。


「けれど、あなたは一度たりとも、私がなぜ傷ついたのかを考えてくださいませんでした」


「俺は人を助けたかっただけだ!」


「私は、人を助けたことを責めているのではありません。あなたが助けたことによる不都合が私に降りかかっていることに対して悲しみを覚えているのです!」


「まったくもってその通りだ。これまで苦労をかけてすまないリディア嬢よ。」


 二人の間に低い声が響いた。


「父上……?」


 人垣を割って現れたのはユリウスの父であり、そして現レーヴェン家の当主レーヴェン伯爵その人だった。


「その婚約解消」


 伯爵はリディアへ深々と頭を下げた。


「レーヴェン家当主として、正式に受け入れよう」


「なっ!父上!何を考えているのですか!?」


「黙れ!善意と自己の満足をはき違える痴れ者が!」


 会場が震えるほどの一喝だった。


「お前の身勝手な自己の満足のために一体どれほどの者が苦しんでいたと思っている?」


「身勝手って……俺は困っている人を――」


「その考え自体が身勝手だと言っている!」


 伯爵の顔には怒りよりも失望が浮かんでいた。


「人を助けたという満足と賞賛だけはお前が受け取り、そのために生じた迷惑も、損失も、約束を破られた者の気持ちも、すべて別の誰かへ押しつける!」


 ユリウスが言葉を失う。


「それのどこが善意だ!」


「父上……!で、でも____」


「私は何度伝えた?」


 伯爵の声が低くなる。


「善意とは、自分が良い気分になるために振りまくものではないと!それでもお前は変わらなかった」


 そして伯爵の目がリディアの手にあるペンダントへ向く。


「今夜が初めての夜会だった田舎貴族は知らなくても当然だが、まさか……貴族間でも有名だったリディア殿と亡き母君との大切な思い出まで潰してしまうとはな!」


「俺は知らなかったんだ!」


「そもそも知らなければ、他人の物を勝手に持ち出していいのか!」


「……っ!」


「もういい!」


 伯爵は息子から目を逸らした。


「今日をもって、お前を嫡男から外す」


「……え?父上?」


「いや、それすら生ぬるい!今日この場を持ってお前がレーヴェン家を名乗ることも許さん!」


「なっ……!何を言っておられるのですか!?」


「まだ自分のしでかしたことが分からんか!?バカなお前のための最後の餞別だ!もう一度だけ言ってやる!お前は一生、レーヴェン家を名乗ることは許さん!」


「待ってください!」


 ユリウスの顔から血の気が引いた。


 婚約者を失い、それどころか名まで失うと言う事実にようやく・・・


 ようやく彼は事の重大さに気付いたらしい。


「ま、待ってくれ!」


 ユリウスがリディアを懇願するように見る。


「そんなつもりはなかったんだ!」


 しかし・・・結局最後まで同じだった。


「リディア!君なら許してくれるだろう?」


「……」


「今までだって許してくれたじゃないか!」


 リディアは手の中のペンダントを握った。


 しかしもう・・・母の声は聞こえない。


 けれどあの日聞いた言葉はちゃんと覚えている。


『リディア。あなたが笑っていられる道を選びなさい』


「……ええ」


 リディアは静かに答えた。


「私は、何度もあなたを許してきました」


「だったら――!」


「私も」


 ユリウスを見る。


「あなたと別れるつもりなどありませんでしたわ」


 少なくとも信じていた頃は・・・


「ですが」


 リディアは微笑んだ。


「結局、何度許してもあなたは変わりませんでしたね。これからとても大変だとは思いますが・・・頑張って下さいませ、元婚約者様。」

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それではまた次回!

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― 新着の感想 ―
「借りた物」を、自分の不注意で落とす女性は、 「今夜が初めての夜会だった田舎貴族」 と見做されても納得できます。
父親の伯爵の田舎貴族呼ばわり…まぁあの息子の製造元だしまだちょっと話が通じるだけマシなのかな…?
> そしてリディアは主催家の令嬢として、招待客へ挨拶をして回っていた。 「主催家の令嬢として参加」ってことは主催アルヴェイン伯爵(父)かアルヴェイン伯爵令息(兄弟)で、主催って普通当人も参加してるよね…
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