表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/58

過去の影、罠の囁き

西園寺麗奈は、その夜、眠ることができなかった。

脳裏に焼き付いて離れないのは、あの時の用務員さんの横顔。


いつも学園で見る、穏やかな彼とは全く違っていた。


世界最強と謳われる格闘家を、彼はまるで憧れるでもなく、憎むでもなく……ただ、ひどく寂しそうな瞳で見つめていたのだ。

彼が、あんな表情をするなんて。


(あの人は、一体、何を見ていたの? なぜ、あんな顔を……?)


知りたい。

その一心で、彼女は自室のパソコンを開くと、その格闘家の名前を検索窓に打ち込んだ。


UFC世界ミドル級王者、黒瀬竜也。


画面に表示される黒瀬竜也の圧倒的な肉体と不遜な笑み。

麗奈は少しだけ怖いと思った。

この男が持つ剥き出しの暴力性。

それは、祐樹が持つ、静かで優しい雰囲気とは、あまりにかけ離れていた。


(なのに、なぜあの人はこの男を見てあんなに悲しそうな顔をしていたのだろう)


確かな答えはどこにもない。

だが、麗奈は、祐樹という気になる用務員の、また一つ知らない貌を見てしまった、という確かな手応えを感じていた。


そして、彼女は一つの告知記事にたどり着く。


『王者・黒瀬竜也、ファン感謝祭! 東京ドームにて公開スパーリング開催決定!』


(この人が……相沢さんを、あんな顔にさせるのね)


華やかなイベントの告知とは裏腹に、麗奈の心は少しだけ沈んだ。


理由は、分からない。

ただ、このイベントがあの用務員さんの何かとても大切なものを踏みにじるようなそんな嫌な感じがした。



その頃、祐樹のアパート。


彼もまた、重い沈黙の中にいた。

黒瀬の姿を見て以来、彼の心はアビス時代の記憶に苛まれていた。


「ミナ……あの、クロって奴のこと、考えてるの?」


ソファの隣で、ノアが心配そうに尋ねる。


「……」


祐樹が答えないでいると、彼のスマートフォンが特殊な通信を示す短い振動をした。

カラスからのメッセージだ。


CROW: 『面白い情報が転がり込んできた。お前の旧友が、盛大なパーティーを計画しているらしい。招待客リストを見てみるか?』

メッセージと共に、一つのリンクが送られてきた。

祐樹がそれを開くと、表示されたのは、麗奈も見ていた黒瀬の公開スパーリングの告知サイトだった。

YUKI: 『……挑発か』

CROW: 『それ以上の、たちの悪い罠だ。奴は、お前という亡霊を、光の下に引きずり出したいのさ』

祐樹の指が、画面をスクロールする。イベントの協賛企業一覧。その中に、見慣れない名前の投資会社があった。

YUKI: 『この会社を調べろ』

CROW: 『調べ終わったところだよ。案の定だ。ペーパーカンパニーを数枚噛ませてあるが、金の出所は、先日お前が“掃除”してやった、あの会社だ。そして、その事業を引き継いでいるのが……』

カラスが、一枚の顔写真を送ってくる。

そこに写っていたのは、蠱惑的な笑みを浮かべる、シズカの顔だった。

YUKI: 『……シズカ』

CROW: 『アビスの“魔女”が、裏で糸を引いている。

これは、黒瀬一人の独断じゃない。奴の執着心を利用して、シズカがお前という存在をどうしたいのか……。これは、二人の化け物が仕掛けた、二重の罠だ。近づけば最後、お前の日常は完全に終わるぞ』


カラスの警告は、事実だった。

黒瀬の暴力的な執着と、シズカの知略的な悪意。

二つが組み合わさった時、それは単なる挑戦状ではなく、逃げ場のない致死性の罠と化す。


無視するのが、最も賢明な選択だ。

だが、祐樹の脳裏には黒瀬のあの飢えた目が浮かんでいた。


あの男は、目的のためなら手段を選ばない。

自分がこの挑発に乗らなければ、その矛先は必ず自分の大切なものへと向かうだろう。


ノア、麗奈、健太……。

偽りの平穏は、本物の暴力の前にはあまりにもろい。


「……ミナ?」


ノアが、祐樹の服の袖を、きゅっと掴んだ。

祐樹は我に返るとゆっくりとその小さな頭を撫た。

守るべきものが、ここにある。

過去の亡霊にそれを脅かされるわけにはいかない。


祐樹は、目を開くとカラスに短いメッセージを返信した。


YUKI: 『その“パーティー”の、関係者席のチケットを一枚、手配しろ』

CROW: 『……正気か!? 罠に自ら飛び込む気か!』

YUKI: 『罠なら、利用させてもらうまでだ』


祐樹は、スマートフォンを閉じると静かに立ち上がった。

その瞳には、もはや迷いはなかった。


「ケリをつけに行く」


それは隣にいるノアにではなく、彼自身の捨てたはずの過去に向けられた決意の言葉だった。


「奴との、長すぎた遊びに、な」


亡霊は、自らの意志で光の中へと足を踏み入れることを決意した。

それが、どれほど危険な罠であろうとも己の日常を守るために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