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真の愛を見つけた、と婚約破棄されましたが。

作者: 葦ノ冬夏
掲載日:2025/10/27



「ローラ・ヴァンス嬢。僕は君との婚約を、この場で破棄する!」

 

 王国随一の名門貴族たちが集うパーティの会場で、エドヴァルト王太子は高らかに宣言した。宮廷音楽師の奏でる優雅なシンフォニアも、その瞬間に静寂に変わる。彼の隣には、伯爵令嬢のマリエッタが立っており、ローラに向けて勝ち誇った笑みを浮かべていた。


「僕は、真の愛を選んだ」

 エドヴァルトは、大仰に手を胸に当てた。

「君の持つ富と家柄は確かに魅力的だったが、ほんとうに必要なのは、僕を心から愛してくれる純粋な女性だ。だから、僕はこの美しいマリエッタを新たな婚約者とする」


 会場は貴族らの興奮と囁きでざわめいた。冷酷な商売貴族として知られるローラ・ヴァンスが、婚約者に捨てられ、どう反応するか。ヴァンス侯爵家は代々商業に特化し、王国で最も豊かな富を築いてきた。王族の多く、特にエドヴァルトは、その財力を王位継承の足がかりとして、徹底的に利用し尽くしてきたのだ。

 貴族たちの大多数は、ローラが顔を真っ赤にして屈辱に耐える姿を想像した。激怒して反論するか、あるいは泣いて懇願するか。どちらであれ、王家の圧倒的な権力の前に、財力だけが取り柄の令嬢は為す術もあるまい。そう考えていた。


 しかし。


 ローラは手に持っていた白磁のグラスを、静かにテーブルに置いた。その動作には、微塵の動揺もない。


「承知いたしました、エドヴァルト殿下」


 澄み渡った声が、会場に響き渡る。まるで夜明けの鐘のように、清廉で、確かで、揺るがぬ響き。その返事は、誰もが予想していた悲鳴ともすがりつきでもなく、潔く婚約破棄を受け入れるものだった。


 エドヴァルトは拍子抜けした表情を浮かべた。


「なんだ、反論しないのか」


 

「そんなことをする必要はございません」

 ローラは微かに微笑した。

「殿下のお言葉は、全て事実でございますから。殿下がヴァンス家の財力を利用なさったように、私もまた、殿下の『王位継承権を持つ第三王子』という地位を利用させていただきました。ビジネスとは、相互の利益に基づくものでございます。感情は存在しません。存在する必要もないのです」


 ローラは、ゆっくりと一歩前に進み出た。


「しかし、私たちの合理的な関係は、この婚約破棄をもって終わりとなります。であれば、私には当然、殿下に提供していた金銭と権益を引き上げる権利がございます」


 会場からざわめきが上がる。ローラは、侍女から受け取った複数の書類を、エドヴァルトに突きつけた。


「まず、殿下の命で王都郊外に建設中である“ディブリオ開発区“の件です」


 ローラは、最初の書類を高く掲げた。


「建設費の大部分は、ヴァンス家が直接融資しております。その担保として、開発区内の土地の権利、並びに主要なテナント契約の優先権は、『私個人』に帰属する契約となっております。この開発区は、殿下の政治的威信の象徴でございましたが、実は、私がその財源だったということです」


 エドヴァルトの顔が、みるみるうちに青ざめていった。その変化を見て、周囲の貴族たちはあることに気づき始める。これは、単なる感情的な決別ではない。計算尽くされた復讐なのだと。


「馬鹿な! あの契約は、王家の名のもとに結んだものであろう!」


「ええ、そうでございます。しかし、契約書をよくお読みくださいませ」

 ローラは、別の書類を指し示した。

「第三条をご覧ください。『ローラ・ヴァンスの損失が確定した場合、(エドヴァルト殿下)が提示したすべての担保は、乙の損失を補填するに足るまで、乙に帰属する』。……私は本日、婚約を破棄され、多大なる名誉を傷つけられました。これは、明確に『損失』に当たりますわね?」


