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第九百九十八話 熱(三)

『そうだ、幸多こうたくん。きみにぼくの名付け親になって欲しいんだけど』

「はい?」

 幸多は、ひとしきり喜んだ後、唐突に繰り出されてきた少年の提案には、さすがに困惑を隠せなかった。想定外にも程があったのだ。

「な、名付け親?」

『ぼくは、神木神威こうぎかむい複製体百二十三号だ。でもそれだと呼びづらいだろう? ここの研究員も職員も、百二十三号としか呼ばなかった。まあ、それはいいんだ。ぼくは脳だけだからね。生きていても、死んでいるのとほとんど同じだ』

 そしてそれを否定しないのが、彼だった。

 実際問題、彼にはどうすることもできないことだ。脳だけの彼には、自分の意思を主張する手段がなかった。

 この培養槽のような生命維持装置の中で、研究員たちが日課のように記録を付ける様を見ていることしかできなかったのだ。

 情報の海へ乗り出すことができるようになってもなお、研究員や職員と接触することはできなかった。

 ようやく彼の存在を見出してくれたのが、幸多だ。

 なぜ、幸多には自分の存在が見えたのか。

 それこそ、幸多が彼にこの体を与えてくれた能力に関係しているのだろうが。

 そして、彼は、イリアに目を向けた。

『……あなただけだよ、日岡博士。ぼくに話しかけてくれたのは』

「そうね。でも、それでここの人達を責めないであげてね。みんな必死だったのよ。成果を上げるのに必死だった。死活問題だったのだから」

『うん。わかってる。わかってるんだ。でも、それでも……寂しくはあったよ』

 イリアには、少年の表情に浮かぶ幼さは、彼が他人と接することなく成長してきたことの証のように思えた。

 人間は、一人では生きていられない。他者の介入があって初めて、自己を認識し、自分を確立していくものだ。

 では、彼は、どうやって自我を獲得していったのか。

 自分に反応を示さない他者の存在から、レイライン・ネットワークから流れ込む膨大な情報から、どうにか取捨選択して、自分という人間を作り上げていったというのか。

 だとすればそれは、奇跡と呼ぶに相応しいのではないか。

 特異点。

 そんな言葉が、イリアの脳裏のうりに浮かんだ。

『だから、嬉しかったな。あなたがここを訪れるのは。だって、ぼくに話しかけてくれるから』

「……きっと、そのたびに反応してくれていたのね、きみは」

『届かなかったけれどね』

 彼は、イリアの目を真っ直ぐに見て、はにかんだ。イリアが話しかけてくれた言葉は、一言一句、完全に思い出せたし、そうした言葉の一つ一つが彼の人格形成に大きな影響を与えたことはいうまでもない。

 そんなイリアと彼の交流を聞いていれば、彼の提案を断る理由などどこにも見当たらないような気がしてきて、幸多は、ますます悩まなければならなかった。

「名付け親……名付け親かあ」

「いいじゃねえか。名前くらいつけてやったって」

「そうだよ。名前は大事だよ」

「だから、悩んでるんじゃないか」

 幸多は、屈託なく絡んでくる九十九つくも兄弟に言い返しながら、彼について考え続けた。

「名前は、確かに大事だ。隊長が悩むのも無理のない話だと思う。言霊ことだまってあるだろ?」

「言霊……ねえ」

「古来、言葉には力が宿ると信じられてきた。発した言葉は、祈りとなり、あるいは呪いとなって、他人に、または自分に降りかかってくるものだと」

「人を呪わば穴二つってか」

「だれかを呪ったことなんてないけど……」

「怖いからだろ」

「うん……」

 黒乃くろのは、兄がからかい半分にいってきたことを肯定しながら、幸多と少年を見た。幸多に期待の目を向ける少年の顔は、過去に記録された若き日の神木神威にそっくりだ。

 神木神威複製体百二十三号。

 その呼称が意味するのは、百二十三回以上に渡る実験が行われたということだ。そして、成功したのが彼だけだということ。彼以上の実験結果があるのであれば、彼のためだけにこの部屋を維持しておく理由がない。

