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決闘の舞台

東京ドームでの“ゴースト・インシデント”は、一夜にして世界中を駆け巡るニュースとなった。


『東京ドーム、謎のサイバーテロか? UFC王者のイベントが強制中断』

『ライブ中継に映った謎の紋章。“アノニマス”とは何者か?』

『黒瀬竜也「悪質な妨害行為だ」と声明を発表。警察は本格捜査へ』


テレビやネットは憶測と陰謀論で溢れかえった。

大規模なハッキング、企業間の妨害工作、あるいは黒瀬自身が仕掛けた壮大なプロモーションではないか、という声まで上がった。


だが、どれだけ優秀な専門家が分析しようともあの完璧なシステムダウンを引き起こした痕跡はデータセンターのログから綺麗さっぱり消え去っていた。


“アノニマス”と、あの不気味な紋章は、現代のデジタル社会に突如として現れた説明不能の都市伝説として人々の記憶に深く刻み込まれた。


その喧騒を、祐樹はまるで他人事のように自室のアパートで静かに眺めていた。


彼の目的は達成された。

黒瀬が作り出した光の舞台は祐樹の闇によって完全に沈黙した。

世間がどれだけ騒ごうと誰もその正体に辿り着くことはない。


ボールは今や黒瀬の側にある。



一方、聖マリアンヌ女学院。

麗奈の日常もまた、表面上は平穏を取り戻していた。

だが、その内面は、あの東京ドームでの悪夢以来激しい嵐が吹き荒れている。


彼女は休み時間になると、図書館の片隅でパソコンに向かうようになっていた。

調べているのは、ただ一人。

全ての混乱の元凶――黒瀬竜也。


(一体、何だったの、あの男は……。“地図にない場所”? “名無し”? あんな狂言を世界中が注目する舞台で……。西園寺の名に泥を塗ってくれたわ)


彼女を突き動かしているのは、好奇心だけではない。

彼女は、その剥き出しの暴力性に生理的な嫌悪感を覚えながらも、必死にその裏にある何かを探していた。


そして、気づく。

彼の経歴は、ある時点からぷっつりと途切れているのだ。

まるで、それ以前の人生が存在しないかのように。


その時、彼女は、ふと窓の外に見慣れた背中を見つけた。

廊下を黙々と掃除する祐樹の姿。

その、穏やかな背中。


(……それに比べて、相沢さんは、なんて穏やかなのかしら……)


麗奈は自分でも気づかぬうちに、その穏やかな背中を目で追っていた。

荒れ狂う不可解な現実からの、唯一の逃げ場所のように。


そして、彼女は思うのだ。


(……私は、結局、何も、知らないのね)


黒瀬竜也という暴力の謎も。

そして、相沢祐樹という平穏の謎も。

麗奈は、初めて守られるだけの自分に無力感と歯がゆさを感じていた。



その夜、都内某所の超高層マンションのペントハウス。

黒瀬竜也は巨大な窓から東京の夜景を見下ろしながらグラスの中の高級ウイスキーを揺らしていた。

彼の背後のソファには、シズカがまるで黒猫のようにしなやかな姿で座っている。


「……してやられたな」


黒瀬は忌々しげに、しかしどこか楽しそうに言った。


「だから言ったでしょう? 彼は、あなたが知っている頃の“ミナト”じゃない、と。彼は闇の中で進化し続けたのよ」

「ああ、そうらしい。俺の光をいとも容易く消しやがった。……最高じゃねえか」


黒瀬の瞳は挑戦者を前にした獣のようにギラギラと輝いていた。


その時、シズカのスマートフォンが静かにメッセージの受信を告げた。

彼女はその画面を見ると蠱惑的に微笑んだ。


「……招待状が、届いたみたいよ」


彼女が黒瀬に画面を見せる。

そこに表示されていたのは、ただ一行だけの座標データ。

そして、日付けと時間。


『今夜、24時』


祐樹のアパート。

彼もまた、カラスから同じデータを受け取っていた。


CROW: 『舞台は整えた。B-7地区、旧国立芸術センター跡地だ。数年前から解体工事が中断され今は完全に封鎖されている。最高の墓場だよ』


「……ああ」


祐樹は返信もせずに端末をポケットにしまった。

彼は静かに立ち上がると、クローゼットから動きやすい黒のスウェットとフード付きのパーカーを取り出した。

それは、大学生・相沢祐樹の仮面を脱ぎ捨て、アビスの亡霊“名無し”へと戻るための儀式だった。


「ミナ……」


ノアが不安そうな顔で彼のそばに寄り添う。


「……本当に行くの?」

「ああ」

「あたしも行く!」

「ダメだ」


祐樹はノアの頭に優しく手を置いた。


「これは、俺が終わらせなければならない俺だけの過去だ。お前はここで待っていろ」


彼はテーブルの上に小さなUSBメモリを一つ置いた。


「……もし、夜が明けても俺が帰ってこなかったら、これを持ってカラスを頼れ。金の引き出し方と安全な逃げ道が記してある。そして、二度と俺を探すな。分かったな?」


それは、遺言にも似た響きを持っていた。

ノアは目に涙を溜めながらも、黙って、力強く頷いた。

祐樹は何も言わずにノアに背を向け、玄関のドアに手をかけた。


これが、最後の戦いになるかもしれない。

だが、彼に後悔はなかった。

偽りの日常を守るため、本当の自分に戻る。

ただ、それだけのことだ。



深夜、旧国立芸術センター跡地。

かつて最先端の芸術が展示されたその場所は、今は無惨な残骸を晒す巨大なコンクリートの墓場と化していた。


解体途中の剥き出しの鉄骨。

砕け散ったガラスの天井からは、冷たい月光が差し込み内部を不気味に照らし出している。

祐樹はその廃墟の中心、かつてメインホールだっただだっ広い空間に音もなく立っていた。


静寂。

ただ、風が鉄骨の隙間を吹き抜ける悲鳴のような音だけが響いている。


その時。

ホールの反対側の闇からもう一つの人影がゆっくりと姿を現した。


黒瀬竜也。

彼はUFCのチャンピオンが着るような、派手なガウンもグローブも身につけてはいない。

ただ、祐樹と同じように動きやすい黒のトレーニングウェアを纏っているだけだった。

それは、二人がアビスで飽きるほど繰り返した殺し合いの作法だった。


二人の視線が数十メートルの距離を隔てて交錯する。


言葉は、ない。

ただ、互いの魂だけが激しく火花を散らしている。


長すぎた過去の続き。

観客もレフェリーもルールすら存在しない、たった二人のための本当のリング。


決着の時が、今、静かに訪れようとしていた。

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