 会場は、一瞬にして沈黙に包まれた。


 彼女が指差した契約書には、確かに、小さくも明瞭に、その条項が記されていた。ローラの優秀な専属弁護士が、綿密に仕込んだ『保険条項』である。エドヴァルトは融資さえ得られれば良いと、詳細な確認を怠り、忙しさにかまけてサインしていたのだ。彼は、自分が何にサインしたのか、真に理解していなかったのである。


 エドヴァルトの手が、震え始めた。彼の唇は引き攣り、額には冷たい汗が浮かんでいた。


 次にローラは侍女から木箱を受け取った。その中には、何十枚もの書類が整然と収められていた。


「次に、殿下の政治基盤となっている、王国の三大主要産業についてのご報告です。これは、王国北部の“マイネル鉱山“の年間採掘権の契約書です。殿下は、この鉱山から上がる豊富な採掘収益を基盤として、派手な政治活動を展開してこられました。しかし、この鉱山の採掘に不可欠な『特許技術ライセンス』並びに、採掘した鉱石を王都まで運ぶ『専用鉄道輸送網の独占契約』……これらすべてが、ヴァンス侯爵家の傘下にございます」


「くっ…………それがどうした!」


 エドヴァルトは言葉では強気を装ったが、明らかに焦燥していた。


「どうした、とは恐れ入ります」

 落ち着いた口調を保ったまま、ローラは言葉を続けた。

「一年半前、殿下は、このライセンス及び輸送契約の更新時に、『ヴァンス家の今後の協力を確約する代わりに』『王家による強制的な契約解除をしない』という条項を、殿下ご自身の印章を入れてお認めになりました。これは、つまり殿下が、『ヴァンス家の支持がなければ、この事業は立ち行かない』ことを、王家の方々ご自身が認めたということです」


 ローラは、ゆっくりと視線を王子に向けた。


「この婚約破棄によって、ヴァンス家による協力の確約は破棄されます。つまり、私は本日より、王都への鉱石の輸送を停止することができるのです。いや、停止いたします」


 会場は、一気に騒然となった。


 鉱石が王都に運ばれなくなれば、王国の武器生産は停止する。建築事業も停止する。王都の防衛も危うくなる。すべてが、この一人の女性の手に握られていたのだ。王太子は彼女を『金を提供する道具』としか見ていなかったため、『金の流れ』を支配する権力に、意識が向かなかったのである。


「二つ目。王都穀物市場における『取引権』の九割。三つ目。隣国との『特産品交易ルートの通行権』の八割。これらもすべて、殿下がご自分の政治的支持を確約させるため、軽率に交わした『裏契約』によって、既にヴァンス家の傘下に収まっております」


 ローラが掲げた契約書のすべてに、王太子のサインと、王家の正式な紋章が押されていた。それは、王家自体がこの事業体制を承認したことを意味する。いまさら拒否することはできない。


「殿下は、商業というものを軽視なさいました。契約書を細部まで確認せず、サインなさいました。そして、王家の後ろ盾を無敵であると信じて、『金の流れ』『資源の流れ』『食料の流れ』を、すべて私に丸投げなさいました。それが、殿下の甘さです」


 彼女はじっとエドヴァルトを見つめる。その瞳には、怒りではなく冷たさが宿っていた。


「私たちの婚約は破棄されました。ヴァンス侯爵家が殿下を支持する理由は、なくなりました。ならば私が提供していたものは、すべて、一つ残らず回収いたします。そして私は本日、新たな契約を結びたいと思います——」


「——ごきげんよう、ローラ嬢。ボンクラ王太子とようやく縁が切れたようだね。……さて、取引成立ということでよろしいかな?」


 傍観する貴族たちの中から現れたのは、隣国の超大物資産家であるハルト公爵だった。会場は一気に大混乱に陥った。貴族たちの驚嘆の声が、方々から上がる。隣国の公爵が、この王国の経済を掌握しようとしている。その意味するところは、誰の目にも明らかだった。

 ハルトは優雅に一礼し、ローラに歩み寄った。その足取りには、勝利の確信が満ちていた。

 

「ええ、もちろんでございます。すべて前もってお知らせした通りに進みましたわ」


 ローラは先ほどの木箱から、鉱山採掘権、穀物市場の取引権、交易ルートの通行権、そして開発区の土地権を含む、全契約の譲渡契約書を取り出した。迷いなく、自信に満ちた筆運びで、自らのサインを入れた。