 もちろん、彼の状態を成功といえるかどうかは怪しいところだが。

 成功したのであれば、義一のように戦団の一員として、導士として迎え入れられているはずだ。公然と、神木神威の後継者として。

 だが、そうではなかった。

 脳こそ生命維持装置の中で息づいているものの、肉体を持たず、他人に認識されることもない、まさに浮遊する魂そのものだった彼は、失敗作というべきなのではないか。

 失敗作。

 黒乃は、不意に頭の中に浮かんだ言葉が心臓を握り潰してくるような感覚に苛まれた。それもまた、言霊だ。

「言葉の力は、魔法が発明されてからというもの、現実のものになった。真言しんごんだよ」

「でもよぅ、真言ってのはあれだろ。魔法を発動するための引き金のようなものであって、言葉の力とは違うんじゃないのか?」

「それも間違いじゃない。でも、一方で、確かに真言は言霊なんだよ」

「うぇ?」

「ただの言葉を真言として魔法を発動するよりも、予め魂に刻んだ真言によって魔法を発動するほうが、その魔法の威力や精度が高いことは、科学的にも証明されていることなのよ」

 イリアは、義一の意図をんで、告げる。

「だから、星将ほどの魔法士だって、真言を用いる。独自の、あるいはありふれた、ね。そうすることでわずかでも魔法が強化されるのなら、使わない手はないでしょう?」

「そりゃあ……」

「まあ、でも、時と場合によるわね。咄嗟とっさに魔法を使わなきゃならなかったり、不意を突くとかいう場合なら、ただの言葉を真言としたほうが良いこともあるわ」

「なるほど」

 真白は、義一とイリアの説明に大いに納得した。自分が得意とする分野の魔法でも、性能が微妙に変化していることを実感していたのだ。だから、理解できる。

「……だから、名前にも拘る人は拘るのよ。魔法社会になってからは、特にね」

「ぼくの名前も、拘って付けられたんだ。魔法が使えないだけじゃなくて、恩恵も受けられないぼくには、少しでも幸せが多くありますように、って。だから、幸多」

 幸多は、自分の胸に手を当て、告げた。

 その名前に込められた両親の想い、愛は、いつだって幸多の心を温かくしてくれるし、優しい気持ちにしてくれた。

 名前の由来を思うだけで、幸せになれるのだ。

 自分ほど恵まれた存在はいないのではないか、そう思えるほどに。

 だからこそ、幸多は、彼の名付け親に自分がなっていいものかと考えるのだが、彼の眼差しや周囲の反応を見るに、幸多以外に相応しいものはいないと言いたげだった。

 彼がそう望んでいるというのだから、と。

「良い名前だね」

「うん。隊長に合ってる」

「実際、幸運に恵まれているもんな」

「うん。本当に……」

 幸多は、自分の名前が褒められるのが嬉しくて堪らなかったし、そんな名前を彼につけてあげなければならないと思った。そうすると、悩みに悩むのは、当然だろう。

『そう思い悩む必要はないよ。ぼくは、ただ名前が欲しいだけなんだ。きみが付けてくれる名前なら、なんだっていい。それでぼくは、ぼくになれるから。だって、それが言霊というものじゃない?』

「言霊……」

 幸多は、彼の目を見た。幻想体は、透き通ってはいない。確かに目の前に実体として存在するかのような重量感すらも、そこにあるのだ。

「……ひふみ……っていうのは、あまりにも簡単すぎるかな」

「ひふみ?」

『ひふみ?』

「ああ、百二十三号だから?」

「そうじゃなくて……いや、それもあるんだけど、一二三は漢数字の始まりって感じがするし、いまここから、この瞬間から始まるきみの人生を祝して……って考えたんだけど、だめ……かな?」

 幸多は、あまりにも安直で安易な提案をしてしまったことに自己嫌悪に陥ったが、しかし、それを聞いていた側はといえば、熱を感じずにはいられなかった。

『一二三……ひふみ、かあ。悪くない。いや、良いよ、その名前!』

「い、いいの?」 

『だって、きみが考えてくれたんだもの。どんな名前でも、嬉しいに決まってるじゃないか!』

 幸多は、少年に抱きつかれて、どう反応すればいいかわからなかった。本来、幻想体は実体を掴むことができない。しかし、幸多ならば話は別だ。幸多の体に触れ、その感触が彼の、一二三の脳を刺激する。これがなにかに触れるという感覚なのだ、と、脳細胞が強烈なまでに活性化していくのだ。

 培養槽そのものが鳴動しているかのようだった。

『ぼくは、一二三。神木神威複製体百二十三号だから、一二三。それくらい単純なほうが、覚えやすくていいんじゃないかな。もちろん、ぼくの人生の始まりを告げるという意味でもね』

 彼の屈託のない笑顔は、幸多に戸惑いばかりを与えた。

 けれども、その喜びに満ちた様子は、幸多をも幸福してくれるものだった。


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