「これより、これらの権利のすべては、ハルト様の手に渡ります。王国経済の命脈は、本日より、貴国の傘下に入るということです」

 

「うん。いいだろう。この融資の礼は後できちんと……契約通りに振り込んでおくよ。まったく、ここまで賢い女性は初めてみたよ、ローラ嬢」

 

 ハルトは、満面の笑みを浮かべた。周りの貴族たちは、王国の全経済が乗っ取られたことにパニックになっている。自信に満ちた表情で、二人はシャンデリアの下で握手を交わした。


「殿下」


 ローラは、エドヴァルトを正面から見つめた。その視線には、同情の欠片もない。


「これで、あなたに残ったものは、『王位継承権を持つ第三王子』という名誉のみです。その名誉を支えていた資金、インフラ、食料、武器の材料。すべてを、私を捨てたその手で、私に明け渡してしまったのです。あなたは、私を『金を生み出す道具』と見ていました。しかし、真の権力を握るのは『金の流れ』を支配する者なのです。お忘れなきよう」


「……っ!! 待て、ローラ。一度、考え直さないか? 間違っていたのは僕だ。この場で認めよう。ほんとうに申し訳ないと思っている。頼む。頼む。許してくれっ!!」


 エドヴァルトは、ローラに向かって震える手を差し伸べた。その声は、王族の高貴さのすべてを失い、ただの絶望した青年の懇願へと変わり果てていた。その醜態は、王太子の威厳を完全に傷つけるものだった。

 

「なにをおっしゃっているのです? 金よりも真の愛の方が大切だと先ほど聞いたのですが?」


 ローラは、王太子の隣で呆然と立ち尽くすマリエッタを横目に見ながら、そう言った。その声には、相手を見下す傲慢さすらなく、ただ市場で商品の価値を述べるような淡々とした響きがあった。

 マリエッタは唇を噛み締め、いますぐこの場から立ち去りたそうにしている。


「いや、だが、しかし、……違う、違うのだ……僕は、これからどうしたら……」


「これからは、純粋で美しいマリエッタ嬢とお幸せに。いつまで続くか見ものかもしれませんが、ね」


 真の勝者——ローラは、床に頭を擦り付ける無様なエドヴァルトに、冷たく言い放った。


 *  *  *


 数ヶ月後。王太子エドヴァルトは国家に経済的大打撃を与えるきっかけとなったことで、怒り狂った国王から廃嫡を言い渡された。それは、王国民全体に衝撃を与えた。王太子が自らの国を困窮させるなど、考えられないことだったからだ。

 穀物市場の流通が隣国の支配下に入ったことで、王都の食料価格は急騰した。鉱石の不足により防衛施設の修繕は停止し、王国の防衛力は大きく低下した。これらの混乱は、国全体を揺るがし始めた。

 エドヴァルトはローラに何度も謝罪と再契約を促す手紙を書いたが、当然なにも返事はない。

 彼はローラを利用しているつもりだった。だが本当は違う。エドヴァルトはローラにとってのただの駒だった。彼女は、最初からこの結末を想定し、綿密に計画していたのだ。彼の自尊心も、王位継承権も、政治的威信も、すべてが彼女の掌の上で踊らされていたのである。

 国王は、最終的にエドヴァルトとマリエッタを幽閉した。現在ふたりは辺境の古城で、貧しく惨めな生活を強いられていた。

 そこに真の愛が存在するはずはなく、エドヴァルトは、毎日ローラへの懺悔を叫び続けていた。城の石壁に響き渡る、元王太子の絶望した声。それは、誰にも聞こえない。ローラは、王国の外で、新たな栄光の中にいるのだから。エドヴァルトの声は、彼自身の哀れさを証明するばかりだった。かつての王族の誇りなど、どこにも残っていない。あるのは、絶望と、そして消えることのない悔恨のみ。それが、彼の人生の全てになったのだ。


 一方、王国を捨てたローラはハルトと手を組み、お互いに最高のビジネスパートナーとなり巨万の富を築き上げたのだった。

 

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